時代の先をよむ「センス」の磨き方!人気店仕掛人【トランジットジェネラルオフィス中村社長】――「うまくいく人の20代」

「うまくいく人たちは20代にどんなことを考えていたのか?」ビジネスで成功する人たちの若い頃について、インタビューを試みた第6回。どうやって天職に出会ったか。仕事とどんなふうに向き合ったのか。どんなことを頑張ったから、今があると思うのか。成長する人とそうでない人との違いとは……。今回ご登場いただくのは、「ICE MONSTER」や「bills」など人気店を運営する、トランジットジェネラルオフィスの中村貞裕社長だ。

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中村貞裕 株式会社トランジットジェネラルオフィス 代表取締役社長
1971年東京都小金井市生まれ。慶應大学卒業後、伊勢丹に入社。30歳でトランジットジェネラルオフィスを設立。アパレルブランドとのカフェやレストランなど約100店舗を運営。台湾発世界一のかき氷「ICE MONSTER」、バルセロナで一番人気のシーフードレストラン「XIRINGUITO Escriba」、など海外の人気店を次々に上陸させている。その他、シェアオフィスやホテル、スパ、鉄道などのプロデュースを行い常に話題のスポットを生み出している。

原点は、子どもの頃から好きだった「人を喜ばせること」

会社設立は2001年。カフェブームの立役者として知られ、レストラン事業、ケータリング事業、ホテル事業、海外ブランドの運営受託、ライセンス、シェアオフィス等の不動産事業など、幅広い事業をグループで展開する。「ICE MONSTER」や「bills」などの人気店、さらには多くのラグジュアリーブランドのカフェも運営。そんなトランジットジェネラルオフィス、中村貞裕社長の原点にあるのは、子どもの頃から好きだった「人を喜ばせること」だった。

「父がいろんな事業をやっていて、たくさんの人が出入りする家でした。それもあって、パーティのような賑やかな雰囲気が大好きだったんですよね。小学校から友達を大勢、家に呼ぶようになって、中学校になると文化祭の打ち上げを家でやったり。自分で音楽を選曲したり、ポラロイドカメラを用意したり。楽しかった、ありがとう、と言われて喜んでもらえるのがうれしかったんです」

ただ、みんなが盛り上がっているのを知ると、一人部屋で漫画を読んでいたりした。自分が盛り上がりたいのではなく、人を盛り上げたかった。

「大学に入ると、気の合う仲間たちとパーティをたくさん主催しました。学生向けに、夕方の早い時間に、安く貸してくれるクラブがあったんです」

後に結婚することになる、20歳から付き合っている彼女と、書籍に載っていた首都圏のお洒落な店をハシゴしていたのもこの頃。

「お金はほとんどそこに費やしていました。ものすごくいいレストランがやっぱりあるんです。カッコイイ店、話題の店、とにかくあちこち行きましたね」

自身、ミーハーだった、と笑う。広く浅く好奇心旺盛。熱しやすく醒めやすい性格。就職活動の時期になり、候補に挙げたのは、広告代理店やテレビ、そして知り合いの先輩がたくさん行っていた伊勢丹だった。最終的に伊勢丹に入社する。

「魅力のひとつは、勤務地が限られたことです。首都圏か海外しかなかった。日本にいるなら、やっぱり東京にいたかったんです。父も事業をやっていましたし、自分も独立して何かしたい、と」

そうはいっても、仕事には手は抜かなかった。仮配属中に、伊勢丹のアイカードを作ってもらう営業を命じられた。親族や親しい友人などに数枚、という同期がほとんどの中で、中村氏は160枚も契約を取ってくる。

「知り合いをたくさん作っておいたことの成果ですよね。仲のいい友達には、その友達にも声をかけてほしい、とお願いして」

この実績がものをいったのか、本配属は当時、伊勢丹で最も忙しく、厳しいと言われていた部署。朝8時に出社し、営業時間中はずっとバックヤードでストック整理、閉店後は陳列された商品のおたたみに品出し、それから売り上げ集計。家に帰るのは、深夜になった。

「でも、これが普通なのかな、と思っていましたね。疑問を持たずにまじめに働いていました。そういうとこは、すれてないんですよ(笑)」

焦る気持ちもなかった。そして2年目、念願の部署への異動が叶う。

上司のパリ出張に、有給を取って自腹でついていった

伊勢丹に内定中、テレビ番組に先輩社員が取り上げられているのを見た。後に退職して独立し、参議院議員も務めることになる故・藤巻幸夫氏だ。当時はカリスマバイヤーとして、業界内外で知られた人物だった。

