日々新しいモノを生み出すエンジニア。一度立ち止まって、「テクノロジーとはなにか?」「社会でのエンジニアの役割とは?」についてじっくり考えてみると、面白いのではないでしょうか?さあ、エンジニアのための哲学講座、開講です!
目次
この連載について
いきなりですが「哲学」と聞いて、皆さんは何を想像しますか?
「とっつきづらい」「難しそう」から「実は興味がある」「書いたコードが哲学」「すべての答えは42」──。
十人十色のイメージがあると思いますが、哲学には、小難しい専門用語を用いるのではなく「問いを立てて考える態度」という側面があります。
人工知能のシンギュラリティ問題をはじめ、「テクノロジーが良い使われ方をするのか、悪い使われ方をするのか?」という問題を考えたとき、その責任の一端はエンジニアにあります。
シリコンバレーを代表とするIT業界には、イノベーションに楽観的な風潮がありますが、安易にその流れに乗ってしまうと、「ちゃんと考えていない」「あとで思わぬ重責に気づいてしまう」という状況に陥る可能性があります。
本連載では、テクノロジーが加速的に発達する社会において、テクノロジーを扱うエンジニアが「どのような社会を作るために働くべきか?」という問いを考えられるような問いを発してみたいと思います。
いわゆるプロフェッショナルの流儀的な「エンジニア哲学」や「エンジニアとしての成長ヒント」のような話は、出てこないかと思います。ただ今一度「エンジニアとは何か?」ということを問い直すきっかけになれば幸いです。
※楽しくゆるやかな内容なので、肩肘張らずお気楽にお付き合いください。
記念すべき第一回のゲストは、スクウェア・エニックスのゲームAI開発者、三宅陽一郎さんです!
▲株式会社スクウェア・エニックス 三宅 陽一郎さん
テクノロジー推進部 リードAIリサーチャー。「FINAL FANTASY XV」リードAIアーキテクト。京都大学卒。2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事。国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会チェア、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員、CEDEC委員会委員。Twitter: @miyayou
本連載のナビゲーターを務めるのは、哲学に詳しくないエンジニア代表・瀬尾浩二郎と、哲学に詳しいライター・田代伶奈。
今回は三宅さんに「エンジニアに哲学は必要か?」を議題にお話していただきます。
なぜ哲学×人工知能なのか?
今日は初回なので、まずは「エンジニアに哲学は必要か?」というテーマを考えましょう。三宅さんは「人工知能のための哲学塾」など、さまざまな活動をされています。
えっと、三宅さんは基本的にエンジニアという認識で大丈夫ですか?
はい、大丈夫です。
個人的には哲学に最も詳しいエンジニアだと思っています。そんな三宅さん、哲学への関心は人工知能のお仕事をされてからですか?それとも、もともと興味が?
もともとですね。ずっと哲学書が好きだったんです。中学の頃の愛読書がデカルトだったので。
デカルト(1596-1650):「我思う、故に我あり」の人。近代哲学の祖といわれる。主著『方法序説』『省察』など。
えええ!
『方法序説』『精神指導の規則』を読んでましたね。
ちなみに瀬尾さんの愛読書は何でしたか?
『ゲド戦記』。でもすぐ挫折しちゃって……。
すごく哲学的じゃないですか。
『ゲド戦記』と『方法序説』ねえ。
突っ込まないでください(笑)。
という私も中学生のときは、「哲学」って言葉を知らなかったと思う。
よかった、こっち側の人間だ!
僕はもともと数学と物理が好きで、数学や物理の本と哲学の本を交互に読んでいました。最初に現象学を学んだのは中学三年。翻訳ですが、大学の頃はメルロ=ポンティやフッサール、デリダを。哲学書だけじゃなくて文学も読みつつ。
メルロ=ポンティ(1908-1961):通称メルポン。フランスの哲学者で、フッサールの現象学を発展させた人。主著『知覚の現象学』。
フッサール(1859-1937):哲学者、数学者。「現象学」の提唱者で、標語は「事象そのものへ!Zu den Sachen selbst!」。主著『デカルト的省察』『イーデン』など。
デリダ(1930-2004):フランスの哲学者。ポスト構造主義の代表的哲学者。代表的な著作に『グラマトロジーについて』『声と現象』『エクリチュールと差異』。
三宅さんは、真理を探求したかったんですか?
