『夢』に賭けよう…とは安易に言えないッ!その理由とは? | 松山洋さん(ぴろしさん)

さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがう本連載「思い出のファミコン – The Human Side –(→)」。

今回ご登場いただくのは株式会社サイバーコネクトツー代表取締役の松山洋さん(通称”ぴろし”さん)。経営者であり『.hack』シリーズをはじめ『NARUTO-ナルト-』『ジョジョの奇妙な冒険』等の人気漫画作品のゲーム化を手がけるクリエイターだ。惜しみない作品愛を徹底的に仕事に注ぐその情熱の源とは?またビジネスパーソンとして多忙を極める中でもインプットを欠かさないライフスタイルの原体験とは?たっぷり伺った。

プロフィール

松山 洋さん

1970年生、福岡県出身。株式会社サイバーコネクトツー代表取締役。『.hack』シリーズ『NARUTO-ナルト- ナルティメット』シリーズ『ジョジョの奇妙な冒険 アイズオブヘブン』をはじめとした人気ゲームタイトルのほか、ゲーム業界の今がわかるファミ通.comの連載漫画『チェイサーゲーム』の原作も手がけるなど、多彩な才能を発揮する。著書に『熱狂する現場の作り方』他。
https://twitter.com/PIROSHI_CC2

子どもの頃から漫画家になりたかった

―― 松山さんはどんなゲーム少年時代を過ごしてきたのでしょうか?

僕らの世代はファミコンの前にインベーダーブームがあって、ゲームセンターに通ったことがゲームとの最初の接点でしょうか。とはいえ当時、ゲーセンは不良のたまり場と言われ、学校から出入りしないよう指導がありましたし、ワンプレー100円っていうのは、小学生にとってそこそこ大きいおカネなので、ほとんどの時間が後ろから見ているだけっていうかんじでした。

ファミコンが我が家にやってきたのは中学2年生、14歳のとき。それまでは友だちの家でうらやましく思いながら遊んでいたのですが、うちは弟もいたことで、一台あれば家で兄弟で仲良く遊ぶだろう、という親心のおかげでファミコンブームのさなかに買ってもらいました。初めて買ってもらったカセットは『マリオブラザーズ』。ステージをクリアし続けていく固定画面のシンプルなゲームでしたが、それしかなかったから弟と遊び尽くしました。本来は二人で協力しあって先に進んでいく設計ですが、いつの間にか1Pと2Pでジャマしあっていくのが面白いんですよね。下からドンって突いて敵キャラにぶつけたりとか。今当社が作っている対戦系ゲームで表現しようとしている面白さのベースはマリオブラザーズにある気がします。

―― 子どもの頃からゲーム開発者になりたいという希望があったのですか?

まったく考えていなかったですね。当時、自分にとって興味のど真ん中にあるのは漫画でした。「週刊少年ジャンプ」の黄金期で、『サンデー』『マガジン』」『チャンピオン』の少年誌各誌はもちろん、『ヤングマガジン』『スピリッツ』『モーニング』等の青年誌にも早くから手を出し、読み漁っていました。そして当時の夢は「ジャンプ」で連載する漫画家になることでした。

その夢を持ったまま中学高校を経て、ターニングポイントを迎えたのは大学生になってからです。漫画研究同好会に入ったのですが、サークルの友だちや先輩等いろんな人たちと出会うことで、多くの刺激を受けて視野が急速に広がったんです。漫画だけじゃなく、アニメーション制作も映画制作もテレビのバラエティ番組制作もいいな、と考えるようになりました。いずれも元々自分の興味があるジャンルでしたから、ありとあらゆる人を楽しくするエンタメのビジネスをやりたい!という自分の中の総合的なクリエイター魂に気づいたんです。

新卒で就職したのは、意外にも建設業界

―― 松山さんのキャリアのスタートは?

