異文化理解に最適なのは「絵」と「もう1つ」は?|漫画家 星野ルネさん

さまざまなシーンで活躍しているビジネスパーソンや著名人に、ファミコンにまつわる思い出から今につながる仕事の哲学や人生観についてうかがっていく本連載「思い出のファミコン – The Human Side -」。

今回ご登場いただくのは、カメルーン生まれ関西育ちのユニークな経歴からの日常を描いた漫画エッセイがSNSで大きな話題となり、『まんが アフリカ少年が日本で育った結果』でデビューした漫画家の星野ルネさん。現在のブレイクスルーに至るルーツについて伺った――

プロフィール

星野ルネ

1984年、カメルーン共和国で生まれ、4歳の時に来日して兵庫県姫路市で育つ。高校を卒業後は地元の工務店に勤め、その後上京。現在はタレント活動も行いながら、SNSに漫画エッセイを投稿して人気を集め、2018年8月には『まんが アフリカ少年が日本で育った結果』が出版される。Twitter @renehosino

『星のカービィ』が大好きだった小学生時代

―― ルネさんの子ども時代の思い出について教えてください。

『星のカービィ 夢の泉の物語』が大好きでした。「星の~」を私の名字である「星野」に脳内変換して、「俺のゲームじゃん!」って(笑) ちょうど小学3~4年生くらいのときですね。

私の通っていた学校ではカービィブームがおきていたこともあり、カービィに夢中になり、毎日夜まで遊び続けて、親に「もう寝なさい」って止められるまで遊んでいました。それでもまだ遊び足らず、親が寝静まったあとに起きて隠れてやってましたね。深夜1時くらいにこっそりファミコンをセット、電気も音も消したなかでプレイしていました。時々親がトイレに起きてくるので、その物音を聞いた瞬間、速攻で電源を落として、バレないように息を殺して隠れる。……で、また親が寝静まったら再開して、朝5時くらいまで連日のように遊んでいました。

―― 子どもの頃から漫画を描いていたそうですが、ファミコンにも影響を受けたのですか?

大好きだったカービィをモチーフにした漫画を描いていました。カービィの影響はすごく受けていて、カービィには敵を吸い込んで変身するコピー能力がありますよね。あの発想を生かして、カービィに出てくるキャラクターに寄せつつ、そこに日本の武将っぽい鎧や兜をくっつけて、さらに「ドラゴンボール」の要素も足して、怒るとスーパーサイヤ人になる……みたいな設定のオリジナルキャラを作って漫画を描いていました。

―― ほかに影響を受けたものは?

ちょうど『熱血硬派くにおくん』みたいな不良がたくさんいた時代で、小学校の高学年になると、ちょっと憧れていましたね。それこそ周囲にリアルくにおくんがたくさんいるような環境でしたから。先輩たちもみんなツッパリ風だったから、中学生になったら鉄パイプを持って喧嘩に行かなきゃいけない、それが日本のしきたりなんだ!って思っていました(笑)

漫画のおかげで「絵師」「魔術師」としてクラスの人気者に

―― ルネさんは、学校ではどのような存在でしたか?

私はまわりの子たちと生い立ちや見た目が違っていたけど、カービィのほかマリオやリンクとか、ファミコンのキャラクターの漫画が描けたことでクラスの人気者になることができました。

それとドラクエのようなRPG風のワールドマップを描くのも上手だったので、教室では自由帳にミニゲームを作って遊んでいたんです。サイコロを転がしてその目でモンスターを倒していくようなゲームです。

「モンスターを描いてくれ!」っていうオファーが友だちから殺到して、優先して描いてあげる代わりに給食のゼリーをもらったりしていましたね(笑)。いつしか「予約の取れない絵描き屋さん」になっていました。

あと、ファミコンって時々接触が悪くて画面がつかなくなることがありますよね。私はそれを復活させられる「魔術師」って言われていたんです。ダメになったゲームを友だちみんなが私に任せてくるんですね、「先生お願いします!」って。カセットをそれぞれ検証して、「これだったら息を吹きかけるといける!」とか、綿棒で接触部をシャカシャカするとか。一番効果があったのは冷蔵庫ですね、「1時間ぐらい冷蔵庫で冷やしておけば動くから!」って(笑)

―― ちなみに、カメルーンにゲーム文化はあるのでしょうか?

1990年代に、ゲームボーイを持って故郷であるカメルーンの村に帰ったことがあります。当時、村の子どもたちはゲームなんて見たことがないから、みんなが夢中になって、「めちゃくちゃ面白いじゃん、こんな遊びがあるのか!」って驚いていました。
村の中でゲームボーイ目当てに行列ができて、交代で貸していたんです。そしたら村のガキ大将みたいな兄ちゃんたちの間で、取り合いの争いがおきちゃって、私の目の前で首絞めあったり殴りあったり……。ついに私の親父がゲームを没収しました。「村が乱れる!崩壊するぞ!」って言って(笑)

「ゲームで世界平和」がきっと実現できるはず

――現在のお仕事にはどのような影響がありましたか?

ゲームで遊んだことで、漫画を描くための想像力や発想力が培われました。小学校の卒業文集に「将来の夢は漫画家とゲームデザイナー」って書いていたんです。そして今でも漫画を通じて、自分の創作したものが人に楽しんでもらえる、役立っている、という一番の願望が叶えられています。ゲームは物を作る面白さを教えてくれた大切なものですね。

あと私はゲームのおかげで本を読むようになったんです。ある時『RPGツクール』のコンクールにエントリーするためにガイドブックを読んでいたら、「面白いゲームを作るには、とにかくまんべんなく広くて浅い知識が必要」って書いてあって影響を受けたんです。それ以来いろんな本を読まなきゃ、という知識欲につながり今に至ってます。

―― ルネさんがこれから築いていきたいキャリアとは?

遊びながらいろんな異文化に触れられるようなゲームを作ってみたいですね。自分はカメルーンと日本にルーツがあり、その架け橋になることがライフワークだと思っていますし、そこに誰もが夢中になれるゲームの特性をうまくマッチさせたら、異文化理解がより深まるんじゃないかと思うんです。「気がついたらすごく学びになっていた」みたいなことができたら最高です。

私はゲームで世界平和が実現できると本気で思っています。はやりの「eスポーツ」だって世界を平和にするかもしれません。世界の誰もが持っているアイコンのようなゲーム……日本人も、アフリカの人も、ヨーロッパの人も、世界中の人が持っていてみんなで遊べるゲーム。ゲームフレンドが世界中にオンラインでいたら、きっと戦争だって無くなっていくと思うんです。「俺のフレンドがいるあの国を戦争に巻き込むな、やめてくれ!」みたいな人がいっぱい出てくればいい。きっとその想いが集まることで、やがて世界平和につながるんじゃないかなと思いますね。

 

取材・文:深田洋介
1975年生まれ、編集者。2003年に開設した投稿型サイト『思い出のファミコン』は、1600本を超える思い出コラムが寄せられる。2012年には同サイトを元にした書籍『ファミコンの思い出』(ナナロク社)を刊行。
http://famicom.memorial/

編集:鈴木健介

 

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