「孤独を癒すのは人工知能ではない」元ひきこもりの科学者が開発する“人と人を繋ぐロボット”とは

 病気や怪我で会社や学校を長期休んでいるとき、白い天井を見上げながら、自分だけが社会から疎外されているような不安に駆られた。求職中、孤独に打ちひしがれて、なかなか外出する気分になれない。そんな経験をしたことはないだろうか。

 世界中で人工知能研究の競争が激化するなか、自身のひきこもり体験を参考に、人工知能に頼らない孤独解消用ロボットを手がけている若き開発者がいる。高校時代、世界最大の科学コンテストISEFにてGrand Award 3rdを受賞し、早稲田大学進学後、研究室を立ち上げ、「株式会社オリィ研究所」を起業した吉藤健太朗、通称オリィ氏だ。

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 同氏が開発する「OriHime(オリヒメ)」は、家族や友人と離れていても、あたかも同じ場所で同じ時間を過ごしているように感じられる分身ロボット。カメラとマイク、スピーカーを搭載した遠隔操作型で、出かけることのできない入院患者や施設入居者が、遠隔地で暮らす家族や友人と団らんのひと時を過ごすことができる。人工知能を学ぶうち、多くの開発者が人工知能を妄信している姿に疑問をもち、「ロボットと人ではなく、人と人をつなぐロボット」をコンセプトに同事業を立ち上げた。

また来年早々、OriHimeを取り巻く近未来的な人間社会や自然とロボットが共存する世界を題材に、映画監督・古新舜氏が映画『あまのがわ』を制作する。幼少期からいじめに遭い、大学時代はネット漬けのひきこもりだったという古新氏は、初めて目にした日から「OriHime」を題材に映画を撮影したいと強く願っていたという。

ロボットと人が共存する理想の世界とは?ロボットで孤独は解消できるのか? 両氏に話を伺った。

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<プロフィール>吉藤健太朗氏 (写真左)

奈良県葛城市出身。小学5年~中学3年まで不登校を経験。工業高校時代、電動車椅子の新機構の発明により、国内最大の科学コンテストJSECにて文部科学大臣賞、ならびに世界最大の科学コンテストISEFにてGrand Award 3rdを受賞。高専にて人工知能を研究した後、早稲田大学にて2009年から孤独解消を目的とした分身ロボットの研究開発を独自のアプローチで取り組み、2012年、株式会社オリィ研究所を設立、代表取締役所長。青年版国民栄誉賞「人間力大賞」、スタンフォード大学E-bootCamp日本代表、ほか AERA「日本を突破する100人」などに選ばれる。

<プロフィール>古新舜氏 (写真右)

岩手県釜石市出身。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了。デジタルハリウッド大学院デジタルコンテンツ研究科修了(DCM修士)。幼少期から長期にわたっていじめを経験。大学時代はネット漬けのひきこもりとなる。23歳から映画の勉強を始め、2007年の初監督短編映画『サクラ、アンブレラ』が米国アカデミー賞公認短編映画祭ショートショートフィルムフェスティバルにて入選したのを皮切りに、国内のさまざまな映画賞を受賞する。2013年11月、自身初の長編映画「ノー・ヴォイス」を劇場公開。最新短編作「洗濯機は僕らを回す」が長岡インディーズムービーコンペティションのグランプリに。アクティブラーニング手法を積極的に取り入れながら、映画作りを通じてコミュニケーション力を育む体験型ワークショップの講師やファシリテーターの活動を行っている。

ロボットを作ることが目的ではなく、孤独解消の目的のために選択した手段がロボット

——オリィさんは高校時代、ロボットではなく電動車椅子を開発していたとお聞きしていますが、世界最大の科学コンテストで3位を受賞していながら、なぜロボット開発の道へと移行していったのでしょう。

