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リクナビNEXTジャーナル

キャリア・ビジネスの情報満載【リクナビNEXTジャーナル】

メジャーリーガーのパイオニア・野茂英雄氏「必要なのはここ一番で決められるコントロール」

プロのシゴト観

 大きく振りかぶってから背中を打者に向ける、独特のトルネード投法で日米の野球ファンを魅了した野茂英雄氏。1995年、球界とマスコミによるバッシングが続くなか、当時在籍していた近鉄バファローズの年俸1億4000万円を蹴り、980万円のマイナー契約でロサンジェルス・ドジャーズへ移籍。その後、アメリカ全土で野茂フィーバーを巻きおこし、日本人選手がメジャーリーグで活躍できる道筋をつくった。

 近鉄時代から、寡黙な印象のある野茂氏が、株式会社ワークスアプリケーションズ主催の『COMPANY Forum 2014』に登壇。「世界で戦うメンタリティ」をメインテーマとして、フリーアナウンサーの渡辺真理さんを相手に、野球人生を振り返った。

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■中学時代は全然イケてる選手ではなかった

渡辺:まずは、野球を始めたきっかけから教えてください。
野茂:小学2年生の時、親父がグローブを買ってきてくれたのが始まりです。僕は大阪市港区出身で、団地に住んでいたんですけど、団地ごとにチームが分かれているほど、皆が野球をやっていました。
渡辺:今、活躍している大谷翔平投手についてコメントを求められた際、「速い球を投げるのは才能」とおっしゃっていましたが、当時からボールはしっくりきていたんですか。

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野茂:ボールを遠くへ投げるのは得意でしたが、活躍する選手ではなかったです。中学時代まで全然イケてなくて、社会人野球に入ってから、運よく芽が出たという感じでした。野球はずっと好きでしたけどね。
渡辺:高校時代の監督が、野茂さんの投法を初めて見た時、「こういう投げ方をする投手がいるんだ」と驚いたと証言していますが、独特の投げ方はどのように編み出したのでしょう。
野茂:小さい頃から速い球に憧れていて、どうやったら投げられるかと模索するうちに、「体全身を使いながら、自分が気持ちよく投げられればいい」と思うようになり、気づいたらあの投げ方になっていました。

■“エースなら堂々と”――先輩の言葉が生んだトルネード投法

渡辺:近鉄に入団する際、仰木監督に対して、「フォームはいじらないでください」とおっしゃっています。
野茂:「守りたかった」というのは語弊がありますが、プロに入る前から、このフォームでずっとやっていきたいと思ってはいたんです。というのも、高校から社会人チームの新日鐵(新日本製鐵堺)へ行く際に、とてもお世話になった先輩がいて、「男ならひとつくらい、曲げないものを持っていた方がいいんじゃないか」と、その先輩に高校のグランドで言われたんです。当時の僕は、実績も何もなかったんですけど、「だったら、僕はフォームを絶対に変えんとこ」とその時に決めました。

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渡辺:つまり、トルネード投法を編み出したのは高校より前ということですか?
野茂:どうなんでしょう。高校時代までにフォームの原型はできていましたが、大きく振りかぶりだしたのは、社会人になってからです。なぜ、振りかぶろうとしたかというと、社会人チーム時代の僕は、今よりもっと胸が張っていないタイプだったんです。今、NOMOベースボールクラブで監督をやってくれている清水信英さんは、僕より10歳ほど年上で、新日本製鉄堺時代の大先輩なのですが、その清水さんから「エースはマウンド上で堂々としていなければいけない。みんなに見られているし、頼られている。ピッチャーをやりたいなら、エースを目指さなきゃいけないし、エースを目指すなら、背中が曲がったままではいけない」と言われたことがありました。清水先輩はチームでも上の方だったので、その方が言っているのであれば、きっとそうなのだろうと思いました。ならば、僕もおもいきって胸を張ってやろう、大きく振りかぶってやろうと、そこからですね。当時の僕には、本当に何もなかったので、信頼できる先輩の言葉を素直に聞きました。
渡辺:メンタルの強さというのでしょうか。迷いだったり、折れそうだったり、そういうことはなかったのですか。
野茂:メンタルが当時強かったかというと、それは分かりません。もしかしたら弱かったのかもしれません。なぜかというと、先輩の後押しがあっての自分の行動だったので、逆に言えば、その人を頼らないと、自分が出せなかったかもしれないからです。いずれにせよ、黙々とは、間違いなくやっていたと思います。

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■何があっても後悔しない――決意を胸にメジャー挑戦

渡辺:近鉄も愛していらっしゃいましたよね。
野茂:そうですね。
渡辺:それは今でも進行形で愛していらっしゃいますよね。
野茂:そうですね。いまだに当時の近鉄の選手たちと食事へ行くことも多いですし、NOMOベースボールクラブにも来てもらっています。いい先輩ですし、いいチームメイトです。
渡辺:日本人がメジャーで活躍することが、今ではごく普通になっていますが、これを当たり前にして、ブレークスルーすることは、野茂さん以外にできなかったと思うのですが、ご本人でないと分からない壁があったのではないでしょうか。

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野茂:それもよく聞かれるのですが、誰であっても一緒だったと思うんですね。「自分がやりたいと思って決断したことを後悔せずにやりたい」と思って僕は実行しただけで、たとえば、これが僕ではなくて、僕と同じ時期に行った人や僕のあとに行った人だったとしても、やることは同じだったと今でも思います。

