「サッカーの、まだ知られざる可能性とポテンシャル」Jリーグチェアマンが語る、スポーツで解決できる未来の課題

村井満さんインタビューカット

2014年、Jリーグの5代目チェアマンに就任したのは、プロスポーツ経験があるわけでもない、監督やコーチ経験があるわけでもない、クラブ経営の経験もなく、スポーツビジネスに携わったこともない人物だった。それが村井満さん。大学卒業後、新卒でリクルートに入社、30年にわたって会社員生活を送っていた。そんな村井さんが見た“スポーツを取り巻く業界”で働くこと、その魅力、ポテンシャルとは?

単なるサッカー好きがチェアマン

仕事キャリアのスタートは、リクルートでの求人広告の営業。その後、人事部長に、さらには人事担当役員になり、リクルートエイブリック(現リクルートキャリア)の社長に就任する。その後は、新規事業の立ち上げのために3年にわたって香港に駐在し、アジアでのリクルーティングビジネスの可能性を探って奔走していた。
「30年間ずっとやっていたのは、人と組織に関わるプロセスでした。そんな自分が、Jリーグのチェアマンになるなんて、まったく想像していませんでした」

当時、リクルートはCSRの一環として、スポーツ選手のセカンドキャリア支援を行っていた。従業員をJリーグやプロ野球機構に出向させ、セカンドキャリアのサポート行ったりもしていた。
「そのご縁があって、たまたまJリーグが社外理事を必要とすることになり、リクルートから人を出してほしいということで、僕に声がかかったんです。2008年から6年にわたって月一度、理事会に出ることになりました」

実は高校時代、県予選でベスト8にも入ったサッカー部に所属。ゴールキーパーだった。以降も熱心なサッカーファンとして海外まで日本代表戦を見に行ったこともあった。出身地のクラブチームのサポーターとして、週末に全国に観戦に行くのを楽しみにしていた。
「でも、それだけで、単なるサッカー好きの一人だったんです。そんな中で突然、2013年の年末に前任のチェアマンの大東和美さんに、次のチェアマンをやってくれ、と切り出されたんです」

当時のJリーグは入場者数の減少に苦しんでいた。入場者数が減少すると、スポンサーシップも放映権も価値が減じてしまう。負のスパイラルに入っていく危険があった。
「理事会でも議論が百出していました。財政面の立て直しが大きなテーマになる中で、ビジネス経験のある人間にやらせてみよう、ということになったんだと思います。私にとっては、まさに青天の霹靂でした」

村井さんの頭の中に真っ先に浮かんだのは、「自分にチェアマンなんてできるはずがない」だった。当時の状況は、というと、2008年のリーマン・ショックから実体経済は悪化し、さらに東日本大震災の影響で経済環境、社会環境は極めて厳しい状況にあった。それでも最終的に、村井さんはオファーを受ける。

「私が自覚している『私自身』について、なんですが、これは20代後半くらいからでしたが、自分にとってとても大切なものが現れたときには、僕は緊張するんですね。一方、これは楽勝だと思えるものや、絶対に無理だと思えるもの、ありえないものには緊張しない。ところが、最初から無理なものではなく、自分ができるかできないか微妙なライン、大事なものが手に入るか入らないかのギリギリのところだけ緊張するんです」
そういうとき、心がけてきたのは、あえて緊張するほうを選ぶことだった。そうすることで、価値あるものが手に入り続けた。そんな原体験を持っていた。
緊張が怖いと避けたくなる。でも、避けることを選んで、残るものは後悔だけです。前頭葉がシミュレーションして指示した損得より、胸騒ぎや胸の高まり、ワクワク感を選ぶほうが自分らしい気がしていたんです」

チェアマンを依頼されたときも、最初はできるはずがない、と思っていた。半分冗談ではないかとさえ思った。ところが、前チェアマンが本気で言っていることがだんだんわかり始めた。緊張し、不安に襲われる自分がいた。
「ああ、これはやるべきだな、と思って、やります、とお答えしたんです」

