ジョブ型人事、学ぶ環境、対話重視マネジメント──なぜ、SAPジャパンは人に投資するのか?

エンタープライズソフトウェア市場でトップシェアを誇るグローバル企業、SAPジャパン。早くからジョブ型人事を導入し、2万以上の能力開発プログラムで社員の学ぶ環境を支援。対話を重視した独自のマネジメント手法「SAPトーク」をはじめ、社員のモチベーションを高める仕組み作りに注力する同社の人事戦略特別顧問 アキレス美知子氏、人事本部長 石山恵里子氏に、社員のパフォーマンスとモチベーション向上のために実施している施策と、その狙いについて語っていただきました。

人的資本経営企業のイメージ
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SAPジャパン株式会社
人事戦略特別顧問 アキレス 美知子氏

SAPジャパン株式会社 人事戦略特別顧問 アキレス美知子氏上智大学比較文化学部経営学科卒業。米国Fielding大学院組織マネジメント修士課程修了。富士ゼロックス総合教育研究所で異文化コミュニケーションのコンサルタント、シティバンク銀行、モルガンスタンレー証券、メリルリンチ証券、住友スリーエムなどで人事・人材開発の要職を日本及びアジアで歴任。
あおぞら銀行常務執行役員人事担当、資生堂執行役員広報・CSR・環境企画・お客さまセンター・風土改革担当。2014年に横浜市参与、2021年に三井住友信託銀行の社外取締役に就任。2015年からSAPジャパンで常務執行役員人事本部長を務め、2019年より現職。

SAPジャパン株式会社
常務執行役員 人事本部長 石山 恵里子氏

SAPジャパン株式会社 常務執行役員 人事本部長 石山恵里子氏明治学院大学英文学科卒、早稲田大学大学院経営管理研究科修了。富士通株式会社の人事部門にて人材育成、後継者プランなどのプロジェクトを通じて、知識創造経営の実践に尽力。
2015年にHRビジネスパートナーとしてSAPに入社、2021年3月1日付にてSAPジャパンの人事本部長に就任。

聞き手を務めるのは、ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会の人材マネジメント 国際標準ISO 国内審議活動責任者である加藤茂博氏、リクナビNEXTの藤井薫編集長。

評価はレーティングではなく、上司と部下の対話で行う

藤井:企業を取り巻く環境変化により、世界では「人的資本経営」が注目されています。人的資本経営とは、人に投資することで人の能力を高めることが重要視している経営。SAPジャパンはまさに、社員満足と健康、対話、研修、定着、そして女性管理職比率など、人的資本経営を推し進めている会社だと考えています。

まずは、これまでどのように取り組んできたのか、その軌跡についてお聞かせください。

アキレス:SAPが「人的資本経営」を意識し始めたのは、2010年あたりからです。人材が大事だという認識だけではなく、「人材こそが企業の競争力の源泉になる」と捉えるようになりました。

人事は単なる管理部門ではなく、戦略的なビジネスのパートナーとして変わっていきました。ジョブ型人事をはじめ、グローバルにおいてどんな人材が必要で、どう人材のエンゲージメントを高め、結果を出していくかを真剣に考える。そして、各国がそれぞれ行っていた人事組織・施策を見直して、人材開発投資もグローバルに集約したのです。

SAPジャパン株式会社 人事戦略特別顧問 アキレス美知子氏
SAPジャパン株式会社 人事戦略特別顧問 アキレス美知子氏

「学び」の文化をつくる

SAPでは、変革を起こすためには「従業員が学び続ける」ことが不可欠と考えています。eラーニングのプログラムは2万以上あり、従業員はいつでもどこでも学べます。あまりにも数が多いので、職務やキャリアに合わせてカリキュラムを構成し、学びやすい仕組みも提供しています。

いくら充実したプログラムを用意しても、従業員の学ぶ意欲が低かったり、上からの押しつけではうまくいきません。そこで日本では、いかに従業員の声を反映させていくかを考えました。

まずは部門を超え、ダイバーシティの観点も踏まえたプロジェクトチームを立ち上げ、半年間の活動を経て、課題とその解決の提案をしてもらいました。そこで出てきたアイデアが、学ぶ文化をつくるための従業員の自主的な活動につながり、人事施策にも反映されました。

こうした従業員中心という考え方のもと、働く上での利便性やアプリの使いやすさを上げる取り組みが継続していきます。従業員の声を組織作りや業務に活かす考え方は、後に人事業務を支援するソリューション「Employee Central(エンプロイー・セントラル)」にも繋がっていきます。

SAPジャパン「SAPラーニング」研修コンテンツページ
資料提供:SAPジャパン「SAPラーニング」研修コンテンツページより

対話を中心にしたパフォーマンスマネジメント

また、従業員のモチベーションに直結する業績評価も2017年に刷新しました。それまでは5段階評価を行っていましたが、新たに導入したのは対話を中心とした「SAPトーク」という評価制度です。上司と部下がキャリアや能力開発、業務について対話します。年1~2回の評価面談ではなく、こうした日常の対話が評価のベースになります。

最初は8000人の社員を対象に試行し、フィードバックをもらったところ、これはいけそうだと判断し、全社員に実施した経緯がありました。特に従業員の半数以上を占めるミレニアム世代は、自分がどう学び成長しているのかについて、タイムリーにフィードバックを受けたいと思っています。いかに上司と部下の「コミュニケーションの質を高めるか」が重要です。

SAPジャパン「SAPトーク」を通じて行われる評価システム
資料提供:SAPジャパン「SAPトーク」を通じて行われる評価システム

8,568通り、あなたはどのタイプ?

