IoT時代の「モノ」プランニング 『情感的価値・機能的価値・使用的価値・芸術的価値』とは?

AIやビッグデータやIoTなどの進化により、ITエンジニアにもハードウェアのトレンドやモノに関する理解が求められることが増えてきました。本連載では、そんなITエンジニアの皆さんに役立つ情報をお届けしていきたいと思います。

ハードウェアとソフトウェアの境が曖昧になりつつある

はじめまして。中小企業診断士の河村裕司です。

経営コンサルタントとして支援先の企業が直面するモノづくりに関する様々な問題について一緒に悩んだり、その対応について助言をしています。

そして電子楽器メーカー、コルグの開発部で自分自身もモノの作り手として、「音のある日常」をより多くの人に届けるべく、魅力的な楽器作りに一生懸命、精を出しています。

近年、ハードウェアを取り巻く環境が急速に変化していると言われています。そして、それは決してハードウェア業界だけの話ではなく、ソフトウェア業界までも巻き込んだ産業全体の大きな唸りでもあります。

つまりハードウェアを取り巻く環境の変化は、ソフトウェアを取り巻く環境の変化でもあるのです。

これまでモノづくりを始めるには大きな設備投資が必要で、それが可能な企業は限られたものでした。

ましては、ハードウェアの製造とソフトウェアの製造、二足の草鞋を履くなんてことは潤沢な資本と人的リソースに恵まれたさらに一部の企業にしか到底できないことでした。

しかし、そんな話も過去のものになりつつあります。なぜ、このような変化が起きつつあるのでしょうか?ここで紹介できるのは一例ではありますが、以下のような新技術やサービスの発達が大きく影響しています。

新技術・サービス 商品例 市場に与えた影響
クラウド・ファンディング Kickstarter、Indiegogo 銀行以外からの資金調達や属人的営業に頼らない販路開拓が可能となった。
また、プラッフォームの集客をテコに世界市場に向けたプロモーションの場としても活用されている。
汎用マイコン Arduino、Raspberry Pi 開発環境に劇的な変化をもたらし、小さなスタートアップや個人までもが旧来は考えられなかったような高性能な製品開発が可能になった。
工作機器(3Dプリンター、レーザーカッター等) Replicator、FABOOL Laser Mini 少量多品種生産を容易にした。これにより高額な金型を購入し、金型費を大量生産により固定費を分散させることが不要になった。
個人、小規模ビジネスに向け決済 PayPal、Payza 手数料を抑え、迅速かつ安全な国内外送金が可能となった。

そして、このような変化を商機ととらえた様々なスタートアップ企業がハードウェアの開発に着手していることは、皆さんもよくご存知のことでしょう。

一方、AmazonはAmazon DashやAmazon Echo、GoogleはGoogle HomeやPixelといったように、これまでソフトウェアに力を入れてきた大手企業もハードウェアの開発に着手し始めています。

先日、ラスベガスで開催されている日本最大の家電ショーCESを訪問した際には、ジュエリーで有名なSwarovskiもブレスレット型のIoTヘルス機器を展示していました。このようにソフトウェア業界、ハードウェア業界をまたいだ横の動きも活発になりつつあります。

そのくらい多くの人がハードウェアとソフトウェアの融合に大きな可能性を感じているのです。

さて、次の新たなスマートウォッチを生み出すのは誰でしょう。日本でも注目を浴び始めつつあるインダストリー4.0*の流れにおいてスマートファクトリーを作るのはハードウェア企業、はたまたソフトウェア企業なのでしょうか。

ハードウェアとソフトウェアの境が曖昧になりつつある中で、僕はそういう議論自体があまり意味をなさなくなっていると思っています。

というのも、ハードウェア企業、ソフトウェア企業とも単独で物事を完結させることが難しくなり、誰もがその当事者になり得るからです。ましては前述のSwarovskiの例のように業界の垣根ですら希薄化しつつありあるのですから。

インダストリー4.0
ドイツ政府が主導し、産官学共同で進めている国家プロジェクト。歴史上における4度目の産業革命。つまり「第4次産業革命」を起こす取り組みとしており、そのコンセプトはIoT、ビッグデータ、AIなどのソフトウェア技術やセンサーや通信デバイス等のハードウェア技術を軸とした「スマートファクトリー」(考える、繋がる工場)である。

