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リクナビNEXTジャーナル

キャリア・ビジネスの情報満載【リクナビNEXTジャーナル】

強盗に銃を向けられ、身ぐるみ剥がされ…それでも「こぎ続けたい」――“自転車冒険家”西川昌徳の「僕が自転車で世界を旅する理由」 season1

10年間で27ヵ国、80,000kmを自転車だけで走り抜けた男がいる。その名は西川昌徳(33歳)。
世界各地の旅先で自力で水や食べ物を確保し、寝る場所を見つけテントを張る。パンクなど日常茶飯事。時には命の危険を感じるトラブルに遭遇することもある。それでも彼はゴールを目指し、日々ペダルを踏み続ける。そんな経験を日本中の子どもたちに知ってほしいと、小学校での授業や講演活動も続けている。

彼にとって「自転車で世界を旅すること」とは一体何なのか? なぜこうした経験を子供たちに伝えたいと考えたのか? 今年アメリカ大陸縦断の旅から帰国したばかりの彼に、今回の旅、これまで人生、仕事に対する思いを全4回のインタビューでじっくりと伺った。

今回は第2回目。前回記事の最後、メキシコ国境付近で西川さんは強盗に襲われ、絶体絶命の状況に。そこからどう生還することができたのか? その後もなぜ旅を続けることができたのかについて伺います。

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強盗に拳銃を突きつけられても、冷静な自分がいた

────強盗に襲われた!? しかも拳銃を突きつけられたんですか!? その時はどんな気持ちでしたか?

それだけ聞いたらめっちゃ恐怖体験でしょ? けど、銃を突きつけられている僕はなんでかわかんないけどめっちゃ冷静なんですよ。あ、今、自分が強盗に襲われてる、あの時「メキシコ国境付近は危ないから気をつけろ」と言われてたことが、今まさに僕に起こってる、という感覚です。襲われていた時どういうことを思っていたかというと、1人は僕を殴りながらもう1人はバッグを持っていってる。あかん、その中にMacBook入ってる、あかん、オリンパスの一眼レフカメラ入ってる、あかん、現金とパスポートもやと。けっこう俯瞰でみてる感じです。

──何らかの抵抗はしなかったんですか?

その間、拳銃でも殴られたんやけど、強盗に襲われた時、抵抗したらあかんのですよ。抵抗して撃たれたら僕の人生、そこで終わりますから。何とかもう自分の身を守らなあかんと思ううちにどんどん荷物を奪われていくけど、銃口を向けられてるからどうすることもできひん。

そんで2分半くらい経った頃やったかな、強盗の1人がカタコトの英語で「キーはどこだ?」と言ってきたんですよ。自転車は盗難防止用のワイヤーで繋いでたんですが、その鍵が見つからないから、僕を殴りながらキーはどこだと。あいつら僕の自転車までも奪っていく気やったわけです。僕は「どこにあるかわからない!」と叫びました。そいつら僕の物を盗りながらそこら中の物を蹴散らしていたので、本当に僕にもわからなかったんです。結局3分経って、もうこれ以上おったら自分らもヤバイと思ったんでしょうね、いきなり僕の荷物を持って逃げ始めた。

──取りあえず撃たれなくてよかったですね。その後どうしたんですか?

もしあそこで撃たれてたらわけわからんとビックリしたまま逝ってると思う。成仏できんやつですね(笑)。

強盗が逃げていくのを見ながら僕もはよ逃げなあかん、戻ってきたら何されるかわからへんと、自転車をくくりつけていたワイヤーをぶちって引きちぎって、自転車担いで街の方に走って逃げました。人間って、ああいうとき、すごい力出るもんですよ。

でもその時、僕ズボン履いてないんですよ。寝るときの格好やから。タイツ1枚で自転車担いでぶわーっと砂浜を走って、街の中に入って明かりがついているとこへ駆け込んだんです。そこはガソリンスタンドやったんですが、給油してたタクシーの運転手が僕の方を見て、なんやこいつみたいな感じでギョッとしてて。その運転手に「強盗に襲われたから助けてくれ!」と言って警察を呼んでもらいました。