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オリィ:私は目がとても悪く、メガネなしでは普通に暮らすことができないほどなので、足が悪い人にとっての車いすは、目が悪い人にとってのメガネと同じレベルの機能性があるべきだと考えていました。ところが、電動車椅子の開発はメガネの開発ほど進歩していません。そんな状況を変えたいという気持ちから、師匠とともに電動車椅子の開発に没頭するようになりました。結果、国内最大の科学コンテストJSECにて文部科学大臣賞、さらには世界最大の科学コンテストISEFにおいてもGrand Award 3rdを受賞することができ、メディアで取り上げられることも急増していったんですね。

 その報道を機に私の存在を知った人たちから、送られてくる手紙などでさまざまな意見や悩みを聞く機会が増えていきました。その多くはお年寄りからで、家族や友人に会えない寂しさや孤独について書かれてありました。それで問題の根本は、快適な車いすがなくて自由に外出できずに不便であること以上に、家族や友人に会えないことによる寂しさや孤独なのだと気づかされました。

 私自身、幼少期から病弱で、小学5年から中学3年になるまでは、ずっと不登校でひきこもっていたので、孤独による苦しさは痛感していました。それで、長期入院や施設暮らしなど、思うように家族や友人に会うことのできない人たちが寂しい思いをしないよう、孤独の解消をゴールにするデバイスを作ることを思い立ちました。ロボットを作ることが目的ではなく、孤独を解消するという目的のために選択した手段がロボットだったんです。

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人の孤独を解消するために必要なのは、人工知能ではなく「人と人とのつながり」

――人工知能の研究も行っていたそうですが、人工知能では人の孤独を解消できない、という結論に至ったそうですね。

オリィ:人工知能も悪くないとは思うんです。のび太にとってドラえもんは友だちでしょうし、のび太がひきこもったらドラえもんが友達代わりを果たしてくれるでしょう。ただ、人工知能によって、ひきこもりだった自分が社会復帰できたかと考えてみると、やはり違うんですね。学校の友達も先生も好きではありませんでしたが、家にあきらめず訪問してくれたことだったり、生まれ故郷の奈良で行うおりがみ会など、それ以外のコミュニティで出会った人たちに癒された経験があるからこそ、私はひきこもり生活を脱することができた。結局のところ、人は直接人に会わなければならないと感じたのです。

 人工知能を教える先生が「ロボットが人を癒す」と言ったとき、どうしても違和感をぬぐうことができませんでした。「癒し」というものを考えたとき、人工知能より人のほうが明らかにポテンシャルがあると私は考えていました。

 ロボットに意識を持たせる方法はいくらか考えつき、人工知能の研究はやればやるほど興味深く、考えれば考えるほどハマっていきます。ゆえに、ロボット開発者たちは、ロボットが大好きであるがために人工知能を妄信し、ロボットをつくること自体が目的になってしまうんです。実際、人工知能の研究を行っていた1年間は、私自身も夢中で研究していました。けれど、やればやるほど「ロボットが人を癒す」という論に疑いを持つようになりました。

 私は、ロボットを作りたくてロボットを作っているのではなくて、人と人をつなげる手段として、ロボットを作っています。

古新:ひきこもりやいじめられた経験のある人間は、発想が王道とは違う傾向があります。世の中の大半の人が当たり前と思っていることが実は当たり前ではなく、大多数から外れた、実は少人数が考えていることのほうが、のちに価値があると認められる。歴史的に見ても、そういったことは少なくありません。

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 映画業界もロボット業界と同じで、映画を作っている人はすごく映画が好きなんです。たとえば『ニューシネマパラダイス』が好きな人は、ニューシネマパラダイスと似たような映画を作って、満足してしまう。そういう風潮が垣間見れます。けれど、オリィさん同様、私自身、自分自身の欲求を満たすだけの映画作りに疑問を抱いてきました。

 私が映画業界でやりたいことは、実は映画作りそのものではなく、仕上がった作品を鑑賞することによって、お客さんがどう感じ、どう変わっていくかということを知ることです。映画を撮る前と撮った後、現実の世界で繰り広げられる人と人とのコミュニケーションのほうに興味がある。映画コンテンツは私にとっては、コミュニケーションツールなんです。そういった意味で、オリィさんがロボット業界で抱いている違和感や、そこから見出した自身のテーマは、私自身の映画業界で感じる違和感やテーマと相通ずるものがありました。