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もはや、誰にも無視できないハードウェア業界の変化

みなさんが今後、モノづくりに関与するかしないかに関わらず、このムーブメントが無視できるものではないことはたしかです。

例えば、奏者の上達を後押しする「プロフェッショナル養成マラカス」を作りたい老舗マラカスメーカーがあったとしましょう。そのマラカスの特徴は以下のようなものです。

  • 奏者がマラカスを振る際の音量の強弱、リズム、音程の癖を逐一記録してiPadにデータログを記録する
  • 記録した内容を膨大な一流のプロの演奏データに基づきアプリが評価し、奏者に対して修正すべき点を指示する
  • さらに奏者の強みを活かした目指すべきスタイルを提案する
  • 目指すべきスタイルに基づいて日々、適切なアドバイスを与える。それにより奏者の上達を支援する

このマラカスを量産するにはAIやビッグデータ、、無線通信などのソフトウェア技術に長けたプログラマーのノウハウが必要です。

さらにはアルゴリズムの改善やソースコードの冗長性をなくすことでマイコンをコストダウンする必要にも迫られていました。

そのマラカスは、クラウド・ファンディングで大好評を得ており、実現すれば大ヒットも夢ではありません。その老舗メーカーはプロでもうなる極上のマラカスは作れるもののソフトウェアのことは分からず頭を抱えていました。

そんな時こそハードウェア業界を取り巻く変化をチャンスとして取り込みたいソフトウェア企業の出番です

別の例を考えてみましょう。あるソフトウェア企業A社は害獣駆除のために、ITを駆使して害獣の出現ポイントや、頻度を分析する据置型装置を作り、大きな話題を集めていました。

A社の知名度は瞬く間に業界の垣根を超えて広がり、従来の顧客からの受注を増やすのみならず、新規顧客の大量開拓に成功し始めています。

一方で、マーケットリーダーのソフトウェア企業B社は、IoTや新規参入の活性化等に代表されるハードウェア業界の変化を今後も自分たちの業界とはまったくの無縁であり続けると高をくくり、業界の変化を眺めようともしていません。しかし、知らないところで何かが変わりつつあることに漠然とした不安を感じ、自分たちの業界シェアが徐々に低下し続けている状況に戦々恐々とするばかりでした。

しかし、知らないところで何かが変わりつつあることを感じつつあり、自分たちの業界シェアが徐々に低下し続けている状況に戦々恐々とするばかりでした。

大体、分かってきたのではないでしょうか?

モノづくりへ直接関与するかしないか、様々な判断があって然りです。しかし、外部環境の変化を止めることは誰にもできません。外部環境が変化する限り、それに応じて自社の対応を変えていかなければ機会を掴めないどころか脅威に飲み込まれてしまいます。

その外部環境がハードウェアを媒体としながら変化するのであれば、その周辺知識を深めざるを得ません。そうでなければ競合他社の動向を追いかけ、時流に応じた自社の最適な対応を考えることことすら困難になるからです。

商材の例に賛否はあるでしょうがそれはさておき、プログラマがハードウェア業界のトレンドを知っておいても損はないというイメージを多少はご理解いただけたでしょうか?

実際にここ最近になって、僕のようなモノづくり経営に携わってきたコンサルタントの元に、ソフトウェア企業からのモノづくりに関するコンサルティングの依頼が急激に増え始めています。

その内容は、ハードウェア企業との共同プロジェクトにおけるプロジェクトマネジメント、共同プロジェクト開始に当たって必要とされる契約や交渉ごと、参入市場の見極めに向けたマーケティングリサーチ、ハードウェアデバイスの製造委託先となるOEM工場に関する相談など様々です。

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楽器メーカーが辿ってきたモノづくりの軌跡

僕がコルグで楽器を作っているということは冒頭でお伝えしましたが、楽器という商材には独特の複雑さや面白さがあります。

僕は、楽器を構成する価値のことをよく「情感的価値」、「機能的価値」、「使用的価値」、「芸術的価値」と言っています。これらは以下のようなものです。

価値の種類 価値の内容 価値創造の例
情感的価値 ユーザーのワクワク感、憧れ、懐かしさ、哀愁といった感情を刺激する情緒的なストーリー ゲームに夢中になった幼い頃の思い出を呼び起こす8bitシンセサイザー*のサウンド、使い古されたことで味わいが増してきたサックスが持つ「趣」など
機能的価値 ユーザーが抱える悩みや課題を解決する実用的なソリューション 視認性の高いディスプレイ、タッチ感に優れたピアノ鍵盤など
使用的価値例 ユーザーに「機能価値」の存在を伝え、機能へのアクセスを容易にするユーザーインターフェイス 製品の効果的な使い方をガイドする部品レイアウト、誤操作の起きにくいツマミやスイッチ形状など
芸術的価値 楽器の命ともいえる音質、ステージ上でアーティストの演出を引き立たせる外観など、美的感性に訴える価値など 透明感のある美しいシンセサイザーの音色、奏者が女性を抱える姿をイメージしたといわれるストラトキャスターギターの形状など

