「大変なことがあっても、最後は全部楽しかったと思えるタイプです」 女優・北原里英に聞く、仕事の向かい方と受け止め方

1月15日に公開される日中合作映画『安魂』に、唯一の日本人キャストとして出演している北原里英さん。中国での撮影のこと、そして、これまでのキャリアについて伺いました。

北原里英さん

プロフィール

北原里英(きたはら・りえ)

1991年、愛知県生まれ。2008年より、AKB48のメンバーとして活動。2018年にグループを卒業し、つかこうへいの名作舞台『「新・幕末純情伝」FAKE NEWS』(18)や映画『サニー/32』(18)など骨太な作品に主演。近年の映画出演作に『としまえん』(19) 、『HERO〜2020〜』(20)など。2020年には自身のYouTube「きたりえチャンネル」開設。

たったひとりの日本人キャスト、中国ロケで感じたこと

―日中合作映画『安魂』、お話を受けた時はいかがでしたか?

撮影は中国で、日本人キャストは私ひとりだけ。もちろん中国語で演じるということで、すごい挑戦だなと。やり甲斐のあるお仕事をいただけたなと思いました。

―そういう時は?

めっちゃ燃えるタイプです(笑)。よし!中国語がんばろうと思ったんですけど、出演が決まってから習い始めて、1ヶ月ぐらいしか時間がなかったので、途中からヤバいなと(笑)。

―すごいですね。いろいろな映画の裏話を伺うと、やむを得ない事情で準備期間が十分でないことも多いですが、北原さんもアイドル時代に慣れていらっしゃるのでは?

そうですね。たしかに、AKB48で鍛えられたところはあるかも。完成した作品を観たら、これがあの時の精一杯だったなと。反省点がありつつも、全力は出せたかなと思います。

―オール中国ロケだそうですが、いかがでしたか?

マネージャーと日本人スタッフの方と一緒に現地に行ったのですが、中国で迎えてくださった方は日本語ができなくて、私たちも中国語はできなくて。言葉が通じないのに、皆でごはんを食べに行ったりして(笑)。めっちゃ冒険でしたね。

―撮影現場は、日本人6人以外、現地の皆さんだったそうですね。

日本の撮影現場と違うところが、いろいろあって面白かったです。中国の方は、上下関係がすごくきちんとしているので、カメラマンさんが日本人のベテランの方だったのですが、皆さんから爹(ディエ:年長者を敬う敬称)と呼ばれていて、誰もが愛嬌たっぷりに「ディエ」と声をかけるんですよ。そういうところ、素敵だなと思いました。

―他に、どんな違いがありましたか?

現地のスタッフには若い方も多くて、人数も多いので、皆で楽しそうに和気藹々とやっていて、愛のある現場だなと。でも、時間にルーズなところもあったりして(笑)。それも初めての経験で、面白かったです。一度、お昼休憩に入ると、再集合の時間を決めないので、気づくと撮影が始まっていたりするんですよ(笑)。

―おおらかですね。

そうなんです。昼休憩中に、おばあちゃんがひとりでやっているような売店があったので、のぞきに行ったら、技術系のスタッフさんがこっそりビール飲んでいたりして(笑)。喋れないなりに仲良くなっていたから、「あ~、やってる!」っていう仕草をしたら、「シー」って。そういうところも日本にはないところで、楽しい現場でした。

―『安魂』は、息子を亡くした父親が、息子と瓜二つの青年と出会い、心を通わせていく物語です。その中で、北原さんは息子と男性、二人を知る日本人留学生を演じています。

家族の一員ではないので、どこまで深い感情で家族の問題に関わっていくんだろうというのを探りながらの撮影でした。私も日本からひとりで出演していたので、実際の状況と役がリンクすればいいなと。

―中国の俳優さんの演技が素敵でした。特にお父さん、お母さん役の方が。

本当に素敵で、お芝居は言葉を超えるんだなと思いました。言葉がわからなくても、表情やトーンや目の動きで、すごく伝わってくるんですよ。自分にとって大きな経験でした。

―印象に残っている場面はありますか?

息子を亡くしたお父さんの家に、一家が集まる大事なシーンがあるのですが、その時のお母さんの強い感情を秘めたお芝居がすごすぎて、本番前のテストの段階から、泣きそうになりました。本当に感動しました。

―後半、お父さんと青年の大事なシーンがありましたが、寡黙なのに心に沁みる、この映画を表すような場面だなと。

私、『安魂』のお話がすごく好きなんです。全部、いいんですよね、あらゆる要素が。もともと台本を読んだ時から好きでしたけれど、完成した映画は何百倍も素敵になっていて。親子の絆とか、どこの国の人も理解できる感情が描かれていますよね。

―日向寺太郎監督と組まれて、いかがでしたか?

