「メディアイノベーターに、俺はなる!」~東洋経済オンラインからNewsPicksへ電撃移籍した佐々木紀彦氏の「野望」

『東洋経済オンライン』の名物編集長・佐々木紀彦氏がこの7月、ソーシャルニュースメディア『NewsPicks』へと電撃移籍した。佐々木氏と言えば、2012年に『東洋経済オンライン』の全面リニューアルを行い、同サイトをビジネス系サイトのトップに押し上げた立役者。なぜ、このタイミングで『NewsPicks』への転身を図ったのだろうか?

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株式会社ユーザベース 執行役員 NewsPicks編集長 
佐々木紀彦氏
1979年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、東洋経済新報社に入社し記者として活躍。2007年9月より2年間休職し、スタンフォード大学大学院で修士号(国際政治経済専攻)を取得する。帰国後は『週刊東洋経済』編集部で「非ネイティブの英語術」などのヒット企画を担当した後、2012年に『東洋経済オンライン』編集長に就任。最高で月間5500万PVを叩き出す人気メディアに育て上げる。著書『5年後、メディアは稼げるか?』(東洋経済新報社)も話題に。今年7月、ユーザベースに電撃移籍し、『NewsPicks』編集長に就任。

■「とりあえず外資系?」ミーハーな内定ホルダーが一転、既卒就活して老舗の東洋経済新報社へ

 実は大学時代は、メディア志望ではありませんでした。当時、優秀で野心がある人は、外資系金融に行くのが流行りの時代。竹中平蔵ゼミに入っていたことに加えてミーハー心もあり、就活では外資系金融しか受けませんでした。
 大学4年生の夏休み、内定をもらった「ザ・外資金融企業」の投資調査部にインターンに行ったんですけど、初日で「肌に合わない」と悟りました。
 最初の違和感は、パーテーション。一人ひとりの席がボックスで仕切られていて、まるで牢獄みたい。そして、与えられた仕事はデータ分析。そもそも、そういう仕事が好きじゃないとも気づき内定辞退を決めました。

 それでも「どこかいい会社が見つかるだろう」と根拠のない自信を胸に、内定辞退後にもかかわらずロンドンに短期留学したりして、帰国後の12月にのんきに就活再開。でも、どの会社も採用はすでに終わっていますから、受かるはずがありません。就活を完全に舐めていたしっぺ返しです。
 反省して選んだのが、「留年せずに卒業し、既卒として就活をやり直す」という道。強制的に、自分の将来をじっくり考え抜く時間を作ろうと思ったんです。

 この時期、おそらく一生で一番、自分自身に向き合ったと思います。さまざまな本を読み、横浜の海を見ながら人生をじっくり考え…そんな毎日を送る中で、「歴史に残る本を作りたい」という想いに行き当たりました。子供の頃から本や伝記が大好きで、三国志なんてそれこそ10回以上読みました。刹那的なものではなく、語り継がれる出版物をこの手で生みだしたい。
 そこで、中央公論新社、ダイヤモンド社など歴史の長い出版社を中心に応募し、東洋経済新報社に拾っていただきました。既卒を採用してくれるメディアが少ない中、希望の会社に入社できて、本当に運が良かったです。

 今、当時を振り返って思うのは、人生におけるできるだけ早い時期に、自分と向き合う孤独な時間を作って何をしたいのか考えるのは、自身のキャリアにとって大切なことだ、ということ。「他人によく思われたい」という行動は、すべての判断を狂わせしまう。ネットがあり、スマホがあり、SNSがあり…孤独にひたるのが人類史上一番難しくなっているのが現代です。自分はどういう人間で、何が好きで何がしたいのかをしっかり固めておくと、周りから何と言われようがブレなくなります。重要な意思決定を外すか外さないかの分水嶺にも、迷わなくなります。

■メディアの世界に浸っていたら一流にはなれない。20代で2年間休職し、留学

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 入社後『週刊東洋経済』記者として、自動車業界やIT・ネット業界を担当。忙しくはありましたが毎日が楽しく、刺激的でしたね。そういえば、今に至るまでただの一度も「仕事が苦痛」と思ったことはありません。仕事が完全に趣味と一致しているからでしょう。

