「みなさん! 広島のみなさん! 優勝、おめでとうございまああああす!!!」
2015年12月5日、J1優勝を決めたサンフレッチェ広島の森保一監督が第一声で発した言葉です。
もう一度書きますが、「優勝を決めた監督の第一声」です。チームの一番の目標が達成され、満員のエディオンスタジアム広島は歓喜のるつぼ。興奮のさなか、少しだけ目を赤くした森保監督の口から出てきたのは、ファン・サポーターをねぎらう言葉でした。
一事が万事。森保さんのコメントに、派手な言葉はほぼありません。対戦相手を挑発することはもちろん、自チームをひけらかしたりもしません。メディア受けする、スポーツ新聞の見出しになるようなリップサービスをする監督とは対極にあると言っていいでしょう。何も知らない人からすれば、「あれ、この人普通だな」と思われるかもしれません。
が。単なる優等生が、2012年から数えて4年で3度のJリーグ制覇という偉業が達成できるわけもありません。サンフレッチェ広島の人件費は、J1でも真ん中あたり。2012年には99%減資をし累積赤字を解消したものの、潤沢な資金どころかJ1でもかなり苦しい経営環境にあるチームです。そうしたチームを4年で3回も優勝させるのは、単なる“普通”の監督では到底ムリだとわかるでしょう。
見るべきは、「尋常じゃない成績を残しているのに、なぜこの人は“普通”で居られるのか」というところ。そこにこそ、森保さんの非凡さを読み解くカギが隠されています。
先をみれば、誰もが道のりの遠さに気づきます。現状の至らない自分に、「なんてダメなやつなんだ」と思ってしまうかも。過去の栄光を引きずってニヤニヤし、今日の課題を先送りしてしまう人だっているかもしれません。
森保さんに、そうした気持ちのブレが一切ないことは、お読みいただければわかるかと思います。ゼロックス・スーパーカップを目前に控えた、森保さんの真髄に少しでも触れられる記事になっていれば幸いです(インタビュー日:2016年2月5日 聞き手:澤山大輔)。
「優勝おめでとうございます」の衝撃
—本日はご多忙の中、ありがとうございます。早速ですが、個人的に「絶対にこれを聞きたい」という質問から始めさせてください。昨年のチャンピオンシップ優勝時のインタビュー、第一声をああしたものにしたのは、予め準備していたのですか?
森保:1回目に優勝した時も言っていますし、2回目はアウェー(鹿島)だったのでそういう場はなかったものの(鹿島に来ている)「サポーターのみなさん、おめでとうございます」と言いながら走りましたし(笑)。そこは自然と出てきたものですね。
—言い方が適切かはおいて、正直「この人は普通じゃないな」と思いました(笑)。至上目標が達成された直後、「やってやったぜ」とかの感情より先に「おめでとうございます」が来るのが。
森保:とはいえ野球の若松(勉)監督もやられていますし。ただそれを真似しているつもりはないですし、心の底から自分達を応援してくださっている方々や地域の方々に応援していただいてこその優勝だと思います。われわれは地域に支えてもらっている分、お返しをするのは当然だと思います。ただ、私が言葉足らずなのは、感謝を伝えたいのは広島の方だけではないですからね。「応援してくれている全国のみなさん」と言うべきだったかもしれません。
—実際、アウェーでもすごい動員ですよね。僕がゴール裏に出入りしていた2001年には20人ぐらいだったこともあったのに、今や3000人の動員をする試合もあります。
森保:言葉の上では、もちろん全国のサポーターのみなさんという意図を込めてはいるんですけどね(笑)。自分の現役時代から考えると、隔世の感があるなと。ちょっとずつサポーターのみなさんが、色んな方を呼んできて輪を広めてくださった。加えて、チームとして地域貢献活動をし、いろいろなイベント、メディア活動を通して地道な努力が上積みされた結果かなと思います。
今日(2月5日)は、広島県府中市の市長さんが激励に訪れてくれました。今までになかったことだと思いますし、会社として社長を始めいろいろなところに挨拶回りし、選手も小学校訪問など地域貢献活動をし、サンフレッチェに目を向けて応援してくださることがだんだん大きな輪になっているのかなと思います。
—それだけの感謝の念を、あれだけの緊張感あふれる試合の直後に出せるのがすごいなと思います。
森保:結構いろいろなことは考えていますけど、試合後にはぶっ飛ぶんですよ。まあ、嘘ではないということで(笑)。
初監督にして「色付き」のチームを継承した
—引退後の進路を考えたのはいつごろですか?