エンタメ業界に夢を抱いていたものの、大学卒業後はコンクリートを扱う建設業の会社に就職し、3年間会社員を経験しました。志向と行動が一致していないように思われそうですが、これには深い理由があったんです。

私の出身大学は、九州では唯一芸術学部がある学校で、エンタメに対する感度の高い人間が多く集まっていました。大先輩には『シティハンター』の漫画家・北条司先生、後輩には『NARUTO-ナルト-』の岸本斉史先生も輩出しています。

私が所属していた漫画研究同好会の歴代メンバーには、在学中に漫画家デビューが決まり、大学を中退して単身上京する人もいましたし、アニメーターになることが決まって中退していく、ということもが割と普通にあるチャレンジングな環境でした。

ところが……、その多くが半年や1年で夢破れて帰ってきてしまうんです。「去年送別会をして、上京していったはずの先輩をこないだ駅前で見たぜ」といった噂が流れるんです。「そんなバカな!」と疑うものの、本当に戻ってきているんですよ、しかもなぜか、かつて住んでいたアパートに(笑)

そんな先輩の家に押しかけて理由を尋ねると、「あの業界は自分の常識が通用しない!」「仕事の環境が過酷すぎる!」「あのままいたら自分がダメになる!」……等々。同じような理由を訴えて出戻ってきた先輩の数は一人や二人ではなく、数十人規模でいたものですから、安易に『夢』に賭けてエンタメ業界に飛びこんではいけない……と、危機意識を強くもったわけです。

―― なるほど……。そんななかコンクリート業の会社を選んだのはなぜですか?

夢破れて出戻ってきた先輩たちが「漫画業界はおかしい」「アニメ業界は非常識」とか言うけれども、そもそも大学中退して経験値もなくその世界に飛びこむことが非常識なんじゃないか?……と私は思うようになりました。

だからまずはちゃんと社会勉強をして、分別のつく大人になってから、戦略的に自分の夢を叶える方法を模索しようと考えたわけです。就職にあたっては世の中で一番カタい公共事業をてがける建設業界に入り、いわゆる入札の仕組みや、どうやって現場が回るのかってことから学ぼう、と思い至ったのです。

仕事には、個人の努力でなんとかなる領域、チームワークでなんとかなる領域、会社ぐるみで取り組んでなんとかなる領域ってありますよね。一方、どれだけやっても無駄な努力っていうのもあります。その「どうにもならない世の中の壁」を見極められる人間になろうという想いをもって、会社員時代を過ごしていました。


―― ゲーム会社を設立した経緯についても教えてください。

社会人3年目を迎えた頃、1994年にセガサターンとプレイステーションという家庭用ゲーム機が登場したことによって、3Dポリゴンという新しい技術がゲーム業界に登場したんです。ファミコンそしてスーパーファミコンと、任天堂の天下が永遠に続くと思っていた私にとって、世界観がひっくり返るような出来事でした。

そんな折、東京のゲームメーカーで勤務していた友人から、「独立を考えているけど、一緒にやらないか?」と声をかけてもらったんです。そのときは正直、「ゲームかー……」と思った程度でしたが、そのタイミングで声をかけてもらったのも何かの縁ですし、真剣に向き合って検討しようと思ったんです。

ゲーム誌『週刊ファミ通』を毎週購読し始め、図書館に通って改めてコンピュータとコンピュータゲームの歴史からちゃんと学ぼう、と行動を始めました。そもそもゲーム業界って、「どういう感じでみんな飯食ってるんだ?」という基礎的なことから自分なりに色々調べてみたんです。

そこでゲーム業界の歴史の浅さに大きな衝撃をうけました。その当時でファミコンの誕生からまだ10年ほどしか経っていなかったんです。漫画も映画もアニメも100年近い歴史がある中で、こんなに歴史の浅いゲームが、すでにエンタメ業界の中心にいるというその成長スピードに驚き、魅力を感じました。

3Dポリゴンゲームの時代が到来し、臨場感あふれる仮想世界が表現できるようになったことで、自分が学生時代から目指していたアニメ・映画・漫画的な表現が、ゲームなら全部できるじゃないか!ゲームこそ総合エンタメなんだ!ということに気づき、ゲーム業界に身を投じる決心ができました。

惜しみない情熱をゲーム業界に注ぐ

――色んなジャンルに詳しい松山さんですが、どのようにインプットの時間を捻出しているのでしょうか?

