キンコン西野が説く! 現代社会を生き抜くキャリアのつくり方

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27万部を超えるベストセラーになった絵本『えんとつ町のプペル』の制作、ニューヨークや日本各地での個展の開催など、従来の「お笑い芸人」の枠に囚われない多彩な活動を続けているキングコングの西野亮廣さん。芸人としてのこれまでのキャリアを振り返りながら、そのユニークな仕事観やこれからの時代に求められる働き方についてお話をうかがいました。

「若さ」しかなかったから、「テンポと手数」で勝負した

——西野さんがそもそもお笑いの世界に入ったきっかけは何だったんでしょうか?

西野亮廣さん(以下、西野):小2のときに、教室の前の方でおちゃらけたことをやってたら、好きな女の子から声をかけられたんですよ。それで、「面白いことしていたら向こうから話しかけてくれるんや」って。それからずっとそのままです。テレビで芸人さんを見ていたらラクそうだったし、「えっ、これが仕事なん?」みたいな。脱線することなく、そのまま吉本に入っちゃった。

「プロの芸人が、仕事としてお笑いをやっている」っていうことを、あんまり意識してなかったんですよ。文化祭とかで「やたらとはしゃぐようなやつ」っているじゃないですか。僕はそっち側で、本当にチャラチャラしていたので、あんまり冷静に物事を見られる人間ではなかったんです。いろいろ考えるようになったのはこの世界に入ってからですね。

——それはお笑いの養成所に入ってから、ということですか?

西野:入って最初の半年くらいはフラフラしていたんですけど、(相方の)梶原(雄太さん)とコンビ組んでからは、「1年ぐらいで売れてやろう」って思ってました。親にも言ってたんですよ。「1年以内に結果が出なかったら辞める」って。

——大勢いる同期の芸人の中で目立つために、いろいろなことを考えるようになったんですね。

西野:まずは、(漫才の)コンクールで賞を取らなきゃいけないな、と思って。僕たちが養成所に入った頃、漫才ってもっとゆったりやるものだったんですよ。でも、「いやいや、これはコンクール向きではないよな」と。だから、梶原と「とにかくテンポ上げようぜ」「ボケの手数増やそうぜ」って話し合って。当時まだ19歳ですから、そんなにセンスも才能もないし、深いことも言えないし、手数やテンポでしか勝てなかったっていうのもあります。だからとにかく「若さ」で勝負しようぜ、って。

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8,568通り、あなたはどのタイプ?

絶頂期に感じた「絶望」から、パラレルキャリアへシフト

——結果的には、在学中に賞を取って、世に出ることに成功したわけですね。

西野:まあ、世間的にはうまくいってたほうだと思うんです。20歳で『はねるのトびら』がスタートして。でも、僕は「あいつ、おもろないな」「仕切り下手やな」って言われて。劇場でもMCみたいなのをやったことないし、経験値ないし、引き出しもない。あんまりうまくいってなかったですよ。事実、梶原は限界を感じて、その時期に一度失踪しましたから。そこで仕事が完全になくなって、3カ月ぐらいで梶原が戻ってきてから、「よし、もう一回やるか」ってなったんですよね。

そこから結構がんばって、25歳ぐらいのときに、たぶん外側から見ると最盛期を迎えていたんです。冠番組をいっぱいいただいて、『はねるのトびら』は毎週視聴率20%超えていて。「こうなりたいな」っていう姿になれたんですけど、芸能界の順番は全然変わってなかったんですよね。タモリさん、(ビート)たけしさん、(明石家)さんまさん、ダウンタウンさんはずっと上にいらっしゃるし、ナイナイさん、ロンブーさんもいて。一応、最大瞬間風速を出したけど、「ここでホームラン打てなかったら、もう打てないじゃん」って。ああ、このままじゃまずいなって思ったんです。そこからひな壇に出るのをやめて、グルメ番組、クイズ番組、情報番組には出ないようにして、「自分の得意じゃないことはやめて、絵本を作ろう」と。それがいちばんハンドルを切った瞬間かもしれないですね。

——そのときはどういうお気持ちでしたか?

