【東大卒エリート記者が指折りの日本酒蔵元に】「米も酵母も秋田産」「添加物一切ナシ」の酒造りに込めた美学~新政酒造・佐藤祐輔氏~

 今のような日本酒ブームが起きる以前、国内アルコール消費量のうち日本酒の消費量がわずか7パーセントまで低迷した時期があった。「海外で賞を獲得した日本酒を逆輸入しないと、もはや日本では消費されない」と、どこの蔵元もワインを模したような薫る酒ばかりを造るようになっていた。バナナ香に、洋なし香…確かに乾杯酒にはおいしいけれど、和食と合わせるとどうも舌が疲れてしまう。そんな折、利き酒会へ出向き、ある蔵元の酒に舌を巻いた。それが秋田の「新政(あらまさ)」だ。

 それまでの「新政」といえば、いわゆる“昭和の酒”である普通酒(※注1)ばかりを大量生産する地方の大手蔵というイメージが強く、全量純米の地酒を丁寧に造るイメージとは程遠かった。その「新政」が、“猫も杓子も薫酒の時代”にそっぽを向いたような、まるで化粧っ気のない、真っ向勝負の酒を出してきた。聞くと、酵母も自分の蔵から生まれた六号酵母(※注2)しか使っていないという。 “米の味が前面に押し出された、輪郭がくっきりとした日本酒らしい酒。今年の新政はなんだかすごい”。そんな噂が、舌の肥えたバイヤーや飲食店店主の間でクチコミで広がっていった。――2008年、現在の社長である佐藤祐輔氏が蔵に戻って、一年後の出来事だ。

 東大文学部卒業で、元フリーの記者。そんな異色の経歴を持つ佐藤氏が醸し出す酒は、“新生・新政”と呼ばれ、同氏が蔵に戻って7年後の今、押しも押されぬ人気酒となっている。酒蔵の長男として生まれながら、蔵を継ぐ気など毛頭なかったという佐藤氏の転職のきっかけと仕事への原動力とは――?

“小説を読むときも、暇つぶしのために開いて、すぐに忘れてしまうようなストーリーは選ばない。考えさせられるような、ハードで重めの文学を好みます。日本酒も、ちょっと口に含んで「これ、おいしいね」っていうだけじゃ、つまらないと思うんです”ー新政酒造株式会社・佐藤祐輔氏

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■蔵元の長男として生まれながら、日本酒はニオイを嗅ぐのも嫌だった

 まともに日本酒を口にしたのは30歳を過ぎてからです。それまでは、かろうじて鼻を近づけられる程度で、口に入れることはありませんでした。親がタバコを吸う家庭に育って、タバコ嫌いになる子どもがいるのと同じ感覚で、酒蔵に生まれても、日本酒が嫌いな子どもはいます。その典型が僕でした。 毎晩じいさんが晩酌をしているのを見ながら育ちましたが、飲みたいとはぜんぜん思いませんでした。当時、うちで造っていた酒の80%は普通酒が占めていて、地酒(※注3)を知らなかったんです。

 中高生の頃は音楽や本にばかりふけていて、テレビすら観ない思春期を過ごしました。クラスメートで趣味的に話が合うものは少なく、なんとなく部外者的な感覚もありました。秋田は特にそうかもしれませんが、地方は保守的な傾向が強くなりがちです。リスクを好む人間は地元に残らないからでしょう。そんな中、僕は迷わず東京の大学へ進学しました。どことなく孤独を感じていた地元を離れたかったんです。

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 当初は明治大学の商学部に進学したのですが、もともと弟が蔵を継ぐものと思っていたこともあり、経営者になるとか、家を継ぐとか、そんな気持ちが一切ないまま入学したため、すぐに勉強に飽きました。マネジメントなんて言われても当時はピンとこず、結果、一年で自主退学。そこから1浪して東大の文学部に再入学し、マーク・トゥエイン、J・D・サリンジャー、フィリップ・K・ディックなど、好きな英米文学を読み漁りました。東大での勉強は僕の好みにもぴったりで、充実していましたね。

 学校を卒業して社会人になってからは、フリーの記者として雑誌や書籍の執筆をしていました。その当時、家や居酒屋で飲んでいたのは、ビール、サワー、焼酎が主で、それも酔うために飲んでいました。味がどうのと意識したことなんてなかったんです。

