女性の心をうまくつかんだ「LUMINE」のポスターは大きな話題となった。
「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。」
「嘘泣きはする。作り笑いはしない。」
その着想はどのように得られたのか。コピーライター、尾形さんに聞いた。
■女の子にとって、買い物は単なる消費行動ではない
コピーを手掛ける時は、いつも、言葉にならないイメージが先にあるんです。質感というか、手触りというか。価値はこのあたりなんじゃないかというか。そういうあまりに抽象的ものを過不足なくコピーに落とし込めたときは、やった!となる。
でも、まさかLUMINEのコピーが、こんなにも女の子たちの心に刺さるとは想像以上でした。広告のコピーが、まるで、自分に対する励まし、個人的な応援のように感じてくれてくれる人たちが多くて、嬉しくもあり、驚いてもいます。例えば「なにを着ても可愛くない日も、たまにはあるけど。」のように、誰にも話したことのない極めて個人的なことでも、多くの人が心にもっている共通体験であれば、強いコピーになると知りました。
どういうコピーなら心に刺さるものが提供できるかは、自分でも100%把握できているわけではありません。ただ、こんな風に考えたのがよかったのかな、ということはあります。このシリーズのコピーを担当し始める前、LUMINEからいただいたリクエストは、「駅ビルからファッションビルに生まれ変わりたい」というものでした。利便性だけでなく、LUMINEという場所を選んで、服を買いたいと思ってもらわないといけない。ターゲットとの気持ちのつながりが重要になってきます。LUMINEを自分に関係のある場所だと思ってもらわないといけない。そのために広告でできることは何なのかといったら、「女の子たちの気持ちを一番わかっているのはLUMINEだ」と伝えていくことだと思いました。だから、例えばたった一枚のブラウスを女の子が選ぶとき、その裏にあるであろう「いろいろな感情」を考えてみたんです。
「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。」というコピーも、根っこにはその考えがあります。そのブラウスでどんな自分になりたいのか。そのブラウスを着て誰に会いたいのか。会社での受けはどうか。次のシーズンまで着たいかどうか。自分のクローゼットの中との相性はどうか。一着の購買を通じて、あらゆる自分と向き合っているはずです。たかがブラウスじゃない。そんなふうにいろいろと想像してみる。
実際に、そんなことを意識的に考えながら試着室に入る人はいないかもしれないですけどね。私だって、服を買うときは服のことしか見ていません(笑)、だけど、誰かを思いながら服を選ぶときの気持ちはわかるし、それってすごく、素敵なことだと思います。女の子にとって買い物は単なる消費行動ではない。もっと豊かなものだ。そんな彼女たちの物語を1行に集約して、「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。」というコピーを書きました。
■大切なのは、消費者のことを知って、食べやすい形に料理してあげること
コピーライティングの難しさは、クライアントの満足と消費者の満足、どちらか一方では足りないということです。クライアントからのメッセージをそのまま伝えるのでは、ニュースリリースを出しているのと変わりません。コピーにはもう1つ、消費者が「聞きたい」情報に変える作業が必要になるんです。
私がコピーを教わった方に、コピーライターの谷山雅計さんという方がいるのですが、その方が以前、ホウレンソウを使って話をしてくださいました。「いくら栄養たっぷりでも、ゆでたホウレンソウをそのまま食卓に出したら、子どもは嫌がります。でも、ゴマ和えにしたら喜んでくれるかもしれない。子どもが好きなチーズと一緒に焼くのもいい。目的は、ホウレンソウを食べてもらうことだけど、相手の好みによって、手段はいろいろ考えられる、と。