西野:最初は絶望でしたよね。「ここまで行っても時代なんて変わらないんだ」って。絵本を描き始めたときには、どうだったんだろう、不安だったのかな……まあ、すがるような思いではありましたね。「ここでもうひとつ上にいかないと、その先はない」と思っていたので。「当てるしかない」みたいな感じでした。

『27時間テレビ』とかでっかい特番に出たら、やっぱり自分はひな壇の後ろのほうになるんですよ。真ん中にはタモリさんとか錚々たる方々がいらっしゃって。「あっ、このシステムに取り込まれたらダメだ」って思ったんですよね。要するに、テレビときちんと交渉できる立場じゃないとダメだなと。「その条件じゃ出ません」って言える立場に行かないと、逆転なんかないですから。

——いわば、使ってもらう側にいることに限界を感じたわけですね。

西野:まあ、そこで使ってもらえるというか、期待される役割を演じられるほどの才能もたぶんないですし。「10年経ったらこうなるだろうな」っていう予想もつく。その確認作業をするためだけに続けたくはないな、と。やっぱり、「テレビに出るっていう選択肢しかない」一択だと苦しいなって。だからテレビ以外の仕事を充実させて、極端な話、テレビ以外の活動でもきっちりご飯が食べられるようにしておこうと思ったんです。

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「勝てる方法で勝負する」ことが炎上を招く?

——絵本を描くにあたっては、かなり綿密に作戦を立てて始めたそうですね。

西野:はい、絵本もやるからには「タレントが出す絵本」になっちゃったらダメじゃないですか。やるからには全「絵本作家」に勝つ、っていうのを決めて。どうやったら勝てるかなって考えて、勝てるところで勝とうと。プロの絵本作家さんと比べて、画力は負けてるし、出版のノウハウもコネもツテもないので、基本的に負けてるところだらけ。でもひとつだけ、時間なら勝ってるな、って。つまり、僕は絵本を生業としていないので、ひとつの作品を作るために時間を無限にかけられる。これが兼業のアドバンテージだと思ったんですね。

で、文房具屋さんに行って、一番細いペンを買って、物語も長くして。どうがんばっても時間がかかるような作り方を選んだんです。その辺はなんか、したたかですよね。自分がそもそも表現したいものがそれだったわけではなくて、「こうやったら理論的にプロに負けないな」っていう。今は結果的に絵本を作るのも好きになってますけど、入口はそんな感じでした。

——西野さんはたびたびウェブ上で炎上騒ぎを起こしていますが、振り返ると実はその歴史も長いですよね。ブログの頃からじゃないですか?

西野:そうです、長いです。「信頼と実績の炎上」ですから(笑)。昨日今日に始まったことではないです。考えてみたら、1年目のときから炎上してましたよ。当時はSNSがなかったので、可視化されてなかっただけで。「キングコングです、イェイイェイ」ってやった瞬間から「こいつら、何やってんの?」「なんで漫才を張り切ってやってんの?」みたいな。もっとリアルな嫌がらせみたいなのもありましたよ。僕にとっては炎上しない日がなくて、暖炉みたいに常に燃えているんです。だから何とも思わないのかもしれないですね。

——もはや何を言われてもビクともしない感じがありますね。

西野:まあ、何もないですからね。実際に直接殴られたりしたらもちろん嫌ですけど、別にSNSで炎上しようが、何もないっていう。

——西野さんが最近バラエティに出ているときのあの感じ、いいですよね。先輩芸人にイジられまくって。

西野:いやあ、ありがたいですよね。東野(幸治)さんとかには本当に、死ぬんちゃうかっていうぐらい、イジられますからね(笑)。あれだけ罵詈雑言浴びせられて。でも、それは加地さん(加地倫三プロデューサー、テレビ朝日『アメトーーク!』などを制作)や佐久間さん(佐久間宣行プロデューサー、テレビ東京『ゴッドタン』などを制作)のおかげですね。「西野の取扱説明書」をそこで書いてくださったので。

——バラエティの中でひどい扱いを受けることは嫌ではないですか。

西野:お客さんが目の前で笑ってたら別にいいか、って。でもまあ、がんばって仕事した感はないですね(笑)。僕は「やめろ!」って言ってるだけですから。

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物語を終わらせないために、大きな目標を掲げる

——最近では絵本の内容をウェブ上で無料公開したことで、賛否両論の議論が起こりました。

西野:世の中では「いじめは良くない」けど、「西野に関してはOK」みたいなのはありがたいですよね。僕の場合は「ちょっと聞いてよ」ってライブでもしゃべれるし、テレビでも言い訳の場がある。

