【20代の不格好経験】創業期にゲーム以外の分野でサービス展開も、リリース後わずか2カ月で終了に~アカツキ代表取締役CEO 塩田元規さん

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今、ビジネスシーンで輝いている20代、30代のリーダーたち。そんな彼らにも、大きな失敗をして苦しんだり、壁にぶつかってもがいたりした経験があり、それらを乗り越えたからこそ、今のキャリアがあるのです。この連載記事は、そんな「失敗談」をリレー形式でご紹介。どんな失敗経験が、どのような糧になったのか、インタビューします。

リレー第14回: 株式会社アカツキ 共同創業者 代表取締役CEO 塩田元規さん

株式会社VASILY代表取締役 金山裕樹さんよりご紹介)

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(プロフィール)
横浜国立大学電子情報工学科を経て、一橋大学大学院MBAコース修了。新卒でDeNAに入社し、アフィリエイト営業マネージャー、広告事業本部ディレクターを務める。2010年6月、香田哲朗氏(共同創業者・取締役COO)とともにアカツキを立ち上げる。

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▲2013年に配信スタートした「サウザンドメモリーズ」など、スマートフォンゲーム分野で数々の大ヒットを生み出す。キャラリンクRPG「サウザンドメモリーズ」は累計350万ダウンロードを突破(2015年6月現在)。今後はゲーム領域以外にも事業拡大を積極化し、「感情を報酬に発展する社会」を実現する予定。

■「成功しそうだからやろう」ではなく、「失敗してもやり続けよう」と思える意義あるビジネスを手掛けるべき

 2010年にDeNAを退職し、アカツキを創業して丸5年。「サウザンドメモリーズ」をはじめさまざまなゲームを手掛けていますが、創業2年目に一度、ゲーム以外のサービスをリリースしたことがあります。

 2011年11月にリリースした、女性向け写真共有アプリ「Liclee(リクリィ)」。テーマ別に写真を投稿・共有できるアプリで、写真を可愛くデコレーションしたり、美肌補正もできるというもの。ちょうど「Instagram」がはやり始めたころで、「これはいけるっしょ!」と確信を持って世に送り出しましたが、わずか2カ月で配信を停止することになってしまいました。

 もともと、いわゆるゲーム会社ではなく、ソニーやホンダのように世界規模で価値を創造できる「日本を代表するビジョナリーカンパニー」を目指して起業しました。創業事業にゲームを選んだのは、当時モバイル領域が急成長していて、将来はモバイルで世界がつながり、オープンで開かれた場所になると予想したから。この領域ならば、数人でも世界を変えられる可能性が高いと考えたからです。

 ありがたいことに、初めてリリースした「育てて☆マイガール」がヒットし、2年目には利益が出るように。そこで、「ゲーム以外の領域でも、世界を変える可能性のある新規事業をたくさん作っていこう」という気運になり、思いついたのが「Liclee」でした。「Instagramに火がついたばかり」という時流もいいし、日本の“カワイイ”を世界に発信することもできる。そしてメインターゲットである女子大生への事前リサーチの反応も良く、「これは成功する!」と思いました。

 実際、立ち上がりは悪くなかったと思います。恐らく、ちゃんと手を掛け、サービス内容をブラッシュアップし続けていれば、今も支持されるサービスに成長したのではないかと思います。でも、この新規分野に、私と共同創業者の香田がつきっきりになってしまったことで、創業事業であり収益柱のゲーム事業が急激に傾き始めたんです。

 その時、迷ったのですが、私はゲーム事業に戻り「Liclee」を止める決断をしました。
 リリースしたばかりのサービスを止める事態になったことが、失敗だとは思っていません。せっかくリリースしたサービスを「諦めることができてしまった」ことが、失敗だったと思っています。つまり、本気でやりたい、命を懸けてでも取り組みたいという、意志も覚悟も弱かったのだと。心のどこかに「成功しそうだから、やってみよう」という気持ちがあったことに気づき、心から反省しました。

■「儲け」が第一目的になっていては、世界に影響を与えるものは生み出せない

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 今は、「成功しそう=儲かりそう」を第一目的に作った商品やサービスは、世界を変えるものにはならないと確信しています。たとえ10年間赤字でも、「絶対に成功させる!」と思える覚悟を持てるものをやるべきだと思います。その意志や覚悟がないと、苦しいとき、うまくいかなくなったときに、諦めてしまいますから。また、それだけ本気であれば、成功しなかったとしても次につながる学びが得られますし、「本気の人生」はそれだけで幸せだと思います。「もし、このプロジェクトが人生最後のプロジェクトだとしても僕たちはこれをやるのか?」――「Liclee」をやっていたときの当時の僕は、この問いに答えられなかったのだと思います。

