「自分たちはなんのために存在しているのか」売上高10兆円企業の改革とは?――マイクロソフト再始動(1)

新時代に乗り遅れていたとばかり思われていたマイクロソフトが、実は大きく躍進していることをご存じだろうか。日本ではまだまだ知られていないが、売上高10兆円、従業員12万人の巨大企業が、大きく変貌を遂げているのだ。実際、株価は急伸し、先端企業と十分に伍している。何が変わったのか。なぜ変わることができたのか。『マイクロソフト 再始動する最強企業』(ダイヤモンド社)(→)の著者、上阪徹氏がお届けする全3回の第1回目。

プロフィール

ブックライター 上阪徹さん

上阪徹事務所代表。「上阪徹のブックライター塾」塾長。担当した書籍は100冊超。携わった書籍の累計売り上げは200万部を超える。23年間1度も〆切に遅れることなく、「1カ月15万字」書き続ける超速筆ライター。

1966年生まれ。89年、早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリー。これまでの取材人数は3000人超。著書に『JALの心づかい』『あの明治大学が、なぜ女子高生が選ぶNo.1大学になったのか』『社長の「まわり」の仕事術』『10倍速く書ける 超スピード文章術』『成功者3000人の言葉』など。

時価総額ランキングで、今なお4位につけている

マイクロソフトと聞いて、どんなイメージを持つだろうか。真っ先に思い浮かぶのは、Windowsであり、Wordであり、Excelであり、Power Pointであり、ビジネスに欠かすことのできないソフトウェアを作っている会社、だろう。

ITの世界で近年、大きな話題を獲得してきたのは、いわゆるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)。マイクロソフトは、PC時代からスマートフォン時代への切り替わりに乗り遅れ、全盛期はとうに過ぎた企業、というイメージを持つ人も少なくないかもしれない。

しかし、世界では(日本でもITの世界を知る人たちの間では)、そうではないのだ。マイクロソフトは今、大いなる注目企業なのである。ところがこの事実は、日本では一般の人に驚くほど知られない。

例えば、2015年秋、マイクロソフトは株価が史上最高値をつけた。創業40年目にして、である。しかも、その後も株価は上昇し、2018年7月末時点の株価は106ドル。これは、最高値をつけた2015年秋の約2倍だ。わずか3年で、株価が2倍になったのである。

シビアに企業を見極めるウォール街の投資家が、時代の変化に乗り遅れた会社にこんな株価をつけるはずがない。実際、それまでの約10年間、マイクロソフトの株価は売り上げが伸びていながら40ドル前後で推移していたのである。

そして2017年の世界の時価総額ランキングでも、堂々の第4位につけている。GAFAとがっぷり四つに組んでいるのだ。実は2007年にも時価総額でベスト10に入っていた。1997年にも入っていた。20年にわたって注目を浴び続けているのが、マイクロソフトなのだ。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

時代に乗り遅れたと思われていた巨大企業が変われた

では今、いったいマイクロソフトに何が起きているのか。きっかけは2014年、アメリカ本社のCEOが3代目のサティア・ナデラ氏に変わったことである。当時、ナデラCEOは47歳。インドに生まれ、21歳でアメリカにやってきて、1992年にマイクロソフトに入った人物だ。私はこの翌年、日本マイクロソフトの平野拓也社長にインタビューする機会があった。その終わり際、平野社長はこんな発言をしたのだ。

「これまでのマイクロソフトが見ていたのはITという世界でしたが、サティアはITを超えたまったく別の世界を思い描いています。人の生き方にまでさかのぼってマイクロソフトに期待されるサービスとは何かを考え、最適に作り替えようとしているんです」

平たくいえば、新しいCEOはマイクロソフトをゼロから作り替えようとしている、と私は受け止めた。売上高10兆円、従業員12万人を擁する世界最大のソフトウェア会社が、生まれ変わろうとしている、というのである。

これが現実のものとなった証こそ、株価の史上最高値だったのだ。私はこの変革に強い興味を持ったのだが、周囲でこの事実を知っている人はほとんどいなかった。マイクロソフトにいったい何が起きているのか、私はシアトル本社にも取材に行って日米の幹部に多数取材し、『再始動する世界最強企業』(ダイヤモンド社)を書き上げることになる。

何より興味深いと思ったのは、10兆円、12万人という大企業が大きな変貌を遂げようとしていたこと。時代に乗り遅れたと思われていた巨大企業が変われた、という事実である。これは、変革が求められている日本企業においても、大いなるヒントになるのではないかと思った。実際に行われていたのは、驚くような取り組みだった。

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自分たちの存在意義から見直していった

私はこの話をマイクロソフトのウェブサイトの経営執行チームにも顔写真が出ているジャン・フィリップ・クルトワ氏から取材で聞いたのだが、例えば、ナデラCEOに変わって真っ先にしたことは、なんと「自分たちはなんのために存在しているのか」から考えていった、というのである。

創業40年の世界最大のソフトウェア会社が、自分たちの存在意義から見直していった、というのだ。そして新しい企業としてミッションをつくった。それだけではなかった。会社を変えるには、カルチャーを変えていく必要がある、という考え方のもと、カルチャー変革を推し進めていく。

そのキーワードのひとつが、「グロース(成長)マインドセット」。もっと会社としてリスクを取らないといけない。成長のためにマインドを変えないといけない、とCEO自らが宣言するのだ。