「こんな人がいるんだ、いつかこの人と一緒に仕事がしたい、と思っていたんですが、偶然にも入社前、たまたま入った広尾のカフェにいらっしゃって。トイレに行くのを見計らって、声をかけました。今度、新入社員で入ります、一緒に働かせてください、と」。

入社2年目に、これが実現する。女性向けの新ブランドを作ることになり、藤巻氏がバイヤーに。そのアシスタントを務めることになったのだ。

「うれしかったですね。ここから、藤巻さん経由で、有名なデザイナー、一流メーカーの社長、海外のアーティストなど、後につながる、たくさんの方々と知り合いになることができたんです」

中村氏もこのとき、大胆な行動を取っている。藤巻氏がパリやニューヨークなどに海外出張に出かけると聞くと、自分は有給を取って自腹で航空券を買い、ついていったのだ。

「一緒じゃないときも、勝手にパリの事務所に余ったファッションショーのチケットをもらいに行ったりしていましたね。また、伊勢丹の名刺を持っていると、いろんな人に会えるんですよ。使えるものは堂々とどんどん使ってやろうと、イベントやパーティなどにも勝手に行っていました。藤巻さんは、こういう大胆さも面白がってくれました」。

だが、入社3年目を過ぎ、アシスタントのままバイヤーになることもなく、なんとなく会社に染まり始めた自分が嫌になり、漠然と将来への不安を感じるようになった。

「それで藤巻さんに相談をしたら、とてもいいアドバイスをもらったんです。よほどのことがない限り、会社をクビになったりはしない。本気でお前が好きなこと、得意なことをやってみろ、と」。

これが、転機になる。思い浮かんだのは、子どもの頃からのパーティ好き。そしてもうひとつ、パリで見かけた夜のカフェだった。

「昼間、お茶をしたカフェが、夜になったらカーテンが閉まっていたんです。中は見えないんですが、音楽が漏れていた。でも、入り口にはドアマンがいて、入ろうとするとダメだと言われるわけです」。

こういうところで、簡単にひるまないのが、中村氏である。

「一体、中で何をやっているのか、知りたくてしょうがないわけです(笑)。それで、ドアマンのスキを見て入ろうとしたりする。もちろんダメですよね。こうなったら交渉するしかない。日本から来てる、ちょっとのぞくだけだ、と頼み込んで。そうすると、最後は、入れてやるよ、と言ってもらえて」。

中に入ると昼間のカフェが、その姿を一変させていた。DJが音楽を流し、仄暗い照明に大人たちの姿。会員制のパーティだった。

「内装も昼間とは違っていて、とてもお洒落でした。これはカッコイイと思って、いつか東京でやりたい、と思っていたんです」。

ちょうど、真っ赤な内壁を持つ面白い店が見つかった。デザイナーの卵に手伝ってもらい、パーティ会場を作った。毎週金曜日の夜10時から貸し切りの形で借り、ゲストもしくはその知人だけのパーティを開くことにした。

「藤巻さんに紹介してもらった一流の人たちも、このパーティに呼べば、またつながることができる。しかも、ゲストしか入れないパーティです。ドアマンには外国人を配置して、後に有名になるDJたちに音楽を任せました」。

これが大きな話題となる。面白い、と藤巻氏も来てくれた。ファッション業界はもちろん、いろんな世界から面白い人たちが集まり、つなげることができた。主催者として、中村氏はその名を知られることになる。

「喜ばれましたよね。僕も、これこそ自分の本当の場所だ、と思えました。こういうことがやりたかったんだ、と」。

カリスマは、うまく活用するもの

きっかけを作ってくれた藤巻氏に、仕事で大切なことを教わったと中村氏は語る。

「縁と運とセンスだ、とよく言われていました」。

小さな縁を大事にする。定期的に連絡をする。会う機会を作る。それが大きな縁につながっていく可能性があるから。そして、小さな運でつかんだチャンスも大事。大きなチャンスに変わっていくから。

「これは今でも心がけていることです。仕事は、よほどのことがなければ断りません。そこから大きな仕事につながることが、本当に多いからです」。

そして、一つでもいいセンスに触れた人が、センスが良くなっていく

「いい映画を観たり、話題のアートに触れたり、最新の音楽を聴いたり、カッコイイお店に行ったり。ありとあらゆるものに、ひとつでも多く触れた人がセンスを高められるんだ、と」。

藤巻氏の下にいたおかげで、一流のセンスを持つ人、一流のショー、一流のクリエイターにたくさん会えた。そういう人に負けないよう、自分も海外に積極的に出かけ、映画も音楽もアートも、好奇心旺盛に触れていった。