 この失敗を機に、全社を挙げて「なぜ、僕たちはゲームを作るのか?」「ゲームの持つ本質的な価値とは何か?」という基本に立ち返りました。メンバーみんなで議論しながら、「ゲームには、市場の成長性だけでなく、人を感動させる力、心を動かす力がある。世界中の人の感情に訴えることができる稀有な領域であり、世界に価値を提供できる」と再確認することができました。僕たちは、金銭的報酬だけではなく、感情が動かされ、心が満たされることに人々が価値を見出し行動していく「感情報酬な社会にする」というビジョンを掲げていますが、ゲームの力を使ってそれができると信じています。

 同時に、「新規事業は必ず“Why”から始める」と決めました。このビジネスをやる意義、目的を徹底的に考え抜き、アカツキでやる価値がないと思ったら、儲かりそうであってもやらない、と決めました。

「Liclee」自体はサービス停止してしまいましたが、創業期の大事な時期に、会社としての基本に立ち返らせてくれました。会社は価値を生み出し、世界を幸せにすることが存在意義。この失敗はアカツキにとって必然だったのだと、今ではそう捉えています。

■重要な決断をする時は損得で判断せず、心の奥底から湧き上がる声を聞く

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 社会に出れば、予想もしないさまざまな出来事に遭遇します。思いもよらないトラブルに見舞われたり、予想外の失敗をおかして、落ち込んだりすることも多いでしょう。そんなとき大事なのは、自分の心や直感を信じて「偶然を必然に変える」ことだと思っています。

 私は20歳のときに自分の人生を計画し、自分年表を作って「27歳で起業する」と決めました。

 中学の時に、父が37歳で他界。人生には期限があるとリアルに痛感し、「この人生で、僕はなにを成し遂げるのか?」という問いを考えていました。そして、大学のときに、さまざまな経営者に経営哲学をインタビューする「幸せ企業プロジェクト」を立ち上げ、私も世界を幸せにしていく“幸せ企業”を作ろうと決めました。

 父の最期である「37歳」を一つの期限と置き、成し遂げたいことを実現するべく逆算して、「27歳で起業だ!」と決めたのです。DeNAに新卒入社する時も、もちろん公言しました。

 でも、DeNAでの仕事がむちゃくちゃ面白かったんです。忙しくも毎日が充実していて、「将来はDeNAの社長になろうかな」と勝手に思っていたぐらいです。

 そんなとき、たまたま共同創業者であり、当時はコンサルティング会社に勤めていた香田と再会。香田とは学生時代に出会い、「起業するならこいつとしよう」と心に決めていたのですが、DeNAが楽しくてその想いを忘れかけていました。でも、久々に会った香田の目が、完全に「死んだ魚の目」になっていて(笑)。不完全燃焼感が出ていたんですよね。

 その瞬間、ああ、これは動き出すタイミングなのかな、と思いました。

 仕事は楽しいし、順調にステップアップもしている。起業のネタも決まっていないし、貯金はゼロ。…現実的に考えたら、そんな状態で起業するなんて、リスクしかありません。でも、心の奥底から湧き上がる己の感情が、確かに「この偶然に乗るべきだ」と大声で言ったんです。偶然にも、年齢も自分年表に記した27歳でしたし。

 このような決断のタイミングって、おそらく皆さんにもきっと訪れます。その時、損得ではなく、心の声に忠実に動くべきだと私は思います。心が本気で「やりたい!」と叫べば、意志と覚悟はすでに備わっているということ。「自分に果たしてできるのか?」なんて不安は無視してOKです(笑)。だって、やると決めれば、どうやってできるかを考えればいいだけですから。

 意志と覚悟が生み出す「成功するまでやり遂げるパワー」は、何よりの財産。たとえ初めはうまくいかなくても、つまずきながらも学び、ブラッシュアップを重ねるパワーさえあれば、絶対にいつか目標に到達できるはずです。そして、万が一目標に達成しなかったとしても、きっと後悔のない人生を生きられると思います。

EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:平山諭

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