日本で唯一苦手なことは「シャコウジレイ…」一流企業脱サラ芸人【アイクぬわら】のクレイジー人生に学ぶ

ものまねネタ「東京ディズニーシーの入り口アナウンス」から、コアラ小嵐とのコンビ・ぬわらしの南京玉簾アメリカンスタイル、超新塾のメンバーとしても活躍するほか、テレビ東京の「おはスタ」のMCを担当するなど、人気上昇中のお笑い芸人、アイクぬわら。ニューヨーク生まれシアトル育ちで20歳になるまで日本のことはほとんど知らなかったというアメリカ人は、なぜ日本でお笑い芸人になったのか。言葉もまるでできない中、いきなり大阪にやってきてしまったり、以前はゴールドマンサックスに勤めていたという。日本人はもちろん、アメリカ人もびっくりのクレイジーな人生に学ぶ。

日本といえば、ニンジャ、サムライ、スシくらい

――アメリカでも、やっぱりコメディとか好きだったんですか。

アイク:ぜんぜん(笑)。ITエンジニアのほうがカッコイイと思っていました。Googleとか大手企業に入って、ネットワークエンジニアになりたいと考えていて。ただ、今になって振り返ってみると、人を笑わせるのは好きだった。

――両親がコメディ好きだったとか?

アイク:ぜんぜん(笑)。両親ともに薬剤師でした。家族はみんな医療関係なんです。弟は歯医者。妹はナースになろうと大学を目指しているところ。そんな中で、いきなりワケわからんのが僕で、お笑い芸人(笑)。自分でもクレイジーだと思う。でも、お母さんは応援してくれました。僕の性格を知っているから。人を傷つけなければ、何をしてもいい、と。

自分がカッコイイと思ったものは全部やりたがるんです。お母さんの友達の息子がITをやっていて、部屋がPCだらけで、かっこいい!、と思って9歳からITを独学で始めました。プレイステーションの『トニー・ホーク』でスケボーかっこいい!、と思ってスケボーを始めて、MTVでマイケル・ジャクソンの『スリラー』のビデオを見てダンスを始めて。教会でピアノに興味を持ったらお母さんが先生を見つけてきてくれて、ピアノとサクソフォンもドラムもできるようになりました。お父さんは弁護士か医者になれ、と言ってましたけど(笑)

――大学でITを学んで飛び級して20歳で卒業されます。それが、どうして日本のお笑い芸人に?

アイク:9歳からITをやってたので、大学はあまり学びもなくて。いつも、おもろないなぁ、と思ってました(笑)。それであるとき、シアトルのダウンタウンをブラブラしていて、たまたま日本のDVDショップに入ったら、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の映像が流れてたんです。変な人が早朝に“バズーカ”を持って、寝ている人を起こしにいくんですけど、そのクレイジーさに、なんだこれは、と驚いて。

――日本については、ご存じだったんですか。

アイク:まったく(笑)。日本のことは知らなかった。ニンジャ、サムライ、スシくらい。ホントです。それで、この変な人は誰だ、と見たら高田純次と書いてある。なんだ、中国人じゃなかったんだと思って(笑)。でも、なんか面白かった。

新しいチャレンジが好きなんですよ。それで、お店の人にお勧めしてもらって。あのバズーカみたいなの、他にないの、と(笑)。借りて観たのが、ダウンタウンの『ごっつええ感じ』。言葉はまったくわからないんだけど、なんか面白かった。それからアンタッチャブルさん、おぎやはぎさん、ナインティナインさんとどんどん観て。これが日本への興味の入り口になったんです。

日本の音楽にも興味が出て、スピッツ、ミスチル、ユーミン、シーモ(SEAMO)、ジブラ、GAGLE。近所にあった日本料理屋にも行くようになって。仲良くなった店員のミカちゃんは神奈川県出身だと聞いて(笑)。

Google検索すると、大阪と出た

――それで日本に来ちゃったんですか?

アイク:そうです。子どものころから、何かいいなと思ったらやってしまう性格だったから(笑)。僕は日本に行って、お笑い芸人になるんだ、と決めて。ちょうど大学も卒業したばかりだったし、失敗したらアメリカに戻って、IT会社に入ればいいや、と思ってました。どこでも行けるんちゃうかな、と。

でも、日本のことはよくわからないので、Google検索。Google先生に頼んで「Japanese」「comedy」「where」と入力したら、関西、大阪、吉本と出た(笑)。どこか知らないけど、ここに行ってみるか、と。本当ですよ(笑)。今から振り返ってみたら、イカれてますよね(笑)。友人にも、クレイジーだと言われました。知らん国でお笑い芸人になる、って言葉もできないのに、意味わからんよ、と(笑)。

