自分がしてきた無駄な苦労は部下にさせない!【明星食品三浦社長】――「うまくいく人の20代」

「うまくいく人たちは20代にどんなことを考えていたのか?」ビジネスで成功する人たちの若いころについて、インタビューを試みた第2回。どうやって天職に出会ったか。仕事とどんなふうに向き合ったのか。どんなことを頑張ったから、今があると思うのか。成長する人とそうでない人との違いとは……。今回ご登場いただくのは、日清食品で社長、会長を歴任し、現在は日清食品ホールディングスで常務執行役員、4月からは明星食品社長を務める三浦善功氏だ。

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“失敗をおそれない”会社との出会い

高視聴率でも話題のNHKの連続テレビ小説「まんぷく」でモデルとなっているのが、日清食品の創業者、安藤百福さんと妻、仁子 (まさこ) さん。百福さんが発明した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」とともに1958年に誕生したのが日清食品だ。今や日本のインスタントラーメンの年間消費量は56億食を超える。日清食品は時代の変化を捉え、次々に新しい製品を開発、成長を遂げてきた。三浦氏が法政大学を卒業後に入社した1975年は、まだ創業20年に満たなかったころのことである。

「私は経済学部で国際金融がテーマのゼミにいたんです。周囲は銀行や証券会社に就職する人がほとんど。私も銀行の採用試験に受かっていたんですが、ゼミの教授から『三浦くん、君は銀行に向かないと思うよ』と言われてしまいまして(笑)。銀行に入っていたら、間違いなく今の私はなかったと思います」。

当時は、学生運動が真っ盛りの時代。授業を受けた日数より、サークル「ユースホステル研究会」で全国各地を旅行した日数のほうが多かった、と笑う。

「広島から出て来て、これからのキーワードは国際だ、英語だということで、英会話研究会に入ろうと思っていたんです。ところが、隣にユースホステル研究会があって強引に勧誘されまして(笑)。おかげで会社に入ってからも、英語は不得意で(笑)。ただ、人との交流がたくさんできるサークルだったので、友達をたくさん作ることができた。今でも当時の仲間とはつながっているんですよ」。

銀行は向いていないと教授に言われ、周囲よりもちょっとスタートが遅れた就職活動となったが、ここで出会ったのが日清食品だった。

「大学1年のときにカップヌードルが登場して、若い人に大人気だったんです。銀座の歩行者天国でたくさんの人が食べているのも話題になっていて。面接では、やりたいことを何でもやらせてあげる、と言われましたし、出身地の広島で勤務もできるということでした。実際に広島に行ったのは後年で、わずか2年でしたけど(笑)」。

当時は今のような規模の会社ではなかったが、入社して改めてポテンシャルを感じるようになったと語る。

「失敗を恐れない、という風土があるんです。例えば、AとBでどちらか決断しないといけないときは、即断が求められる。ただ、万が一、失敗したときは、その失敗を長引かせないんです。失敗だと思ったら決断したところまで戻ってやり直しなさい、という社風。だから、間違った決断をしても、あまり追求されない。逆に、いつまでもグズグズと失敗を長引かせるほうがダメですね」。

実際、入社直後に携わった「カップライス」は、開発時に極めて高い評価を得ていた。製品を作るために滋賀に新しい工場まで作った。ところが、発売3カ月で想定よりも売れないと見るや事業からすぐに撤退した。

前向きな失敗は怒られないんです。日清食品は今も年間300近く新製品を出しますが、その結果は徹底的に分析されるんです。同じ失敗を繰り返さないように。創業者の安藤百福さんも、今の安藤宏基CEOも、仕事には厳しいですが、優しい人だと思いました。だって、失敗しても繰り返さない限り、また次のチャンスがあるんですから」。

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約束があるんで帰っていいですか?異端児だった20代

入社後、配属されたのは、まさかの開発部商品企画課だった。三浦氏は経済学部出身で、開発の役に立つ知識はない。カップライスの容器開発を命じられ、理系出身の同期に微分積分を教えてもらうこともあったという。ただ、自分の得意でないところに配属になったことは、むしろ良かったと語る。

