元ソフトウェア開発者のSF作家、藤井太洋さんに聞いた《後編》─テクノロジーとうまく付き合う方法

「テクノロジーとは何か?」「社会におけるエンジニアリングの価値とは?」についてじっくり考える本連載。第4回目のテーマは「未来を想像する方法」です。今回は、SF作家の藤井太洋さんにお話を聞いてきました。

ゲノム編集はどこまで進むのか?

前編では、「エンジニアがどこまで社会に責任を持つべきか」という問題、フィルターバブルの問題について考えました。

後編では、人間とテクノロジーの関係についてさらに掘り下げます。


ゲノム編集技術を利用したベンチャーが出てきていますよね。人間の遺伝子による差別の問題も考えないといけないのですが、藤井さんはゲノム編集の未来をどのように見ていますか?


ゲノム編集は身近になっていくと思います。実際、病気を治せるゲノム編集も大量にあります。今、研究されているものはそれが主眼です。特に胎児の段階で分かるゲノムの異常に関して、それを治せるゲノム編集があれば「治療するな」とは止められないでしょう。

SF作家 藤井 太洋さん
1971年、奄美大島生まれ。2012年に電子書籍によるセルフ・パブリッシングで『Gene Mapper -core-』を発表し、Amazon.co.jpの「2012年Kindle本・年間ランキング小説・文芸部門」で1位を獲得。2013年4月に、9年勤務したソフトハウスを退職。『Gene Mapper -full build-』が早川書房から出版され単行本デビュー。2015年、『オービタル・クラウド』が「ベストSF2014[国内篇]」第1位、『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞を受賞(同時受賞に長谷敏司『My Humanity』)、第46回星雲賞(日本部門)を受賞。第18代日本SF作家クラブ会長。


そうですね。


胎児の遺伝子検査は始まっています。つまり病気の原因があることを知ることができるんですよね。今は確率的に必ず発生するダウン症かどうかなどを判定するために行われているんですけど、そのとき検査のために採取するサンプルには、他の遺伝性の病気であることがはっきり分かる印もあるわけです。


医者はそれを知らせるべきか?という医療倫理的な問題もありますよね。


はい。考えなければいけませんね。今、がんは告知しますけど、昔は告知しなかった。20年ぐらい間に、本人告知が当然のことになってきた。なぜかというと、がんに対して対処する方法がいくつも出てきたからなんです。


ゲノム編集によって治る病気であれば告知できるようになりますかね?


なると思います。「生まれる赤ちゃんは失語症になりますよ」とか、「自閉症スペクトラムになる確率が90%を超えていますよ。治しますか」とか。そういうことが30年ぐらいの間には間違いなく行われるようになるでしょう。それと並行して、ついでに歯並びも治しませんかとか(笑)。


運動神経をもう少し良くしませんかとか(笑)。


それは食品にも及ぶだろうと。例えば魚肉を養殖しやすくするためのゲノム編集っていうのは、結構すぐ始まるんじゃないかなと思うんですね。


どういうことですか?


改良をしないとストレスで死んじゃうという特性を持つ魚のスイッチをちょっと切っておいたら、いけすの中で幸せに太って大きくなってくれるかもしれないわけですし。


なるほど。考えたこともなかった。


特にウナギなんかね。謎の渡りをするスイッチがどこか分かったら、切ってしてしまえば、いけすの中でちゃんとしたウナギが作れるんじゃないかみたいな。


うなぎいっぱい食べられるようになるかも(笑)。


ただ私がこう思うのは、ソフトウエアのエンジニアというマインドセットを持っているからです。ソフトウェアなら、プログラムを変更すれば必ず動作が変わります。そういう機械を使って私はエンジニアリングをやっていたので。


マインドセットによって、何を正しいか、何を安全だと考えるかも違いますよね。


そうです。フィールドワークとラボでの研究、頭脳だけ用いるサイエンスや数学、哲学などで培うマインドセットはそれぞれ異なります。

ただ私は、コンピューターソフトウエアベースのマインドセットが、これからは支配的であるだろうという予想を立てています。

なぜなら今一番お金を持っていて、一番投資をしている人たちは、みんなソフトウエア出身なんですよ。


言われてみればそうかも……。


イーロン・マスクもビル・ゲイツも、そしてザッカーバーグ、Amazonのジェフ・ベゾスも。素晴らしいエンジニアリングを繰り返してきたという自負を持っている人たちの成功体験は、ソフトウエア・エンジニアリングにあるんですよね。


(僕も頑張ろう……!!)