――でも、本当に大阪に着いてしまった。

アイク:着いてびっくりしたのは、当たり前ですけどまわりを見ても何も読めなくて(笑)。言ってることもわからない。まいったなぁ、困ったなぁという顔をしてたんでしょうね。スーツケースを持って英語のガイドブックを広げてたら、「Excuse me」と。60代くらいのご夫婦がカタコトの英語で声をかけてくれました。「help?」「student?」と言われて英語で話してたんですが、まったく話が通じず…。とりあえずご飯を食べよう、とロイヤルホストに連れていってもらい。

お洒落な店だなナァと思って、シートに座ったら、ご夫婦がコソコソしゃべってるんですよ。アメリカ人に何を出せばいいか、相談してたんだと思います。それで出てきたのがオムライス。これが感動的で。うまい!と思って(笑)。

食べながら、事情を全部、ゆっくり説明しました。コマツさんというご夫婦だったんですが、日本でお笑い芸人になりたい、って言ったらまぁびっくりですよね。日本語できないのに(笑)。とりあえずホテルに行きます、5万円持ってるから、と言ったら、またびっくりされて。何日も居られないよ、5万円では、と。だったら、仕事が見つかるまでウチに泊まっていきなさい、と言われたんです。

――すごい話ですね。

アイク:運ですよ、本当に。まずは日本語を勉強しないと、と思いました。それでコマツさんに教わるんですが、お父さん、ゴリゴリの関西弁なんですよ(笑)。あのな、あのな、みたいな(笑)。でも、当時は違いなんてわからないじゃないですか。

一方で、日本に住むアメリカ人のいるSNSのコミュニティに、仕事を探したいと入れたら、マリコさんという女性が答えてくれて。何のビザで来たの、っていうから、観光ビザだと言ったら、それ3カ月しかいられないよ、と。教えてもらうまで知らなかった(笑)。

マリコさんに東京のビッグサイトで企業の合同説明会があると聞いて、5万円でAIRチケットを買って、面接を受けました。10社受けて、6社受かった。その中で一番給料が高かったのが、ゴールドマンサックスの「データセンターエンジニア」だったんです。

ネガティブなことを言われたら、無視

――ゴールドマンサックスで働きながら、お笑いタレントになるチャンスを待とうと。

アイク:ずっと忘れずに行動しました。ときどき、「ゴールドマンサックスを辞めてお笑いタレントになった」、と言われたりするんですが、順番が違うんです。お笑いタレントになるために、ゴールドマンサックスに入ったんです(笑)。

でも、ゴールドマンサックスで働きはじめたころ僕が話すと、みんな日本の同僚が笑うんですよ。なんでかな、と気づいたのが、「言葉」だったんです。コテコテのアメリカ人なのに、あのな、あのな、みたいなゴリゴリの関西弁をしゃべる(笑)。みんな大笑い。ここから「敬語」を学ぶんですが、今もプライベートは関西弁、敬語は関東弁です(笑)。

――お笑い芸人になるために、まず何から始めたんですか?

アイク:日本語の練習です。仕事が終わったら、とにかく日本の友達を探しました。彼女を作ればいい、とアドバイスしてくれた人がいたんですが、それはダメ。男女で言葉が微妙に違うから、女の子から日本語を学ぶとオネエ調になるんです(笑)。だから、男の友達ばかり探しました。

あとは、業界にコネを作ろうと、バーとかクラブとかに行きました。「いつかお笑いやりたい」と言っていると、つながるんです。でも、学んだこともあった。その場では日本人はみんないい人。でも、じゃあご飯行こう、となると急に「帰って予定を確認して……」とかになって(笑)。日本に長く住んでいるアメリカ人に聞いたら、それはシャコウジレイ、というんだと。つながり作るのに、すぐに覚えた難しい日本語です(笑)。

――日本人には何が面白いのか、というのも難しかったのでは?

アイク:なので、実際に日本人が笑ってくれることをチェックしました。これ言ったらウケる、とわかったらメモしてストックしていって。お笑い芸人になるのは難しいよ、ということも言われましたけど、気にしませんでした。アメリカで暮らしているころから、ネガティブなことを言われたときには、無視していましたから(笑)。

――そして、業界につながりを作った。

アイク:日本に来て5年くらいして、色々な縁で偶然友達になっていた俳優の渡部豪太さんが先輩を紹介してくれたんです。お笑い芸人になりたいと言ったら、あるときその先輩から電話がかかってきて、今から表参道に来ないか、と。よくわからないまま、ビルから地下に下りていくと、テレビで見たことがある芸人だらけで。もう大興奮ですよ。お笑いライブだったんですが、ゲストとして出てみたら、と。今まで覚えたもの、全部そこで出して、笑いを取って。