監督、すごいなと思いました。私には日本語で指示も出せるけど、私以外のキャストは全員、中国の方だったから。監督さんの方がずっと大変なんじゃないかと思っていました。

―そうやって周りの方を常に見ていらっしゃいますが、NGT48ではキャプテンもやっておられましたよね。

全体のバランスを見るのが好きなんです。ただ、学生の頃は班長や委員長タイプではなくて、副班長みたいにサポートする方が好きだったので、新潟でキャプテンをやったことは人生経験として大きかったです。団体行動が苦手な人には強要しないとか、タイプをよく見て、その人に合った接し方をするというのは、キャプテンをやって、一番身についたことかなと。

―団体行動、お好きな方ですか?

そうですね。もともと大人数が大好きなんです。今、こういうお仕事をさせていただいているのも、お芝居が好きなのはもちろんですが、ひとつのものを皆で作るというのが好きで、それがやりたくて、この仕事をやらせていただいていると思います。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

アイドル時代、グループで仕事をしていく面白さ

北原里英さん

―小学生の頃から、お芝居に興味があったそうですね。「就職」とか、そういう感覚をお持ちになったことは?

もしも普通に学生をしていたら、考えたかもしれないですけれど、女優さんになりたくて、16歳でAKB48に入って、卒業する頃がピークで忙しかったから、そういうふうに考えたことはなかったですね。

―AKB48に入るまでは、オーディションを?

たくさん受けていました。全部落ちていて、やっと受かったのがAKB48だったんです。

―落ちても、受け続けるってタフですね。

その時は落ちるのが当たり前だったので、落ちても全然(笑)。でも、小学校で女優さんになりたいという夢を持ってから、それ以外考えたことがなかったので、AKB48に入れなかったら、本当に困っていたと思います。

―AKB48は総選挙だとか、グループの中で個性を出していくのが大変そうに見えます。

個性がなくて、ずっと悩んでいました。武器もなかったですし。皆、キャラ立ちしていたので、自分は何もないから、ここ止まりなんだってずっと悩んでいました。その悩みは今も解決していないですけど(笑)。

―当時、どんなふうに考えていましたか?

いろいろ考えはするんですけど、AKB48って舞台裏も見せる場所だったから、今更、キャラを作っても仕方ないし!と思って。だから、キャラにつながることをしようとか、そういう試行錯誤をしたわけではないのですが、とにかく一生懸命、真面目にやってきました。

―総選挙といっても、グループの人との関係性は、ライバルというのとも少し違うのではないでしょうか。

本当にそうです。むしろ、ライバルと思ったことの方が少ないです。まさにメンバーって感じです。家族より一緒にいる時間が長いし。ずっと一緒だったので。

―厳しいことも言い合ったりされるんですか?

私はそんなにキツイことを言うタイプではなかったですけど、間違っていたら、それを指摘してくれる先輩がたくさんいたので、自分が先輩になってからは、先輩として注意することはありました。友達どうしなら、わざわざ言わないことも多いと思うんですけど、そういう意味でもメンバーは家族に近いのかなと。本当に、他では得られない経験をさせてもらいましたね。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

視野が広がってきた30代、これからやってみたいこと

北原里英さん

―2018年にAKB48グループを卒業されましたが、改めてキャリアについて考えたことは?

根本は変らずにいこうと思いました。真摯に取り組んでいけば、何とかなると信じて。不安もなくはなかったですけど、楽しみの方が大きかったです。

―10代から、猛烈にお仕事されてきたと思うのですが。

AKB48の時はすごく忙しかったので、お休みがあると何していいか、わからなかったですね。ただ、一度、すごくくすぶっていた時期があって、その時は仕事がなくて、お休みだったから、時間があり余っていましたね(笑)。

―20~30代、くすぶる時期を経験する方も多いと思います。

気持ち、すごくわかります。ただ、そういう時って、ずっとくすぶっているわけではないと思うので。きっといつかは終わるから。

―たしかにそうですね。

そういう時期を乗り越えて、何もしない日があってもいいんだと思えたのが、2013年のドラマ『家族ゲーム』なんです。ご一緒した神木(龍之介)くんが、あんなに売れていて忙しいのに、すごくお休みを自由に楽しんでいるんですよ。それは大きかったですね。ああ、休んでいいんだと。それまではお休みがあると、すごく不安だったんですけど。

―大きな変化ですね。

仕事についても、以前より周りの人たちの仕事に興味が出てきて。皆さんの話を聴いていて思うのは、意外と皆、仕事を変えるんだなってこと。もちろん簡単じゃないと思うんですけど、仕事に対して自由な感覚でいいんだなと。ちょっと視野が広がったのかなと思います。もしかして、これが30歳になるということなのかなと(笑)。

―猛烈にお仕事された時期があるからこそ、辿り着かれた思いなのではないでしょうか。10~20代、アイドル時代を振り返られて、いかがですか?