ゲノム編集の話は面白いのですが、それが人間に及んだらすごく怖いなと思いました。どこまで規制するのかっていうのは、個人の感覚というよりも社会や国の問題になってきますが。


そうですね。基本的な人権が平等に守られているということが保障されていれば、何が起こっても構わないと思っています。民主的な国でほぼ同じようなルールが憲法として施行されているので、そこに住んでいる以上は、その枠の中に収まるような技術の使い方をして、ある程度抑えていく必要があると思いますけどね。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

車輪というテクノロジーが人間に舗装路を発明させた


少し話は変わりますが、人間は「死すべき存在」です。


急に「死」って。だいぶ変わりましたね。


わたしも瀬尾さんもいつか死ぬんですよ。一方、AIやテクノロジーは死なないわけです。人間は、いつか終わりが来るから何かに向けて頑張るんだと思います。永遠に生きることができたら、ひとを大切にしたり自分のことをもっと分かってもらおうとしたりしない気がして。


同窓会も、やらないか。


そうそう。将来の夢を考えるとか目標を立てるとか。終わりが来るからこそ、人間は人生設計をしたり自己を保とうしたりすると思うんです。AIやテクノロジーが自己拡張し、自ら動く動機がわからないんです。彼らは何をもって自己拡張しているでしょう。


リチャード・ドーキンスが提唱した「ミーム」ってご存じですか?ミームは、人類と同じように自己複製をしたがります。機械やAIだけを考えると難しいんですが、AI以外のすべてのマシンは自己複製しようとし続けていると私は思うんですね。


例えばどんなマシンでしょうか?


例えば、車輪。


車輪?あの車輪?


はい、車輪です。5000年くらいに生まれた特異なテクノロジーです。

車輪は、わだちを作って同じサイズの車輪が生まれやすくし続けていますよね。始皇帝やエジプトの王様は、「車輪の幅を一定にして効率よく物を運べるようにしなさい」というふうに命令を出しましたけど、車輪というミームから見ると、地面に圧力をかけることによってデコボコができ、幅が違っていたら走りにくくなるので人間に直させたというふうに見ることもできるわけです。


なるほど。確かに。


車輪も進化しながら「やっぱり舗装路のほうがいいです」とか「鉄の軌道は抵抗が少なくていい」と要求して、人間に発明させたと考えてもいいわけですよ。


車輪というミームにとって人間は、舗装路を作らせるための環境要因というか、しもべなんですね。


彼らに自意識はないないですけどね。そういう例は他にもいくつもあると思います。AIはその中の一つだと思うんですね。

ミームというものの実態を私たちは早く見極めなければいけないだろうと思います。AIというミームはコンピューターハードウェアの中で動き続けていますが、そのミームの正体はどこにあるのか。私たちは、車輪というミームは分かるんですが、AIについてはわかりません。


いままで私は、人間が作ったものに人間自らが支配されていると思っていました。たしかに人間が作ったものが人間を超えてしまう危険性はあると思うんですけど、人間とテクノロジーが切磋琢磨しているというか、戦い続けているんですね。


はい、リソースが競合しなければ共存できるんですけど、たまに競合することがあります。


AIが仕事を奪うとかですよね。「人間とテクノロジーがどのように共生すべきか」「そもそも共生し得るのか」という質問をしたかったのですが、今のお話だともう共存しているし、すでにそのような世界になってしまっているということですね。


はい、そうですね。車輪が発明されたときから常に共存し続けている。車輪だって無限に自分の走れる道路を造るわけにはいかなくて。どこかでバランスをとります。東京では20%が道路になっているみたいな(笑)。


家までは入ってこられないみたいな。


これ以上道路を増やすと、人間は住む場所がなくなるし、住む人間が減ると車輪が必要なくなるし。


さまざまなミームが今は同時に走っていて、人間もおそらくその一つですよ。そしてその人間の機能をAIやコンピューターは肩代わりし始めている。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

テクノロジーは人類を幸せにするのか?


今までの藤井さんの作品では、強いAI(汎用的な人工知能)が大きなシンギュラリティを起こすということはあまりなかったと思います。基本的には弱いAI(将棋など用途を絞った人工知能)がメインで描かれている印象があるんですけれど、それは、続いていくと思いますか。


うーん。人間にとって強いAIと感じられるものが生まれる可能性はあると思っています。ただ、それはもはや人間ですからね(笑)。おそらく人間とほとんど区別が付かない。

例えばSkypeをしている相手が強いAIだったとしても、あまり問題にならない。問題にならない範囲でしか多分使われないんですよ。


人間を超えるAIは出てくると思いますか?


結局、人間のリソースを奪いたいのは人間なので、コンピューターが人間のリソースを積極的に奪いたくなる状況が来るかというのは疑問です。人間を殺したい動機を一番強く持っているのは、人間ですよね(笑)。


テクノロジーはそんなことにはあまり興味がないかも。


そう。おいしいトマトを食べたいAIがいるのか、という。


テクノロジーと人間が共存していたとしても、実際「テクノロジーが人間を幸福にしているのか?」という疑問があります。


していると思います。テクノロジーのおかげで人は死ににくくなっていますし、生まれる命も増えています。例えば、ICTやコンピューター通信によって、人間は医療技術をより効率よく使えるようになっています。

救急車の搬送システムも変わり、救急隊員は地図を見れば知らないところもでもすぐに行けるようになりました。救急車のドライバーになる敷居も下がっているわけです。なので、間違いなく人を幸せにしていると私は感じています。


そうですね。


あとは倫理的な問題ですよね。でももはやそれはテクノロジーの問題ではなく、人間が考えるべき人間自身の問題だと思いました。

科学技術が進歩している現代社会で生きていく時の「美しさ」とは何か?


