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【大先輩の仕事伝】ギターひと筋40年、「現代の名工」の仕事観。「いつだって『また“いち”から』」(前編)

定年を迎える年をとうに過ぎても働き続け、仕事人生を降りようとしない「大先輩」たち。彼らのキャリアを振り返ることで、見えてくるものが、きっとある。「働く」ってなんだろう。「向いてる仕事」ってなんだろう。「やりがい」ってなんだろう。その答えを教えてくれるはずだ。

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今回お話を伺う大先輩はこちら。

16歳でヤマハに入社して以来、手作りの高級ギター「手工ギター」の製作で40年のキャリアを持つ伊藤敏彦さん(67歳)。その卓越した技術を認められ、2007年には「現代の名工」の1人に選ばれた。定年後も自宅脇に工房を建て、木材の選定から木工、組み立て、塗装すべてを1人で行い仕事を続けている。

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伊藤敏彦さん(67歳)

1964年ヤマハ入社。67年から最高級ギター「手工ギター」の製作に従事する。2007年、厚生労働省から「現代の名工」に選ばれる。キャリア40年、「生まれ変わってもまたこの仕事がしたい」と明言する。

 

はじまりは“2通の辞表”

 はっきりいうと、勉強が嫌いでね。進学することもないと思って、中学を卒業すると職業訓練校で木工を習ってからヤマハに入社しました。18歳のときです。なぜ木工か? 小さいころからめちゃくちゃもの作りが好きでした。いつも小刀を携帯して、竹から鉄砲を作り、鳥を撃ったりして遊んでいました。いっぽうで、音楽とは接点がなかったんですが、手を動かす仕事なら性にあうと思って。

 

ところが、入社して2年のうちに辞表を2度書きました。ピアノの製造部門に配属されたんですが、持病のぜんそくが酷くなりました。会社を休むことも多くなって、これでは迷惑をかけると思って、1回目の辞表を提出したんです。引き留められて、今度はピアノの弦をつくる部門に回してもらいましたが、ぜんそくは治らないまま。それに、習った木工とも関係がないじゃないですか。ほとんど機械がやってくれるから楽には楽なんだけど、自分がやりたいこととは違う。それで2回目の辞表です。

 

でも会社が、時代が、良かったですね。当時の若者は、いずれ会社を背負ってたつ「金の卵」として扱われました。人事に呼び出されて、病気はゆっくり治せばいい、それより新しく「手工ギター」の製造部門が出来るから、やってみないかと言われました。そこなら僕の木工も生かせるし、悪い話じゃない。これが、僕のギターづくりの始まり。それから40年、ギター作りに携わることになりますが、始まりは、ほんの偶然なんです。

 

 

「なぜ、なぜ、なぜ」でのめり込む

 新しい職場にいくと、若いのは僕ともう1人だけ。あとはみんな定年過ぎの大ベテランのおじさんで、40歳の年齢差がありました。昔ながらの「見て覚えろ」という環境ですが、可愛がってもらいましてね。聞けば何でも教えてくれた。それから気に入ったのは、ギターづくりの全行程を見られること。ピアノづくりは分業化されていましたけど、ギターは全部自分で手作りできる。やっぱり性にあったんです。

 

ギターづくりは、大きく木工、組み建て、塗装の3工程に分かれています。私の担当は組み立て。でも、ちょっとやっていれば慣れっこになる。周りの先輩方の作業も目に入る。自分もこれ、もっと勉強したいと思ったんです。上司に「残業代とかいらないから、勉強させてくれ、材料一式を使わせてくれ」と直訴したら、やっぱりいい会社で「おやんなさい」と。そこでギターづくりの基本を身に付けた。

 

3年経ったころには、1人でギターの形を作れるようになりました。ところが、本当に「ハマる」のは、この後なんです。僕はギターの「形」がわかってきただけで、まだ「音」のことを考えていなかった。それで、痛い目を見たわけです。

 

あるとき、クラシックギターの本場スペインに留学していた先輩が帰ってきました。伊藤は若いし木工も出来るということで僕が目をかけられて、彼に改めてギターづくりを教わることに。職場の片隅を特別に仕切ってもらって、マンツーマンです。正直なところ、先輩は木工はあまりうまくありませんでした。ノミやカンナを使わせたら僕のほうが上ですし、出来上がったギターを見ても、僕のほうが綺麗です。でも、音のチェックをすると、僕が負けるんです。なぜ?となるじゃない。だって、僕のほうが上手に作っているのに。

 

先輩によく叱られたのは「伊藤、定規を使いすぎる」。僕は図面通りに作ろうとして部材の寸法をちょこちょこ測るんです。でも先輩は「そんなの何だ、1回計ればそれでいい」。できあがったギターは、やっぱり僕のほうが綺麗です。でも音の引き比べをすると、僕が負ける。1回目は「たまたまだろう、と思ったけど、2回目もやっぱり負けた。3回目も同じ。そこからですよ。なぜ、なぜ、なぜと、追究心が湧いてきて、ギター作りのめりこんでいきました。

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「いい形」から「いい音」のギターへ

 後になって振り返ってみると、先輩は、形のいいギターの作りかたは知らなくても、いい音のするギターの作り方を知っていたんですね。いい音というのは、人から教えられるものではありません。ある人が「いい」と言っても、自分が同じように「いい」と感じるかというと、わからないからです。じゃあどうするかといったら、自分で1つずつ耳で覚えていくしかない。僕はギターは弾きませんが、幸い、音のいい悪いを聞き分ける耳は、鋭かったのです。

 

僕が編み出したのは、木を叩くこと。その響きを聞くんです。何をするにしても、まず木を叩く。たとえば、ある木は硬くてコーンと音が伸びる。ある木は叩いてもボテ、ボテという感じで音が低い。ギターにするなら前者がいい。こういうことだって自分で試行錯誤してみないとわからないことです。大げさですけど、「木と会話」しながら作っていくんですね。かといって、毎回同じ質の木が仕入れることはできません。質が違えば、また作り方が全然変わってしまいます。だからいっそう、奧が深い。

 

例え話ですが、名器と呼ばれるギターと、同じ厚さ、同じデザインでギターをくみ上げたとして、同じ音が出るかというと、全然ならないんです。同じ松の木でも、同じ質の木は、二度と手に入らないからです。そうなると、図面通りではなく、微妙に厚みを変えないといけません。柔らかい木なら厚くする、硬いなと思ったら薄くする。今回のギターはよくできたと思っても、次も同じやり方でいいかといったら、とんでもない話。「前と同じように作ろう」ではダメなんです。

 

 だからギター作りはいつだって「また“いち”から」なんです。大変といえば大変だが、まったく飽きないとも言える。それで、気づけば40年続いてしまいました。

 

 学校に呼ばれて、子どもたちにこんな話をすることがあります。太陽がよくあたるところでぬくぬく育った木は、出来がよくないよと。理想は、朝日と夕日がちょっとだけ当たるようなところで、耐えて耐えて太くなってきた木。成長は当然遅いんです。しかし木の成長が遅いほど、年輪の幅が狭くなります。つまり木の密度が高くなって固くなり、いい音が出る。「だから人間も苦労したほうがいい」とやるわけです(笑)。

 

後編へ続く

【大先輩の仕事伝】ギターひと筋40年、「現代の名工」の仕事観。「いつだって『また“いち”から』」(後編)

取材・文 東雄介