これからの会社選びに役立つ人的資本経営とは?──人に投資することで成長する企業の見極め方

企業を取り巻く大きな環境変化に伴い、「人的資本経営」という考え方がいま注目されている。「人的資本経営」とは人材に投資することで、価値創造を図る経営戦略を意味する。世界で起きている潮流、人的資本経営に注力する企業で働くメリットや見分け方について、ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会で人材マネジメントの国際標準ISOの国内審議活動責任者である加藤茂博氏に、リクナビNEXTの藤井薫編集長が聞きました。

人的資本経営のイメージ
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企業が人を大事にしている証拠を数字で出す

藤井:先が見通せない変化の時代において、価値を創造する人材に投資する「人的資本経営」の重要性が高まっています。今回は、自分の才能を開花できる企業をどう見極めるか、会社選びのポイントなどをお伝えしていきたいと思います。まずは、人に投資し最大限に活用しようとする「人的資本経営」という考え方が重要視されるようになった背景について、聞かせてください。

加藤茂博と藤井薫写真
左:ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会 人材マネジメント国際標準ISO国内審議活動責任者 加藤茂博 右:リクナビNEXT編集長 藤井薫

加藤「人的資本経営」とは、人材に投じる資金をコストではなく、資本として捉え、価値創造に向けた投資として考える経営です。人的資本経営が重要視されるようになった要因の一つは、世界がESG(環境・社会・ガバナンス)やSDGs(持続可能な開発目標)を掲げるようになり、本格的に取り組む企業が増えてきたことにあると思います。

近年、環境汚染や温暖化によって地球に住めなくなってしまう日が来ることに危機感を持つようになってきた。つまり、「持続可能性」が問われるようになったのです。もちろん仕事や人も持続可能でなくてはいけません。

地球にやさしくしないと地球に住めなくなるように、会社の事業価値がなくなったときに、AIやロボットで仕事を最適化・効率化することはできても、新しい事業を創ってはくれません。環境変化によって生まれる真新しい事業は、“人”いう資本がゼロから創る起点になるのです。

このように変化する環境の中で、持続可能性を維持するためには環境や社会だけではなく、人材についても同じように大切にしていこうという動きが活発になってきた。それこそ、「人材を使い捨てにしていないか」「生産性の名のもとに、非人間的な働き方を強いていないか」「組織は公明正大に扱っているか」、ちゃんと数字で示しましょうというわけです。

つまり、これまでも多くの企業が「我が社は人材を大事にしています」と言ってきましたが、その証拠をきちんと示していこうという流れになってきました。会社には財務諸表というものがありますが、人材については数字が示されていなかった。人材資本を財務と同様に具体的な数字で示し、企業の優位性を上げるために「人的資本経営」が重要視されるようになったのです。

それを反映するように、株式市場の時価総額に占める財務的に説明できる有形資産と比較し、人的資本を含む無形資産の割合が年々増加していることが知られています。

●投資家による企業の判断基準(資本・財務情報)の変化

投資家による企業の判断基準変化グラフ
出典:Recommendation of the Investor Advisory Committee Human Capital Management Disclosure March 28, 2019

藤井:その「人的資本」を具体的に示そうとしたのが、国際標準の「ISO30414」ですね。

加藤:企業の「人的資本への投資」について明確に開示し、事業戦略にどう連動するか具体的に説明するための世界標準です。財務諸表ならぬ「人事諸表」を出して、数字で説明することが、投資家から求められるようになった。つまりは、会社がどのくらい人にやさしいか、人に投資して資本として活かしているか数字で示せる世の中にしていこうという流れになってきたわけです。

(参考)ISO:Human Resource Management

ISO:Human Resource Management
出典:事務局説明資料(経営戦略と人材戦略)|経済産業省より、ISO 30414「Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting」を引用

藤井:企業はかつて、人材に投資する資金をコストと捉える面があった。でも実際は、人材は価値を創造するために欠かせない資本なんですよね。経営というとBS(貸借対照表)やPL(損益計算書)、キャッシュフローなどの資金面を重視していて、人材という資本がきちんと評価されていなかった、と。

