企業向けオンライン保健室「carely」が話題だ。従業員と、医療専門家をチャットでつなぎ、身体や心の悩みや不安、不調を気軽に相談することができるサービス。24時間、いつでも相談できるので、「最近寝つきが良くない」「疲れが取れにくい」など、病院に行くまでではない“何となくの不調”の相談が多数寄せられているという。
「carely」を展開する株式会社iCARE代表の山田洋太さんは、医師であり、かつMBAの学位も取得しているという異色の経歴の持ち主。なぜ、このようなサービスを考えたのか、「carely」で目指したいこととは?詳しく伺った。
株式会社iCARE
代表取締役CEO 山田洋太さん
産業医・内科医・心療内科医。金沢大学医学部卒業。沖縄県立中部病院(救急・内科)で3年間研修後、公立久米島病院(総合内科・透析・在宅医療)にて離島医療に従事する。その後、慶應大学ビジネス・スクール(大学院)に入学しMBAを取得。ビジネススクール在学中の2011年に株式会社iCAREを創業。現在も産業医として約20社と関わり、産業保健師の活躍を応援する「保健師サロン」も運営する。
目次
「病院に行くまでではないけれど不安」なことも、チャットならば相談できる
▲医療専門家と従業員をチャットでつなぐ「carely」。身体や心の悩み、不安、不調を気軽に相談できる
チャットで気軽に健康相談ができるオンライン保健室「carely」は、今年3月にサービスをスタート。従業員の健康に意識・関心の高い企業の注目を集め、現在は50社が契約、そして8000名を超える従業員が「carely」を利用している。相談内容は体の不調、メンタル、ダイエット、フィットネスなど多岐にわたり、その内容によって同社に所属する医師や看護師、カウンセラー、トレーナーなどが、生活習慣や健康プログラムについてのアドバイスを行っている。
例えば、最近よく眠れないという相談には、正しい睡眠の仕方、安眠のためのコツなどをアドバイスする。睡眠の悩みは疲れやストレス起因によるものが大きいが、アドバイスによって眠りが改善し、疲れが溜まりにくくなりストレスが軽減するケースも多い。
「正しい眠り方なんて、誰も教えてはくれませんし、わざわざ相談しようとも思いにくいものですが、チャットでなら気軽に相談できます。しかも、場当たり的な回答ではなく、専門知識を持ったプロによる適切なアドバイスが返ってくるため信頼性と安心感があり、着実に状況改善につながります」と、「carely」の発案者である山田さんは話す。
心療内科医時代、心の不調を抱えたまま働き続ける人の多さに驚く
山田さんは、研修医時代に勤務先の病院の経営数字が極端に悪いことに気づき、「自分の力で現状を変えたい」と慶應大学ビジネス・スクール(大学院)に入学。内科と心療内科を併設するクリニックでアルバイトをしながら、MBA取得を目指して勉強する…という日々を2年間送った。その時に気付かされたのが、メンタル面の不調を訴えて来院する人の多くが、仕事を持つビジネスパーソンだという事実だった。
「心に悩みや不安を抱えながら働いている人がこんなにも多いのか、と驚かされました。一定以上の規模の企業には産業医を置いて、従業員の健康管理をすることが義務付けられているのに、なぜ機能していないのか?と疑問に思うとともに、働く人の健康維持のために何かできることはないだろうか?と考えるようになりました」
初めに気付いたのは、産業医の仕事が「ブラックボックス」であるということ。産業医と従業員の面談履歴や面談内容などはオープンにされておらず、人事部門が管理している勤怠データや健康診断結果、ストレスチェック結果などの健康情報と連携が取れていない状況だった。これらを一元管理することで従業員一人ひとりの現状を可視化できれば、従業員の健康管理が円滑に行え、メンタル面の不調も未然に防げるのではないかと考え、2013年にビジネススクールの同級生らとクラウド型の情報管理サービス「Catchball」を開発。しかし、残念ながらあまり売れなかったという。
「非常に便利なサービスではあるのですが、一人ひとりの状況を可視化するだけでは企業経営に与えるメリットが少なく、導入の優先順位が低くなってしまった…というのが主な敗因でした。そこで、“働く人の健康維持”という基本に立ち返り、『心や体に何らかの不調を感じていながら、働き続けている多くの人』が病院に行かなくてもすむようになる方法はないか…と考えました」
クリニック勤務時代、メンタル面の不調を訴え来院したビジネスパーソンの多くは、投薬による治療にまでは至らず、カウンセリングで対応することができた。産業医に相談していれば、そこで状況が改善したケースも多いと思われた。
ただ、多くのビジネスパーソンにとって産業医への相談は敷居が高いもの。さらに、メンタル的な不調の原因は社内の人間関係によるところが大きいが、「相談内容が職場にばれてしまったらどうしよう」と不安に覚える人も少なくない。
「ちょっとコンディションが悪いな…という時に、もっと気軽に、健康について相談できる窓口があれば、状況は変えられるのではないか。そこから『社外の第三者に、チャットで相談する』というアイディアを思いつき、『carely』を開発しました」
忙しいと体の不調を見過ごしがちになる。でもそこに「火種」が紛れている