森保:30歳を越えた頃ですが、意識し始めたのはもっと早くからかもしれません。マツダの社員としてサッカーをし、1990年にマツダサッカー部とプロ契約し日本リーグでプレーしました。当時プロ契約する前、今西和男さん、現総務部長の田村さんに言われたのは「辞めた後には何をやるんだ? その考えがないと、プロ契約はできないぞ」と言われて。サッカーの指導者でご飯を食べられる時代ではなかったので、「大型免許を取って何かできるようにしたいと思います」という話をしたのを覚えています。
習慣として、練習メモを取るようにしてきました。詳細なものではなく、感想を書く日も書かない日もありましたが、「(この習慣は)指導者になるとき、役に立つな」と思ったのが1995年、26歳ぐらいの時です。当時のヴィム・ヤンセン監督に「コーチになるんだったら、色々なものが見えている必要があるぞ。例えば、選手と一緒にサッカーはするな。(選手の)動きが見えなくなるだろう」という話をされた覚えがあります。それから30歳ぐらいになって、徐々にレギュラーから外されるようになり、それまでの立ち位置も肉体的にも変わってきたりして。それから、(監督業を)より強く意識するようになりましたかね。
—現役引退後はS級ライセンス取得後、U19代表、U17代表コーチ、広島トップチームコーチ、そして新潟ヘッドコーチを経て2012年から広島のトップチームの監督に就任されました。その後のご活躍は周知のとおりです。初監督がいきなりJ1の監督というだけでも非常にハードルが高いはずですが、森保さんにはさらにミハイロ・ペトロヴィッチ前監督がすでにベースを作って“色が付いた”チームを継ぐ、という難しさがあったと思います。
森保:基本的にはどこのチームで監督をやるにせよ、ペトロヴィッチさんがやっていたようなサッカーをトライしたいと思っていました。ただ広島に来てみて、言葉としてはもちろん「継承する」ということは話しましたけど、心の中では「継承はするものの、自分なりの切り口でやっていこう」と。前監督は攻撃が特徴でしたが、自分は守備を切り口にしてプラス攻撃を作っていこうと。こうした自分の考えを持っていないと、人まねだけでチームを成功に導くのは難しいと思います。状況が少し悪くなった、自分の考えがないと立ち返る場所がないですから。その点は、常に忘れないようにしようと思ってきました。
あとは、上辺だけの話をしないこと。上辺だけの戦術論、言葉がけをしても選手にはすぐ見抜かれてしまいます。社会人の方でも一緒だと思いますが、上辺で喋っているかどうか、聞き手はすぐ伝わってしまうと思うんですよ。そうならないよう自分をさらけ出して正直にしゃべろう、自分のコンセプトを伝えていこうと思ってきました。
—ミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ前監督)を継承した、ベースがあるチームだった、と一言でいえば簡単に聞こえますが、実際やるほうはそう簡単ではないと。
森保:(ミシャさんの)二番煎じでは難しいと思いますし、うまく行かなかったときに立て直すのが難しい。私は運がいいことに、選手・スタッフがどんなときもこちらの意図を汲んで実行してくれました。苦しい時期はたくさんありましたが、大崩れすることなく2012年は優勝できました。そういう状況だったので、ツイてるなと思っています(笑)。
「自分をさらけ出す」マネジメント
—間違いなく運もあったんでしょうが、それだけで4シーズンで3回の優勝は説明できないと思います(笑)。ただ、その言葉は伝わっている印象がありますね。先ほどの練習時に佐藤寿人選手に話を伺いましたが、森保さんについて「あえて一言でいうならブレない人」、林卓人選手は「話に納得感がある」と言っていました。これは「自分をさらけ出す人」という部分で、お二人とも同じことを違う表現で言っていると思います。
森保:ありがたいですね、そう思ってくれる選手と一緒にやれるのは。そういうキャラクターの選手を取ってくれているスカウト、チームの力がまずあると思います。僕は僕なりにできる精一杯をしているつもりですが、ブレないというよりは引き出しがないんです(笑)。ボキャブラリーが少ないので、同じことを言い続けている。
もっと違う言葉の使い方、表現は勉強しなくてはいけないなと思います。ただそれも、辞書を見たり名言を引用したりして使ったところで、選手には響かないと思います。耳にタコができるぐらい、同じことを言い続けているところはありますね。選手が耐えてくれているんですよ(笑)。
—前監督から引き継いだ当時、サブとスタメンの選手の間にモチベーションの差や温度差、クオリティの差があったと思います。しかし4年後の現在、それはほぼ感じなくなりました。当時、どのように考えていましたか?
