辞めようと思ったこと?ないですね。だって書かないと、死んじゃうんですから 【ノンフィクション作家 石井光太さんの仕事論】

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カンボジアの地雷障がい者や
ベトナムで物乞いを仕事にする
盲目の老人と少年などを描いた「物乞う仏陀」。
28歳で発表したこの作品は高い評価を受け、
大宅荘一ノンフィクション賞など
数々の著名な賞にノミネートされる。
気鋭のノンフィクション作家は、
どのようにして生まれたのか。

■やらなきゃ死んじゃうことを仕事にして、後は全力でやる。それが基本

 「どうしたら作家になれますか」って、よく聞かれるんですが、まずは「本当にやりたいのか」ってことですよね。自分の場合は書かなきゃ死んじゃうんですよ。まあ、病気みたいなもんです。

 小さいころからものをつくることがすごく好きで、そのことに強いこだわりを持っていた。言ってみれば、それが自分のアイデンティティでした。それで食べていくことしか考えつかなかったから、芸術系の大学にいったんです。

 どうして物を作るのが好きだったのかというと、う~ん、後付けなら何とでも言えるんですけどね。親が舞台美術家だったからその影響とか。でも本当のところ、理由なんてわからないです。サッカー選手に「何でサッカーが好きなんですか」って聞いても答えられないでしょ?それと同じようなものだと思います。

 そういう意味では、ものをつくる仕事なら、文章でなくともよかったのかも知れません。でも、映像のように何人かと一緒につくらなくちゃならない仕事は自分には向いてなかった。最初に持ったイメージを、作る過程で妥協していかなきゃならないのは性に合わない。文章なら、最初から最後まで一人で構築できますからね。

 

 じゃあ、何で小説じゃなくてノンフィクションだったかと言えば、大学1年生の時にアフガニスタンに行って、その時に見た光景、魂が震えた体験をそのまま伝えたいと思ったから。それにはノンフィクションが適していたんです。感情が揺り動かされる体験、それにより派生する出来事。そういう体験って、いいことでも悪いことでもすごく重要だと思うんです。ノンフィクションなら描写によって読者に体感させられますよね。だから、ノンフィクションを選んだんです。

 もう一つノンフィクションを選んだ理由をあげるとすれば、アフガニスタンで見た“魂が震えるような光景”をノンフィクションで描けば絶対に成功するという確信があったから。当時、海外の貧困を描いたノンフィクションはたくさんありましたけど、物乞いと障がい者を描いたノンフィクションは誰もやっていなかった。だからニーズがあると思ったんです。作品を発表するまではこわかったですね。誰かに先を越されるんじゃないかと思って。それくらい「これはいける」という、絶対的な確信があったんです。

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■自分に足りないことは人それぞれ。マネをしても成功しない

 自分の場合は“やらなきゃ死んじゃうこと”が早くから見つかってすごく幸せだと思います。でも、いつ見つかるかは、人によって違いますよね。40歳だったり、70歳だったり、いろいろでしょう。ただ言えるのは、がむしゃらに何かに向かってやっていなきゃ見つからないってこと。そして、やらなきゃ死んじゃうことをやってない限り、成功しないってことです。

 それさえ間違えなかったら、後は自分に足りないことを一つ一つ潰していくだけ。文章力が足りないと思ったら、毎日うまい人の文章を書き写すとかね。自分の場合は必要があったら必死でやったけど、やらなくてもうまくいく人もいる。足りないことは人それぞれなんだから、やっぱりそれも自分で見つけるしかないんです。

作家になりたい人はたくさんいる。
でも食べていける人は、ほんの少し。
特にノンフィクションという分野は
かかる費用が大きいため、
手を出したがらない出版社も多い。
それなのに石井氏に、
ひっきりなしに仕事がくるのは、なぜなのか。

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■2年にいっぺん、売れるものを作る。5年空いたら仕事はこない

 自分にとって、物を書くことは仕事ではないんです。ご飯を食べるとか、寝るとかと同じ次元のこと。でもそれでは仕事相手には通用しない。自分がやりたいことを世間に認めてもらうためには、“プロの責任”を果たさなければといけないと常に思っています。

 じゃあ、プロの責任とは何かというと、例えば、締め切りは絶対に守るとか、赤字を出さない作品を作るとか、テレビや講演で責任のある発言をするとか。そういうことは最低限やらなきゃいけないことだと思います。それが、自分がやりたいことを社会から認めてもらうための“枠組”なんです。

