「お笑い」「俳優」仕事の幅は“アタマ”の使い方が大事【我が家・坪倉由幸】

2003年に結成、ローテーション漫才などオリジナリティ溢れるコントで、数々のテレビ番組で人気を博してきたお笑いトリオ「我が家」。杉山裕之さん、谷田部俊さんを相方に、ボケ役を担当しているのが、坪倉由幸さんだ。お笑いとはまた別の爽やかなルックスで、情報番組に出演し、さまざまなドラマで俳優としても活躍。10月にスタートしたTBS『下町ロケット』にも出演中だ。なぜ、就職先を辞めて芸能界に挑んだのか、競争激しいお笑いの世界でブレイクできたのか、俳優の仕事で発見したこととは、どんな意識で仕事をしてきたのか……。ロングインタビューでお届けする。

自分はツイているんだ、とずっと思っていた

――お笑いの世界でデビューされるわけですが、もともと俳優志望だったとか。

坪倉:ということになっているんですけど、実は違うんです(笑)。ざっくりテレビに出たいな、くらいにしか思っていなくて。

「お笑いとか楽しそうだな」とは思っていたんですが、どうすればいいかわからない。それで、とりあえず養成所みたいなところに行ったら道が開けるのかと思って入ったのが、俳優の養成所だったんです。だから、俳優志望ということになっていて(笑)。

――テレビに出たいというのは、目立ちたかったとか?もともと、そうだったんですか?

坪倉:そうらしいですね(笑)。親もそう言っていました。人前で何かをやったりするのは好きでしたね。

高校を卒業して18歳で親の知り合いの会社で働かせてもらっていたんです。水産関連の会社で、一人で車に乗って配達する。一人の時間はラクでしたけど、ただ言われたことをやるだけの日々。自分も悪かったんだと思いますけど、やりがいとか、楽しさもなくて。4年いたんですが、途中で養成所に通い始めて、まだ収入はゼロでしたけど、親の知り合いだし、中途半端では申し訳ないと思って辞めて、アルバイトをすることにしたんです。

――会社を辞めてしまうというのは、なんとも大胆ですが……。そこからデビューまで4年ほど。20代前半で、この下積みはしんどかったのでは?

坪倉:まったく根拠はないんですが、ちょっとだけ自信がありました。熱というか、やりたいことでしたから。だったら、最初は苦しいかもしれないけれど、頑張れるだろう、と。実家から通ってましたから家はありましたし。

ただ、親には申し訳なかったですね。いい年して何やってんのアンタ、という負い目です。自分の中でも、もしかしたらダメかも、という気持ちも出るんですが、まわりの友達とかにも言っちゃったし、このまま引き下がるわけにはいかない、と。

もうひとつあったのは、ネタを書くのは苦じゃなかったこと。それから、テレビに出るんだという夢があったことですかね。甘いもんじゃないとは思いつつ、きっとうまくいく、自分は恵まれている人間なんだ、ツイているんだ、とずっと思っていましたね。そのときのほうが、今よりプラス思考でした(笑)。

25歳を過ぎてから、大手事務所に所属

――そして養成所で、杉山さん、谷田部さんと出会われるわけですね。

坪倉:2人とも同い年なんですが、養成所では僕より先輩で、コンビを組んでいたんです。年に何回か発表会があって、あるとき一緒に喜劇というか、コント要素を短く入れた芝居をすることがあって。そのときに初めてガッツリ話して、どうやればいいか、教えてもらって。

2人はお笑い志望だったんですが、このときのコントの芝居がウケて、これは気持ちいいなぁ、と思いました。「爆笑オンエアバトル」とか好きで見ていましたから、こんなふうにお笑いをやったらいいんじゃないか、と。

それで見よう見まねでネタを作るようになって。ただ、そのときはまだトリオじゃなくて、谷田部を無視して、杉山に突っ込んでもらう漫才とかを書いていて。そうしたら、養成所から月1回、新宿の劇場を借りてあげるから、そこでやればと言ってもらったんです。10人くらいのメンバーで、2人で組んだり、3人で組んだり、みんなでコントをしたりすることを始めるんですね。

この練習をしていたのが、東中野の公民館で。半日500円だったんですが、夜まで練習して終わった後に飲みに行っていた居酒屋の名前が「我家」で。これが、後にトリオ名になるんです。

――でも、このときはまだトリオになってなかった?

