【ホームレスを生み出さない社会を作る!】14歳からホームレス問題に向き合い続けた社会起業家が目指す「誤解や偏見のない未来」

ホームレス状態を生み出さない日本に――をスローガンに、シェアサイクル事業「HUBchari」(ハブチャリ)などのホームレス就労支援事業、生活支援事業などを行うNPO法人Homedoor(ホームドア)。代表の川口加奈さんは、現在24歳。14歳の時にホームレス問題を考えるようになり、以来10年間、課題解決に向けて走り続けてきた。彼女の“情熱の源”はどこにあるのだろうか?

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特定非営利活動法人Homedoor 理事長
川口加奈さん

14歳の時に、炊き出しボランティアへの参加をきっかけにホームレス問題と向き合う。16歳の時にボランティア・スピリット・アワードを受賞し、ボランティア親善大使に。米ワシントンD.C.での国際会議にも参加する。大阪市立大学経済学部在学中にNPO法人Homedoorを設立し、代表理事に。日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」若手リーダー部門選出、2015年「日経ソーシャルイニシアチブ大賞」新人賞受賞など受賞歴多数。現在24歳。

■中学2年の冬、炊き出しボランティアへの参加で「ホームレス」に対するイメージが変わる

 大阪市北区の住宅街にある、「&ハウス(アンドハウス)」。今年3月、新たな試みとしてHomedoorが始めた生活支援拠点だ。洗濯や簡単な料理ができ、睡眠も取れ、仲間と談話するスペースがある。ホームレスの人が路上生活を脱出するためにあると便利なものを集めた。軒先は、「HUBchari」のステーションも兼ねている。そこで川口さんは、ふらりと訪れた近隣のホームレスの「おっちゃん」(川口さん始めHomedoorのメンバーはホームレスの皆さんを親しみを込めてこう呼ぶ)と談笑していた。「おっちゃんたちは物知りで、いろいろなことを教えてくれるんですよ」

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「&ハウス(アンドハウス)」2階がHomedoorのオフィススペース

 そんな川口さんだが、中学2年生の冬まではほかの中学生と同様、ホームレスの人に特段関心を向けることはなかったという。

 大阪・釜ヶ崎は、日雇労働者が集まる街。川口さんはそこからほど近い新今宮駅で電車を乗り換え、通学していた。

 ある日、近所に住んでいるのに、別の駅で乗り換えて通学している同級生がいることに気付いた。理由を聞いてみると「お母さんが、あの駅で乗り換えるのは危ないって言うから」と返ってきた。「私は大丈夫なのだろうか?」と不安に思って母親に聞いてみたところ、「あまり治安がいい駅ではないけれど、わざわざ遠回りするのは大変でしょ?でも気をつけなさい」と言われたという。

「そう言われて、逆に釜ヶ崎のことが気になり始めたんです。調べてみると、労働者の街でホームレスの人が数多くいることがわかりました。調べてみると、釜ヶ崎では炊き出しが行われていることを知り、これに参加したら何かわかるかもと思い、参加してみることにしました」

 その時は、ほんの軽い興味からの参加だった。そもそもは、ボランティア活動にはあまりいいイメージを持っておらず、偽善なのではと穿った捉え方をしていたという。

 しかし、この「気軽な気持ちでの参加」が川口さんの運命を変えることになる。

 冬の朝、炊き出しの場所を訪れると、何十人というホームレスが列をなしていた。温かいおにぎり1個をもらうためにだ。ひるむ川口さんに対して、ボランティアのスタッフが言った言葉が胸を突いた。「もう3時間もの間、おっちゃんたちはこのたった一つのおにぎりを待っていたの。それを、孫みたいな年齢のあなたから受け取るおっちゃんの気持ちを考えて渡してね」

「どんな顔で、どんな言葉を掛けながら渡せばいいんだろう…と途端に悩みました。私みたいな子どもがおにぎりを渡すことは、もしかしたらおっちゃんたちは不快に思うんじゃないだろうかと。同時に、勝手に『なんとなくこわい存在』と思っていたけれど、私、ホームレスの人のことを何も知らない!と気付いたんです」

 そのときは、じっくり考える時間もない。笑顔で「お疲れ様です!」と元気よく渡すのが精いっぱいだった。「ありがとうね」とおにぎりを受け取るおっちゃんの笑顔を見て、彼らのことをもっと知りたいと思うようになった。

■「努力をしていれば、ホームレスにならずに済んだのでは?」という偏見を変えたい

 そこから、ホームレス問題について周りに聞いたり、自分で調べ始めた。調べる前は正直、「ちゃんと勉強をしていれば、ホームレスになんてならずに済んだのでは?結局は頑張らなかった人がなるものであり、自己責任なのでは?」と思っていたという。しかし、ほとんどの場合は小さいころから貧困家庭に育ち、勉強よりも食いぶちを稼ぐことに精いっぱいで、小学校もろくに通えなかったというケースも少なくなかった。