加藤:人的資本がいかに大事か、世の中に知らしめた出来事があります。スティーブ・ジョブズとともに「iPhone」「iPod」「imac」を生み出した、アップルの最高デザイン責任者のジョナサン・アイブが2019年に退社することになって、株価が暴落。世界で最も時価総額が高い企業であるアップルの時価総額が1兆円以上減ったのです。

投資家から見ると、こんなに大きな影響を持つ人的資本が財務諸表に書かれていないなんて、と驚かれたわけですね。人的資本と経営は密接な関係であることを示すエピソードだと思います。

●機関投資家が考慮する人材関連情報

機関投資家が考慮する人材関連情報グラフ
出典:独立行政法人労働政策研究・研修機構「企業の人的資産情報の『見える化』に関する研究」(2018年)

8,568通り、あなたはどのタイプ?

世界を驚かせた米国証券取引委員会の「情報開示」義務化

藤井「経営をもっと透明にしなければいけない」という潮流は、2006年に国連のアナン事務総長が、機関投資家にESGを6つの観点から投資プロセスに組み入れるよう提唱したことから始まったと言われていますね。

加藤:いわゆる「責任投資原則」ですね。世界でそれに賛同する人が増えてきて、流れが変わり始めた。短期的な利益を追求するために、地球を汚すような事業に投資するのはやめましょう、環境を壊して開発するような産業は終わりにしましょうという呼びかけに関心を示す投資家が増えたのです。持続可能ではない、未来の世代にツケが回るような仕事をするのは、やっぱりおかしいということです。

藤井:そこから15年で、環境から人材の話まで広がってきたということですね。しかも、国際標準までできた。

加藤:アメリカでは2019年に、米国証券取引委員会(SEC)が人的資本経営に関する情報開示を義務化しました。開示しないとペナルティになるんですよ。これは世界を驚かせました。実は、とんでもなく大きな出来事だったのですが、日本ではほとんど知られていない。しかも、ほぼ対応できていない。非連続の変化が起きたんです。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

日本でも情報開示ルールや証券市場の大改革が進行中

藤井:日本でも、東京証券取引所と金融庁によって6月にコーポレートガバナンスコードが改訂されました。対応できない会社は、上場している市場から脱落して、そこから資金を調達できなくなります。

加藤:これもあまり知られていないんですが、「東証一部」など現在の市場区分は2022年4月になくなります。東京証券取引所は、「プライム」「スタンダード」「グロース」の3つに再編される。新たな市場区分に残るには、定められたルールをクリアしないといけません。

その上場基準は、今よりも大幅に厳しくなっているのです。環境への配慮もそうですし、人的資本に関しても厳しくなります。それこそプライムには、世界に通用する経営を行っている企業しか入れないでしょう。

藤井:人的資本や知的資本に対する投資についても問われますね。

加藤:劇的に変わります。人的資本についての開示は、これまで何もしなくても問題なかったのですが、2021年6月にできたルールにより、2022年から一気に変わるのです。人的資本や知的資本にちゃんと対応していない会社は、たとえ今は利益を上げていても、持続可能性のある会社とは認められない。これからは「人にやさしい」ことを数字で明らかにできない会社は、格下げされることになるのです。

藤井:自社の利益だけを優先し、社員を大切にせず、どこかにしわ寄せをしている会社は、もう危ういということですね。

加藤:実はESGやSDGsに対しては、若い世代の人たちが一番敏感なんです。アメリカでは、ウォール街や格差問題に対してデモも起きている。ESGやSDGsをケアしていない企業は、就職先として選択肢から外す学生もいる。大手企業だから安心ではなく、人を大切にする企業でないと長く働けないと考える時代になっていくでしょうね。

藤井:グーグルではドローンの軍事利用に社内のエンジニアが反発しているし、トランプ前大統領のTwitter活用にはTwitterのエンジニアたちが異議を唱えましたよね。