坪倉:みんなの目標はテレビに出ることで、「爆笑オンエアバトル」とかに養成所の人がつないでくれると思っていたんです。ところがあるとき、飲んでいるときに「実は自分たちにはそんな力もコネクションもない」と言われて。

このままやってもテレビには出られない、と気づいたので、3人で組んで大手事務所に行こうとなったんです。それからワタナベエンターテインメントにネタ見せに行って。デビュー前の若手芸人には、月1回のライブでお客さんに投票してもらう仕組みが当時あって、1位か2位を取ると星がもらえて、これが5つ貯まると、ワンランク上のライブに行けることになっていました。

もう25歳を過ぎていましたから、これで星が5つ取れなかったら辞めよう、と決めたんですが、すでにネタもたくさんありましたから、するすると上がれて、事務所も目をかけてくれるようになって。

やっぱり楽しかった。だからエネルギーがあった

――「爆笑オンエアバトル」を皮切りに、次々にテレビに出られるようになるわけですが、何がブレイクの要因だったと思いますか?

坪倉:3人のバランスが良かったんだと思います。これは「爆笑レッドカーペット」でも言われました。それぞれのキャラクターがいい、と。実際、このときはパネラーの大御所の方もすごく笑ってくださって、審査員だった中尾彬さんからはレッドカーペット賞をもらって。一番良かったところに僕の「ねじねじ(スカーフ)」をあげる、と言われて僕らがもらったんです。インパクトは残せたかな、と思いました。あと、やっぱり楽しかったですよね。だから、エネルギーがありました。

ボケを選んだのは、そのほうが目立つかな、と(笑)。でも今から考えると、ツッコミの深さがわかってなかったと思います。ホンジャマカの恵俊彰さんも、フットボールアワーの後藤輝基さんも、くりぃむしちゅーの上田晋也さんも、MCで大活躍している人たちはツッコミの人ですから。当時は、ただ訂正するだけの人だと思っていました(笑)。ぜんぜん違った。

――でも、養成所の中でもテレビまで行ける人はほとんどいなかったでしょう。

坪倉:僕たちだけでした。ありがたかったのは、養成所の人たちが正直に「自分たちでは無理だ、力も人脈もない」と言ってくださったことですよね。だから、人任せではダメだと、僕は杉山と谷田部に声をかけられた。10人いた中で、断然面白かったし、3人だったら行けるんじゃないか、と。養成所にあと2年いて、何も行動してなかったら、もう遅かったかもしれない。その意味では運もありました。

ワタナベエンターテインメントに入ってからも、大きなホールで早々と単独ライブのチャンスをもらえたり。そこからテレビにもつながっていったんです。

同じ実力だったら人柄のいいほうが使われる

――売れ始めて、気を付けたことはありましたか?

坪倉:僕は見た目がシュッとしていて、冷たそうに見えるんです。それもあるのか、自分では深く頭を下げて挨拶をしているつもりが、「挨拶がなかったと聞いた」とまわりの人に教えてもらったことがありました。挨拶は、とにかく大事ですから。

ある番組の総合演出の人には、こう言われました。今後いろいろなところで頑張っていくと思うけど、同じくらいの実力だったら絶対に人柄のいいほうが使われるから、と。それは心がけようと思いましたね。

ただ、僕はコントだけしかやっていなかったので、後にトーク番組でひな壇に座るようになって、困りました。ある芸人さんは、テレビを見ながら、MCがこう振ったらこう切り返す、みたいなことをシミュレーションしている、と言われていて。実際、スタジオでコンビの二人でその場で打ち合わせをしたりしているわけです。その時、努力していた人は今でもしっかり結果を残し活躍されています。

僕らも3人で出始めたら、VTRの間にささっとボケとツッコミの打ち合わせをしたりしていたんですが、そのうち1人で出ないといけなくなって(笑)。でも、1人ではボケを処理できない(笑)。それで困って、「ヒルナンデス」に出ていたときは、森三中の大島美幸さんに、「とりあえず頭を下げたときは、『ハゲてるやないか!』と思い切りツッこんでもらえますか」とお願いしていました(笑)。ありがたかったですね。