どれだけ伝えたいメッセージも、そのままでは伝わらない。大切なのは、消費者のことを知って、彼らが食べやすい形に料理してあげること。まずはひと口食べてもらう。できれば、「美味しかった!」と完食して欲しい。もっと欲を言えば、「また食べたい!」と言って欲しい。それができたら、効く広告が作れたということになりますよね。
「世の中の人は今どんな気分なんだろう?」と、なんとなくいつも気にしています。それこそ、電車のなかで乗客のおしゃべりに聞き耳を立てるとか。そんな日常でできる些細なことです。でも、そのひとつひとつが生きてくる。よく誤解されますが、私だって、女だというだけで、世の中の女性のことを良く知っているわけじゃないんです。普段は忙し過ぎて、女性らしい素敵な生活は1ミリもしていない(笑)。ましてや、今の女子高生のことなんてさっぱりです。テレビを見ても本を読んでも、彼女たちのリアリティはつかみきれません。でも、直接、話をする機会はなくても、いつもそばに感じていないといけない、とは思っています。もし電車で、自分と同世代の女性2人と、女子高生2人がいたとしたら、女子高生2人の近くに座るとか。そういうことはよくしています。
今もって、これが正解だ、なんて言えるものは自分の中にありません。ただ、こういうことか!と手応えがあったことはあります。それは、「雨の日」のコピーがうまく書けたときです。ファッションビルは、梅雨時になると客足が遠のきます。むしむしベタベタして、お洒落するにも制限が多い。だから「梅雨だけどおしゃれしようよ」と伝えたいのですが、それをそのままコピーにしたところでお洒落したい気分になるわけはない。嘘くさい、手前味噌なコピーになってしまう。梅雨をポジティブにとらえるって、どれだけ難しいのかと困りました。
悩んで書いたのが「雨が嫌いだった頃、私はまだ誰のことも好きじゃなかった」というコピーでした。別に、雨がいいとも悪いとも言っていないんだけど、雨に対する女の子のまなざしがちょっと変わる言葉。女の子にとってマイナスでしかなかった雨が、悪くないものに思える言葉。「雨が嫌いだった」って、なんでいきなり前提を決めつけてるんだ、と自分でも突っ込んでしまいましたが(笑)。書けたときは、すごく嬉しかったです。
■同じ高さのハードルばかりを設定していると、誰より自分が飽きてしまう
先ほど、クライアントの満足と消費者の満足、と言いましたが、できれば自分の満足もそこに入ると最高の仕事になります。もちろん、自分の満足以外の2つが揃うだけでも万々歳ではあるんですけど。でも、経験を積んでいくうちに、欲が出てきたんでしょうね。自分も満足したいと。同じ高さのハードルばかりを設定していると、誰より自分が飽きてしまう。だから、いつも、昨日の自分には書けなかったコピーを書いてみたいと思っています。
でも、それは本当に大変なことで。つくったコピーをみて「私の頭の中にあるイメージはもうちょっと素敵なのに!」という、描いた餅との落差に地団駄を踏むこともたくさんあります。今まで何百回、「もう、この仕事辞めようか」と思ったかわからないです。動物園の入り口でチケットを切る係になりたい、プールの監視員になりたい、なんて。実際、やったことはないんですが、憧れで。すごい現実逃避です。
そもそも広告の仕事って、反応がリアルではないんです。例えば駅のホームで目につく大きな看板、見ている人なんて誰もいないんですよね。私は仕事柄チェックしていますが、みんな携帯をいじったり、友達としゃべっていたりが当たり前で、誰も広告に目を向けていない。基本、無視され続ける仕事なんです。そんな中で、やり過ごすことのできないような、目と心にとまる広告を作らないといけない。身体を動かしてもらわないといけない。だからこそ、コーヒーを1杯いれて、目の前のお客さんにおいしかったと言ってもらえる、そんなダイレクトな反応をもらえる仕事がうらやましくなることもあります。
でも、私はこれまで10年以上も、この仕事を続けることを選んできたわけで。続ける限りはよい仕事をしたいと、やっぱり思ってしまいます。そのためだったら、たまには現実逃避してもいいかと。「逃げ場をなくして自分を追い込んだほうが頑張れる」のが普通なのかもしれませんが、そんな強い人ばかりじゃない。いざとなったら辞めてもいいのだから、今できることはあきらめないで頑張ってみよう。私はそう思ったほうが頑張れるんです。もうこれしかない!と思い詰めると、後にも先にもひけなくなって、ますます辛くなってしまいますから。
