自己啓発がしんどくなる理由

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こんにちは。株式会社オムスビのハブチンでございます。
みなさま、自己啓発というものをご存じでいらっしゃいますでしょうか。

ウィキペディアによると、

自己啓発(じこけいはつ)とは、自己をより高い段階へ上昇させようとすることである。「 より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。

とあります。書店にいけば「自己啓発本」が平積みで売られていて、経営者や業界リーダーの生き方や考え方について記されています。私のような凡人にも読みやすい内容や文字の大きさで、数時間もあれば読み終えてしまいます。

私は前職は人材教育や研修に携わる会社に所属していたものですから、会社の業務として社員に課題図書(自己啓発本)や、研修を受講しておりました。右をみても自己啓発、左を見ても自己啓発で、例えるならば自己啓発の温泉にドップリ浸かる生活を送っておりました。

先に断っておきますと、自己啓発がいいとか悪いとか言うつもりはありません。内容は正しいことが書かれていますし、日本酒と一緒で嗜む程度に付き合えば悪酔いはしません。しかし自己啓発にハマるとしんどくなります。何事もやりすぎはよくありません。本日はなぜ自己啓発がしんどくなっていくのかを、自分の体験談をもとにお話しさせていただきます。

自己啓発はしんどくなる

自己啓発にハマっている人がどういう行動を取るかというと、本やイベントにいくだけにとどまらず、自主的に勉強会を開催しはじめます。やたりメソッドに詳しくなるオタク通称「メソオタ」になってきます。周りにもいらっしゃいませんか、メソオタ。なんか頑張っているんだけど、ちょっと方向性を間違えている感じ。まぁ人に危害を加えないのであれば、「メソオタ」でも問題ありません。

しかし「メソオタ」には進化系があります。自分自身がメソッドを布教するエヴァンジェリストになる通称「メソエヴァ」に進化します。「メソエヴァ」になると、その道の専門家のような役割になってビジネスにもつながってきます。研修やコンサルティングを通じて「メソエヴァ」は信者をつくります。「メソエヴァ」と話していると、まるでメソッドを知らないだけでイケない気持ちになってきます。

ただし「メソエヴァ」には弱点があります。メソエヴァは自己啓発本などから影響をうけているだけですから、頭ではなんとなく理解していても、身体では理解していないので「自分の言葉」で話せすことができません。もし「メソエヴァ」にあってメソッドを強要されたら、「そのメソッドってなんですか。あなたの具体的な事例を教えてください。」と質問してみてください。多くの「メソエヴァ」は答えられず、成功している事業やサービスをメソッドに当てはめて説明しようとするでしょう。「たとえばポケモンGoはこのメソッドによってヒットしたんだ」というように。おそらくポケモンGoの担当者はそのメソッドを使って立ち上げはしていないと思いますが。

また「メソエヴァ」にはライバルがいます。同じようなメソッドを普及する「メソエヴァ」です。そのメソッドの教祖的な存在になれば、いろんな人に支持されるでしょう。しかし教祖は一人だけなのです。そのポジションをめぐって、あいつはメソッドを理解していないなど、これが真のメソッドなんだというメソッド論争がおきます。

もともと「より充実した生き方」、「より優れた人格」を目指していたはずなのに、気がつけば低次元な小競り合いや醜い感情が生まれている。なぜこのようなことが起きるのでしょうか。理由は簡単です。目的と手段がすり変わったからでしょう。手段を目的化とすると陳腐化していきます。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

自己啓発的な世界から解放される方法

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自己啓発にハマる人は、真面目で自分に軸がないという特徴があります。だから他人が決めた軸で、真面目に一生懸命頑張ろうとして、上述のようにしんどくなっていきます。

解放されるにはその逆を目指せばいいと思います。不真面目で、自分の軸がある状態。たとえば私自身の例でいうと、「家族と一緒に暮らすこと」が自分の軸であり、それが達成されていれば他人にどういわれようがあまり興味はありません。

「メソエヴァ」からすると、かなり不真面目な生徒だとおもいます。私が家で育児をしているという話をすると、「お前は何も成し遂げていないし、もっと働いて自分自身を成長させないといけないよ」とご指摘を受けたりします。

確かに何も成し遂げてはいないのですが、そもそも何かを成し遂げないといけないのでしょうか。何か成し遂げないと幸せは手に入らないのでしょうか。何も成し遂げていなくても、ちゃんと三食ごはんを食べて、気の合う人たちと過ごして、ぐっすり寝られれば十分ではないでしょうか。

「不確かな未来」を語り合うよりも、「今ここにある日常」を見つめ直して、自分が何があれば(なければ)十分なのかを知っていれば、わざわざ何者かになろうとする努力はしなくなるでしょう。

あと私のように書く仕事をしているときは、なるべく「メソエヴァ」にならないように注意をしています。私は子どもが生まれたタイミングで独立したこともあり、イクメンや起業について講演や記事を書くようなご相談を頂戴することがあります。

でも基本的には啓蒙をしません。「イクメンのイヤのところ」を書いたり、「転職か独立よりも飽きないかどうか」と書いたり、なるべく光と影の両面を描いて変に夢を描かせないように心がけています。

「自己啓発は自己をより高い段階へ上昇させようとすること」だとすると、その「高い」ってどういう状態なんでしょうか。あるいは高い低いよりの一軸しかないのでしょうか。右いっても左いっても、斜めにいってもいいではありませんか。

人それぞれでいいじゃん。

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【羽渕 彰博(ハブチン】
1986年、大阪府生まれ。2008年パソナキャリア入社。転職者のキャリア支援業務、自社の新卒採用業務、新規事業立ち上げに従事し、ファシリテーターとしてIT、テレビ、新聞、音楽、家電、自動車など様々な業界のアイデア創出や人材育成に従事。2016年4月株式会社オムスビ設立。

habchin(Akihiro Habuchi)|Facebook

編集:鈴木健介

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