華麗なる転身!お笑い芸人ゴー☆ジャスに学ぶ「自分のキャラ」を仕事に活かす方法

さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく本連載「思い出のファミコン – The Human Side -」

今回ご登場いただくのは、2000年代後半のお笑い番組ブーム時に、インパクトのある風貌と「まだ助かる!(マダガスカル)」「そんなバハマ!」などの国名ダジャレ芸で脚光を浴びた「宇宙海賊」ゴー☆ジャスさん。現在はYouTubeのゲーム実況バラエティチャンネルで40万近くのフォロワー(チャンネル登録者)をほこる人気ユーチューバーとして活躍中だ。生き残りの厳しい芸能界というビジネス社会で、自身の個性(キャラ)やポジションをいかに確立したのか?――お話を伺った。

プロフィール

ゴー☆ジャス(宇宙海賊)

1978年福島県生まれ。高校卒業後に上京し、代々木アニメーション学院 声優タレント科へ進学。卒業後お笑いライブでの活動など下積み期間を経て、ネタ見せお笑い番組がブームとなった2000年代後半にテレビ出演による露出が増えたことで、話題のピン芸人のひとりとして注目される。現在のキャラクターは、アンドロメダ3丁目出身の宇宙海賊という設定で、決めゼリフは「君のハートに、レボ☆リューション」。2014年からはゲーム実況を中心としたYouTubeチャンネル「ゴー☆ジャス動画(→)」を開設。
Twitter @Gorgeous55555

自分が何か行動を起こさないと、先に進めない

――ゲーム実況の人気YouTubeチャンネルを持つゴー☆ジャスさんですが、やはり子どもの頃からゲーマーだったのですか?

ぼくは両親が教師で、厳しい教育方針の家庭環境だったこともあり、「ゲーム機を買ってほしい!」と言い出すことができず……ファミコンは買ってもらえなかったんです。でも、わが家のとなりに居た親戚の歯医者さんの一家がファミコン本体とディスクシステムを持っていて、頻繁にお邪魔して遊ばせてもらっていました。そのうち本体ごと貸してくれるようになって、それからは自宅でも遊べるようになりました。

ぼくはもともとアニメや特撮作品が大好きだったこともあって、『聖闘士星矢 黄金伝説完結編』や『仮面ライダー倶楽部 激突ショッカーランド』、『仮面ライダーBLACK 対決シャドームーン』といったゲームにハマっていました。原作はどれも大人気の作品ですが、ファミコンのタイトルとしては、いずれもレアで、まわりの友だちとは全く話が盛り上がりませんでした(笑)

とくに好きだった『仮面ライダーBLACK』は、何度やってもラスボスのシャドームーンが倒せなくて……しかも肝心なところでなぜか本体がヒートアップして固まってしまうこともあり、結局いまだにクリアできてないことが心残りですね。

―― ファミコンで遊んだ当時の思い出深いエピソードはありますか?

『ディープダンジョン』はかなり印象深いです。地下深くに住む魔王を討伐しに行くストーリーですけど、ラスボスがじつは魔王を倒しに行ったはずの先の勇者で、それが最後の戦いでわかるっていうね。子供心に「えっっっ!」て衝撃でした。

映画は観ているだけでストーリーが流れて行きますが、ゲームって基本的には自分でストーリーを進めていくじゃないですか。「自分が何か行動を起こさないと、先に進めない」というのはゲームから学んだことのひとつですね。

あと『聖闘士星矢』のゲームで、ヒットポイントが大量に増やせる裏技を教えてもらい、それを使ったらゲームもすいすい進められるし、ラスボスも簡単にやっつけることができちゃったんです。

ただそうやってクリアした時に、「あれ?」と思って。ちょっと罪悪感というか、これでほんとに良かったのかな?って思い始めて……。すごく気持ちよく敵をねじ伏せながらゲームを簡単に終えられたんだけど、何か物足りない。やっぱり裏技なんてズルいことをしないで、行き詰まりながらも「もう一回頑張ろう!」と努力して、ようやくたどり着いた勝利のほうが有難みがあったはず。むしろその方が何かしらの糧になったのだろうな、ということが心に刻まれました。

キャラづくりには「目的」がある

―― 「宇宙海賊ゴー☆ジャス」に至るまでのキャリアについておきかせいただけますか。

ぼくはアニメ好きが高じて最初は声優になりたかったんです。そこで高校を出たあと、代々木アニメーション学院の声優タレント科に進みました。でも初めての単身で東京はちょっと恐いな……とおじけづいて(笑)、大宮校に入学したんです。原宿にある東京校は声優科で10クラスほどあったんですけど、大宮校は2クラス。先生にもよく目をかけてもらって、結果的にはよかったかな、と思います。

専門学校を卒業後、俳優や声優が所属する芸能事務所に入ったんですけど、色んなお仕事をとってくるところだったので、舞台俳優もやりましたし、テレビ番組の再現VTRにも出演しました。その時に俳優の道はちょっと自分には合わないなと思いましたし、この路線だといつまでたってもスターにはなれないよな……と思っていたところ、事務所内でのお笑いライブコンテストがあったんです。これは転機になるかも、と思ってエントリーした結果、一人芝居で優勝しちゃったんです。それが自信になり、お笑い系の芸能プロダクションに移りました。

最初はお笑いも普通に素の恰好で、一人芝居で一人三役のコントみたいなネタをやっていたんです。でも本格的にお笑いをやり始めたら、ライブでまったくウケない! 全然インパクトも残せてないな、と……そこからキャラを模索する日々がはじまりました。最初に挑戦したのは、当時観たグラムロック映画からヒントを得た、デヴィッド・ボウイ風のビジュアルで、「31世紀から来たロックスター」という設定で、キャラづくりを始めました。

―― そこから「宇宙海賊ゴー☆ジャス」に行き着くまでは?