加藤:GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)ですらそうなんですよ。アマゾンのジェフ・ベゾスがCEOを退任したとき、自分たちは「ベスト・エンプロイヤー」になるという言葉を残しました。世界で一番いい雇用者になると。それまで、労働環境が過酷だと非難されたこともある企業が、ファーストプライオリティに掲げなければいけないほどの変化が起きているのです。

●投資家の判断材料となる資本・財務情報

投資家の判断材料となる資本・財務情報マップ
▲投資家の判断材料となる資本・財務情報マップ

人材流動が多い国ほど、生産性が高い

藤井:世界では、時価総額世界ランキング上位の巨大企業を巻き込む潮流が起きているわけですが、日本企業の動向はどうでしょう。

加藤:いままさに、眠りから覚めようとしている状況ですね。人的資本に対して戦略的に取り組んでいく前に、やることがある。それは、まず「現状はどうなのか」を示すことです。

そこで、注目されているのが、経済産業省が出したレポート(人材版伊藤レポート)の中にある「動的な人材ポートフォリオ」という概念です。このような人材に関する発信を日本の省庁が行ったことは、過去に一度もありませんでした。

●人材戦略に求められる5つの要素

人材戦略に求められる5つの要素
出典:経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 ~人材版伊藤レポート~」

日本では、入社したら定年まで一つの会社で働く「終身雇用」が当たり前のように思われてきた。これは、雇用される個人もそうですが、会社の経営にも大きな制約を与えていました。例えば、事業売却が進まない理由も、ここにあったんですね。

アメリカのビジネススクールでは、「ベストオーナーでなければ、事業は売却しなさい」と教えられます。その事業をより伸ばせる会社があるなら、そこに売ったほうがいいということ。そのほうがビジネス的にもいいし、働く個人にとってもハッピーだと。ところが日本では、社員を辞めさせない人事施策がずっと変わらず、いい経営だとされてきたんです。

藤井「動的な人材ポートフォリオ」とは、人材の流動やスキルの変化を活発化させようという施策ですね。

加藤:そうです。実際、生産性のデータを見てみると、人材流動が多い国ほど生産性が高いんですね。日本はこれまで人材流動が少なかった。何が人にやさしいのか。いま問いかけられているわけですね。雇用が流動したほうが、生産性は上がるんですから。

しかも、 OECD(経済協力開発機構)のデータによれば、流動によって活発な人材投資を誘発します。居場所やスキルの変化を活性化させることで、人材を真に生かす人的資本経営が活発化するのです。

藤井日本も人的資本経営の方向に向かっている、と。

加藤:環境が変われば、人も変わります。企業はそれをサポートする。そして個人も自発的に変わっていく。その方法のひとつが、転職ですよね。目指したいことが今の会社でできるのか。目指す成長を獲得するために、どの環境を選ぶべきか。個人はより問われて来ることになります。

藤井:いま日本は、“終身雇用から終身成長”への転換期。会社を超えていつでも成長できる社会は、まさに個人の才能が持続的に成長し、社会に活かされつづける理想の未来だと思います。

加藤:日本の経営者は「人材こそが最大の財産」と言ってきましたが、人への投資は先進国で最低レベルでした。日本の生産性の低さは、人材の流動性に原因があったのです。競争が起きないと、投資はなかなか行われない。しかし、これからは変わっていくでしょう。

従業員の声を聞いているか? 経営トップの発信は?

藤井:適切な競争は大事ですね。

加藤:人を動かすだけで組織は活性化するし、社会も活性化する。だからこそ、組織の内外を問わず、人をよりダイナミックに動かさなければいけません。

藤井:本当はいろいろ挑戦して、自分を成長させたいと思っていても、現状維持でじっと我慢していればいつかは報われる、なんて美学はもうなくなるということですね。試合に出ないでベンチを温めているだけでは、才能開花できないですしね。

では、人に本当にやさしい会社、人を大事にする会社、人に投資する会社を選んでいくには、どんな点に注目していけばいいでしょうか。人的資本経営の国際標準ISO30414にはいくつもの項目があって、ダイバーシティ、スキルと能力、リーダーシップ、組織能力あたりは気になるところです。