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「FIFA加盟国は国連加盟国より多い」―スポーツが持っている社会的な意味

チェアマン就任にあたり、スポーツの世界をファンとして外から見るのではなく、中から見ることを考えてみて、改めて気づいたことがあった。
「実はスポーツを支えている裏側では、ものすごい数の人たちが介在しているということです。わかりやすいところでは、スタジアムを建設したり、設計したりする人たちがいる。建設のための資金調達、ファイナンスの人がいる。トレーニング技法を開発する人がいる」
試合をコーディネートする人やイベントを手がける人。チームのPRをする人。クラブハウスで選手たちの食事を提供する人。快適で機能的なスポーツウェアを開発する人。そしてもちろん、選手たち。
「他にも、スポーツツーリズムで公共交通機関が関わったり、観光交流の人たちに協力してもらったり。さらには選手のパフォーマンスをデータ分析する専門家もいたりする。サッカーはボールを蹴っているだけのものだと思ったら、実はありとあらゆる、すべての産業界が総出でこの産業を支えているということがわかったんです」それまで人と組織にずっと関わってきた30年だったが、これほどまでにスポーツというのは裾野が広いのか、と思った。

「ちょうど就任した2014年はブラジルワールドカップがありましたが、国民の半分くらいがコートジボワール戦をテレビで見ていたりしたわけですね。しかも知ったのは、国連加盟国よりも、FIFAの加盟国のほうが多いということです」
サッカーは、国際的な言語でもあるのだ。この巨大なマーケットを持つスポーツを使って、FIFAは人種差別や平和へのメッセージを送り続けてきた。
国や地域を越えた強力なパワーがある。とんでもない社会的な影響力を持っていたんです。このことを再認識して、足が震えました」

そして、なぜサッカーが、もっといえばスポーツが、これほどまでに人々に愛されているのか、必要とされているのか、にも思いを巡らせたという。「社会はある意味、循環構造になっているんです。そうすることで、バランスが整えられ、一定のホメオスタシス(恒常性)が保たれるんです。人間の体も動脈と静脈があり、動脈で酸素や栄養分をすべての細胞に届ける一方、静脈は体の老廃物を回収する機能があります」
動脈と静脈、どちらも不可欠なのは自明だが、一般の社会生活では、どうしても「動脈系」が多くなる。会社でも日々、指示や命令が発信され続ける。成果を求められ続ける。これだけでは息が詰まってしまう。自分の中で消化できないもやもやした気持ちなどを濾過するような「静脈系」の機能が必要になるのだ。そうでなければ、心身のバランスを崩してしまう。
「スポーツには、その静脈系の役割があると思うんです。スタジアムで自分が暮らす地域の名前を大声で連呼し続けたり、プレーに対して本性むき出してブーイングを浴びせたりするわけですが、そんなことができる場所は他にはない。叫んだり、笑ったり、泣いたり、喜怒哀楽の感情を開放することは、人間としてとても大切なことなんです」

人間の体が動脈と静脈があってバランスが取れるように、スポーツの場で発散することでバランスが取られていく。また明日から頑張ろう、と思える。
「こういうことが、スポーツの持つ大切な社会的な役割のひとつだということに、改めて気が付いていったんです」

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厳しい声は、逆に関心の現れだと思った

チェアマンの就任初日の会見では、「命を賭けてやります」という言葉が出た。そのくらい重要な仕事だと考えていたし、大変だと思っていた。だが、思わぬ試練は次々にやってくる。
「それはもう毎週試合があって、さらされていく仕事ですから」