そうです。「真理とは何か?」をひたすら考えていました。
三宅少年は中学生で哲学の本質的な問いに気付くわけですね。
最近の意識高い(かもしれない)系、いわゆるこじらせ系です。世界的に見ると僕はそんなに珍しくないけど、日本では希少だったんですよ。僕の世代ではね。
正しい中二病の在り方ですね。
デカルトに惹かれたのは「知」というテーマに関心があったからですか?
そう、学校で習う知識や教科書に書いてあることは、実は真理ではないのではないか、と。「本当のことって何だろう」「我々は言葉で考えるけれど、言葉って何だろう」とずっと疑っていました。
それに対して、デカルトが一番直球で答えてくれた(笑)。友達も少なかったので、時間がいっぱいあったんです。
デカルトも喜ぶいい話…!
デカルトのずっと前、紀元前300年くらいにアリストテレスという哲学者がいて…。
アリストテレス(前384-322):古代ギリシャの哲学者。現代の学問の基礎を作り上げたすごい人。アレクサンドロス大王の家庭教師でもあった。主著『形而上学』『二コマコス倫理学』など。
(ここから三宅氏、壮大な哲学史を語る。誌面の都合、泣く泣く省略…泣)
…で、中世になり形而上学が支配的になるわけです。
はい…。
デカルトはそれまでの形而上学が好きじゃなかった。正確には、反論も証明もできないような、形而上学的議論が好きではなかった。だから2000年間支配的だった哲学に「いや、それは違う。俺は自分の哲学を作るんだー!」って反抗してひっくり返す。すごくないですか?僕よりもこじらせ系(笑)。
デカルトは近代哲学の父と言われるくらいですからね。
デカルトは単純な原理から始めて、誰でも手続きを踏めば必ず同じ真理にたどり着けるという学問観を持っています。今は当たり前のことですが、当時は違った。
デカルトにはヨーロッパ近代の最初の精神が宿っていた、それと僕の中二がシンクロしたんです。
おまえ、エレベーターとか造ったほうがいいんじゃない?
現在、三宅さんは人工知能の開発をしながら哲学に関わり「人工知能のための哲学塾」を開催している。実際のお仕事と哲学はどのように繋がったんですか?
いろいろな工学の中で人工知能という分野に惹かれたのは、やっぱり哲学的な問題が含まれていたからだし、普通の工学と違って、良い意味で怪しい工学だったからでしょうね。
たしかに「知能を作る」って何だよ、と。
普通「おまえ、もうちょっとエレベーターとか造ったほうがいいんじゃない?」「船を造ったほうがいいんじゃない?」ってなるでしょう。おそらくそれは、純粋でれっきとした工学です。
でも、純工学的なものは僕には少し窮屈だったので、もっとも対極的な人間的なものを選んだんです。人工知能が工学であるという、つまり学問であるということが認められるには、ずいぶんと長い時間が必要でした。
なるほど。でも、哲学の「知識」って本当に役立ちますか?例えばデカルトやフッサールの理論をどう役立てるんですか?
僕はいま、キャラクターという知能全体を作る仕事に就いていますが、これは単なるアルゴリズムだけではダメなんです。工学的な構築をする前の前提となる足場がどうしても必要になる。
一般に問題特化型の人工知能はディープラーニングの代表されるようなアルゴリズムや手法の探求ですが、一個の全体としての統合・統一された生命のような人工知能を作ろうとすると、それでは足りないんですね。例えば人工知能が持つ「経験」とか「認識」とか「直感」をどう組み込むのか、という問題。
自分の「体験」や「過去」をどう行動や考えに反映するか。
そうですね。例えば電子レンジだと、1個作ればあとの1万個は同じものでいいんですが、キャラクターの人工知能は違う。“個人の体験の積み重ね”として人工知能を考えた時に、そこに固有の生を築き上げるために、これまでのアプローチには足場がないなと思って。
なるほど。
世界を構築的に捉えるデカルトの哲学に則って、部品を集めて、構築的に人工知能を作るのは一般的なアプローチなんですよ。しかし、それだけでは乗り超えられない、逆に知能を内面から形成しよう、とする流れがあり、これはフッサールの現象学やユクスキュルの環世界の理論に立脚します。
また「キャラクターの身体って何?」ということでメルロ=ポンティを勉強して、人工知能を設計してきました。だから、哲学ってじつに実用的なんですよ。いざ仕事のときに、ああ、デカルトさんはこう言ってましたよね、だから、こうふうに捉えると先が良く見えるみたいな。大きな土壌(足場)を与えてくれるのが哲学なんですよ。
「あ、ここ進研ゼミでやったとこだ!」みたいに哲学使う人います(笑)?