一方で、藤巻氏のようなカリスマと、どううまく付き合っていくか、にも気づいていった。

「ときどき、藤巻さんを勘違いしている人がいました。藤巻さんはすごい人だと聞いていたのに、知り合っても何もしてくれないじゃないか、と。でも、それではダメなんですよ。藤巻さんが言っていたのは、オレを利用しまくれ、でした。待っていても、忙しいし、何かしてくれるわけではない。そうじゃなくて、自分から藤巻さんを利用しに行くんです。藤巻さんの名前を出して人に会いに行くのもいいし、商談を進めるのもいい。そういう人は、みんな成功していきましたよね」。

だから中村氏は今、社員にこう伝えているという。自分を利用しろ、徹底的に利用しまくれ、フル活用しろ、と。

「出世する、という言葉がありますよね。会社の中で偉くなるのも大事ですが、本来の意味は世に出るということだと思うんです。そのために、僕を使ったらいい。トランジットをフル活用したらいい。そうしたら、一人ではできないことができると思うんです」。

20代で大事なことは、何より、めんどくさがらないこと

毎週金曜のゲストオンリーのパーティは、伊勢丹に勤めながら一年ほど続けた。その後、退職のタイミングで父親が持っていた物件に、クリエイターたちとカフェ「OFFICE」を作る。これがまさにカフェブームのはしりとなり大ヒット。その後、カフェ「Sign」を作ると、顧客から一緒にやらないかと話をもらい、多店舗に展開することになった。

「それからホテル「CLASKA」の話が来てプロデュースから運営までやることになり、さらにラグジュアリーブランドのビルができ始めてケータリングの仕事が拡がっていって」。

伊勢丹の先輩たちが、外資系ラグジュアリーブランドにたくさんヘッドハンティングされていた。銀座や表参道に旗艦店をつくり始めると、そのオープニングパーティのケータリングで声がかかるようになった。

「最初にお引き受けしたのは、某ブランドがパリで開催したパーティを、そのまま東京で再現するというものでした。50人のイケメンウェイターを揃える事が絶対条件。でも、当時すでに軽く100人以上、質の高いイケメンスタッフに登録してもらっていましたから」。

今では、その数は200人にもなるという。そして、旗艦店にできるカフェの運営受託も事業になり、さらにはプロデュースの事業も拡大。日本初上陸の「bills」も運営する。

「最初はPR会社のサニーサイドアップの次原悦子社長に相談を受けたんです。billsの本国の社長をマネジメントするのだが、何かいいアイディアはないか、と。それで一度、食べに行ったら、パンケーキとスクランブルエッグが本当においしかった。ちょうど当時、七里ガ浜にレストランをつくる話があったので、じゃあbillsにしちゃいましょう、ということになったんです。その流れで、サニーサイドアップとbillsの運営会社を作りました」

これが、パンケーキブームで大ブレイク。その後日本初上陸のノウハウを活かして「MAX BRENNER」や「ICE MONSTER」を手がけていく。

「事業が広がり、会社が大きくなったのは、スタッフにどんどん任せていったことが大きいと思います。僕と同じことができる人を増やしていった。そうすると、できることが増えますから」

社員とは、SNSを通じて同じ情報を共有している。中村氏のアンテナに引っかかったものを、どんどんアップしていく。

「もちろん僕は雑誌も片っ端から読みますし、ネットもインスタも時間さえあれば見ています。あちこちのミーハー仲間もいろんなことを教えてくれるし、お店にも海外にも飛びます。でも、実は一番大事なことは、インプットすることじゃないんです。アウトプットすることなんです。インプットだけでは情報オタクになるだけ。アウトプットすることで、目利きができるようになるんです」。

アウトプットするつもりでインプットすれば、それは自分の資産になる。社内のSNSでは、まさにこれをやっているのだ。中村氏のみならず、社員がどんどん情報をアップしていく。だから、ますます会社としての目利き力が高まっていく。

「20代で大事なことは、何より、めんどくさがらないことだと思いますね。縁と運とセンスを積み重ねるには、めんどくさがっちゃいけないんですよ。あとは本気で好きになること。競合も多い中で「ICE MONSTER」をライセンスできたのは、僕が本気でおいしいと周囲に勧めていたからです。本気の情熱がないと、やっぱりうまくいかないんです」。

めんどくさがらずに、どれだけ体験し、熱くなれるか。それが後に生きてくる。中村氏のヒストリーは、それを教えてくれる。

文:上阪 徹   写真:平山 諭
編集:丸山香奈枝

 

 

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