とにかく漫画は無条件に読むので、会社で定期購読して、月に60冊くらい雑誌が届くようにしています。単行本も、出版物と電子書籍をあわせて月に100冊は買っています。そんなわけで、ひとつの行動でふたつ以上のマルチタスクを常に実現しないと時間はやりくりできないので、なるべく「一挙数得」になるように、電車・飛行機の移動中でも、ありとあらゆるシーンがインプット時間になるように取り組んでいますね。

ちなみに買い集めた漫画の単行本は会社の蔵書として1万冊ぐらい社内のライブラリに保管しています。さらに映画やテレビの特撮シリーズ、アニメのDVD・ブルーレイ等も今8,000本くらいあります。社内スタッフには、そのライブラリからいつ何本でも黙って借りて帰っていい、と言ってあります。

そうすることで、仕事における世代のギャップを埋める効果もあるんです。たとえば若いスタッフにゲームの演出を指示をする際に、「アニメの『ゼータガンダム』がフライト形態からモビルスーツ形態になる時の、あの動きの感じで!」ということが伝えられるわけです。幅広い世代の人間が一緒に働いているエンタメ企業ですから、イメージを共有できることって、とても大事なんです。

―― 仕事上のこだわりについて教えてください。

「うちじゃなくてもいいタイトルは、うちが作る必要はない」という姿勢には並々ならぬこだわりがあります。たとえば当社では人気漫画『NARUTO-ナルト-NARUTO -ナルト-』の版権をお預かりしてゲーム開発をしていますが、うちが手がける以上は、作家さんとその作品を愛するファンの期待に応えるための独自のゲームシステムを創作しなくちゃいけないと思っています。その原体験としては、ファミコン時代にプレイした『キン肉マン マッスルタッグマッチ』や『キャプテン翼』といった名作に熱中した思い出によるところもありますね。

―― ゲームビジネスの今後についてはどのような展望を描いていますか?

当社はスマホゲーム開発はしておらず、家庭用ゲームに集中しています。『NARUTO -ナルト-』の漫画が世界的に普及しているおかげで、国内だけではなく、海外マーケットを視野にいれた世界同時多発展開に取り組めています。今後もこの方針は続けていくつもりです。

現在課題に感じていることは人材育成ですね。今の家庭用ゲームは、開発規模が巨大になりすぎたことで、入社したてのクリエイターが担当する仕事は、ゲーム空間内の大陸の「草」を延々と1年間植え続けることだったりします。空間が広大ですから仕方ないですし、誰かがやらなきゃいけない大事な仕事なのですが……。

ゲームクリエイターとして成長してもらうには、企画立案から完成まで責任をもって担当してもらうことなんですよね。昔はそのサイクルを1年で経験できたのですが、今なら最短でも3年かかってしまいます。つまり、20代のうちに関われるタイトルがせいぜい2~3本ということです。我々の頃は、20代のうちに10タイトルくらいの開発を経験できて、30代になったらディレクターを任されていたのですけど、今は業界として若手がなかなか育ちにくい環境になってきています。

この状況を何とかするために、当社では少人数で短期間の開発をするプロジェクト、『C5』(=Cyber Coonect2 Creative Challenge Competition)を動かしています。ゲームパブリッシャーとしての新たな世界戦略として、次世代育成のために取り組んでいるところです。ゲーム業界を切り拓いてきた私たちの新たな使命だと思って、成果をあげられるように頑張っていきたいですね。

 

取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

編集:鈴木健介

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