森保:試合に出ている選手もそうでない選手も、個を伸ばすことを主眼に考えました。チームは1年毎に変わっていきますから、1年ですべての選手が少しでも成長してもらえるように。個にフォーカスして、1人1人が成長できるように、僕もそうですがスタッフと協力し、いろいろな働きかけをすることを考えました。
ただ、モチベーションについては考えなかったですね。サッカーを仕事にできていること自体が幸せなんだ、試合に出られない悔しさはあっても大好きなことを仕事にできるのは幸せだよ、と折にふれて伝えていました。あとは、もちろんサンフレッチェで成功してほしいですが、すべての選手は自分が商品でもあります。商品価値を高める意識を持って、残念ながら広島で芽がでなくても、違うところで花咲いてもらえるよう基礎作りをしっかりアプローチしています。
僕の考え方のコンセプトは、技術とか戦術とかありますが、「皆で頑張る」ことを何よりも重視しています。それは選手スタッフ含めて。優勝など高い目標はありますが、それに向けて日々積み重ねていく。そして、チームより優先するものはない。それはハッキリ言っています。それができない選手は、違うチームに行ってもらったほうがいい、とも伝えていますね。
—別媒体で寿人選手にインタビューした際に、同じことを言っていました。「チームの優勝は、個人記録の達成とは比較にならないほど嬉しい」と。あれだけの記録を持つ選手が言うと、非常に説得力がありました。
森保:寿人や森崎兄弟、林卓人もそうですけど、選手時代に一緒にプレーした選手たちです。監督になってからだけでなく、選手当時から僕の考え方を理解し感じ取ってくれていると思います。ブレないというところも、「昔と変わってねーな」と思っているのかもしれません(笑)。
大エースとの衝突をどう乗り越えたのか?
—2014年夏、その寿人選手が出場時間数の短さによるフラストレーションを表に出し、森保さんと衝突するという出来事がありました。当時の衝突は、どのように乗り越えたのでしょうか?
森保:乗り越えたという感覚はないですね。選手にとって途中交代させられるのは悔しいことですし、ましてチームの中心として長年活躍し、偉大な記録を作ってきた選手ならなおのこと。僕自身も故エディ・トムソン監督の頃レギュラーから外れ、納得行かない部分はありました。僕の場合、表に出すことはなかったですが、監督には直接言いに行きました。寿人のこれまでの実績、自負を考えれば当然だし、良いエネルギーかなと。
ただ先ほども言いましたが、チームより優先するものはありません。僕の判断が良いかはわかりませんが、結果を求めるために判断しているわけで、好き嫌いでやっているつもりはありません。なので、僕は衝突だとは思っていません。イーブンではなく、僕のやることに納得してチームの一員になってくれるかどうか。そこは話をしました。
選手時代から、寿人がやってきたことは見ています。僕が仙台で引退した次の年(2004年)からずっと2桁得点を続け、広島に移籍しても中心であり続け、オンだけでなくオフザピッチでもチームの顔であり続け、チームの価値を高めるため先頭に立って活動してきた選手。そこは最大限にリスペクトしています。ただ次の試合に向けて、寿人だけが試合に出たいと思っているわけではないですから。試合に出してもいいと思えるチカラを練習で見せた選手は、名前や実績に関係なく使う。そこはブレてはいけないと思います。
—そのように寿人選手に伝えられたと。
森保:はい、そういう内容を伝えました。リスペクトは欠かさないし、特別な能力を持つ特別な選手。やってきたことへの賞賛は惜しまない。だけど、次に向けてはニュートラルにイチ選手として見る。そうじゃないと、他の選手のモチベーションが上がらないと思いますし、チームとしてバランスが崩れてしまうので。
「不安」ではなく「恐れ」を抱く
—今後のご自身のキャリアビジョンは考えておられますか?