8bitシンセサイザー
80年代、ファミコンなどのゲーム機器の音源として用いられたシンセサイザー。非力なチップから生み出されるサウンドは、チープだからこそ独特の味わいがあり、チップのスペックが当時とは比較にならないほどに高まった現代においても多くのミュージシャンを虜にし続けている。

マーケティングが楽器業界において今も重要な位置付けにあることは変わりありませんが、一方でマーケティングによる限界にも早くから直面してきました。

だからこそ楽器の作り手たちは、UXという言葉が生まれる以前から深く考える必要性に迫られ、UXをとても大事にしてきたという経緯があります。

さらに、個人の感性に強く依存する芸術的視点も重視され、その方法論を語ることが極めて困難であったため、マーケティングともUXとも異なる独自の方法論が業界全体で研究され続けてきました。

もちろん、ここで挙げた4つの価値を楽器メーカー以外が無視しているということではありません。

ただ、僕がコンサルタントとして異業界も眺めてきたなかでは、特殊なケースを除き、これらの価値に対する業界独自のプライオリティが存在していることが多いと感じています。

例えば、歯磨き粉であれば、歯が綺麗になりそうな香りや色がもたらす「情感的価値」、そして実際に歯が綺麗になるという「機能的価値」の両方がプライオリティです。

納豆のような匂いがする、もしくは香りは抜群に良いものの歯がまったく綺麗にならないような歯磨き粉は、どんなに他の価値が高くても欲しくならないですよね?

プライオリティの高い価値が一つでも欠落した際に、他の価値によってそれを補うことは容易ではありません。

楽器は必ずしもそうではありません。歯磨き粉の例を引き合いに出すならば、湿気状態で保管されカビの匂いが目立つシンセサイザーであっても、音が特段に良いという理由で受け入れられることもあります。

作り手の多大な努力によって生み出された「抜群の音を奏でる」という機能的価値を無視するかのように、誰にも弾かれることもなく何年もオブジェとして置かれ続けるギターも珍しくありません。それでも、ユーザーはその状態に満足しているのです。

これらが、楽器独特のUXといえるでしょう。

楽器の価値の尺度は不安定であり、個々のユーザーによって大きなブレが生じます。

また、同じ楽器に対して実用と考えるユーザーと実用ではないと考えるユーザーが常に存在しています。そのことが4つの価値のプライオリティを定義することを困難にしています。

様々なユーザーが市場を代表し得る可能性が感じられてしまうからこそ、どの市場へフォーカスするかという議論に対して結論を出すことは常に困難を極めます。

また、この業界にいると異業界の方からは、楽器業界に集まる人たちは個性的で多種多様なキャラが集まっていると言われることがよくあります。

これは、そもそも極端ともいえるような個性を持った人を集めなければ、良い楽器が作れないという事情があったりもします。

それゆえに「ダイバーシティ」という言葉が流行った頃、それが流行となる意味を理解するのに苦しむ多くの同僚を僕は目の当たりにしてきました。

このような背景をもとに、楽器業界は独自の文化を育んできたのです。

次回以降のお話について

前置きが長くなってしまいました。
次回からはいよいよモノのプランニングの本題に入っていきます。ソフトウェアと似た部分もそうでない部分もあるかと思います。

そのような共通点や違いも踏まえていただきながらモノのプランニングのあり方について理解を深めていただければ幸いです。

ありがちなモノづくり業界の動向だけでなく、普段はあまり語られることが少ない、面白くもちょっと不思議な楽器の世界も覗いていただくことで、皆さんにほかでは得られない新しい発見があればと願っています。

次回は「プランナーの仕事」にフォーカスしてご紹介したいと思います。これからも、ぜひお付き合いください!

IoT時代の「モノ」プランニング レポート一覧

著者:河村裕司

経済産業大臣登録 中小企業診断士。株式会社コルグ開発部。自社ブランド、他社とのコラボレーションなどにおいて電子楽器のプロデュースを行う。代表作にKORG KAOSS PAD 3、KAOSS PAD mini。VOX Valvetornix、ToneLabなど。担当製品の受賞歴にヨーロッパ最大の楽器見本市Musik Messe主催、Mipa AwardにおいてBest DJ Tool/Software賞、米国DJ Mag紙主催、TECH AWARDSにおいてInnovative New DJ Product賞など。朝日中小企業経営情報センター発行の情報誌「ACC INFORMATION」No38に執筆論文「愛されるモノづくり」を掲載中。Facebookはこちら

イラスト:高田真弓
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