もともと、コピーライターになったのは、「ものが書ける」仕事に就きたいと思っていたから。書けるなら、新聞でも雑誌でもよかったのだという。
■天職かどうかなんて、続けるほどにわからない
大学のころから、書くことが好きで、「ライター」とつく仕事に憧れていたんです。ものが書ける仕事だったら、新聞でも雑誌でもいいと思っていました。
言葉ってフェアでしょう。誰にでも使えるツールです。そんなとき、たまたま縁があって「広告批評」という雑誌でアルバイトをして、広告にも興味を持つようになりました。新聞や雑誌は、消費者の側に「読みたい」というモチベーションがあって手にとるものですよね。でも広告は、生活のなかに勝手に溶け込んでいる。読むも読まないもその人次第です、みたいなところがあります。矛盾するようですが、そこが魅力でもあるんです。
例えば、何の気なしに電車から降りると、美しい京都の写真とそのよさを表現したコピーが目に飛び込んできます。そんなときに、「ああ広告って、私の生活を豊かにしてくれるものなんだ」と思ったんです。そんなエピソードをエントリーシートに書いた記憶があります(笑)。
ただ、やってきて思うのは、私はそんなにコピーがうまくないってことです。これは謙遜してるつもりは全然なくて、うまい人は本当にもっとうまいんですよ。
これまで経験を積んできて、技術を身に付けて、お得意先からも信頼していただけるようになって、最低限ここまでは書けないとダメだ、という勘所もある程度はつかんでいます。でもうまい人は、私とはまるで違う次元からコピーを生み出しているような気がする。何をもって「コピーがうまい」と判断するのか、難しいところですけど。例えば、携帯電話にかけたときに鳴る「プププ」という音。あれはすごいコピーですよね。世の中にその会社のユーザーがどれだけ広がっているのか実感させてくれます。それがわかったのも、経験のおかげだと思うのですが、一方で、自分はそこまでの領域にはいけないんじゃないかな、と勝手に暗い気分になったりもします。
コピーライターを始めたときもそうだったんですよね。名刺をもらったはいいけど、いっちょまえに「コピーライターです」なんて言える自信はどこにもなかった。上司に「ちょっといいですか?」と声をかけた瞬間、「やめるの?」と心配されたこともあるぐらいです。それだけ、いつ辞めてもおかしくないと思われていたんでしょう。それでも、なんとか続けて、ここまできた。そしたらまた、コピーってまだまだ先なのか上なのか横なのかが限りなくあるんだなと。どこまでいったら、「これが自分にとっての天職です」と言えるようになるのか、ちょっと想像がつきません。でも、今はそれでいいと思うんですけど。
おがた・まりこ●1978年生まれ。東京都出身。2001年、博報堂入社。コピーライター/制作ディレクター。LUMINE、資生堂、東京海上日動あんしん生命、Tiffany&Co.、キリンビール、日産自動車などの広告を手がける。LUMINEの、女性の心に刺さるコピーに共感するファンも多い。朝日広告賞グランプリ他受賞多数。2010年には『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(KKベストセラーズ)で小説家デビュー。
■information
『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』尾形真理子著
「脱皮したら、春。」「悪い女ほど、清楚な服がよく似合う。」「可愛くなりたいって思うのは、ひとりぼっちじゃないってこと。」「ドレスコードは、花嫁未満の、わき役以上で。」「好きは、片思い。似合うは両思い」。これらLUMINEの広告コピーをタイトルに冠した5本の小説を収録。「ふだんはコピー1行に凝縮している女の子の物語を、ここでは凝縮せずにそのまま表現している」と尾形さん。彼女のコピーライティング術の一端が垣間見える一冊となっている。KKベストセラーズ刊。
※リクナビNEXT 2013年5月8日「プロ論」記事より転載
WRITING:東雄介 EDIT:高嶋ちほ子 PHOTO:栗原克己