——見向きもされないよりは、マイナスでもいいからどんどん話題にしてほしい、という感じなんでしょうか。

西野:僕たちの活動って、ライブにお客さんが来てくださるとか、本を買ってもらうとか、「自分のことを好きか、興味のある人」の数しか、売り上げとして計上されないんですよ。だから、嫌いって言う人が10人いようが1000万人いようが、これは数字上ゼロなんですよね。それなら例えば、自分が情報発信して、1:9で嫌われるほうが多いとしたら、この比率を変えるより分母を広げればいい。100人に情報を発信したら10人しか応援してくれる人がいない。でも、1000万人に発信したら100万人が自分のことを支持してくれる。比率が悪ければ悪いほど声をでかくしていったほうがいいんですよ。

——その戦略も功を奏して、最新作『えんとつ町のプペル』は今までの作品の中で一番売れていますよね。

西野:本当にありがたい話です。でも、ここからです。僕、100万部売るって言ってるんで。

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最新作の『えんとつ町のプぺル 』(幻冬舎)は、2016年10月の発売以来27万部を超えるベストセラーとなっている。

——「100万部」っていう数字にはこだわりがあるんでしょうか。

西野:アホっぽくて良くないですか?(笑)「目標100万」って。笑っちゃうんですよね、なんか。『ドラゴンボール』でフリーザが「わたしの戦闘力は53万です」って言ったときに、なんか僕、笑っちゃったんですよ、すごすぎて。あれは数字ボケの最高峰です。「ディズニーを倒す」っていうのも同じで、要は僕らの仕事って、物語を終わらせたらダメなんですよ。お客さんは「こいつらが何かやってくれる」と期待してくれている。だから、途方もない目標ほどいいんです。遠のいたり、失敗したりしても、その過程を見てくれてるから。

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「肩書きにこだわる」より「やりたいこと」をやろう

——最近、世間では仕事でストレスを抱えながら長時間の残業を余儀なくされるような人も多いようです。西野さんはこの問題についてどう思われますか。

西野:そもそも無理やり長時間労働させるっていうのは、効率が悪いと思っちゃうんですよ。経営者としてあんまりセンスがないですよね。そんなことよりも、社員さんが夢中で仕事をやりたくなるようにデザインしたほうがいいだろうな、って。僕たちの仕事って、休みの日とかでも関係なくやるじゃないですか。それがお金になるかどうかはさておき、好きだからやるでしょう。そのほうが健全ですよね。あと、会社が嫌だったら、辞めたほうがいいですよ。

——日本では一度入った会社を辞めてはいけないという風潮がまだありますよね。

西野:ありますよね。僕もシャレで「芸人やめる」って言ったことがあるんですよ。芸人やめて絵本作家になったと思ったら、その日に絵本作家もすぐやめて。僕はもう肩書きって古いと思っているんですよ。今はすべての職業に寿命があることがわかってしまったし、これからすごいスピードでいろいろな職業がなくなっていく。肩書きという文化そのものが未来に対応していないから、とにかく捨てたほうがいいですよね。

そんなことより、「何となく面白いことしたいんだよね」とか、「お金稼ぎたい」「女の子にモテたい」みたいな、ざっくりした方向性だけ決めておけばいいと思うんです。そういう尺度で、やることを選んでいけばいい。「肩書きで自分を縛る」っていうのは、あんまりいい未来が待ってない気がしちゃいますね。

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西野亮廣
1980年兵庫県生まれ。1999年梶原雄太と漫才コンビ「キングコング」を結成。お笑い芸人にとどまらず、2009年には絵本『Dr.インクの星空キネマ』(幻冬舎)を発表。ソロトークライブや舞台の脚本や演出を手がけ、海外でも個展やライブ活動を行うなど、マルチな才能を発揮している。著書『魔法のコンパス 道なき道の歩き方 』(主婦と生活社)、絵本最新作『えんとつ町のプぺル』(幻冬舎)など。

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えんとつ町のプぺル 』(幻冬舎)

キングコング西野オフィシャルダイアリー
お金の奴隷解放宣言。
※『えんとつ町のプペル』無料公開に関するブログ

WRITING:ラリー遠田+プレスラボ PHOTO:伊藤圭

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