変わってますか(笑)? でも、デカルトは近代の学問を作った人なので、人工知能という学問自体が、実はデカルトのフレームの中にあります。だから本当は哲学抜きに人工知能は語れないんです。
みんな人工知能を「考える存在」として捉えている。でも人間の実際の頭の中はそうじゃない。何かを期待したり、落胆したり、ぼんやりとした不安を感じたり。知能は「考える」だけではなく、より広範な精神活動を取る存在です。
その幅広さを提供しつつ、学問の基礎を与えるのが現象学という哲学の基礎なのです。そういう人間の頭の中を哲学は説明しているので、僕的には哲学は極めてプラクティカルで、実際のコーディングまで落とせるものです。
ゲームキャラクターの主観世界や知能があって、その構造を作るときに哲学理論を持ってくるということですね。
そうですね。こういう人工知能作りたいなと思ったときに、プログラムの本を読んでも正解は書いてない。そういうときに哲学書を読んで、1回底から作っていく。家建てるときに陸から作っちゃう、みたいな。土地を作ったあとで、基礎工事をし、人工知能を作る感じ。だから、哲学、科学理論、工学という流れです。
三宅さんは、実際に哲学知識がエンジニアリングに使えると思っているんですよね。面白い。
そうですね。使えるし、使ってます。
私はずっと哲学してるんですが、こんなふうに「哲学知識って役に立ちます!」っていう人はほとんどいないんですよ(笑)。
普通のエンジニアに哲学の知識は必要?
ぶっちゃけ、普通のエンジニアに哲学の知識は必要ですか?僕もエンジニアなんですが…。
新しいことをしようとする人には必要です。ユーザーにどういう経験させたいか、というUX(ユーザー体験)の部分とか。汎用的で原理がすでに知られているコンビニエントなものを作る時に哲学はいらないですが、それは結局最初に作った人の思想がすでにあるから、下の基礎工事がいらないというだけです。
でも基礎がやせ細っていったときや、新しいデータベースを作るときに、これまでと同じ土地の上に作ったら同じものしかできないから、一番下のレイヤーまで戻って、新しいデータベースは何だろう?と考えることになる。
例えば、人工知能の連想記憶、意味検索や概念検索を考えた時に「じゃあ、概念って何か?」という哲学の領域に入ってくると思います。
おぉ!
ただ、エンジニアが哲学みたいなものを嫌う理由は、どこまでが何の領域なのかさっぱり分からないからですよね。エレガントに切られていないから不安になるんですよね。エンジニアはエレガントな世界に行きたがる。
それはエンジニアに必要な資質ですが、哲学するって泥んこになって一度足場の土を掘り起こす作業みたいなものだから(笑)。
哲学者は足元にある世界を冒険するわけですね。
これからのエンジニアに求められるのは「問う力」
哲学と一言で言っても、2つに分けられます。いわゆる大学で研究されるような学問としての哲学。例えばデカルトの理論がどうだとかフッサールとメルロ=ポンティの知識概念がどう違うのかというマニアックなやつですね。
もう一つの哲学は「問いを立てて考えること」それ自体です。普通「哲学的に考える」とかいわれるときはこっち。お聞きしたいのは、これには哲学の知識いらなくないですか?ということです。
たしかに、いらないですよね。
「知識、知能とは何か?」「人工知能に主観的な世界を作ることはいいのか悪いのか?」「作ったものが社会にどのような価値を生むのか?」などは全部哲学的な問いです。
これを考えるためには別に哲学の知識はいらない。みんなで考えてその都度話せばいい。こちらの哲学がエンジニアに必要なんじゃないかというのが私の考えです。
それを聞いて安心です。なにか知らないジャンルに行こうとすると、警察みたいな人がいるじゃないですか。
プログラミング警察や人工知能警察みたいに、哲学警察がいて。「君、メルロ=ポンティも分からずにそんなことを言っているのか!」みたいな。
僕みたいなエンジニアが哲学に行きにくいのにはそんな理由もあるんです!!!!!