 

――そのうちに、ドラマにも出演されるようになって。『下町ロケット』では「ヤマタニ製作所」の調達部長を演じられていますね。

坪倉:お声がけいただいて、ありがたいですよね。『下町ロケット』は事務所の先輩でもある恵さんら先輩方が築いてくださったからだと思っています。

やっぱり緊張しますよ。台本もらって声を出して読んだりして、「お、この感じいいな」と思っても、実際の本番ではその通りにならなかったりするんです。うまくいかない場合、では違うパターンで、となっても、引き出しがないので、すぐにテンパってしまって。

台本をどこまで自分で変えていいのか、が難しい。自分らしさをいかに出すか、ですよね。僕は違う畑で急に求められないことをやって失敗するよりは、アンパイで行ってしまう性格なので。でも、それじゃダメですよね。だから、やたら頭髪が映るバックショットばかりが多くなって、それで俺らしいとウケてもなぁ、とネタにしてるんですけど(笑)。

もういろいろ考え過ぎて、さらにハゲてる。秒単位で抜けてると思います(笑)。

ハゲて良かったと思っているんです(笑)

――頭をすっかりネタにされていますね(笑)。

坪倉:最初は一瞬、抵抗もあったんですけどね、モテたいなぁと思っていたので(笑)。でも、僕らは正直、はっきりとした武器がなかったんですよ。実はハゲてきたとき、事務所も心配してくれて、粉を振って隠していた時期もあったんです。

ところが、あるときから、マネージャーが「ぜひ、頭の話を振ってください」と共演者に言うようになって。それで、ロンドンブーツ田村淳さんや有吉弘行さんにイジってもらうようになったんですが、先輩方が本当に笑ってくれているように思えたんです。そこから、いろんな人に話しかけてもらえるようになって。もしかしたら、それまでは、斜に構えたすかしたヤツだと思われていたのかもしれません(笑)。そんなにお笑いの力もなかったですし。だから、ハゲて良かったと思っているんです(笑)。いや、ホントに。

――トリオの活動もまた本格化していくと聞いています。

坪倉:3人と作家さんにも入ってもらって、みんなでネタづくりを進めていたんですが、そろそろライブとかをやらないと、ですね。ネタのヒントは、生活の中に転がっていたりします。このあいだも、焼き鳥屋でみんなで飲んでいるときに、ひとつネタを見つけて、すぐメモしました。そのまま飲みながら進めていくと変な方向に行くので、それはやりません(笑)。

――芸能界は、新しい才能が次々に出てきて、競争も厳しい世界です。

坪倉:そうですよね。だから、才能のある人たちとは、仲良くしたほうがいいなぁと(笑)。キングオブコント2018王者になったハナコには、まだお金ないだろ、ご飯行くか、と誘ってます(笑)。ただ、僕らは彼らと同じことはできませんが、彼らも僕らと同じことはできない。今、時代がこうだから、とかではなく、自分たちに合ったコントを作っていければいいな、と思っています。昔のコントの精度を上げたり。自分たちが面白いと思ったことだけをやっていればいい、と。

――何度も大舞台に立たれていますが、緊張と向き合うコツはありますか?

坪倉:僕は今は植木等さんの音楽を聴きながら、『下町ロケット』の現場に向かいますね。そんなに深く考えるの、やめよう、と(笑)。でも、緊張しますし、緊張をまったくしないのもダメです。

準備がちゃんとできていれば、いい緊張になります。準備できていないと不安になる。

でも、俳優さんは凄いなぁと思います。一瞬で感情が変わって、表情も変わる。セリフだけじゃないんですね。感情でお芝居をしている。感情が重要なんです。

――最後に、いい仕事をするヒントを教えていただけますか?

坪倉:夢中になれることをやること、ですね。どんなに稼げても、好きでないことは続かない。面白がれるものをやることです。

<プロに学ぶ仕事のヒントはこちら>

文:上阪 徹   写真:平山 諭
編集:丸山香奈枝

 

 

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