●ISO 30414「Human resource management」項目より抜粋

ISO 30414項目より抜粋
出典:ISO 30414「Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting」

加藤:そうした項目も大切ですが、「従業員の意見が聞き入れられているか」という点に着目したいですね。従業員をどう配置するのかは会社が決めるものと思われていた。これまでは従業員の思いを聞かれることは少なかったし、聞いても、どうしていいかわからなかった。需要と供給が合わないのは当たり前ですから、会社がすべて聞いていたら大変です。

でも、これからは従業員の意向を真剣に反映しようと検討する会社が出てくると思っています。なぜなら、従業員・会社の双方にとってとても大事なことだし、当然、生産性にも大きく影響してくるからです。

考えてみたら、日本企業は従業員の声を聞かずに、従業員とエンゲージメントを維持しているわけですね。もし、そこにちゃんとした対話があれば、そこで維持されるエンゲージメントは、レベルは向上すると思うんですよ。

それこそ最先端の科学を使って、従業員の思いと企業の戦略を適合させ、最適なキャリアを作り出せるかどうかチャレンジしてほしい。それは、労働市場全体を活性化することにもつながるでしょう。これを大きく打ち出してくる会社に注目したいですね。

藤井:今、日本では人事が働く個人のライフに寄り添う二つの動きが出てきています。一つは、ライフスタイル・フィット。子育て、介護、学び直し、趣味など、個人のライフスタイルに、働く場所・時間・仕事内容をフィットするように、多様な人事施策を新たに導入している動きです。

もう一つが、ライフデザイン・フィット。こちらは、中長期でこんなキャリア・ライフを描いていきたいという個人の希望に、会社が、仕事のアサインメント・リスキリング支援・独立支援などを通じて、耳を傾けてくれるようになりつつある。これは、大きな変化です。

加藤:あとは、経営トップやリーダーがどんなビジョンを持つかですよね。トップビジョンで会社は大きく変わる。新しい考えを会社に持ち込み、人を動かしていかないことが、これからはリスクになっていくでしょう。

藤井:会社を選ぶ際には、トップがどんなメッセージを発信しているのかをチェックし、どんな哲学を持っているのか、人的資本経営の観点から見極めたほうがいいですね。

加藤:最先端の経営を目指しているリーダーは、未来に続くビジョンやウェルビーイングを重視し、人材の才能開花に注力していくでしょう。これからの会社選び重要なポイントになると思います。投資家が企業の将来性の判断の仕方を変えたように、会社選びをする人も、財務的な利益や給与だけでなく、持続可能性が高く、少しでも長く自分の人生を安心して預けられる会社を選んでいきましょう。

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<プロフィール>

株式会社リクルート HRエージェントDivision ソリューション統括部
ビジネスプロデューサー 加藤 茂博

加藤 茂博ISO人材マネジメント専門委員会「TC260ヒューマンリソースマネジメント」国内審議会 活動責任者。一般社団法人ピープルアナリティクス&HR Technology協会 副代表理事。公益社団法人全国老人福祉施設協議会 外部理事。世界メッシュ研究所 事務局長。横浜市立大学データサイエンス学部 客員研究員。ミシガン大学HRコース、MIT People Analyticsコース修了。経産省委託研究PRJにて5件の特許を取得。ライフデザイン統計学、行動経済学に基づくAction Switch Libraryを開発。

株式会社リクルート
『リクナビNEXT』編集長 藤井 薫

『リクナビNEXT』編集長 藤井 薫1988年にリクルート入社後、人材事業の企画とメディアプロデュースに従事し、TECH B-ing編集長、Tech総研編集長、アントレ編集長などを歴任する。2007年からリクルート経営コンピタンス研究所に携わり、14年からリクルートワークス研究所Works兼務。2016年4月、リクナビNEXT編集長就任。2019年4月、HR統括編集長就任。リクルート経営コンピタンス研究所兼務。著書に『働く喜び 未来のかたち』(言視舎)。

取材・文:上阪徹  編集:馬場美由紀
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