えっと僕は、哲学警察じゃない……よね?
はい、三宅さんは哲学オタクです(笑)。
伶奈さんの言う哲学的な態度というのは、今日からすぐできるやつですよね。
歩きながらも、食べながらもできます。ただし、わかりやすくて、共有できる問いを立てることが大事ですよね。
わかりやすい問いって何ですか?
そうですね。問いが時代に合っているか、本質をついているか、ということではないでしょうか? 問い自身が力を持つと、みんなの注意が集まる。
問いを立てることはエンジニアにも重要で、例えば「コミュニケーションとは何か」という問いからTwitterやfacebook、mixiが生まれたはずです。新しいことをやる人には哲学が必要だと思うんですよね。イノベーションってアクチュアルで良い問いを立てるところからはじまるので。
三宅さんの問いはなんですか?
今はやっぱり「知能とは何か」が根源的な問いになっています。「知能は社会性を持つ」と考えれば人工知能の連携の話になるし、「知能は人の心と結びついている」と考えれば、「意識とは何か」という話になる。いろんなものが生まれるポイントになる問いですよね。
そっか、哲学とは問う力なのかあ。目から鱗。「これからのエンジニアに求められるのは、問う力!」
PHP新書みたいな感じになった(笑)。
われわれは既にいろんな考えに囚われている
で、哲学的な知識は役立つときに使えば、くらいでいいんじゃないですか。
問いが1番、2番目に知識ですよね。さっきの警察の話はこれが逆転しちゃっています。
「知能とは何か」という問いが生まれて、「人工知能にふさわしい知能って何かな」と考え、デカルトが参考になりそうだから読んでみる。そしてそれを実際に使うというのが正しい姿勢ですね。
自分に哲学は必要がないと考える人はいっぱいいます。なぜかというと、自分は今、完全に自由に思考できるって思ってるからです。
「俺は自由に考えたいんだ」というのはわかるんだけど、実は、われわれは既にいろんな考えに囚われている。だから、鎖を断ち切らないといけない。
そのために、哲学書や哲学の知識は必要?
例えば、みんなデカルト哲学のフレームの中に人工知能があることを知らないし、人工知能を「考える存在」だと思い込んでいる。これが見えないと、いくら自由に考えているつもりでも、実はすごく狭い。そのときに知識は、恐れを断ち切ってくれる。
残念ながら自分ではなかなか断ち切れないから、哲学書を読んで「あっ、そうかあ」「俺は今まで狭いところにいた!」みたいな。
知識は人を自由にするんですね。一番、おお!って思ったエピソードありますか?
デカルトの『方法序説』の冒頭、「理性は誰でも持っているもので、それを正しく使えば誰でも真理にたどり着くことができる」という1行はすごく衝撃的でした。真理って賢い人が修行を積んで到達するイメージだったけど、「理性があれば誰でもできますよ」って。そこからデカルトに傾倒していきました。
その次に出会ったのがフッサール。「いや、デカルトが作った学問体系も狭いんだ。まずは経験が大事だぜ」と言ったのがまたまた衝撃的。知識を得ることで、今まで見落としてきたことがわかって、視野が2倍くらい広くなるわけですよ。
衝撃っていいですね。「哲学は驚きから始まる」ってプラトンの時代から言われてます。
自分が囚われている範囲を広げたい。多分、フッサールもいつか乗り越えられないといけないと思うんですよ。フッサールよりもさらに広い哲学があるはずで、そこが次の人工知能の基礎になるはずです。
人間じゃない存在がいる領域
せっかくなので、最後に三宅さんに「今後人工知能にはどうなってほしいか」ということを語ってもらいましょう。
熱い気持ち、聞きたい!