 それが記者の集まりがあった時、たまたま勧められて飲んだ静岡の清酒「磯自慢」が僕の知っている酒のイメージとはあまりにギャップがありすぎて、開眼したんです。たとえばレモンサワーはどの店で飲んでも同じ味がしますが、日本酒の場合はそれぞれ味が異なります。米と水という原料から、これほどの味の多様性を生み出しているのが、当時は不思議でなりませんでした。「日本酒はこんなに奥ゆきがあるものなのか」とそこから一気にハマって、本や4合瓶を買いまくるようになりました。

 そういったバックグラウンドもあり、いまだに趣味としてはアンティーク嗜好で、歴史あるものが好きです。せっかく日本酒を飲むのであれば、伝統的なものを飲みたいし、最新のバイオ酵母などには興味がありません。さらにいうなら、味そのものより、「きちんとした作り方がされているのか」とか、「その酒が飲み手の人生にどんな影響を与えるのだろう」とか、そっちのほうが気になりますね。

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■副原料を使わない“異色の日本酒”へ――32歳からの挑戦

 実家に戻ったのは2007年、32歳の時でした。蔵元の跡継ぎは、東京農大などへ進学して醸造を学び、卒業したらすぐに蔵へ入るのが主流ですから、僕はそういった意味でスタートも遅いですし、経歴もかなり異色。そのため、いまだに部外者的な感覚が抜けません。

 当時はちょうど千葉の五人娘さんや広島の竹鶴さんなど、無添加のお酒を造る蔵元が少しずつ増えていた時期です。自分自身が一消費者として生もと(※注4)や山廃(※注5)など無添加のお酒が好きで、逆に何かを添加したお酒は苦手だったので、味は正直、二の次でした。正しいやり方をしていれば、自然と正しい味に近づくことができるだろうとそういう感覚です。

 もともと記者時代に、添加物の批判記事を書いていたこともあって、副原料を使わないことには当初からこだわっていました。日本酒に入れてよいとされている副原料って、実は多いんですよ。まず、どこの蔵でも使われているのは雑菌を抑制するために使用される醸造用乳酸、米や麹が足りない時に足す酵素剤、酵母を増殖させるためのミネラル類やビタミン類。その中で使用量に制限があるのは酵素剤くらいです。また、どれを使っても、「副原料」だからボトル裏の成分表に記載する必要はありません。この傾向は、日本酒だけではなく、大半の加工食品に共通します。うちの酒の味がぶれやすいとしたら、これらの添加物を使わないのが最大の理由です。

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 また、県産米だけを使う蔵というのは他にも存在しますが、酵母もとなると、全国でもうちくらい。こういう「地元志向」の視点は、実は東京の視点、しかも部外者的な要素が強いと思っています。醸造の専門機関で技術を学び、そのまま蔵に戻れば、自然と(酒米の代表格である)山田錦を買って、最新の酵母でやろうという発想になるのかもしれません。 けれど僕は、東京でまったく違う職種に就いて、一消費者として日本酒に触れる機会のほうが長かったから、感覚が違っていました。たとえば関西で作られた酒米と最新のバイオ酵母を使って、アルコール添加した東北の酒を飲みたいなんて、東京にいた当時は一切思いませんでした。それよりは少しくらいまずくてもいいから、地元の米で若い奴らががんばって造っている、そんなストーリー性のある酒に、一消費者として魅力を感じていたんです。

 そういう意味で、「新政」の酒は、ほかの酒と比べると、確かに異質な酒になっているかもしれません。酵母はもともと、現在市販清酒酵母では最も古く、80年前に当蔵で発見された「六号酵母」しか使わず、米は秋田県産しか使わず、全量純米で副原料も使わない。となると、酒母(※注6)は必然的に昔ながらの手法である山廃と生もとに制限されます。速醸と比べると製造に約2倍の時間が必要ですし、失敗しても調整できませんから、もちろん大変ですが、蔵人にバックアップしてもらいながら最初は自分で酒母を造り、なんとかうまくいくようになりました。

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■ これまでのやり方と違うことをするから、酒を一滴も飲まないファンもつく

 蔵に入って7年目ですが、いまだ経営のスタートラインにも立てていないと思っています。将来的には、日本酒だけでなく秋田の農作物にできるだけ付加価値をつけて、雇用を生み出して地元を活性化させたいと思っています。それが夢です。いつかは自分たちで田んぼや畑を耕して、安全に食せる米や野菜作りをしたいのですが、まだそこには至っていません。今は、秋田産の米と、秋田産の酵母で、添加物を一切入れない酒をコツコツと地道に作る作業だけで精一杯ですから。

 添加物を一切入れない自然のお酒は、失敗しても、あとから調整できません。それはとてつもないプレッシャーですし、恐怖です。その一方で、技術的にはどんどん高くなっていくというメリットもあります。

