『帝国ホテル流 おもてなしの心 客室係50年』(朝日文庫)の著者で、これまでに担当したお客様は延べ7万人という、帝国ホテル宿泊部客室課マネージャー・小池幸子さんは、帝国ホテルで初めて子どもを育てながら、アテンダント支配人となり、賓客やVIPの接遇に責任者としてあたったスーパーキャリアウーマン。2002年に定年を迎えたあとも、引き続き特別社員として、接遇にあたっています。
“接遇は愛情”が座右の銘という小池幸子さんに、家族や仕事仲間、お客様への思いと、苦難の乗り越え方について聞いてきました。
■40代でアテンダント支配人をなさっていた頃は、何時起きだったのですか?
当時は、朝6時に会社へ着くため、4時には家を出て、電車もない時間帯なので、主人に車で送ってもらっていました。ですので、家にいる時間は非常に少なかったです。朝出てくる時も、夜帰る時も、子どもたちはいつも寝ていました。同居する母が面倒を見てくれて、また、主人も大変協力的でした。
■ご主人様が折り紙で作られたカエルを、お客様にプレゼントしていたんですよね
置き手紙以外にもお客様に喜んでもらうものを何かお贈りしたいと、ある日、家で折り紙を折っていたんです。ところが、わたくし、不器用なんですね。きれいに折れずに困っていたら、主人が「僕、カエルを折れるよ。カエルには『また帰る』という良い意味があるから、作ってあげよう」と折ってくれたんです。黒色の台紙にコンパスで弧を描いて、台まで作り、丁寧に目まで入れてくれました。
試しにホテルのカウンターに飾ってみたところ、かわいいと大変好評で、今では国内のみならず、海外にも渡っています。もうちょっとほしいというお客様がいらっしゃって、何かと思ったら、「あそこにも飾りたい。ここにも飾りたい」と、ご自宅に飾ったカエルの写真を見せて下さったことも。うれしかったですね。
本当に優しく、家を守り、私を支えてくれた主人でした。
■ご子息を事故で、ご主人をご病気で亡くされたことも著書で触れられていますが、「ハレ」の席で、笑顔を保たなければならないお立場上、つらい時期も長かったのでは…?
息子を事故で亡くした時は、会社を辞めようと思いました。立ち直ろうと思っても、なかなか無理でした。息子のことを思うと涙がどんどん出てきてしまう。息子を失った時は、主人もショックが大きくて、急性胃潰瘍でお葬式が終わった日に倒れて、そのまま1ヵ月入院してしまったんです。
辞めようと思って会社に来たら、当時の社長が「辞めなくていい。好きなだけ休め」と、幼い頃に両親を亡くした苦労話をしてくれたんですね。それから1ヵ月ほどお休みをいただいたのち、復職したのですが、しばらくは何がなんだか分からないまま、1日1日が終わっていくようでした。こう言うと申し訳ないのですが、会社に来て、夢中で仕事をしていると、その間は息子のことを忘れられるんです。それが私にとって、どれだけ救いの道だったか。本当に会社がなかったら、立ち直ることはできませんでした。
それから主人の時は、お客様にも救われました。主人が入退院を繰り返している時に、本当はいけないのですが、私がとても暗い顔をしていたらしいんですね。そんなことを打ち明けるべきではないのですが、その方はお医者様で「話してごらんなさい」とおっしゃっいました。それで正直にお伝えしたところ、大雪の日にわざわざ箱根の神社まで行って、お守りを持ってきてくださったんです。
そのお守りは今、主人と息子の骨壺の間に置いてあります。棺に入れようとも思ったんですけど、このお守りは私にとっても大切なお守りですから、私も守っていただこうと入れずにおきました。
お客様に寂しい顔を見せてしまっていたにも関わらず、「小池さんを見るとほっとするからね」とおっしゃってくださった時は、その温かい気持ちが伝わってきて、うれしかったですね。
■小池さんはポジティブに捉える力に満ち溢れているように思えますが、嫌だなと思うことはないのでしょうか?
それは人間ですからあります。プライベートでは、腹が立って、煮えくりかえることもありますけど、そういう時は自分で自分を言い聞かせるようにしています。
「心を鬼にしないように。まろやかに、まろやかに」
「短気は損気」と母にずっと言われて育てられたんです。その母の言葉が一生離れないです。ですから、極力そういう気持ちはなくしていこうと努めています。
Copyright(C) Imperial Hotel Ltd. all rights reserved.
■最後に、客室係の流儀として一番大切にしているものを教えて下さい。
「愛情」の言葉に尽きるのですけど。あとは「感謝」ですね。お客様に会える場を与えてくれている会社に感謝しております。もう、それが何よりありがたい。
笑顔は笑顔を呼ぶとも言いますよね。リピーターのお客様でも、「何か悩んでいる。何かあるな」という時は、すぐに分かります。お客様にもいろんなことがあって、つらい時もあるでしょうけど、そのつらいことも笑顔に変えていただければと思って接遇しております。
「お客様から『ああ、ほっとする』とおっしゃってもらえる時が一番幸せ」「『頼むよ』と、会長から肩に手を置かれると、『ああ、今日もがんばらなきゃ』と思います」という小池さんの周りは、いつもやる気と笑顔に満ち溢れています。
客室係50年の“おもてなしの心”――ぜひ見習いたいものですね。
※2014年4月1日「リクナビNEXT+1cafe」記事より掲載。会社名、部署名、年齢等は取材当時のもの。
≫前の記事を読む 【連載・帝国ホテルのお母さん 1】おもてなしの基本は掃除にあり
≫前の記事を読む 【連載・帝国ホテルのお母さん 2】おもてなしの伝統を引き継ぐということ
取材・文:山葵夕子 撮影:ヒダキトモコ