仲間は「信じるべき?」それとも「信じないべき?」|短パン社長 奥ノ谷圭祐さん

さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく本連載「思い出のファミコン – The Human Side -」

今回ご登場いただくのは、年中短パンのいでたちから「短パン社長」の異名を持つ、奥ノ谷圭祐さん。アパレル会社の社長業のほか、カレー、コーヒー、お米のプロデュース、社外では「#短パン田植え部」などの“部活”を主催するなど、多彩な活躍がSNSを中心に話題となっている。その自由奔放な行動力の源流は、少年時代に培ったゲーム体験にもあるようだ――

プロフィール

奥ノ谷 圭祐 さん

1977年生、東京都出身。株式会社ピーアイ代表取締役。1年中短パンを履いていることから愛称は「短パン」または「短パン社長」。その個性あるキャラクターが注目されテレビにも多数出演。自身のブランド「KEISUKE OKUNOYA」を立ち上げ、SNSのみで新作商品を発表し、注文を受けつけるという業界初の販売方法で、売上は1億5000万円を突破。2019年5月28日(火)には長野白馬五竜スキー場にて初の「短パンフェス」を開催予定。 https://twitter.com/Okunoya_jr

兄から多大な影響を受けた

――短パン社長はどのような少年時代を過ごしたのですか?

僕には5歳上のファミコンが大好きな兄がいて、同じ部屋だったこともあり、早くからその横で一緒になってプレーを見ていました。でもその兄があまりにもファミコンにハマりすぎて、徹夜しながら遊ぶようになり、見かねた父がある日部屋に突然入り込んできて、ファミコン本体をぶっ壊しちゃったんですよ! その記憶が強烈に残っています。

後日、ほとぼりが冷めた頃に母がもう一台買ってくれたんですけどね。幸い裕福な家庭だったので(笑)。ただ、そんな兄の怒られた姿を見て育ったものだから、ゲームに夢中になりすぎないようにしよう、という意識がありました。でもその兄にはすごく影響を受けましたね。ファミコンもそうだし、漫画や映画もいろんな作品を教えてくれて、少年時代の流行りのカルチャーにいろいろ触れることができたのは兄のおかげですね。ちなみに兄はその後、一流大学を卒業してから公認会計士となり、現在はシンガポールで社長やっています。僕のキャリアとはだいぶタイプが違うんです(笑)

―― お兄さんとはどんなゲームで遊んだのですか?

『アイスクライマー』や『バルーンファイト』みたいな二人同時プレーのアクションゲームでよく遊びましたね。でも、協力してプレーするはずが、結局殺し合いになっちゃう……みたいな。それが原因でよくケンカもしました。ドラクエシリーズは発売日に朝早起きをしてお店に買いに行かされました。『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は大人気で近所のお店では買えなかったものだから、電車に乗って川向こうの駅まで行かされましたね(笑)

―― とくに思い出深いゲームはありますか?

「犯人はヤス」で有名な『ポートピア連続殺人事件』は衝撃でしたね。一番冒頭のシーンに犯人が登場しちゃっていますからね(笑)! 兄のプレーを横でずっと見ていて、「圭祐、犯人こいつだったよ」って言われたときには、「あきくん(=兄)、マジかよ~!!」って心底ショックでした。ずっと一緒に仕事していた相棒が裏切り者だったわけで、あのトラウマは未だに心のどこかに残っている気がしますね。

僕には「短パン社長」のイメージがあって、公私共に仲間や友人がすごく多そうに見えると思うんですけど、心の底から信頼して話し合える人か否かっていうのは、実はすごく慎重に見ているところがありますね。これはヤスのせいですよ(笑)

あと思い出深いのはドラクエシリーズですね。経験値を積んで色んなスキルを上げていく、というのは仕事をする上でも基本だと思います。スタート地点のまわりでスライムみたいな弱い敵ばかり相手にしていてもなかなか成長できない。どんどん外の世界へ繰り出して、より強い敵に挑むことで、成長が加速していくっていう過程も仕事そのもの。仲間を作る、ときには転職をする、ボスをクリアしたと思ったらさらに裏ボスがいた!とか(笑)、ビジネスシーンでもよくあることですよね。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

本当に1年中、短パンなのか

――短パン社長は、どのようにご自身のスタイルを形成したのですか?