 そういった意味でいうなら、うちの製造のトップは、造りの厳しさをよく分かってると思います。僕の一歳下なのですが、めちゃくちゃなことを僕が言って、それに対応していかなければならないから、自然と鍛えられるのでしょう。普通なら、「米が溶けないなら、酵素剤入れておけ」となるところを、「入れるな」と言われるわけですから、それはもう想像を絶するプレッシャーですよね。それに打ち勝っている彼だから、仕込みごとにどんどんうまくなっている。

 僕らの酒の最大の特徴は、酒を一滴も飲まないという人にもファンがいること。そういう人たちは、おいしいから応援してくれているわけではなく、できる範囲で、地産のものにこだわったり、添加物を使わないようにしたりと社会的によいことをしていこうとする僕らの姿勢に共感してくれているのだと思うんですよ。これまでのやり方と違うことをやっているからこそ、「がんばれ」と言ってくれる人の輪が広がっていく。それはやはり嬉しいことです。一勝もできないスポーツチームにファンがつくように、スポーツのルールを知らなくても、面白いものは面白いという感覚に近いかもしれません。ある種、マニアックな印象ですよね。

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■自分の“美学”を追求、海外や東京向けのマーケティングは一切しない

 世界的なブランドになっている日本のメーカーって、今はあまりないですよね。閑散とした地方のビルですら、堂々とシャネルやロエベが入っている。それをヨーロッパのブランドは、世界中でやっているわけです。日本のブランドは今、そんなふうに自分の国の文化を他国にたたきつけるような強い力を失っています。 そんな現代において、外貨を獲得するのに役立っているのは、寿司や蕎麦、浮世絵といった江戸時代以前からあるもの。京都も必ず世界の人気観光都市トップ5に入ってくる。 そういった伝統的なものが世界で戦えるものであって、それを日本酒造りに置き換えるなら、江戸時代から受け継がれている生もと造りや木桶造り(※注7)になるんです。日本酒を世界ブランドへと押しあげるなら、そういった古来の造りを引き継いでいくことこそ大切なんだろうなと思っています。

 海外や東京向けに、味を変える蔵元さんもありますが、僕はマーケティングは一切しません。むしろ、マーケティングなんかした瞬間に、終わりだとすら思う。それよりは自分の直感で美的だと思うパーツを集めて、自分がとことん納得のいくものを出荷するほうがいい。お客さんや周りがどうとか気にせずに、まずは僕が一番いいと思ったものを出しています。すべては自分の美学の問題。人と比べるものではありません。

 そもそも、葛飾北斎は21世紀のフランス人のために絵を描いていたわけではありません。北斎は自分が描きたいものを描いて、後世まで語り継がれる絵画をのこした。ただ、それだけのことです。たまたま僕の舌がキャッチーだったり、ミーハーだったりするところがあって、今は案外、僕の酒もウケていますが、これが仮にズレていたとして、自分が納得のいかない酒を世に出して売れたとしても喜べないと思うんです。それよりは自分の中の美学を、とことん追求していきたい。 僕の美学とは何かというと「世の中のためになることをカタチにしていくこと」です。マーケティングはやりませんが、それが世の中のためになり、よい取り組みになるのであれば、それは俄然やる気を出します。

 無論、自分の美学を追求していくためには、毎年違うことをして、進化し続けることは必須です。昔の手法を取り入れているから、もしかすると進化と呼べるものではないのかもしれませんが、その中でも「木桶をもっと増やさなければ」とか、「無添加でもより味を安定させなければ」とか、やるべきことは山積みなんです。そっちのほうばかり考えているから、あまり他者がどうのとか、マーケティングがどうのとかは、一切考えないですね。

 そんな風に日々を過ごしていると、飲み屋へ行って自分たちの酒を飲んでも、「ああ、うちの酒はほかの酒とは全然違って特徴的。やっぱりうまい」と好評価になる。この仕事をやっていて良かったな、って気になりますもんね。

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■人生の淵にあっても「正しい仕事をしている」という思いがあれば、耐え抜ける

 とはいえ、仕事って別の側面から見ると、命がかかっているんですよね。蜂でいうなら蜜を集める作業です。つまらなければやめる手段もありますが、それはあくまでどこか別の場所で十分な蜜を集められる保証があることが前提ですよね。