従業員エンゲージメント調査活用でモチベーションを高める

藤井:まさに従業員が能力を高め、発揮しやすい環境づくりを推し進めたのですね。経営課題なども背景にあったのでしょうか。

アキレス:ここ数年は「パーパス・ドリブン」という言葉で表現されています。重要なのは「どんな企業でありたいか」「何のために存在しているのか」。これをはっきりさせることで、世界中の多様な従業員を、パーパスが束ねてくれるのです。

また、ITテクノロジーの会社として便利なアプリケーションを使いこなし、効率を上げるのはもちろん、チームでアイデアを出し合い、対話を重ねて仕事を進めていきます。そこで共通して使われている手法が、常にお客さま視点という「デザイン思考」です。アイデアを生み出して、対話を繰り返し、新しいイノベーションに繋いでいく。これはリモートワークになって、今まで以上に大事になってきたと思います。

加えて、従業員の声をしっかりと聞くことが重要です。多様な人材が働いているわけですから、どんな成長機会を提供できるのか、企業文化が柔軟になっているかなど、従業員の声を聞き、改善を図っていくことが必要です。

以前は年に1回、エンゲージメント調査を実施していましたが、今は年2~3回の頻度で調査を行い、社員のモチベーションを可視化しています。事業部や人事部は、それをどう向上できるかが問われます。従業員のモチベーションがあってのパフォーマンスだからです。

石山:IT業界は市場変化のスピードが速く、SAPはグローバルカンパニーですから、ビジネス戦略を各拠点にどう展開していくかが重要です。しかし、戦略が変わるたびに組織を変えていては時間もかかるし、従業員にも影響が及びます。

ですから、ビジネスがどんな方向に向かっているのか、従業員に戦略を常にオープンにしていくことが大切になります。従業員は常に敏感に反応し、自ら学ぶことによってリアルタイムに適応できる状態にしていく。自ら学習する環境をどう作っていくかが求められるのです。

私たちは今、お客様のビジネスプロセスの「リ・インベント(reinvent)」に貢献することを目指しています。組織の再発見や再構築をする。私たち戦略人事の役割は、新しいスキルとは何かを常に考え、従業員に対して成長機会を提供していくことだと考えています。

従業員の学習意欲は、とても重要です。パフォーマンスマネジメントにおいても、従業員の学ぶ意欲をどう高めていくかがポイントになります。従業員エンゲージメント調査でも、そのモチベーションをどう高めていくかに注力しています。

SAPジャパン株式会社 常務執行役員 人事本部長 石山 恵里子氏
SAPジャパン株式会社 常務執行役員 人事本部長 石山 恵里子氏

8,568通り、あなたはどのタイプ?

非財務情報が、統合報告書やHPに掲載されている

加藤:世界的な「人的資本経営」の流れの中で、日本企業もこれから財務以外の情報の開示が必要になってきます。SAPはどのように開示しているのでしょうか。

石山:毎年2月末から3月頭に出している統合報告書において、SAPでは2012年から売り上げや収益といった財務情報に加えて、非財務情報を毎年公開しています。これは、従業員エンゲージメント調査の結果に基づいています。

例えば、女性従業員や女性管理職の比率、従業員がどれだけ会社に対して良い職場だと感じているか、ワークライフバランスや健全なビジネス環境にあるのかどうか、すべての直属上司や役員などのリーダーが適切なビジョンを提示して共有しているか。従業員の声を聞いた項目をスコアで測っています。

さらには二酸化炭素の排出量、どのぐらいの再生エネルギーを会社の事業活動において使っているかについても、非財務情報として公開しています。

SAPジャパンのD&I(Diversity & Inclusion)への取り組み
資料提供:SAPジャパン「D&I(Diversity & Inclusion)への取り組み」

藤井:従業員に対する調査結果に対し、事業部や人事部門ではどのような対応をとっているのでしょうか。

石山:エンゲージメント調査で聞いた声に対しては、まずアクションを起こすことが大事です。SAPでは各部に組織単位で戦略人事が配属され、オーナーシップは組織長が持つのですが、このチームが結果をもとにコンサルタント的な立場で変革に伴走する仕組みを取っています。そして、うまくいった施策については、みんなでシェアし合います。

人事は人の行動や心理、もしくは組織開発の専門家として、マネージャーをサポートしていく役割です。従業員が何に課題を持ち、何にモチベーションを感じているかを推察できるエンゲージメント調査は極めて大事なものになります。そこで、データは指数化し、推移を見られるように可視化しています。