これがきっかけで、超新塾が新メンバー募集しているけど、興味はないか、と誘われたんです。2011年でした。僕の人生、全部、まわりの人のおかげ(笑)。

厳しく鍛えてもらえた幸運さ

――とうとう、本当に日本のお笑い芸人の仲間入りになるわけですね。

アイク:晴れて超新塾のメンバーになってまずはゴールドマンサックスを辞めようとしたら、おいおい!ちょっと待て、と言われて。早い早い、と。長く苦労してお笑い芸人になったわけじゃないから、日本のお笑い芸人の苦労を、何もわかっていなかったんです。そんなに甘いもんじゃない。芸人として食べていくって、とんでもないことなんだよ、と。

超新塾の大先輩4人(イーグル溝上・タイガー福田・ブー藤原・サンキュー安富)は、最初は本当にイライラされたと思う。上下関係知らない。マナー知らない。敬語知らない。基本の考え方を知らない。「ザ・アメリカ人」ですからたたき上げの芸人さんから見れば、異分子そのものなんです。面白いとは思ってもらっても、そういうことではない。よく怒られました。僕が師匠と仰ぐロッチ中岡さんにもよく叱られました。ロッチ中岡さんには、先輩後輩のイロハまで教えてもらいました。

後にアメリカのテレビが取材に来て、アメリカの番組で僕が密着を受けるんですが、そうすると「いつかオレも」「アイクみたいに」と周りの外国人から言われましたが、オレからすれば甘いなぁ、でしたよね。「わかってないなぁ」「きついよぉ」「ホンマにつらいよ」と(笑)。

――でも、それに耐えた。そういうことやってないと芸人として長続きしない、ということがわかったんですね。

アイク:そうです。本当にラッキーですよ。厳しく鍛えてもらえた。芸人がやらんといかんこと、すごい丁寧に教えてもらって。メチャありがたいことです。それだからこそ、芸人じゃない人とも、コミュニケーションが取れるようになったと思います。

――キツイから逃げようとは思わなかった?

アイク:夢があったら、そこに向かって頑張っていくしかない。本気でやりたいと思ったら、勉強だってできるし、第一線の人から教えをもらうことだってできる。どんどん飛び込んでいったほうがいいと思うんです。

僕にはフィロソフィー(哲学)があって。

それは自分がこうなりたい!とかしたい!という事をどんどんまわりに言うこと。まわりに言い続ければ、何かが動き出すと思うんです。

――お笑いのスキルはどうやって高めていったんですか?

アイク:トライ&エラーです(笑)。なんとなく、これおもろい、と思ったら誰かにぶつけてみる。日常で人と話すときにも、いつも笑わせることを考えています。それでうまくいったらメモする。だから、ときどき、いきなり一人で爆笑することがあるんです。思いついちゃって(笑)。メモは日本語ですよ。英語に翻訳せずに(笑)。

大事なものはハピネスだから

――そんな中で、テレビにも出られるようになって。

アイク:まずは感謝です。長くやっているからといって、テレビに出られるとは限らない。簡単には出られないですから、とにかく感謝です。あとは番組を面白くするために、少しでも力になれるように頑張りたいと思っています。番組のためにどうすればいいか、自分にできることは何か、それはいつも考えています。

――朝のレギュラー番組がありますから、毎朝4時起きだとか。頑張りの原動力は、何ですか?

アイク:少なくともお金ではないですね。お金が欲しかったらさっさとお笑いを辞めて、ゴールドマンサックスに戻ればいい(笑)。ベタに聞こえるかもしれませんけど、幸せを見つけたんだと思います。チャレンジが好き。日本が好き。人も料理もお笑いも文化も好き。社交辞令以外は好き(笑)。居心地いいですよ。まわりの人は、みんな愛しかない。僕は本当に幸せなことをやっているんだと。

――現在レギュラー6本。20歳で来日して、どうしてここまで来られたと思いますか?

アイク:わからないです(笑)。よく言うんですが、僕がやってることなんて、他の外国人にもできると思ってます。今のポジションなんて、「外国人」として僕の替わりなんて沢山いる。そしてどんな物には必ず終わりはあるから。だから自分にしかできないことを見つけたい。そうすれば、必要とされる。

早く人気を高めたい、ということよりも、スキルを上げたいです。上達したい。それが大事だと思うんです。ネタもトークも俳優の仕事も、とにかく練習して技術を高めたい。

テレビに出てまだ4年です。自分がどんな人間なのか、まだまだ知られていないですよね。これが知られるようになったら、できる芸がある。できるボケがある。それまでは時間がかかる。だから、どんなオファーでも結果が出せるよう準備をしておきたい

クレイジーな人生ですよ。でも、大事なものはハピネスだから。それを追いかけたら、お金も、思わぬものも入ってくるじゃないかと思っているんです。それが何かはわかりませんが(笑)それこそ日本のテレビに出る前に、アメリカのテレビ番組出ちゃったくらいですからね(笑)。人生は、本当にわからない。そして、だからこそ面白いんです。

文:上阪 徹  写真:平山 諭
編集:丸山香奈枝

 

 

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