 若いうちは無限の可能性があるように思えるし、それ故に社会に出てからも親から仕送りを受け続けている人もいます。でも、そのまま40歳くらいになって、たとえば親が倒れて介護しなくちゃいけないという事態がきてから、「仕事というのは生きていくためにすることなんだ」と気づいても手遅れです。だからこそ、きつい、苦しいと思った時に、どうマインドをリセットするかが重要。試行錯誤しながらも、とにかく続けるためにどうしたらよいかを考えることは大事だと思います。

 僕自身、実家に戻って会社経営を始めたばかりの1、2年は、日々ストレスフルでした。仕事はつらいのに赤字がずっと続くものだから、コストが余計に発生することが起きると、すぐにブチ切れて、社員のクビを切ってしまったこともあります。精神的に最も荒んでいた時期で、当時の社員には本当に申し訳なかったなと今つくづく思います。

 経営だけやっていたら、完全にブチ切れて、もっとおかしくなっていたと思うのですが、経営のストレスを酒造りで支えているうちに、「自分の利益だけを追求していては、仮に黒字になったとしても、精神的に続かない」と気づいたんですね。酒造りそのものや、経営そのものを楽しんで長続きできるように変えていくにはどうしたらよいかと試行錯誤するうちに「人のために働く」という社会的な気持ちがだんだんと芽生えてきました。

 はっきり言って、速醸から山廃や生もとにしたからといって、酒がうまくなるわけじゃないんですよ。ただ、それを行うことにより、理想に近づくことは可能となります。昔の造りに目を向けてくれる同業者が現れたり、ほかの副原料も使わなくなったりできるので、より造り手として充実した人生を送れるだろうと考え方をシフトすることができたんです。

 それからは、経営を悪化させるようなことをあえてするようにもなりましたね。昔は、赤字を克服するには、コストをできるだけかけないのが正しいと思っていたんですけど、ある程度コストをかけても、世の中のためになって、よりお客さんに喜んでもらえるのであればそちらを選ぶようになりました。

 無論、リスクを楽しむ余裕なんてありませんが、組織というのは、いい時もあれば悪い時もあって、がんばろうが、がんばるまいが淵は必ずあります。そんな淵にある時、世の中や他人のためにやっていたら、自分は正しいことをやっているのだからと思えますが、自分の利益だけを追求していたら、自分を支えるものが何もなくなってしまう。そんな人生は嫌だと思ったんです。

 常に真っ当なことを心がけていれば、ピンチのときにも耐え抜けます。仮に途中で失敗したとしても、その取り組み自体が世の中のために役立っているのであればやるべきです。多少リスキーだったとしても、長い目で見て「こちらが正しい」という選択はしていくべきじゃないでしょうか。

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■新たな挑戦に向けて

 記者の仕事も酒造りも、知らないことをきちんと調べて、自分なりに解明して、その代償としてお客さんに御代をいただくという点では同じですが、今の仕事のほうが、より美的で、作品的で、人を傷つけないので僕は気に入っています。

 今年の新たな試みとしては、生もとと木桶の組み合わせをまだやっていなかったので、まず、それをやることと、あとは江戸時代から続く酒米・亀の尾を継続的に入手できるようになったので力を入れたいです。

 今、TPPの問題で、いろんな人が酒米を作りたいと名乗り出てきているのですが、そんな簡単にできるものではないですよ。酒米農家さんも職人ですし、頑固な人はとてつもなく頑固。それもひっくるめて、自然の酒造りはやはりいいものですけどね。

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※注1…醸造アルコールを白米重量の10%以上(本醸造は10%以下)使用している日本酒。

※注2…80年前に新政酒造・五代目卯兵衛氏により発見された蔵付き酵母。その後、失敗がつきものだった酒造りを改善するために培養され、日本醸造協会より発売された「きょうかい六号酵母」は、全国の醸造家に画期的な一大転機をもたらすことに。現在頒布されている協会酵母の中で最も歴史が古い。

※注3…特定の地域でつくられる日本酒。一般に、全国的に流通する大手メーカーの製品以外を指すことが多い。

※注4…手作業を丹念に重ねて酵母を育て、酒造りのもととなる「酒母」を完成させる江戸時代に確立された手法。

※注5…生もと造りから、「山おろし」(蒸した米、麹、水を混ぜ粥状になるまですりつぶす工程)を省く、明治時代に確立された手法

※注6… 蒸し米に麴(こうじ)を加えて発酵させたもの。日本酒のもろみを作るもとになる。

※注7…酒を仕込み貯蔵する際、現在使われる容器は金属製のタンクが主流だが、昔ながらの手法では木桶に仕込む。

取材・文・撮影:山葵夕子 写真提供:新政酒造株式会社

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