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頭に浮かんだのは子どもの顔…

それからしばらくして警察が来て事情を説明して、一緒に襲われた現場を見に行きました。その後、警察署に行って、今日は取りあえずここで寝なさいと警察署のコンクリートの上で着の身着のままで寝ることになったんです。でも頭の中はもういろんな思いでうわ~ってなっとるわけですよ。その内の半分くらいはどうやったら強盗に襲われるのを防げたかということ。あとはお金1円もなくなった、パスポートもなくなった、何者でもなくなった、日本に帰らなあかんと。

もう1つ考えていたのは、今帰ったら、帰国後、僕の授業や講演を楽しみにしてる学校の子どもに会わせる顔ないやんけ~ってこと。これ意志のコントロール働いてません。世界のおもしろさ、外国のいろんなすばらしさ、そして自分のチャレンジを伝えてきた僕が強盗に遭ってすべてを失って日本に帰って子どもに話したら、絶対子どもは世界が、メキシコが、何かにチャレンジすることが恐いと思ってしまう。このまま絶対に終わらせたらあかんと思ってたんやけど、どうしようもない。ほとんどのものが盗られてしまったんやもん。残されたのは自転車だけ。

で、もんもんとしながらほとんど眠れないまま警察署で朝を迎えました。でもその後も警察は何にもしてくれへんかった。朝、昨日の担当の人から新しい担当に代わったんですが、いきなり「あんた誰や」って言われて。

──それはひどい。日本の警察じゃありえないですね。

もう取りあえずメキシコの日本大使館に電話させてくれと頼んで電話したんですよ。
僕「強盗に襲われてお金もパスポートも荷物も取られました」
大使館スタッフ(めっちゃ冷静な声で)「そうですか。それじゃあ今すぐメキシコシティの大使館に来てください」
僕「え、メキシコシティ、ここから2500キロありますよ!
大使館「はい。そうです。来てください」
僕「1円ももってないんですよ!」
大使館「日本から送金してもらってください」

僕「いや~身分証明書もないんですけど…」

大使館「もし本当にどうしようもなくなったらまたご連絡ください。大使に指示を仰ぎます」
う~ん、これは困ったことになったぞと。

──それからお金ないのにどうしたんですか?

どうしようもないけどここであきらめたら終わりやから警察官に「ちょっとでええからそのFacebookやってるスマホ貸してください」と頼み込んで自分のIDでログインして、サンディエゴでお世話になった梶正雄さんという方の電話番号を調べてまたその警察官に「頼むから1回でええからここに電話させてください」とお願いして電話しました。

祈るような気持ちで呼び出し音を聞いてると、その梶さんが出てくれました。
「西川くん、元気? どうしたの?」って言ってくれたので、「強盗に身ぐるみ剥がされて1円もなくなりました」と言うと、「わかった。これからそこへ行くからちょっと待っとけ」と車で3時間かけて国境越えて警察署まで来てくれたんですよ。その上僕の身元引受人になってくれて、ズボンまで履かせてくれて(笑)。さらに「取りあえずここ来る時にATMで500ドル引き出せたからこれで何とかするんやぞ」と言ってお金渡してくれたんです。

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恐怖心や悲しみが7割吹き飛んだ、梶さんの優しさ

──梶さん、すごくいい人ですね。

そうなんですよ、めっちゃええ人なんですよ! それから梶さんの車に乗せてもらって、梶さんの家に向かいました。

その車中で、僕は前の日、警察署の冷たいコンクリートの上で一晩中考えた結果、自分の中に浮かんできた1つのイメージについて考えてました。梶さんは横で運転しながら「昨日は大変やったな。日本帰るんやろ。これからどうする?」みたいなことを言ってたんですが、その梶さんに向かって、「梶さん、俺、今お金預かりましたよね。後ろに自転車ありますよね。俺、ここからもう1回走れませんかね?」と言ったんです。「あんな危ない目にあって、まだそんなこと言うんか!」って怒られるかなと思ったんですが、梶さん、僕の方をちらっとみて「イケるんちゃう?」って言ってくれたんですよ。