毎回、連載の最後に「問い」を出してもらっているのですが、藤井さんの問いはなんでしょうか?


豊かになればモラルは向上するんですよ。それを前進する科学技術が後押ししていることは間違いない。「そのような世界で生きていくときに感じる美しさって何だろう」ということをよく考えています。豊かに、平和になっていく世界の中で、人々が美しいと感じるものは何だろうなあと思って。


面白いですね。美しさは時代によって変わるし、50年後にどうなっているかも気になります。


人と広く交流することが美しいとされる時代がありましたよね。多くのひとが誰とでも交流できるようになった今、そういう交流に関する美しさはどうなんだろう、とか。


なんとなくこれまでの生きることの美しさって「困難な状況がある中でも、自分を生きる、自由意志を持って人生を切り開く」ということだったと思うのですが、そのニュアンスが変わってきているように感じます。


それは変わりましたよね。実際、自由意志が良いとされたのもこの200~300年にすぎませんからね。


たしかに現在は、強い意志を持つ自律した人間という理想像は崩れています。「そもそも自由意志があるのか」ということもちゃんと考えないといけないですよね。


そうですね。意識が行動の追認のために存在している幻っていう話もありますから。条件反射というか、それまでに学習してきたことを体がやった後、それを「だから、こうしたんだ」という理由付けをするための仕組みにすぎないみたいな。


理性もその仕組みにすぎないかもしれません。でもそう考えると、「考えること」や「正しく生きること」、「責任をとる」みたいな意味が薄えてしまうので、難しい。


でも実際に、刑事裁判の場で、その犯人に責任能力があったかどうかということを問われるようになったのってつい最近の話ですから。


個人的には、コミュニティ形成をしながら、人間が助け合いながら交わって生きていく方がいいなと思います。そっちのほうが美しい。それをテクノロジーが後押ししてくれるといいなって思いますね。SNSが人々を近づけたのか遠ざけたのかは、まだわからないですが。


そうですねえ。まあ、近づけたとは思いますよ(笑)。

インタビューを終えて


藤井さんのファンなので、話を聞けて感無量でした。


今回は倫理的な話ができて面白かったですね。テクノロジーと向き合うべきなのは作り手であるエンジニアだけではないので、社会で生きているみんなで考えないといけないと改めて思いました。


エンジニアの責任ということは引き続き考えていきたいのですが、最近テクノロジーの問題は、「それを取り囲むポリティカルな枠組みをどう作るか?」ということの方が重要な気がしています。

例えば自動運転や遺伝子についても、「テクノロジーでできることを柔軟に受け止められる社会をどう作っていくか?」がイノベーションの鍵になると感じています。


そうですね。エンジニアリングとポリティカルな問題は、一見すごく遠いイメージがありますが、これからのイノベーションには欠かせない観点ですよね。


とはいえ、「新しい技術が出現するときにどんな問題を考えないといけないか?」ということを想像するのはなかなか難しいんですよね。そのために一番有効なのはSF小説を読むことだと思っています。だから今回は藤井太洋さんに話を聞いてみたのでした。


とても有意義な時間でしたね!次はどんな方のお話を聞いてみましょうか?


次は、新しい技術に対するポリティカルな側面を考えている方に話を聞いてみたいですね。哲学者の方にも話を聞いてみたいです!

⇒元ソフトウェア開発者のSF作家、藤井太洋さんに聞いた《前編》──未来を想像する方法とは を読む

※本記事は「CodeIQ MAGAZINE」掲載の記事を転載しております。

田代 伶奈
ベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。今年から自由大学で哲学の講義を開講。哲学メディアnebulaを運営。
Twitter: @reina_tashiro

 

瀬尾 浩二郎(株式会社セオ商事)
大手SIerを経て、2005年に面白法人カヤック入社。Webやモバイルアプリの制作を主に、エンジニア、クリエイティブディレクターとして勤務。自社サービスから、クライアントワークとしてGoogleをはじめ様々な企業のキャンペーンや、サービスの企画制作を担当。2014年4月よりセオ商事として独立。「企画とエンジニアリングの総合商社」をモットーに、ひねりの効いた企画制作からUI設計、開発までを担当しています。
Twitter: @theodoorjp / セオ商事 ホームページ

 

PC_goodpoint_banner2

Pagetop