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追求したのは「リビングルームで一緒にくつろいでいる感覚」

――OriHimeは、日本の能面をモデルにしているそうですね。ほかのロボットと比べると、シンプルなデザインのように思えますが、どういった意味があるのでしょう。

オリィ: いろいろ試してみた結果、OriHimeはロボットの意思ではなく、人の意思で動く分身なので、キャラクター性を持たないほうがよいという結論に至りました。当初は、かわいい犬のぬいぐるみのような試作品も制作したのですが、いざ仕上がってみると違和感があったんです。

 たとえば犬型のOriHimeを社長が使ったとき、これは犬なのか、社長なのか、はたまた犬社長なのかと考えなくてはならなくなります。そうではなくて、そこに社長の意思が入ってきたら、社長そのものを連想させる見た目が必要でした。

 また、モニターが全画面についているような試作品を制作したことがあるのですが、モニターの中に病室の背景が見えていたりすると、そこに実際に存在するという感じがなくなってしまうんですね。人間の心理として、モニターがあると、どうしてもテレビ電話のような扱いになってしまい、そのまま放置することもしづらくなってしまいます。

 そうではなく、例えば私が入院していたとしても、リビングルームで一緒に過ごしているような、自分も周りの人に気をつかわなければ、周りも自分に気をつかわない、そんな環境を作りたかったんです。みんな同じことをしなくていいし、無理やり話さなくてもいい。それを追求した結果が、今のOrihimeのデザインです。

古新:日頃、私たちは言葉に依存していますが、人の喜怒哀楽を読み取るとき、実はその半分以上はノンバーバルの世界、ジャスチャーや人の表情によってコントロールされているんですね。赤ちゃんはおなかをすいたと言わなくても表情や動きでそれを表現することができますが、大人になると言葉に依存してしまう。パントマイムでは、体ののけぞり方だけで、おどおどしているとか、威圧感があるとか、その人の性格付けができます。OriHimeの動きというのは、そのノンバーバルな人間の動作を具現化しています。

OriHime – YouTube

不登校やひきこもり脱出につながる可能性も

――お二方がひきこもっていた頃に、OriHimeがあったら、何か変わっていたと思いますか。

オリィ変わるとしたら、ひきこもったあとではなく、ひきこもる前ですね。不登校になる原因の6割は、学校に居場所を見失うためと言われており、私もまさにそういった体験をしています。体調を崩して学校を休み、2週間も過ぎると、再び顔を出しづらくなる。クラスメートに以前同様、受け入れてもらえるだろうか。そういった不安が押し寄せてきて、足を踏み出しにくくなるんです。けれど、OriHimeを使えば、入院しながら、学校の自分の席に居続けることが可能になるので、元気になったあとも学校に顔を出しやすくなります。

 とはいえ、今その渦中にいる人に、具体的なアドバイスができるかというと無理だと思います。人それぞれ、いろんな感覚があって、思いがあって、その脱し方というのは一人ひとり違うからです。バックにあるものが違うから、それは無理だと思うんですね。ただ今言えることは、自分自身、孤独に打ちひしがれたひきこもりの経験があったからこそ、これまで信念を曲げずに続けてこれていて、やり切れているということです。過去の経験は、私自身の武器だと思っていますし、だからこそ一度ひきこもってしまったら、人生すべてがダメだというわけではないと、私自身の経験として話すことはできます。

古新:私はひきこもっていた2000年ごろ、ずっとチャットばかりしていました。自分自身をアバターが象徴してくれる状況というのは、すごく快適です。特に、現実世界で自分を否定され続けてきた人間は、他人が信じられないところがあるので、年齢や職業、学歴といった自分の属性を具体的に明かさずに参加でき、相手も受け入れてくれるネットの世界に救われました。OriHimeと初めて対面したとき、私自身を受け入れるきっかけをくれたインターネットの世界が、15年後にはこんなかたちになるのだと感動しました。