就任から1カ月あまりで起きた差別横断幕事件では、Jリーグ初となる無観客試合を開催するという対応を発表した。その後、激しいバッシングを受けたのが、シーズン2シリーズ制だった。
「経営的に厳しい状況にありましたから、チャンピオンシリーズを開催して人気回復を図ろうとしたんです。これは(僕の)就任前に決まっていたことでしたが、導入するのは僕の役割。厳しい声をたくさんいただくことになりました」
他にもレフェリー判定をめぐる声など、インターネットで、スタジアムで、さらには直接、さまざまな声が寄せられた。
「それはもう厳しいです。ただ、これは逆にいえば、関心の現れでもあると思いました。期待の裏返しです。Jリーグに関心がなければ、そんな声は出てこない。ブーイングがあるということは、望みを持っていただいている証。歯をくいしばってやらないといけない、と思いました」

Jリーグチェアマンは、J1からJ3まで全国39都道府県56のクラブ(現在)の代表を集めた実行委員会の議長を務める。月に一度、当時51人の代表を集めて会議を取り仕切らなければいけなかった。大変なことになったと思った。相手を知らなければ、議長など務まるはずがないのだ。
「そもそも村井って誰だ?という状況でしたから。それで半年くらいかけて、全国のすべてのクラブを回ることにしました。わかったのは、十人十色だということ。2つとして同じクラブはない。さらに、クラブの文化がサッカーにそのまま体現されているのも興味深いことでした。それぞれのエリアで、それぞれ違うんです」

サッカーの世界の外からやってきた、言ってみれば“外様”。だが、実はそんなことはなかった、ということにも気づいていく。
「サッカーは工場や自動生産設備があるわけではない。特許で再現できるわけでもない。毎試合、生身の人間がライブでやっているものなんですね。それを支えるのも全員、生身の人間。僕は人材業界で生きてきたわけですが、生身の人間が生きていく様をずって見てきた自負があります」それはサッカー界も同じだった。生身の人間が生きていた世界だったのである。
人間に対する理解や関心がしっかりあれば大丈夫だと思いました。むしろ本気でぶつかりあったり、怒ったりしている世界ですから、自分自身も思いきり感情をストレートに表に出していけばいいと思ったんです」

組織が持つ、旧来のマインドセットを変えたいと考えた。初年度の社員総会で「PDMCA」という言葉を発信した。計画、実行、評価、改善のPDCAの真ん中にM=ミスを入れたのだ。PD“M”CA、である。
失敗を恐れないという心をど真ん中に置こう、というメッセージでした。サッカーは手が使えませんから、ミスが多いスポーツです。ミスの連続なんですよ。だから、プロ同士でもなかなか点が入らない。そしてミスが点につながる。でも、それでもミスを恐れず、立ち上がってプレーするのがサッカーの本質なんです」

自分のビジネスパーソン時代を振り返っても、ミスの連続だった。
「そこから立ち上がるプロセスそのものがビジネス人生なんです。それを知って欲しかった」

村井満さんインタビューカット

スポーツの価値とポテンシャルは、まだ可視化されていない

就任以来、さまざまな決断、改革を押し進めてきた。明治安田生命というパートナーの獲得。イギリスのダゾーン・グループが提供するライブストリーミングサービス「DAZN(ダゾーン)」との放映契約、社会との新たな連携活動、女性公認会計士理事の任用…。
「自分一人でやったことは、なに一つありません。従業員、クラブ、パートナーなど、いろんな人たちと連携しながら実現することができた。サッカーがこうなったらいいね、という想いに、輪が一つひとつ増えていった気がします」

そしてスポーツの世界のポテンシャルを改めて実感することになった。
日本が抱えている課題や、次の日本を作っていくために必要なことは、すべてスポーツで解決できると思うんです。高齢化と健康。スポーツで育まれる子どもたちの教育。衰退する地域経済へのスポーツ面での貢献。さらには国際交流。スタジアムを活用した防災都市づくりやスマートシティ構想。政府もスポーツを成長産業として位置づけています」