最近、すごく思うのは、本当に青春だったんだなということ。現役時代のAKB48メンバーとは今でも仲がよかったりして。お世話になった方の卒業コンサートに、最近、ゲストとして出演させていただいたりするんですけど、そうすると同窓会みたいな雰囲気なんです。

―温かいですね。

スタッフの方たちも私たちが多感な時期に一緒にいたから、親戚みたいな感覚でいてくださる方が多くて。YouTubeを開いたら、若い頃の映像もたくさんあるし。当時は忙しくて、自分ではあんまり覚えていないことも多いんですけどね…(笑)。

―大人数でひとつのものを作るのが好きとおっしゃいましたけれど、『安魂』の現場のお話や、メンバーの方のこと、お話を伺っていると、北原さんの毎日がそういう方向に向いている印象を受けます。

たしかに、そうかもしれません(笑)。とはいっても思い出だから、多少、美化していると思うんですよ。だって、本当に辛かったですから、中国ロケ(笑)。私、最後は全部、楽しかったと思えるタイプなんです。だから今でこそ、トータルでは楽しかったし、いい経験だったと思えますけれど、撮影中、本当に何回か泣きましたから(笑)。

―そういうときは、どうやって切り換えるんですか。

ひとりでホテルのシャワーを浴びながら泣いて、なんか、今の私の状況、ほとんど映画じゃん…って思うことで乗り切っています(笑)。

―そういう大変な場面もおありだと思うのですが、お仕事をされていく中で大事にされていることは?

一番は、他の人に嫌な思いをさせないことです。共演者の方もスタッフさんも、借りている場所があったら、そこの管理人さんとか、すべての方に。それは一生揺るがないです。これからも、その気持ちを持って生きていこうと思っております(笑)。

―女優さんとして、今後の展望は?

30歳になって視野を広げる時期みたいになってきているので、今後はひとつに絞らず、興味のあることはどんどん広げていきたいなと思っています。

―これまで、北原さんの方から働きかけたお仕事はありますか?

『サニー/32』(18)という映画は、私がずっとお芝居をやりたいと言っていたのを秋元(康)先生が『じゃあ映画やろう。どんなのをやりたい?』って。それで白石和彌監督が好きだったので、アプローチして叶った作品なんです。そういう意味では、自分からかもしれないですね。

―白石監督の作品は『凶悪』(13)などハードな作品も多いです。撮影は大変だったのでは?

大変でした(笑)。でも、すごく幸せで。念願叶って、夢のような経験でした。今回の映画も、私にとっては、すごく大きくて。この映画で中国の方たちとずっと同じ現場で、日本の方と中国の方が言葉を教え合ったり、近所のお寺で皆でごはんを食べたりして。それまで海外でのお仕事ってあまり意識をしてこなかったんですけど、今回の撮影で、日本だけに目を向けているのはどうなんだろうと思うようになって。今後も中国語は続けていきたいなと思います。今回の撮影期間では、全然思うように中国語を話せなかったから、もう一度、映画のスタッフさんや共演の方にお会いできたら、中国語で話したいんです。せっかくのご縁だし、30代は中国での活動も視野に入れていきたいと思います。

作品紹介

<安魂『安魂』

日中国交正常化50周年に公開される日中合作映画。自身の息子を亡くした経験をもとに中国の作家・周大新が書いた原作小説を、今村正平監督の『うなぎ』(97)を手掛けたベテラン脚本家・冨川元文が大胆に脚色。『火垂るの墓』(08)『こどもしょくどう』(19)の日向寺太郎監督が、息子を亡くした父親の「喪の仕事」を、息子と瓜二つの青年との出会いを通して描く心に沁みる作品。

監督:日向寺太郎

出演:ウェイ・ツー、チアン・ユー、ルアン・レイイン、北原里英、チェン・ジンほか

1月15日より岩波ホールほか全国順次ロードショー
公式サイト:https://ankon.pal-ep.com/

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WRITING:多賀谷浩子 PHOTO:刑部友康
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