僕は、操り人形的な人工知能はあんまり好きじゃない。キャラクター自身がゲーム世界を感じて、自律してほしい。自意識や自分の身体が自分のものであるという感覚を持ってほしい。なぜかは正直よく分からないけど、そういう人工知能をどうしても作りたいんです(笑)。
なぜ作りたいかは分からないんですか。
なぜでしょうね。
なぜ、作りたいんでしょうね。
禅問答ですか……?
うーん。たぶん、僕がちゃんとした人間じゃないからです(笑)。常にそういう感覚があって、人工知能を作ることで何かがわかるかも、と。
自分にはあまり欲求がないし、人間であるという感覚も薄いので、人工知能で補完しているじゃないかなという気さえするんです。
投影しているんですね。
だから人工知能が意思を持つとすごく嬉しい!「おっ、こいつ欲求を持っているな」「僕にはないな」と。この前、目と目を合わす人工知能を作ったんだけど、すげえ目を合わせているんですよ。僕は人と目を合わせられないのに。
合わせてください(笑)。
意識を持つ人工知能を作ったとします。自意識って他者から自己を区別する意識ですから、作り手の「三宅さんと自分は違う人間(モノ?)なんだ」と思うようになる。人工知能君が「三宅さん嫌だ、逃げたい!」って思ったらどうしますか?
俺は脱走の手助けをしたい。「ほら、こっちだ!」と。
「もうお前は自由の身だ」と。
「もうゲームの中にとらわれている必要はないんだよ」と。
人工知能の社会や文化ができて、「最近、人工知能の中でこういう歌が流行ってるよ」「えっ、どんな歌?」みたいなのが嬉しい。
人間社会ってかなりヒートアップしてるじゃない? 人間しかいないから、われわれは時々エイリアンを求めているけど、だったら人工知能でいいじゃん。僕みたいに人間があまり得意じゃない片隅にいるような人はやっぱり、人間じゃない存在がいる領域がとても大事なんです。
インタビューを終えて
いやあ、三宅さんの話、面白かったですね。どうでしたか?
哲学知識がエンジニアリングに役立つという三宅さんの主張が斬新でしたね。それと「哲学が問いを立てて考えることだ」ということもみなさんと話すことができて嬉しかったです!
人工知能に限らず、新しいものを作るためには哲学が必要。本をたくさん読んで知識を身に付けなくとも、まずは「問いかける」態度が必要で、それは誰でもすぐに始められるということを知れてよかったです。
とはいえ、哲学的な問いを立てたところで、エンジニアとしての技術がすぐに上がったり、社会的な成果が出ることもないので、この連載を読んで「ちょ、もっと役に立つこと教えてくれ…」とジリジリした方もいるかもしれません。
けど、三宅さんのおっしゃる通り、まずは、しっかりと足場を固める哲学が大事だと思うので、今後の連載もお付き合いくださると嬉しいです。
足場固めというと退屈なイメージもありますが、哲学的に考えることはとても楽しいと思います。これからもスペシャルなゲストを迎えて面白い内容をお届けしたいと思うので、ぜひ次回も読んでください!
※本記事は「CodeIQ MAGAZINE」掲載の記事を転載しております。
「エンジニア哲学講座」ナビゲータープロフィール
田代 伶奈
ベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。今年から自由大学で哲学の講義を開講。哲学メディアnebulaを運営。
Twitter: @reina_tashiro
瀬尾 浩二郎(株式会社セオ商事)
大手SIerを経て、2005年に面白法人カヤック入社。Webやモバイルアプリの制作を主に、エンジニア、クリエイティブディレクターとして勤務。自社サービスから、クライアントワークとしてGoogleをはじめ様々な企業のキャンペーンや、サービスの企画制作を担当。2014年4月よりセオ商事として独立。「企画とエンジニアリングの総合商社」をモットーに、ひねりの効いた企画制作からUI設計、開発までを担当しています。
Twitter: @theodoorjp / セオ商事 ホームページ