25周年を迎えたRubyは、今後どんな方向に進んでいくのか?―高橋征義氏が語ったRubyの1/4世紀

プログラミング言語「Ruby」が2018年2月24日に25周年を迎えた。それを記念したイベント「Ruby25」が開催された。同イベントでは日本Rubyの会代表理事の高橋征義さんによる特別講演が行われた。その様子をレポートする。

Rubyの25年を振り返る

東京・品川インターシティホールで開催された今回のイベントには開始前から多くの人が集まり、「Ruby25」のスポンサー企業の出展ブースをのぞいたり、講演会場に設置されたモニュメントやスタンド花の前で記念撮影する姿が見られ、非常に熱気が感じられる空間となった。

来賓の挨拶など20分間のオープニングの後、高橋さんによる特別講演「Rubyの1/4世紀」が始まった。

高橋氏のRuby歴は約20年。「私のコミッターではなく、ただのRubyist。だから、素朴にお祝いが言える立場です」と笑いながら語る。

この25年にどんなことがあったのか。「年表にまとめると次の通りとなるが、長いので5年ごとに分割して25年を振り返ってみたい」(高橋氏)

  • 1993~1997:誕生:Rubyが実用に近づく(命名,公開,雑誌掲載)
  • 1998~2002:認知:Rubyが広く知られる(ruby-lang.org,書籍,RubyConf)
  • 2003~2007:転換:Rubyが「選択肢」に入る(RubyForge,Rails,Ruby 1.9)
  • 2008~2012:発展:Rubyがさらに活躍する(rubygems.org,Bundler,JIS&ISO)
  • 2013~2017:普及:Rubyがエッジではなくなる(Ruby 2.0~,Rails 4.0~,cacher.r.o)

1993年~1997年はRubyが実用に近づく誕生の時期。25年前の1993年を振り返ると、trfや小沢健二、JUDY AND MARYなどのアーティストがデビューしたり、「パトレイバー2 the Movie」「ジェラシックパーク」といった映画が公開され、「AKIRA」はコミックが完結したりということがあった。

「当時は大学生で、『fj.*』というネットニュースを読んでいた」という高橋氏。この場所こそ、1995年12月21日にRubyが始めて公開された場所である。

「『fj;souces』はプログラムに興味のある、限られた一部の人が見るサイトだった」(高橋氏)

だが、まつもとゆきひろ(Matz)氏が一人で開発していたRubyが、ここで公開されたことで、一般の人にも知られるようになる。

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Rubyが広く認知されるまで

さらに認知が広がったのは、97年9月22日にInternet Watchの記事で紹介されたこと。そして翌10月にはTRY!PC11月号(CQ出版社)に「ちょーわかりやすいPeal&ruby入門」という記事が掲載された。

「このときはまだrubyはすべて小文字だったけど、Perlと並べるとバランスが悪いので、大文字になった」と高橋氏は言う。

同年12月16日にはオンラインソフトウェア大賞でRubyが入賞。そのときに掲載されたまつもと氏のコメントには「今後は世界的に通用するツールとなり、日本からの世界への貢献の一環になれるように精進したいと思います」と書かれている。

「実際に世界的に通用するツールになったのは素晴らしいことだ」と高橋氏。この頃から徐々にRubyはプログラミング言語に興味のある人に認知される存在になったという。

1999年9月にruby-lang.orgを取得。そこには「今日のひとこと」というまつもと氏のコメントが掲載されており、高橋氏はいつも「チェックしていた」と明かす。

翌10月には世界で初Rubyの本が出版された。それがまつもと氏と石塚圭樹氏共著の「オブジェクト指向スクリプト言語Ruby」である。

これで広く知られるようになり、さらに2000年11月にはデイブ・トーマスとアンドリュー・ハント氏による「プログラミングRuby」という書籍が出版された。

「この本はネットで無料公開している。ただで言語勉強ができるということで、海外圏でのRubyの普及に貢献した」(高橋氏)

2001年11月には、Rubyカンファレンスが米フロリダ州のタンパで開催された。「このように一人で開発していた言語が、広く認知されるようになった」と高橋氏は前半をまとめ、続いて次の5年の話に移った。

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Ruby on Railsが大きな影響を与えた

「とにかくRuby on Railsが登場したことが大きい」と高橋氏。RailsがRubyのエコシステムを大きく変えたという。

その一例がRubyのライブラリ管理の変化である。2003年7月、リチャード・キルマー氏が運営するRubyforge.orgを公開した。

これはSourceForgeライクのプロジェクトホスティングサイトである。当時のRubyist Magazineの記事を見てもわかるが、「Rubyのパッケージ管理は標準がなかった」と書かれている。

パッケージ管理システムがほしいねということで、RPAとRubyGemsが鋭意開発されていたが、互換性はなかった。Railsはパッケージ管理システムがないと使うのが大変になる。

そこでRailsはRubyGemsを採用。そこでRubyGemsの利用が拡大し、「公式パッケージ管理システム的な位置を獲得した」という。

GitHubでgem専用のホストを使用していた時期もあったが、GitHubがgem配信を停止したことで、Gemcutterに移行。2010年3月にGemcutterがrubygems.orgに名を変え、gem配信を引き継ぐことになった。

もう一つ2010年に大きな出来事があった。それは2010年8月29日にBundlerがリリースされたことである。そして、同日Rails3.0.0が公開された。

つまりRailsの開発と同時にRubyのエコシステムが構築されてきたのである。「むしろRailsの方がパッケージ管理のしくみを作ろうと、Bundlerを作ることで、エコシステム構築をリードしてきた」と高橋氏は振り返る。

「エラスティックリーダーシップ」という書籍に「38章 OSS開発のリーダーシップ」という章がある。この章の「はじめに」は「印象的な文言から始まる」と高橋さんは語る。それは「専門家はいない。私たちしかいないんだ」という文言である。

高橋氏は25年をこう振り返り、最後にこう語り、特別講演を締めた。

「Rubyには世界中で使われるプログラミング言語を作る専門家や、その言語を世界中に広める専門家はいいない。いわゆる草の根、ボトムアップで始まった言語である。多くの個人の方々が手探りで頑張って25年でここまで来た。

個人の集まりがRubyを支えている。では組織の役割とは何か。それは個人を支えること、インフラを支えることである。

例えば個人を支えるという例では、full-timeコミッターとして採用したり、RubyKaigiなどのイベントを開催する際のスポンサーシップを務めたりすることで、Rubyの開発を支援する。そのほかにも開発助成金や安定版保守などの提供などもある。

今年5月末から6月初めにかけて宮城県仙台市で開催予定のRubyKaigiでは、セミナーではなく自慢大会にしたい。個人の人が自分の作ったモノを広めていく場にしたい。

Rubyが私たちの開発を支え、その個人を支えるのがRuby。そしてその個人を組織が支えている。だから25年間Rubyが生き続け、今がある」

取材・執筆・撮影:中村仁美 / 写真提供:Ruby25周年記念イベント開催実行委員会

※本記事は「CodeIQ MAGAZINE」掲載の記事を転載しております。

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