「日本モダニズム建築の傑作」の建て替えを惜しむ声
1962年に「世界をもてなすホテル」として開業したホテルオークラ東京。帝国ホテル東京、ホテルニューオータニともに「ホテルの御三家」と称されるほどの歴史と格式を誇り、その美しい姿から「1万8千坪の芸術」という別名を持つ、都内でも有数のラグジュアリーホテルだ。そんなホテルオークラ東京の本館が2015年8月31日で閉館、建て替えられることになった。
ホテルオークラ東京が開業したのは1962年、東京五輪の2年前のこと。創業者である大倉喜七郎の「建築やインテリアに日本美術の粋を集め、日本ならではの国際的なホテルを作る」という構想をもとに作られた。建築にあたっては当時の日本を代表する建築家やデザイナーらが集結し、建築や意匠を担当。当時ホテルとしては日本で初めて「三ツ矢式建築」を採用し、日本モダニズム建築の傑作と言われている。そのような歴史的価値が高い建物の建て替えとあって、日本国内はもちろん、海外からも存続を求める声が届くなど反響が広がっている。
建て替えの背景には外資系ホテルとの競争激化が
本館の建て替えにはいったいどういう背景があるのだろうか。ひとつは建物の老朽化。竣工から52年が経ち、耐震基準を満たすためにも建て替えは不可避という現実がある。もうひとつに挙げられるのは、近年相次ぐ外資系ホテルの新規参入。都内を中心に世界の名だたるラグジュアリーホテルの開業が相次ぎ、同価格帯ホテルの競争が激化。国内資本のホテルから顧客の流出が進んでいることも事実だった。建物の老朽化と客単価や稼働率の低下が懸念されるなか、建て替えの噂は以前からまことしやかにささやかれていた。
生まれ変わった本館は2019年開業の予定
2015年8月末に本館を閉館し、建て替え工事に入った後も、別館で営業を続けるホテルオークラ東京。生まれ変わった本館は2019年開業の予定となっている。ホテルオークラ建築の基本である「日本の伝統美」を継承しながら、最新の機能を装備。地上38階の高層棟と13階の中層棟を建築し、客室数は約550室となる予定だ。2棟のビルのうち、高層棟にはオフィスフロアを設置し、ホテルとオフィスの複合施設となることで、経営面でも大きな柱となるテナント収入が見込まれている。また、敷地の約半分にあたる1.3ヘクタールは緑地として整備。都心にあるオアシスとしても機能することとなる。半世紀余という長きに渡り、国内のみならず海外の要人や著名人たちに愛されてきたホテルオークラ本館。1万8千坪の芸術はどのように生まれ変わり、我々にどんな感動を与えてくれるのだろうか……。
(文/薗部雄一)
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