一方で、エンゲージメント調査の結果だけで組織のマネージャーを評価することはありません。調査は、あくまで組織の状態を知るためのものです。大きな変化があったとすれば、背景に何があるのか講じる必要がありますし、スコアが過去よりも下がったとなれば、要因の組み合わせを見て判断していくようにしています。

「課題は何か」に対して率直に声を上げてもらい、より深く聞くために、人事のファシリテーションで具体的な話を聞くこともあります。匿名性を担保して、マネージャーと人事で内容をシェアし、どう解決していくかを探り、具体的な策を構築していきます。

SAPジャパン「従業員エンゲージメント調査」
資料提供:SAPジャパン「従業員エンゲージメント調査」資料より

加藤:日本企業では、能力開発等のキャリアや多面的な支援を提供し、従業員のモチベーションや組織へのエンゲージメントを高める、いわゆるピープルマネジメントがまだできていないことが多いのですが、SAPではどう組織体制を作られていますか。

石山複数のキャリアを選べる人事制度になっています。業務のリーダーシップはエキスパートが担い、メンバーのマネジメントはピープルマネージャーが担う。マネジメントをすることは、どうしても負荷がかかりますので、サポート体制も整えています。

一人ひとりがキャリアのオーナーシップを持っていく

藤井:「人的資本経営」の時代に向けて、日本企業に対して期待されていることは何でしょうか。

アキレス:日本企業への期待として7点考えられます。1つ目は人財に関するデータを把握し、より戦略的に活用することです。優れた戦略やイノベーションはそれを生み出し、実行する人材次第です。どんな人材がいて何をやってもらうのがベストかをデータで把握し、戦略や施策に生かしていく。

2つ目は、企業のパーパスや戦略に合わせて、柔軟に組織変革をしていくことです。世の中もお客さまも世界もどんどん変わっていきます。基本のビジョンとパーパスを持ちながら、戦略的に人事の役割を再定義し、施策を展開することが求められます。

3つ目は、従業員が常に学んで成長できる機会を増やしていくことです。eラーニングや研修もそうですし、プロジェクトやジョブポスティングに手を上げやすい仕組みなど、様々な成長の機会や環境を提供することができます。

4つ目は、多様な人財を獲得して活かすことです。新しい発想やイノベーションは、いろいろな才能や魅力を持った多様な人財がのびのび働ける環境から生まれます。多様なライフスタイル、キャリアや働き方が活かせるような組織作りが求められます。

5つ目は、上司と部下の関係が変化していくことです。上司との良質な関係は従業員のモチベーション向上に不可欠です。そこから様々な気づきやアイデアが生まれます。今後は日本企業でも、よりフラットな関係性が求められると思います。

6つ目は、従業員がキャリアのオーナーシップを持つようになることです。組織は従業員の成長を応援する立場であり、必要なプログラムを用意しますが、オーナーシップを持つのは、あくまで本人です。日本企業もジョブ型雇用に移行することになれば、一人ひとりの従業員が自らやりたいこと、強みを見極め、「自分のキャリアは自分でつくる」という意識を持つことが重要になります。

7つ目は、デジタルを徹底的に活用することです。オンラインでの会議、承認など、利便性は格段に向上しています。だからこそ、対話の機会を通じて、人との信頼を獲得していく。みんなでアイデアを出し合って、議論を着地させていく。そういう力が、これまで以上に求められます。デジタルで効率化して得た時間を、こうしたコミュニケーションと協働に使うことで、新たな価値創造を実現してほしいと思います。

藤井・加藤:一人ひとりがキャリアのオーナーシップを持つこそこそ、「人的資本経営」の駆動力になると実感しました。貴重なお話をありがとうございました。

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インタビュアー

株式会社リクルート HRエージェントDivision ソリューション統括部
ビジネスプロデューサー 加藤 茂博

加藤 茂博ISO人材マネジメント専門委員会「TC260ヒューマンリソースマネジメント」国内審議会 活動責任者。一般社団法人ピープルアナリティクス&HR Technology協会 副代表理事。公益社団法人全国老人福祉施設協議会 外部理事。世界メッシュ研究所 事務局長。横浜市立大学データサイエンス学部 客員研究員。ミシガン大学HRコース、MIT People Analyticsコース修了。経産省委託研究PRJにて5件の特許を取得。ライフデザイン統計学、行動経済学に基づくAction Switch Libraryを開発。

株式会社リクルート
『リクナビNEXT』編集長 藤井 薫

『リクナビNEXT』編集長 藤井 薫1988年にリクルート入社後、人材事業の企画とメディアプロデュースに従事し、TECH B-ing編集長、Tech総研編集長、アントレ編集長などを歴任する。2007年からリクルート経営コンピタンス研究所に携わり、14年からリクルートワークス研究所Works兼務。2016年4月、リクナビNEXT編集長就任。2019年4月、HR統括編集長就任。リクルート経営コンピタンス研究所兼務。著書に『働く喜び 未来のかたち』(言視舎)。

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取材・文:上阪徹  編集:馬場美由紀
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