しかも、これを真っ先に実践したのが、ナデラCEOだった。ソフトウェアからクラウドへのビジネスモデルの大転換であり、Windowsの無償化という驚くべき決断だった。それまでの事業の屋台骨をひっくり返すという、とんでもない宣言をしたのだ。

例えば営業が売り上げを立てるのは、それまで何本のソフトウェアのライセンスを販売できるかというものだった。とこれが、どのくらいマイクロソフトのクラウドを使ってもらいコンサンプション(消費量)を獲得できるか、に変わった。ソフトウェアを購入してもらうのではなく、クラウドサービスをいかに使ってもらえるか、にシフトしたのだ。

こうなると、仕事のスタイルはがらりと変わらざるを得ない。発想も、カルチャーも、大転換が必要だった。そして、そのためにまたナデラCEOが業界を仰天させる。なんとかつてのライバルと手を組み始めるのである。

長年のライバル、アップルと手を組んだ

ナデラCEOは自らシリコンバレーを訪れ、競合他社はもちろん、オープンソフトウェアの世界のエンジニアたちとも次々に提携を結んでいく。象徴的なのが、長年のライバル、アップルと手を組んだこと。iPhoneよりも良いものを、と鎬を削ってきたが、今やiPhoneはマイクロソフトのアプリやサービスをたくさん使ってくれる素晴らしいデバイスだ、という位置づけなのだ。iPhone向けアプリを作り、iPhoneでもっとマイクロソフト製品を使ってもらおう、という戦略に切り替わった。

だが競合から見れば、マイクロソフトのソフトウェアを使っているユーザーは世界で十数億人。アップルにしても、魅力は大きい。さらにパソコン用だったWindowsはゲーム機のOSにもなり、IoT機器のOSに。多くが無料の完全なプラットフォームになった。そしてマイクロソフトは、ビジネスパートナーが広がれば広がるほど、クラウドで稼げることになる。この大胆なシフトは、マイクロソフトがクラウド領域で世界で戦える数社の一角を担う存在に転換できたことを意味していた。

何しろ、パソコンのOSで9割以上のシェアを持つ世界最大のソフトウェア会社なのである。他の企業と積極的にコラボレーションを始めたときのインパクトは計り知れない。これこそが、株価急伸の理由のひとつだろう。

そして、どんな未来を描くべきか、CEOが「世界観」を発表している。これこそ、ナデラCEOのインド人らしい哲学的なところだ。ミッションを語るトップは多いが、世界観を語る人はなかなかいないかもしれない。だが、それが見えたことで組織は動いた。日本法人は、すでに売上高の50%を超えるところまでクラウドが占めるまでになっている。

ビル・ゲイツ時代から続いてきた伝統行事も変えた

経営体制も変わった。事業部制が取り入れられ、独立採算事業が7つ、5つと分けられた時代が長かった。これでは、どうしても意思決定が縦割りになる。ここで、全社の「グローバルマキシマ」というキーワードがメッセージされる。事業部の採算ではなく、会社全体で考えるということだ。

Windows、ゲーム、Phone、サーバー、タブレット、クラウド、検索など、さまざまに分かれていた組織は大きく3つに集約された。今は、WindowsもPhoneもタブレットもゲームも同じ組織になっている。クラウドとビジネスアプリケーション、サーバーもひとつの組織。もうひとつが、Officeを中心としたプロダクティビティ。統合・再編の結果、マイクロソフトの中で連携が進むようになった。

創業者のビル・ゲイツ時代から続いてきた伝統行事も変えてしまった。例えば、「ミッドイヤーレビュー」。これは、アメリカ本社の経営幹部と世界中の現地法人や事業部門が会議を行うもの。

アメリカからCOOを筆頭に40人ほどの幹部が顔を揃え、対して1国30人ほどのチームが経営環境を報告し、戦略についてディスカッションを行う。これが1国につき、丸1日がかりだった。その準備に、1カ月かかったという。これをあっさりやめてしまった。大幅に短縮されることになった。

毎年3日間、世界中の社員が1万人以上集まる、グローバルの社員総会「MGX」もやめてしまった。各国で競い、アワード表彰なども行われてきたが、お祭りのようなものは息を潜め、学びが中心の「レディ」という取り組みに変わった。

社内で「リズム・オブ・ビジネス」と呼ばれていた、年間ビジネスのスケジュールも次々に変わった。イベントの位置づけが変わったり、名称が変わったり。各国の幹部向けのカンファレンスのように、なくなってしまったものもある。各国から何十人も集まって、何日もいるくらいなら、もっと新しいことを考えよう、学ぼう、ということだろう。

他にも、評価制度や育成についても変わった。マイクロソフトは世界最大のソフトウェア会社だが、環境が変化しているのに、自分たちが変化していかないのでは、変化に対応できるはずがない、と考えたのだ。しかし、それをこのスケールの会社が大胆にやっているのである。日本法人の平野拓也社長の言葉が重い。

「同じ行動をして違う結果を期待する。これはおかしいでしょう。そうなれば、違うことをしないといけない」

次回は、マイクロソフトのアメリカ本社、そして開発が進む未来のテクノロジーについてご紹介したい。

参考図書

『マイクロソフト 再始動する最強企業』 (ダイヤモンド社)

著者:上阪徹

出版社: ダイヤモンド社

 

 

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