だからこそスポーツ界の価値を、もっと社会的な観点から見てほしいと語る。
「収益規模で見れば、Jリーグのトップランクでも100億円規模。J3には10億円に満たない規模もある。ただ、これは財務的な価値の話であって、公共財としての社会的価値はもっともっと高いんです。でもそれはまだ、日本で可視化されていない。このコンセンサスが社会で得られるようになれば、投資も集まり、人材流入も増えていくはずです」

実際、アメリカではスポーツ界の社会的な価値は、コンセンサスとして確立している。選手たちは高報酬を得て、運営会社も高い利益を誇る。
「だから、サッカーが好きだから、とか、野球が好きだから、というようなスポーツ競技種目でテーマ設定をするのではなく、裾野の広いスポーツを使って、どんな社会を創るのか。あるいは、創りたいのか。そんな志を持ってスポーツ界に入ってきてほしいんです」
実際、Jリーグのチェアマンになって、村井さん自身、職業観や人生観が変わったのかといえば、まったくそんなことはないという。産業分類や職種に惑わされてはいけないと語る。
「スポーツ界は違う世界だと見ないほうがいい。既成概念の分類で整理しないほうがいい」
多くの仕事が将来はAIに取って代わられるかもしれないと言われている時代、スポーツ界はそのポテンシャルをさらに大きなものにするかもしれない。
「均一で再現性の高いものはAIにお任せすることになるでしょうが、生身の人間がやっているものはそうはいかない。何が起こるかわからない筋書きのないドラマにこそ、人は惹かれるんです。そこでしか得られないものがある。そんなコンセプトに共感する人は、スポーツ界に向いていると思います」

心の中で、自分に対して「いいね!」ボタンを押す選択を

最後に、若手ビジネスパーソンへのメッセージを聞いた。
「ぜひサッカーをよく観てほしいですね。失敗の連続なんです。心が折れる連続。結果を出しても、代表に選ばれるわけではない。フェアプレーをしても怪我に巻き込まれることがある。本気で勝とうと頑張っているのに、オウンゴールしてしまう。後輩にポジションを取られる。どれだけ心が折れるか。でも、それでも立ち上がるのが、サッカーなんです」
たとえ失敗しても、立ち上がれるということだ。それはサッカーだけに限らないはずだ。
「未来はAIを使って失敗しないよう誘導してくれるような世の中になっていくかもしれない。でも、一番大切なことは、自分はどうなりたいか、なんです。誰かのこうなりたい、という答えに近づいてもしょうがない。自分は、という主観をこそ大事にしてほしい。主観を開放する勇気を持つこと。心の中で、いいね!ボタンを自分で押すことです」

そんな自分の主観に気づくチャンスをくれるのも、スポーツだと語る。
スポーツは、いろんなことを教えてくれるんです」。その本当の価値が可視化されるのは、これからかもしれない。

村井満さんインタビューカット

プロフィール

村井 満(むらい みつる)

1959生まれ。埼玉県川越市出身。1983年早稲田大学法学部を卒業後、同年4月㈱日本リクルートセンター(現㈱リクルートホールディングス)入社。営業部、人事部を経て2000年本社執行役員に就任。2004年に㈱リクルートエイブリック(現㈱リクルートキャリア)代表取締役社長に就任。「顧客満足度の高い人材斡旋会社」で5年連続1位となるなどカスタマーから高い評価を獲得し業績に貢献。2011年にリクルート・グローバル・ファミリー香港法人社長、2013年に同社会長就任。アジア26ヶ所に現地のグローバル人材の採用拠点を設置。サッカー界とのつながりはリクルートエージェント在籍時にプロサッカー選手のセカンドキャリアを支援したことに始まり、2008年日本プロサッカーリーグ理事に選任。2014年1月、ビジネス界出身者として初めてのJリーグチェアマンに就任。Jリーグの人気回復とビジネス基盤強化を中心とした改革に臨む。2018年に3期目を迎え現在に至る。(公財)日本サッカー協会副会長、(公財)日本プロスポーツ協会理事。

取材・文/上阪 徹
撮影/岡本 寛
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