「勉強せざるを得ませんでしたから。全部勉強です。デザインを学んだり、色彩心理学を学んだり」。

1年後、今度は新設されたマーケティング部に異動した。当時、日本企業でマーケティングと名の付いたセクションは珍しかったという。三浦氏は後に営業本部長を務め、社内では営業一筋のイメージが強いが、このマーケティング部門での経験が、人生を大きく転換させたと語る。

「マーケティングでは、生産から販売まで、すべて関わることになります。その中で、製品企画や宣伝など、いろいろな要素を見ることができた。新しい部署でしたから、余計に勉強しました。おかげで、モノが売れる仕組みがわかった。これを若いころに勉強してから営業に出られたんです」。

三浦氏は今でも、勉強は若いうちにせよ、30歳になるまでに徹底して勉強せよ、と伝えている。

「私の経験上、30歳までに勉強しないと、なかなか頭に入ってこないからです。いい例が、ユースホステル研究会のおかげで、英語を勉強し損ねたことです(笑)。海外事業を担当したのは、50代でしたが、まったく英語ができない。会社に命じられて100時間も英会話学校に行きましたが、ダメですね。勉強は若いうちにやっておかないといけないです」。

一方で、異端児ぶりも若いころから発揮していた。

「夜、約束があったりすると、会議が途中でも、『すいません、約束があるんで帰っていいですか?』なんて平気で言っていました。とんでもない社員だったと思いますが、当時の上司だった安藤宏基CEOは『おお、いいよ』と(笑)。思っていることは、素直に口に出すタイプなんです。最近はようやく大人になりましたけど(笑)」。

性格もあるが、当時の上司からも「思っていることは言ってほしい」と言われていたという。

「今の若い人は、忖度するでしょう。これ言ったら怒られるんじゃないかとか、間違っていたらどうしようとか。でも、言ったほうがいいんですよ。なぜなら、思っていることを言うときは、自分の考えをまとめる必要があるからです。必要な情報も意識するようになるし、プレゼンテーションの技術も磨かれる。言わないとその機会が得られない。口に出せば自分にプレッシャーがかかりますが、言わなければそれもかからない。それでは、成長できないんです」。

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自分がしてきた無駄な苦労を、部下にさせない

若いころ、仕事に対して持った違和感も大切にしたほうがいいと語る。実は営業に出たばかりの20代、上司と大げんかをしたことがあった。

「実は、1週間ほど出社拒否をしたんです。仕事に納得できなかったからです。簡単に言うと、数字を作るために無理をさせられそうになった。一昔前の営業では毎月実績が求められて、月末になると目の前の目標のために無理をしなければならなかったんですね。でも、無理すると、どこかで歪みが出る」。

本来、営業活動は結果が出るまで数カ月かかる。その場しのぎの苦労をするよりも、数カ月先の実績につながる仕事に精を出したほうが建設的ではないか、と考えたのだ。だが、けんかして一週間の出社拒否という異端児ぶりにも驚くが、それをそのままにしなかったところが、三浦流。自分が上に立ったとき、変えてやろうと考えるのだ。

「初めて管理職に就いたのは、35歳くらい。以来ずっと考えていたのは、自分がしてきた無駄な苦労は、できるだけ部下にさせない、ということでした。もちろん、成長に必要な苦労もありますから、それはしてもらいます」。

支店長になって、若いころに感じたことを実践しようと試みた。支店長は、支店の経営ができる。無理をさせない、無駄な仕事もさせない。そして、責任は上司である自分が取る。

「目標に到達しなかったら、営業は自分で反省するんです。その上で、どうやって前に進むかを自分で考える。なのに、無理して目標に到達できたら、営業的にできたと思ってしまう。むしろ反省がないから、成長もない。逆なんですよ」。

若いころに感じた疑問を払拭し、売れる仕組みを考え、ブロック長に積極的に権限委譲して北海道支店長時代に作った売り上げの記録は、いまだに抜かれていないという。だが、支店長時代にも感じた課題があった。それも、そのままにはしなかった。さらにポジションが上がって営業のトップである営業本部長になったとき、考えていたことをすべて具現化させたのだ。