「31世紀から来たロックスター」は2年ぐらいやったかな。その次のキャラが「地底人のスーパーモデル」。最初は肌を銀色に塗っていたんですけど、その後は金色にマイナーチェンジしました。このキャラも2年ぐらい。ぼくの思惑では、出オチを確実に決めたいというのがあったのですが、このままじゃメジャー感がない!と考え直し、当時の落語ブームに乗っかって「落語のゴージャス」という和風キャラを作り上げたんですけど、これがまったくウケなくて(笑)、半年で辞めました。

そして4キャラ目に行き着いたのが現在の「宇宙海賊ゴー☆ジャス」です。このキャラで『爆笑レッドカーペット』にも出演できて、ようやく手ごたえのある反響があったんです。そのままこれでもう15年……。いろんなことを考えながらひとつずつ試して、積み重ねてレベルアップしてきたかんじですね。ある意味すごくゲーム的ですよね。

遠回りと思ったことが、夢への近道になることも

―― 現在はYouTubeチャンネルでの活動が活発ですね。

テレビのお笑い番組ブームが引いた頃、不本意ながら時間がたくさんできたので(笑)、「モンスターハンター」シリーズに没頭していたんです。それでツイッターでモンハンのことをいろいろツイートしていたらカプコン社の人の目にふれて、「モンハンのイベントに出てくれませんか?」って声をかけていただき、ゲームの仕事につながりました。

続けてパズドラブームの時には、メジャーなYouTube配信者さんたちと一緒に出演させてもらう機会をいただいて、それをきっかけに自分もYouTubeチャンネルを開設することになりました。その時はあまりネット配信のお仕事の「ウマ味」がよくわかってなかっていなかったんです。

今になって考えると、お笑いライブで舞台に出てもお客さんが50人程度の時もあるんですが、ネット配信なら同時に1,000人以上に見てもらえる。芸人としてはそっちの方がやりがいを実感するんです。

ところで、ぼく実はゲームがすごく下手くそなんですよ!本当にびっくりするくらい下手くそ。この間も一般の女の子と「ぷよぷよ」で対戦したんですけど、ものすごい大負けしちゃって……(笑)。でも、そこが自分の「個性」かなとポジティブに捉えています。

ゲームプレイが上手なゲーム実況者ってたくさんいますけど、ゲームプレイが一般レベル以下でありながら、おもしろ楽しくリアクションできる実況者って「逆にレア」じゃないですか。そこに自分の「宇宙海賊」のキャラクターを補完していけば、オンリーワンなポジションを確立できるんじゃないか、という目論見がでてきたんですよね。

同じゲーム実況でも、いろんなスタイルがあっていいんじゃないかと。幸いぼくのチャンネル登録者は、ぼくがゲーム下手なことをわかって見てくれていますし、皆さんすごく優しいんです。温かく見守ってくれるいい人ばかりです!

―― キャラやスタイルを貫いてきたのは良かった、ということでしょうか?

そうかもしれませんね……。子どもの頃からアニメや特撮作品が大好きだったのですが、当時は「オタク」なんてネガティブなレッテルをつけられがちだったので、なかなかカミングアウトできませんでしたけどね。

ぼくの出身高校は東大合格者が出るようなバリバリの進学校だったんです。校内に「卒業生の進学先一覧」が貼り出されるのですが、名だたる一流大学名が並ぶ中で、ぼくの進学先である「代々木アニメーション学院」が掲示されたときは前代未聞すぎて、学校がザワついたんですよ(笑)

ずっと声優になりたいっていう夢は抱きつつ、結局仕事としてはお笑いタレントの道に進みました。そして一度は「お笑いブーム」というビッグウェーブに乗ることができました。そしてそのブームが去った頃、奇遇なことに「声優をやりませんか?」というお話が来たんです。お笑いやりながら「夢は声優」って言い続けてきたのが、実を結んだ形ですね。お笑いタレントの道をぐるっと遠回りしてきましたけど、結局それが自分にとっては夢への近道になったんじゃないかなっていうふうに感じています。

ぼくは下積みが長かったんですけど、心が折れて「普通に就職しようかな?」と思ったことはまったくないんです。「宇宙海賊ゴー☆ジャス」に至るまでの迷走は色々ありましたが、いつも「大丈夫だろう!なんとかなる!」っていう根拠のない自信というか、不安がなかったんですね。

好きなことをやってきた結果、人気ゲームの仕事やユーチューバーみたいな新しい波に乗ることもできました。もちろん何も考えてないわけじゃなくて、いろいろなチャレンジや試行錯誤を積み重ねつつ、自分のキャラを確立し、得意なことを発信してきたことで、幸運を引き寄せられたのかもしれませんね。

 

取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

撮影:村上慶太朗
編集:鈴木健介

 

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