渡辺:成し遂げてきた方ならではの答えですよね。あれが大変だった、嫌だったと、チマチマしたことに捉われない。もっと先を見つめているんですね。
野茂:ルール上、行けるということが分かってからは、自分の行動に後悔はしたくなかったので、メジャーで結果を出すことだけを考えて行動しました。自分が生まれた国ではない場所で挑戦するのだから、結果が出るまでは悪くも言われるだろうし、いろいろなことがあるだろうけど、それを当たり前と思おうと決めていた。自信を持ち続けるためにも、行動を起こしたら、その後は何があっても悔いを残さないと最初に決めてしまうことがすごく大事じゃないかと思います。そう思わずにアメリカへ行っていたら、もしかしたら中途半端で終わっていたかもしれないですし、少しのトラブルで自分がつぶれてしまって、強い気持ちも持てなかったかもしれません。
渡辺:メジャーで結果を出せるとは思っていました?
野茂:そうですね。メジャーのマウンドに上がれれば結果は出せると思っていました。大体、試合前はこういうピッチングをしたいという、イメージトレーニングをするんですが、それをデビュー前に十分積んでいました。イメージというのは、自分本位につくっていけるので、その中ではガンガン抑えていて、だから僕はメジャーのマウンドにあがっても、抑えられると思っていた。まぁ、錯覚なんですけどね(笑)。

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渡辺:そして迎えた1995年5月2日。キャンドルスティックバーグで行われたデイゲーム。どうでしたか?
野茂:いやあ、とにかくうれしかったとしか言いようがありません。僕はやっぱり、試合のマウンドに上がってからの感じが好きなので。なぜそんなにうれしかったかというと、メジャーへ行くことが、初めて僕が自分自身で決断し、自分で行動したことだったので。高校野球から社会人野球に入ったのも、先輩の薦めでしたし、プロに入る時も、ドラフトで入ったので、それまでは自分が決めて行動したことがなかったんです。
渡辺:2アウト満塁までなって、結局三振に抑えた時は、本当にドキドキしました。まったく動じないというか、胆がすわっているというか…どうしたらピンチを乗り越えられるんでしょうか?
野茂:実際、早い球だけを投げているようでは、全然通用しないんです。必要なのはここ一番で決められるというコントロール。最近、速い球ばかりを練習したがる傾向がありますけど、それだけでは抑えられないし、いい思いもできない。
渡辺:特に印象に残っている試合は?
野茂:最初の試合で、いきなりホームランを打たれて満塁になってから、最後三振を取ってマウンドを下りた瞬間ですね。いろんなことがあって、メジャーへ行きましたけど、グランドにいる間はすごく楽しかった。それも、本当にドジャーズでよかったと思いました。ドジャーズじゃなかったら、結果が出ていなかったと思うくらい、ピーター・オマリーさん(当時のドジャースの球団社長兼オーナー)をはじめ、監督も、チームのスタッフも、僕がやりやすい環境をつくってくれていたので、本当に自由に、伸び伸びとできました。
渡辺:野茂さんは奪三振で勝つことにも、とてもこだわられてましたね。
野茂:三振を取ると、お客さんもわきますし、自分も盛り上がっていくので、三振で勝つことには魅力を感じていました。
渡辺:野茂フィーバーの時は、手のひらを返したようなマスコミの賞賛とも言われていましたが、野茂さんが投げて、体の大きな打者を抑えるということが、歴史を通して胸のすく思いをするというのが、当時の日本人にはあったと思うんですよね。(ドジャーズの遠征先で、日米のファン同士が対立し、識者やマスコミが野茂フィーバーについてコメントをするようになっても)常に淡々としていたのは、大変な思いもあったけど、楽しんでいらしたということですか?

野茂:そうですね。楽しんでやっていましたし、結果を出せば受け入れてくれると思っていました。
渡辺:その後、肩や肘の故障でマイナーへ行って、再びメジャーに戻ってカムバックされましたね。どうしてそれが可能だったのでしょう。
野茂やっぱり試合のマウンドに立つのが好きなんでしょうね。メジャーの球場にしかない雰囲気といいますか。投げ始める前に見る景色やあの緊張感も好きですし。だから、本当に続けたかった。最後のほうは、自分のクオリティ自体がすごく落ちていたので、「これでお客さんが喜んでくれるのか」と思うくらいのボールしか投げられていなかったのですけど、それでも自分の思いが強く、最後まで引きずってしまったというところですかね。

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■NOMOベースクラブを立ち上げた理由

渡辺:最後にNOMOベースクラブについて伺います。野茂ベースクラブは2003年に設立なさっていますが、どんな思いで立ち上げたのでしょう。
野茂当時は社会人野球がどんどん減っていて、僕がいた時は200くらいあったチームが80くらいになっていた時期でした。もし、僕が今の時代に生まれていたら、野球をやめざるを得なかったということを考えて、僕のような選手にチャンスを与えたいと始めました。
渡辺:野球のため、後身のため…?
野茂そうですね。僕もそうだったように、社会人として過ごしながら、野球の練習もたくさんしてプロへ行ける場なので、それがなくなるのはすごく寂しく、また野球の危機じゃないかと思ったんです。実際そこまで、偉そうに言えるほど、選手たちに教育はできてないのですが…。高校中退の子や大学野球で最後までやれなかった子らを最初は喜んで受け入れたんですけど、中途半端にやめていく奴が多いんです。今現在も「1、2年でやめる奴になぜ教えるのか」という葛藤はあります。
渡辺:みなさん、人材育成の難しさは実感なさっていると思うので、共感なさっていると思います。最後に何か一言いただけますか。
野茂:ビジネスに役立つことが少しでも話せていたら嬉しいですし、NOMOベースボールクラブ、スポンサーも募集しています。またお会いできればと思います。

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取材・文・撮影:山葵夕子