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映画『あまのがわ』で人とロボット、人と自然が共存する未来を描く

――来年、OriHimeを題材にした映画『あまのがわ』をクランクインするそうですね。

古新:ロボット映画は、テーマ性があるにもかかわらず、「こんなCG使えちゃうよ」と技術に固執してしまう映画が少なくありません。こんな風に格好良く作れるよという製作者のこだわりが出やすいんだと思います。一方、私自身は、精神面で温かさや繊細さを感じるロボット映画をつくりたいという気持ちが昔からありました。オリィさんと最初にお会いしたとき、「自分が動けない状態のとき、誰かの助けがないと動けないロボットをつくりたい」とおっしゃっていて、そのイメージは僕が映画化したいロボットの姿そのものだったんですね。

オリィ:さまざまな研究室を見てきて、研究が目的になってしまっている人が大勢いることに違和感を覚えていました。人に役立つものを作っていると謳いながら、患者さんの意見が全く反映されてない。そんなものづくりの現場は少なくありません。その技術を使って、何を目指しているのか。どういう未来を目指しているのかという部分をシェアできるかどうか。そういう部分をディスカッションしていくなかで、映画づくりを目的としていない古新さんとは一緒にお仕事したいなと思えたんです。

――映画の舞台は屋久島だそうですね。ロボット映画と聞くと都会のイメージが強いですが、なぜ屋久島を舞台にしたのでしょう。

古新島の持っている生命力や息吹は偉大です。海の外とつながりつつ、山の閉鎖性も兼ね備えている。そのハイブリッドな感じというのは、日本人が持っている精神性そのもののように感じます。その島で、人とロボットや、自然とロボットの共存を描くことは意義があると思っています。

 東京の都会の中でロボットがあるという風景はすごく当たり前ですが、屋久島のような大自然のなかにロボットが共存するというのは、珍しいですよね。人間はすぐに未来に行きたがるけど、過去にはたくさんの財産があって、そういった日本人の精神性を見つめるうえでも屋久島という場所は惹かれます。違和感があるなかで懐かしさを感じるかもしれないし、近未来的な融合を感じるかもしれない。もしかしたら、宮崎駿先生が書いているもののけ姫のようにOriHimeを感じるかもしれない。

オリィ:言葉ではないコミュニケーションが生まれる場所をイメージした際、都会よりも山や海に囲まれた屋久島が脳裏に浮かびました。森も、星空も、海も、サンゴ礁も、多くのものが屋久島には存在しています。言語化できない記憶が一番鮮明に残っているのが屋久島でした。

 今の人間社会は言葉のコミュニケーションの枠組みのなかでやる、加工された表現が多すぎると日頃から感じているのですが、一方で山のコミュニケーションはそうではないんですね。一緒に山に登ったり、川へ飛び込んだり、たとえ言葉を交わさなくても、その感覚を共有することで、人と人、人と自然のつながりを実感できます。私も元来、人と話したくない人間なのですが(笑)、これから制作する映画の中では、そんな原始的な、自然の中で元来人間が培ってきたノンバーバルなコミュニケーションを表現できたらと思っています。

取材・文 山葵夕子  写真 前田賢吾(L-CLIP)

information

映画【あまのがわ】

女子高生の史織は、学校にも家族にも馴染めずいつも一人でいた。唯一信頼ができるのは、寝たきりの祖母だけ。そんな中、街中で分身ロボットOriHimeを拾うことになる。史織は、OriHimeを通じて遠隔操作している星空[せいら]と交流を育みながら、祖母のたった一つの願いである屋久島にOriHimeを連れて冒険をすることになる。

撮影予定:2016年 春~初夏 ○公開予定 2016年 秋~冬

ロケ地:鹿児島県屋久島・東京都中野区・杉並区

監督:古新 舜

脚本:古新 舜、福島 敏朗

制 作 コスモボックス株式会社

協 力 株式会社オリィ研究所

OriHimeエースパイロット 番田 雄太

デジタルハリウッド大学大学院

公式Facebookページ:https://www.facebook.com/amanogawa.movie

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