森保:広島で1年でも長く、ということですね。監督業ですから、いつ解任になるかはわかりません。1試合でも多く続けられたら、と思っています。
—1年でも、1試合でも。伺っていると、先を見すぎておられない印象が強いです。
森保:チームの目標で言えば、昨年も優勝できましたし、今年もタイトル獲得というものがあります。でも、すべては積み重ねです。目の前のこと、サッカーであれば1試合1試合最善の準備をして、ベストを尽くすことしか考えていません。それが結局は優勝をもたらしてくれる、振り返って「あっ、優勝できた」、「頑張ったご褒美に優勝させてもらっていた」、そういうふうに考えるようにしています。高い目標を持っていても、いま一生懸命やらなければ積み上げられない、高みは目指せないといつも思っています。
今を大事にしよう、ということは常に言っています。今日も選手に話しましたが、「勝点40をまず目指そう」と。
—J1残留のおおよその目安となる勝点数ですね。
森保:勝点40の達成が早ければ早いほど、上だけを見て戦えるようになる。高い目標ばかり見すぎてそれが達成できなかったとき、今やっていることすらブレブレになる、右往左往して崩れてしまう、それでは後に何も残りません。それは一番避けたいことです。ベースを大切にし、土台が強固であればあるほど積み上げが可能だと思いますし、選手たちにはそこを常に伝えています。
—伺っていると、“正しく恐れている人”という印象がありますね。不安と恐れの違いを勉強したことがあるのですが、「不安=漠然としたもの、対象がハッキリわからない=対策が取れない」。それに対し「恐れ=対象がハッキリしている=対策が打てる」と。
森保:いいですね、その言葉。
—恐縮です(汗)。つまり、不安を不安のままにせず、要件定義し「こうなったら将来マズいことになる、だから逆算して今こうしよう」ということができている方だなという印象を持ちました。
森保:まあ不安というか、澤山さんのおっしゃる定義でいえば「恐れ」はありますね。ただそれをポジティブなエネルギーに変えられているなとは思います。成功したいと思うとき、何かしら不安が出てくるというのは当たり前だとは思います。自分はそこで、うろたえてパワーを失ってしまうより、「不安がなくなるよう努力しよう」とポジティブなエネルギーに変えられるほうだとは思います。
—最後に、キャリアの構築に悩んでいるビジネスパーソンの方々に向けてメッセージをお願いします。
森保:一言でいえば、「今を大切にしてほしい」ということですね。先を見たら、自分は将来どうなっていくんだろう、会社でどうなっていくんだろうという不安はあると思います。自分は全てうまくいく、とポジティブに思っている人はいないと思います。目標があっても、何を今やれば答えになるのか、それは誰にもわからないと思います。
だから、置かれている状況・立ち位置で、ベストを尽くす。それをやっていれば、次の扉は開くと思いますし、道はつながっていくと思います。目標は大切ですが、今にベストを尽くすということをやってほしいと思います。
—仕事とはそうあるべきだなと改めて思います。「事にあたる」といいますか、目の前のことに立ち向かっていくことが結果として未来を開く。まさに仕事人だなと。
森保:やっていることが正しいことかはわかりませんが、いま一生懸命やっていれば、たとえこの先の将来が思うような結果にならなくても後悔はないと思います。「仕方ないな」と思って、次に向かって頑張れるような自分でありたいなと思っています。
—お忙しい中本当にありがとうございました。
1978年12月生まれ、編集者。フロムワン(サッカーキング運営会社)、スポーツナビ、livedoorなどを経て独立。現在、スポーツマーケティングナレッジ編集長。空手有段者、中学はバスケ。15歳の時、三浦知良のセリエA挑戦をきっかけにサッカーに鞍替え、未経験者にもかかわらず書籍十数冊に関わったり、編集・プロデュースした記事がヤフートップを何回か飾ったりした。「必死より必殺」をテーマにコンテンツ展開を行なう。Twitter:@diceK_sawayama