 あとは、2年にいっぺんは売れるものを作るということですね。「これはすげえ」というものを2年にいっぺんでいいから作ることができれば、その間に1個か2個、失敗しても仕事は切れない。でも、5年間売れなかったら、もう仕事はこなくなるでしょうね。

 それから、編集者に「この人ともう一回やりたい」と思わすことができるかどうか。仕事をしてお互い成長したと思えるからこそ、「またやりたい」と思うわけでしょ。「この人は自分を変えてくれる」と思えて、かつ、そこそこの結果を残すことができれば、「次もこの人と仕事がしたい」となりますよね。

■やる気は最低条件。チャンスにきちんと乗っかれるか、を意識する

 売れる法則はわからないけど、売れないものはわかります。一生懸命やってないものは、まず売れません。自分が120%の力を出してないものは売れない。周りもそうです。一緒に仕事する編集者も全力で取り組んでいなかったら売れません。やる気は最低条件です。パっとつくってパっと売れるなんてものはないですね。

 あと大事なのは、チャンスにきちんと乗っかること。これは常に意識していますね。例えば、雑誌の創刊や文庫の100周年記念など、普通より多くの人が関わる場、いつもと違う人たちが目にする場に入っていけるかどうか。いろんな人と関われたほうが面白いし、読者層も広がりますよね。そのためのネットワークを普段からちゃんとつくっておくことは大事です。

 だからといって仕事を選んでいるわけじゃないですよ。僕は基本的に、仕事は断りません。編集者が持ってきてくれたテーマが合わなかったら、別のものを提案することはありますけど。でも、どんな人でも来るもの拒まずです(笑)。

 よく、そんなテンションが続きますねと言われますが、いやもう最初から最後までずっと楽しいんですよ。現場にいるのも大好きですし、書くのも大好きです。読者の人から面白かったと言われるのもすごく嬉しいですしね。うまくいかないとき?それはそれで楽しいんですよ。

 本当にどれも楽しいんですけど、何より現場にいるのが好きですね。現場にいると、いつも価値観がひっくり返るんですよ。180度、価値観がひっくり返される。これって、すごく楽しいことなんです。価値観が変わることが楽しくて、この仕事をやっているんです。

 価値観をひっくり返されることは、すごく勇気のいることだと思います。人は自分を守りたいから、なかなか他人の価値観を認められない。自己防衛手段なんです。弱い人であればあるほど、理論武装して自分の価値観を守ろうとする。でも、価値観をひっくり返されるときが、一番感動するときなんです。それこそ、魂が揺さぶられる瞬間というのは、そういうのを言うんだと思います。物を作る人間は、このことに貪欲じゃないといけないんですよ。

【Profile】

いしい・こうた●1977年、東京都生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。在学中に訪れたアフガニスタンを皮切りに、東南アジアなど海外の貧困地帯を回る。2005年『物乞う仏陀』でデビュー。開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされるなど、高い評価を受けた。著書に『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『地を這う祈り』『ノンフィクション新世紀』『遺体』『津波の墓標』『浮浪児1945-』など多数。

information

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『津波の墓標』
石井光太著
2011年3月11日。東日本大震災が起きてすぐ、石井氏は付き合いのある雑誌編集者全員にメールを送ったという。「津波の取材に行かせてください」。そして一番早く反応があった雑誌と組み、すぐさま現地に向かった。3月14日のことである。向かった被災地での取材は、『遺体』(新潮文庫)という作品になり映画化もされた。

本書は、その長期にわたる被災地での取材の様子が克明に、生々しく綴られている。避難所で暮らす人々や現地ボランティアの本音、犯罪、被災地に押し掛ける野次馬、死体を撮り続けるカメラマンなど、テレビでは放映されない真実がここにある。震災で被害にあった人たちは、どんな傷を負って、何を背負って生きていかねばならないのか。震災から4年経った今、われわれはどんな支援をしていけばいいのか、さまざまなことを教えてくれる一冊だ。社会のために何かしたいと思う人、必読の書。徳間文庫カレッジ刊。

※リクナビNEXT 2015年4月22日「プロ論」記事より転載

EDIT/WRITING高嶋ちほ子 PHOTO栗原克己

【プロ論】第一線で活躍する人物の「こだわり仕事術」を紹介します。

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