小学校の入学式の写真とか見るともうすでに短パンでしたよね、白の長いソックス履いて。でもそれはあまり関係ないです(笑)、その当時の小学生はみんな短パン履いてましたから。

僕は高校を卒業して服飾系の専門学校に入りました。そのときは1990年代の後半で、同級生たちはみんな個性的だったんですよ。髪色がピンクなやつも平気でいました。そんななかで自分なりに対抗しようと思ったわけでもないのですが、やっぱり触発されたのか、「自分は短パンで行こう」と決めたんです。ただTシャツに短パン、という夏の恰好じゃなくて、シャツを着てジャケットを羽織るんだけど、でも短パン、というファッションスタイルで。

そんなかんじで短パンを履き続けるようになって、社会人になってもずっと同じスタイルを続けていたところ、アパレル業界で「短パンファッション」が流行したんです。ニューヨークやパリのコレクションで注目を浴びて、膝上短パンっていうのが最先端に躍り出たんです。いわゆる「短パンブーム」の到来です。

僕はその時すでに「短パン社長のブログ」を運営していましたから、「短パン」での検索結果順位が当時はWikipediaより上だったんです。そしていろんなメディアからの取材依頼が押し寄せるようになり、「短パン社長」としてのキャラが世間に浸透していきました。僕からすると、20年間自分のスタイルを貫いていたら、ムーブメントが後から追いついてきたってかんじですね(笑)

「本当に1年中短パンなの?」ってよく聞かれるのですが、実は短パンブームの前までは、短パン姿なのは年間の3分の2だけだったんです。でももう長いパンツは履けなくなっちゃいましたね(笑)。会った人に「短パンじゃないじゃん!」ってガッカリされたくないですし(笑)。だからもう試練ですよ、冬は(笑)。

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「ワクワクしてもらう」ことが僕の仕事

―― 短パン社長のユニークな活動センスは、どのように醸成されているのでしょうか?

実は映画の影響が大きいですね、映画は小学生の頃から大好きで、今でも毎月10本前後は劇場で観ています。映画はエンターテインメントであって、ゲームや漫画にも同じことが言えると思いますが、僕はそれらの作品を通じて、ストーリーづくりや演出テクニックを自然と学べるんですね。

僕の本業であるアパレルでは、洋服を発売する時にはすべてSNSでプロモーションを仕掛けるのですが、ターゲットの興味を誘い、その服を着た自分を想像してもらい、ワクワクしてもらうシナリオを組み立てる作業をするわけです。それは、映画のティーザー(特報)やトレーラー(本予告)の作り方と似ていると思うんです。予告編が面白そうだと、映画館に足を運びたくなるじゃないですか?

――「カスタマーに楽しんでもらう」という発想が原点なのですね。

そうですね。こんど長野の白馬で「短パンフェス」という、全国の有名な飲食店や、僕の仲間やフォロワーさんたちが出店するイベントを企画しているのですが、それも基本は「人を楽しませたい」という想いから動いていますね。

ゲームに例えると、自分はドラクエの「勇者」タイプなんじゃないかな、と思うところがあります。自分がいないとストーリーは始まらない、そしてサポートしてくれる仲間が自然と集まってくる。それって自分が戦士や魔法使いではダメなんです、勇者じゃないとね。まぁだいぶ遊び人っぽい勇者ではありますが(笑)

ドラクエって、戦いに負けてもゲームオーバーになるわけじゃなくて、復活できるじゃないですか。せいぜい所有ゴールドが半分になるだけで、また冒険に再チャレンジができる。そして前回の失敗を反省しながら、また成長していけますよね。そういう体験をゲームで何度もしてきたおかげで、「ガンガンいこうぜ」って的確に言える、勇者っぽいリーダシップが身についたのかもしれないです(笑)。 『ポートピア~』から学んだこととは相反しますが、「勇者・短パン」は信じてパーティに加わってくれてOKですよ(笑)

取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

撮影:向山裕太 編集:鈴木健介

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