──マジですか! 梶さんも強烈な人ですね。

実は梶さん、1982年から6年をかけて自転車で世界一周したことのある人で、僕と同じ目に遭ったこともあるらしくて。だから怒らずにそう言ってくれたんだと思います。

梶さんにそう言われた瞬間、心がめっちゃうれしなってね。これで子どもらに違うストーリーを見せられるかもしれんと思って。それで強盗に襲われた恐怖心と悲しみの7割くらいが吹っ飛んで、その日からどうやったら目的地のメキシコシティまで自転車で走って行けるかを考え始めたんです。そして現地の友人にパソコンを借りて「ごうとうにあいました」って強盗に襲われてお金とほとんどの荷物を奪われたことと、「ぼくは、またはしる。さいごまではしる。そしてにほんにかえる」という決意表明を全部ひらがなでFacebookに投稿して、強盗に襲われた3日後からメキシコシティを目指してまた走り始めました。

あの時、梶さんに怒られてたら、ほんまに僕、そのままメキシコシティの大使館に向かって渡航書を発行してもらって飛行機に乗って日本に帰ってたと思う。その上当面の生活費や衣類まで貸してくださって……だからほんまに僕、梶さんに感謝してるんです。

また"漕ぎ出したい"と思えたのは「人を信じたい」という気持ちがあったから

──子どものためとはいえ、よくあんな死んでてもおかしくない体験をしても走りたいと思いましたね。普通は早く日本に帰ってあったかい布団でぐっすり寝たいと思うと思うんですが。もう無理とは思わなかったんですか?

強盗に襲われた直後は、頭の中では帰らないといけないものとは思ってましたよ。旅を続けるための最も重要なツールであるお金がなくなってしまったからね。盗られたのは日本円にして8万円。僕にとっては大金です。それよりも、クレジットカードを盗られたのが致命傷でした。現金は非常用で、支払いも現金の引き出しもクレジットカードなので。大使館にコンタクトを取るというところまでは考えつかないことばかりだった。僕としても初めての体験だったから。

でも警察署の堅い床で寝てたら頭の中に勝手に浮かんできたんですよ。「今帰ってどうすんねん」って。12月3日にあと1ヵ月のラストスパートを走りきって日本に帰りますと宣言した、その次の日に強盗に遭ったから、そのままメキシコを発つと予定の1ヵ月前に日本に着いちゃいますよね。だから帰ってもやることないし、学校に行っても子どもに向かって発する最初の一言さえ思い浮かばない。「ただいま」なのか「ごめんね」なのか。

──強盗に遭って身ぐるみ剥がされたので予定より早く帰ってこざるをえませんでしたと言っても全員納得しますよ。それより普通はあんな殺されててもおかしくないような状況を経験したらもうこんなこと無理、とか普通は思うと思うんですよ。こんなんじゃ命がいくつあっても足りない、旅自体をやめようとかはなぜ思わないんですか?

これはね、人に話してもなかなか伝わらないんですが、強盗に襲われたことに対する恐怖ってそんなに心に刺さってないんですよ。強盗に遭ってからの2日間は、次の町の家族の家で今後のことをいろいろ調べたり、大使館に連絡したり、ちょっとケガもしてたので、たぶん肋骨が折れてたと思う、丸2日休ませてもらったんですね。で、帰国期限があるので3日目から自転車で走り始めたわけですが、休んでた2日間は外に出るのは恐かったし、3日目、自転車で走り始めた時はヒリヒリしたんですよ。恐怖というよりはヒリヒリ。いけないことをやってるみたいな。でもそのヒリヒリもあっちゅう間に消えましたね。

──なぜそんなに早く消えるんでしょう。

たぶん根本には、人を信じたいという気持ちがあると思うんですよ。強盗って確かに悪人には違いないけど、彼らにも友だちや家族など大切な人がいるだろうし、幸せやなと思う瞬間もあるだろうし。そう思うと彼らをそんなに恨む気になれないんですよね。Facebookで「どうしてもっと強盗に怒りをぶつけないの」というコメントを貰ったんですが全く理解できなくて。いやいや、思ってない感情を生み出す方が難しいよねと。もしかしたらもっとしっかり強盗の表情を見ることができていたらイメージも浮かぶんでしょうけど、真夜中で真っ暗だったし、強盗の顔を見たら殺されるリスクが高くなるので見られなかった。だから顔を覚えてないことがもしかしたら最後の手助けになってるのかもしれない。

自分があのタイミングでホテルに泊まらず、あの場所でキャンプしたことについてはなんであんなことしたんやろとしばらく後まで考えましたよ。失ったものが大きすぎたので。でも襲ってきた強盗に対しては怒りや憎しみ、恨みとかはないんですよ。

──それは自分の責任、自業自得だからってことですか?