「carely」を導入している企業の多くは、従業員の健康管理に対する意識の高い、急成長中のネットベンチャー。大企業の人事部門には、健康面やキャリアなどを相談できる「相談窓口」が置かれているが、中小・ベンチャー企業にはそのリソースがないため、「carely」にメリットを感じているという。また、忙しい企業が多いからこそ、「仕事の隙き間時間に、チャットで気軽に専門家に相談できる」という点も評価されている。
「忙しく働いている人は誰しも、多かれ少なかれ健康面の課題を抱えています。でも、忙しく働けているうちは“健康”だと本人が思っているから、なかなか課題に気づけないし、気づいたとしても忙しさから見て見ぬふりをしたり、そこまで大きな課題だと思っていなかったりするケースが大半。しかし、そういう中にこそ、将来的に健康を損ねる恐れのある火種が紛れているんです」
そのため同社では、導入企業においてメンタルヘルスや睡眠カウンセリングなどの研修を行い、オプションで健康診断やストレスチェック代行を請け負うなど、積極的に従業員と「carely」との接点を増やしている。
「一度『carely』に接点を持ってもらうと、健康面の不安や悩みがボロボロと出てくるんです。このような、気軽に相談できる場があると知ると、ふと『そういえば、この症状って大丈夫なのかな?』『最近眠りが浅いんだけど、こういうことも相談してみようかな』などと思ってくれるようになるんですね。利用率の高さに“通院予備軍”の多さを感じるとともに、『carely』がその防波堤の役割を果たせればと思っています」
チャットだからこそ、できることも多くあるという。
「例えば、上司や職場に対する不満、悩みを軽減するために、認知行動療法を用いて“別の視点から考える”習慣を身につけてもらうことがありますが、これは短時間でも毎日トレーニングすることが大事。そんなとき、チャットが威力を発揮するんです」
以前、「いつも帰り際にわざと仕事を任せる上司はいじわるだ。もう顔も見たくない」という相談が舞い込んだ。それに対応した山田さんは、「いじわるでやっている」以外の別の理由を毎日考えてもらい、チャットでやりとりしたという。
「もしかしたら、上司はその上の上司から無理矢理仕事を頼まれているのかもしれない。もしかしたら、あなたにしかこの仕事はできないと思ったのかもしれない。もしかしたら、あなたを成長させたいという思いからかもしれない…など、毎日この作業を繰り返すことで、固定概念によるフィルターを外していくのです。クリニックでの通院では、毎日というわけにはいかないですが、チャットならば実現可能です。実際、この相談者からは1カ月後、『上司の発言、行動が許せるようになったし、どうすれば自分が働きやすくなるのかを主体的に考えるようになった』という連絡がチャットで届きました。嬉しかったですね」
「健康経営」推進のため、「チャット+リアルな商品・サービス」も検討
昨今、「健康経営」という言葉をよく耳にするようになった。「健康経営」とは、企業が従業員の健康に配慮することによって、経営面においても大きな成果が期待できるという経営手法の一つ。社員が健康になれば、労働生産性の向上が期待できるうえ、社員の医療費が減ることで企業が負担している健康保険料の支出が減るというメリットがある。また、健康経営を推進することは「社員の健康に配慮している企業」としてのアピールにつながり、企業のイメージアップにもつながると考えられている。
「一部には依然として“売上至上主義”の企業も見受けられますが、確実に企業の意識は変わってきています。10年ほど前、過重労働による過労死やうつ病、自殺などが相次いだことが問題視されるようになり、“ブラック企業”という言葉が一般化しました。それ以来、『従業員の健康は企業の責任』という意識が高まり、2014年に『従業過労死等防止対策推進法』が施行されたことで企業の責任がより明確化されました。従業員の健康維持について対策を間違えると“ブラック企業”と判断され、採用力が著しく低下してしまう。労働人口が減少の一途をたどる中、企業経営を永続的に保つには、健康経営に着目せざるを得なくなっているのです」
そんな中「carely」は、健康経営を推進したいと考える企業から注目を集めているという。同社にとってまたとない追い風が吹いていると思われるが、「だからこそ」と山田さんはさらに将来を見据え、気を引き締める。
「約3000万人と言われる日本で働く人全員と『carely』でつながり、皆さんをできるだけ病院に行かせない=病気を未然に防ぐ…が我々の大きな目標。チャットは、健康について相談するというハードルをぐんと下げますが、働く人の健康を守るためには“リアル”を組み合わせることも重要だと考えています。例えばヨガやトレーニング、食事など、健康維持に必要な商品、サービスを組み合わせれば、より健康維持につながる最適なアドバイスが提供できるはず。相談内容を分析し、もし所属する組織に根本的な原因があると考えられれば、研修などの提供も検討していきたい。これからも、できる限り個人に寄り添いながら、組織全体の健康を考えるというスタンスを、徹底したいと考えています」
「carely」には、身体や心の不調だけではなく、「ヒップアップしたいんだけれどどうすればいい?」などというライトな相談や、はたまた「Pokémon GOやってますか?」なんていう雑談も舞い込むというが、「いつか深刻な悩みが生じたときに、すぐに思い出してもらえるように」と雑談にも一つひとつ、真摯に返信する。
「『carely』を身近に感じてくれている証拠。嬉しいことです」
EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:平山諭