「私は、勉強ができる環境にいて、頑張るか、頑張らないかを選べる立場だから、そんな発想をしていた。ホームレスの人のことを知りもしないで、自分の物差しだけで判断していたことを恥ずかしく思いました」

 そんなとき、高校生グループがホームレスの人を襲撃するという痛ましい事件を知りました。「ホームレスは社会のゴミだ。自分たちはゴミ掃除をしただけだ」という供述に、川口さんは憤りを覚えると同時に、「少し前の自分も、ゴミとまでは思わなかったにしても、同じような考え方をしていなかったか?」と顧みた。

たまたま私は、ホームレス問題を知る機会があった。知ったからには、皆に伝える責任がある。同世代の自分が伝えれば、中高生の認識も変わるのではないか…と思い、行動を始めました」

 まずは学校の全校集会の場を借りて、ホームレス問題を訴えた。決して自業自得でなっているわけではないこと、まずは一人ひとりがこの問題を正しく知ることが大切であること――声を張り上げて全校生徒に訴えたが、反応はいまいちだった。友達にも「とはいえ、もっと努力すればホームレスにならずにすんだんじゃないの?」と言われる始末だった。心が折れかけたが、「私が声を上げ続けないと何も変わらない」と自分を奮い立たせ、新聞を作って校内に張り出したり、炊き出し用のお米の寄付を募るなどの活動を始めた。草の根運動的な努力が徐々に実を結び、協力者が増えていったという。

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「釜Meets」では釜ヶ崎周辺の街歩きも実施。若い人の参加が増えている

■大学2年の時に、志を同じくする仲間と「大学在学中限定のつもりで」NPO設立

 ホームレス問題に関するボランティア活動が、川口さんの生活の主軸になりつつある中で、考え方を一から改める機会があった。

 高校2年生のとき、中学生、高校生のボランティア活動を表彰する「ボランティア・スピリット・アワード」に応募し、「ボランティア親善大使」に選ばれ、高校3年生の春にワシントンD.C.での表彰式に参加することになった。そこで世界の中高生と接し、自分とのレベルの差に愕然としたという。

「中学生で一から事業を興していたり、1000万円規模の寄付を集めている学生がたくさんいました。さまざまな人を巻き込み、支援を集め、社会問題の解決に力を注いでいる。一方の私の活動を振り返ると、いろいろなことを頑張ってきたつもりでしたが、何の問題解決にもなっていないし、ホームレスの人の数が減っているわけでもない。自分ができる範囲のことをしていても何も変わらないんだと痛感し、一からこの問題を徹底的に勉強し直そうと決めました

 そして、ホームレス問題の研究が進んでいた大阪市立大学に入学し、労働経済学を専攻。同大学には社会問題解決に対する意識の高い学生が多く集まっており、川口さんの活動に賛同する人も多かった。周りの後押しもあり、大学2年になった2010年4月に、NPO団体Homedoorを立ち上げる。電車のホームからの転落防止柵(=ホームドア)のように、人生というホームから転落しないように最後の防止柵になりたい、そして誰もがただいまと言えるような温かいホームへの入口になれるように…との想いを込めた。

■おっちゃんたちへの徹底ヒアリングで、ホームレスの人の思いやニーズを知り尽くす

 それでも川口さんは、「大学でホームレス問題をじっくり勉強した後は、就職して社会人としての経験を積み、30歳ぐらいから本格的にこの問題に取り組みたい」と思っていたという。NPO設立も、大学在学中の3年間限定のつもりだったという。

 しかし、設立後に参加した「NEC社会起業塾」で、講師に「あなたは社会によさそうなことをしたいんですか?それとも、社会を変えたいんですか?」と言われ、はっとさせられた。

「NPO団体を設立したことで満足してしまっていたと、反省させられましたね。ホームレス問題は、待ったなし。『ホームレス状態を生み出さない日本を作る』というテーマは掲げていたものの、何年で成し遂げたいのか、それから逆算して今何をすべきなのか、きちんと計画を立て行動する必要性を痛感しました」

 そこから、川口さんの活動は一気にスピードアップした。釜ヶ崎でモーニングカフェを実施し、ホームレスの人や生活保護受給者に会って話を聞きまくった。「ホームレスの人の意見を代弁できるぐらい、ニーズを知り尽くそう」と考えたのだ。

 その結果、いろいろな事実が見えてきた。どのおっちゃんも、働きたいという意欲は強いが、住居も携帯もないから求人への応募ができず、ホームレス生活から脱出できない。生活保護を受ければ路上生活から脱出できるが、「税金を使っている」という負い目が強く、人目を気にして引きこもりがちになる。一方で行政からは「仕事を見つけろ」と言われるが、働いていない期間が長いからなかなか見つからない。結果、路上で暮らすほうがまだいい…と生活保護を受けても、ホームレスに逆戻りする人も多い。

 そんなある日、あるおっちゃんのひと言が、大きな転機になった。「自転車修理ぐらいやったら、おっちゃんにもできるで」

■おっちゃんのひと言から、ホームレスの人の自立につながるシェアサイクル事業にたどり着く

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▲おっちゃんたちは皆、器用に自転車を直す。定期的に修理講習も行っている