わからない(笑)。たぶん、自業自得なんでしょうね。

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様々なことが重なって…

──そもそもあんだけ事前にアメリカとメキシコの国境付近は危ないから気をつけろと言われていたのに、野宿したのはなぜなんですか? 明るいうちにさっさと通り過ぎるというスケジュールを組むのは難しかったのでしょうか。

難しかったです。予定よりも遅れてましたけど、泊まるなら国境の町のホテルに泊まって、次の日の朝早く行動するべきだったでしょうね。

あのビーチでキャンプしてしまった理由の1つは、国境の町から早く離れないといけないという思いがあったので、途中でキャンプできそうなポイントを探しながら暗くなる中、自転車で走っていたんですが、ちょっとビビってました。暗くなるまで走ったら体力的にも疲れるし、精神もすり減って判断力が鈍るんです。しかも前の日にいろんな作業をしててあんまり寝てなかった。そういうときにね、よく判断ミスをするんですよ。ちょっと考えが至らなかったり、楽な方に流れるというか。ホテルも探そうと思えばいくらでも探せたはずなんですよ。暗くなってもね。それよりも、安全を確保するよりも早く楽になりたいというか、早くこの緊張から解かれたい、休みたいという気持ちの方が勝ってしまった。

あともう1つは、メキシコに入る前に梶さんと一緒に、昔自転車で世界一周した日本人のお墓参り行ったのですが、その時、自転車で旅しているイギリス人に出会ったんですよ。彼はメキシコから国境を越えてアメリカに入っていたので、「昨日(メキシコの)どこで寝たん?」と聞いたら「ビーチでテント張って寝た。きれいでよかったよ」と言ったんです。彼はあそこでキャンプしても大丈夫だったんですよ。しかも不安を感じていなかった。それが心のどこかに残ってたから多分、キャンプをする方に気持ちが傾いたんだと思う。理由としてはこっちの方が大きいかもなあ。

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▲梶さんとお墓参りに行った時の写真

いずれにしても、その時感じていたことをすべて言葉で説明するのは不可能で、僕がそういう考えに至ってキャンプすることを決断してるんですが、それに対して考えが足りないと受け取られるかもしれないし、あまりにも安易だとか言われるかもしれない。でも終わったことはしょうがないですからね。

──その時にしか考えられないこともあるでしょうしね。

落とし穴みたいに常にそこにあるものだったらわかるんですが、強盗ってタイミングも重ならないと遭わないし。リスクは自分で高めていったけど、遭ってなかった可能性なんていくらでもあるじゃないですか。

──そうですね。こういう危ない目にあったのは初めてですか?

初めてです。ヤバイと思ったのはメコン川で溺れそうになったこととヒマラヤで高山病で死にかけたことくらいですかね。でも暴力を振るわれたのは初めて。メキシコ人にも「前にもこんなことがあったか?」と聞かれて、いや初めてだと答えると、「すまん、俺の国で」と謝られてしまって(笑)。

──自転車を盗られなくて本当によかったですね。

強盗は自転車も盗る気まんまんでした(笑)。ほんま自転車が残っててよかったですよ。もし盗られてたら、まだこの旅を続けたいという気持ちは生まれなかったでしょうね。選択肢を全部奪われてますから。おもしろいのがサングラスもヘルメットも残ったんですよ。ズボンはなかったけど(笑)。

自転車を盗られてたらその後の劇的なドラマも生まれてませんしね。情けないだけで終わってますよ。

 

強盗に襲われるも、命からがら生き延びた西川さん。そんな体験をしてもなお、自転車をこぎ続けることを止めないのはある気持ちが根本にあったからでした。それだけではなく、自転車を盗られなかったことで劇的なドラマが生まれたと話します。

第3回<子どもたちのために走り続ける…そう宣言したことで起きた奇跡的なドラマ>に続く

連載<“自転車冒険家”西川昌徳の「僕が自転車で世界を旅する理由」 season1>記事一覧はこちら

  文/写真:山下久猛 写真提供:西川昌徳