「それまでに学んできたことを、本部の方針に盛り込んで発表したんです。こういう形で仕事をするぞ、と。自分で言うのもなんですが、このあたりから、日清食品はものすごくいい会社になっていったと思います」。

どういう人がポジションを得ていくのか。組織の中で偉くなり、出世していくのか。三浦氏は極めてシンプルにこう語る。

「漠然と偉くなろうとするんじゃなくて、明確に目標を持っていることが大事です。自分はこういう仕事をしたい。そのためには、こういう職につかないといけない、こういうポジションにつかないとできない。そういう発想をしていく必要があります。私は、営業の仕事を変えたかった。そのために早く所長になりたいと思ったし、もっともっと勉強しないといけないと思った。順番を逆にしてはダメです。まずは、目標を持つことです」。

仕事を戯れ化せよ。仕事と考えたら楽しくない

入社したころから、会社は大きく成長した。その理由は、常に新しいことにチャレンジしてきたことだ、と三浦氏は語る。近年は世の中の健康志向に応え、糖質、脂質、カロリーを抑えた製品や減塩に配慮した製品、もう一品欲しいときにちょうどいい小容量の製品なども販売している。

「日清食品の行動規範をまとめた『日清10則』は、今も社員の指針となっています。例えば、何かをやるときは、すべからくファーストエントリーを目指す。そして、小さくてもいいから、カテゴリーナンバーワンを目指す。私が営業時代に上司に言われた好きな言葉は、仕事を戯れ化せよ、でした。仕事を仕事と考えたら楽しくない」。

そういえば、いきなり名刺交換で驚かされた。三浦氏の名刺は、なんとチキンラーメンのキャラクターの形をしていたのだ。裏面には、キャラクターの絵柄が描かれている。こんな名刺は、これまで見たことがない。同行されていた広報の方の名刺は、形がカップヌードル。裏面をめくると、カップヌードルの絵柄が描かれていた。

名刺交換しただけで、みなさん笑顔になられる。つかみはOKでしょう(笑)。部署や会社によってデザインや形が違いますから、全部で30種類くらいあります。もちろん名刺をつくる費用は少し高くなりますが、それだけの価値は十分にあります」。

こんなふうに、何でも面白がる気持ちは、日ごろの行動によって磨かれるという。好奇心の旺盛さは半端ない。ちょうどインタビューした前日まで、仕事でハワイに行っていたというが、1日、予定のない日があったということで、なんとネイルサロンを初体験したという。

「いやもう、爪、ピカピカですよ(笑)。いろんなことを経験することが、いろんなアイディアにつながるんです。この年齢の男がネイルサロンに行くのは、ちょっと変わってるかもしれませんが(笑)。まぁ、これ自体も話のネタになりますしね(笑)」。

若い社員とも積極的にコミュニケーションを取る。食事に行ったりすることも多い。

「私のスケジュール帳をデスクの上に置いておいて、空いていたらスケジュールを入れていいよ、なんて言っていた時代もありましたね。やっぱり若い人といると、感覚が若くなる。私も得られるものが大きい。日清食品のマーケティングは、刺激的なCMも多いし、先端を走っているという自負もあります。それについていくためには、よほど感性を磨いておかないといけませんからね(笑)」。

NHKの連続テレビ小説「まんぷく」でも描かれている創業者、安藤百福氏も、何事にも興味を持つ人だったという。

「ふと視線を感じて振り返ると、上からデスクを覗き込まれていたこともありました(笑)」。

意識的に自分に刺激を与えることが重要。三浦氏は、今も仕事以外で年に3、4度は海外に出かけ、中国だけで50回以上は訪れているという。

「同じものばかり見ていると、同じ見方しかできなくなります。もっといろんなものを見ないといけない。そうすることで、発想は広がっていくんです」。

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文:上阪 徹   写真:刑部友康
編集:丸山香奈枝

 

 

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