 ホームレスの人の仕事の一つに、廃品回収がある。自転車やリアカーに何キロもの荷物を載せて歩くため、自転車が壊れることも多く、自然と修理の技が身についたという人が多かった。しかし、「自転車修理」は既存の業者がすでに多数存在するうえ、「ホームレスの人が修理した自転車」と支援目的で購入されるようでは、ホームレスの人はいつまでも「支援される人」であり、自立は促せない。

 皆で議論する中で見えてきたのが、現在の基幹事業である「シェアサイクル」だ。街中に自転車の貸出拠点を設置し、利用者がどこでも借りて、どこでも返却できる新しい交通手段。違法駐輪などの問題解決のために欧米で生まれた考え方だが、近年日本でも徐々に普及しつつあった。大阪では放置自転車が問題視されていて、それらの解決にもなるシェアサイクルサービスが実施できれば、利用者にとっても「便利だから使っていたら、いつの間にかホームレス支援になっていた」というサービスの形が作れる。これならば、すべての課題がクリアになる!と確信したという。

 初めは自転車の貸出拠点となるポート探しに苦労した。何百という企業や店舗に「軒先を一部貸し出してほしい」とお願いして回ったものの賛同が得られなかったが、まずは実験として1週間だけ貸し出してくれる場所を探したところ、少しずつだが場所を提供してくれるところが現れてきた。利用者の実績ができれば、賛同者も増える。2011年から少しずつ、期間限定ではなく常設のポートを増やすことができ、現在では大阪市内18カ所に広がっている。外国人を含めた観光客のほか、営業担当者の移動手段としても頻繁に活用されている。社員の利用を推奨してくれている会社もあるという。

■ホームレス問題に関する認知向上が、社会を変える第一歩になる

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▲認知向上のために、講演活動も積極化している

 現在では、この「HUBchari」のほか、年間1億3000万本も使い捨てされるビニール傘のリメイク「HUBgasa」で仕事づくりをしているほか、冒頭で紹介した「&ハウス」などによる生活支援、釜ヶ崎(あいりん地区)とその周辺の街歩きと炊き出しへの参加やワークショップを行うことでホームレスの人への偏見をなくす「釜Meets」などの啓蒙活動も行っている。

「約130人のおっちゃんに就労の機会を得ていただくことができ、路上生活から脱出した人も増えてきました。例えばHomedoorで自転車修理、接客業務などフルで働いていただければ、月に15、6万円はお渡しし、すぐに安いホテル等に泊まることができるようになります。その中から貯金をしてもらえれば、早い方だと3、4カ月で家を借りることが可能。住所が手に入れば、就職活動ができます。そして、ここで働いてもらうことは『履歴書の空白を埋める』ことにもつながります。平均で3~4年、長い人は20年以上も定職についていないというケースも。うちで働いたという実績があれば、応募先企業も安心です。このステップを踏んで、次の仕事を見つけるおっちゃんも増えてきて、嬉しく思っています」

「ホームレス状態を生み出さない日本の社会構造をつくる」という大きなビジョンに揺るぎはない。①ホームレス問題の啓蒙活動、②ホームレス状態への入口封じ、③ホームレス状態からの出口作り、この3つを完成させることで、ビジョンが実現できると考えている。

「① ③はすでに取り組み、注力している事項です。啓発活動については、釜Meetsなどのほか講演やワークショップを実施しています。出口作りについては、われわれが大阪でたくさんの成功事例を作ることで、全国的にも応用しやすいモデルを構築することが理想です。②のホームレス状態への入口封じが、現在の大きなテーマ。ネットカフェやファストフード店等で夜を明かす路上生活一歩手前の人が多くなっており、そこが最後の住まいのセーフティーネットになっていますが、この構造をどうにかして変えたい。『&ハウス』のような施設にさらに宿泊機能もつけていきたいのですが、多額の資金が必要になるうえ、近隣住民の理解を得るのも大変です。入口封じのためにも、もっとホームレス問題を多くの方に理解していただかなくては」

 昨年はさまざまな事業活動を進めるかたわら、全国で99回の講演活動を行った。体がいくつあっても足りない…と苦笑するが、おっちゃんたちの笑顔のために川口さんは今日も東奔西走する。

昨年、Homedoorに新たに生活相談に訪れた人は90人。そのうち24人が、20代、30代の方でした。病気になったことで退職を余儀なくされた人、派遣切りにあって寮からも追い出されてしまった人…皆さん、たった1つのきっかけで一気に生活困難にまで陥ってしまっている。若い人にとっても、決して他人事ではないのです。ぜひ、ホームレスのおっちゃんへの偏見を取っ払って、この問題に関して一度でいいから考えてみてほしい。それだけでも、社会が変わる第一歩になると、私は信じています」

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▲夜、「&ハウス」に灯が点り、おっちゃんたちとの楽しい談話が始まる

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:掛川雅也

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