 その後、入社5年目に2年間休職してスタンフォード大学に留学します。20歳のときに大学のサマープログラムで1カ月英語のトレーニングに行ったのですが、そのときの印象が強烈で。こんな自然豊かな場所で、世界でも有数の優秀な学生たちが学んでいる。ここに学生としてまた帰ってきたいと思っていたんです。メディア人として脂が乗っていた時期になぜ?と聞かれることもありますが、自分としてはごく自然な流れでした。
 また、「メディアの世界に浸っていたら一流にはなれない」とも考えていました。他業界に比べ、競争にさらされるような機会が少ない。一言で言えば「ぬるい」と感じていたのです。だから、仕事にも慣れ、自分は仕事がデキるのではないかとうっすら思ってしまっている今、優秀な人がたくさんいる環境で「上には上がいる。自分はまだまだ大したことない」と思いたい…という気持ちもありました。

 果たして、2年間の留学で「自分が大したものじゃない」と痛いほど理解しました。同世代のものすごく優秀な人と自分との違いを理解できたのは大きな収穫でしたね。とはいえ、落ち込みましたし疲れたし…2年間の修業期間でした。

■とにかくリーダーになりたい!自分が采配を振るえる環境へ

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 帰国後、33歳で『東洋経済オンライン』の編集長に名乗りを上げます。私がウェブに強かったから…では決してありません。何なら、ついこの間までガラケーを使っていたぐらいで(笑)。
 ただ、とにかくリーダーになりたくて。ウェブならば30代前半の自分でも編集長になれるチャンスがあると思ったからなんです。歴史ある紙媒体では難しくても、ウェブ媒体という前例が少ない分野ならば抜擢されるのではないかと。

 編集長になってすぐに行ったのは、サイトの全面リニューアル。それまでは、『週刊東洋経済』本誌のネット版にすぎませんでしたが、「本誌に捉われず、全く新しいメディアを作る」に方針転換。東洋経済の記者を総動員してウェブオリジナルの記事を充実させ、面白い視点を持った外部の有識者やジャーナリストからの寄稿も強化。記事のテーマや内容は20代、30代のビジネスパーソン向けに仕立て、30~50代のエグゼクティブターゲットの本誌と明確に差別化しました。その結果、リニューアル後に月間5300万PVを突破(PC、スマホ合算)、大きな反響を得ることができました。

 しかしこのたび、『NewsPicks』への転身を選びました。『東洋経済オンライン』の編集長になって、比較的自由にアイディアを実現できるようになりましたが、伝統的な会社にいる限り、編集長になってもさらに上がいる。メディアだけでなく事業にも深くコミットしたいと思っても、すぐには叶いません。自分が采配を振るえる範囲には、常に限界があると実感させられました。そのような環境にい続けるよりも、新しい会社のほうが自分の「妄想」を実現できる、そう考えたんです。

■今のメディアはチャンスの宝庫!メディアを通して日本のレベルを上げたい

 私は、メディアを通して日本のレベルを上げたい、世界をおもしろくしたいと思っているんです。
 すべての行動は、情報から始まります。自分の思考で考え、行動できる人はほとんどいません。すなわち、人々の行動の流れを作るのはメディアであり、メディアがどういう情報を選び、加工するかによって人の動きは変わっていくのです。メディアがさらに質の高い情報を発信し続ければ、日本はもっといい方向に進んで行くと思っています。

 留学時代、英語の文献を死ぬほど読んだのですが、本にしろ雑誌にしろすごく内容が豊かなんです。英語人口が多いため、知能蓄積の絶対量が多いうえ、良質な筆者の数も多い。だから、メディアもレベルが高い。たとえば、The New York Timesにも頭を使わせる、発見のある記事が毎日載っている。こんなに面白いメディアが世界には広がっているんだ!と驚かされるとともに、まだまだ自分の、ひいては日本のレベルは低いなと思い知らされました。このレベルに近づきたい、そして日本人にこういう海外の豊かな情報を届けたいと思うようになりました。

 新聞は、日本においてはまだまだメインプレイヤーですが、日本の新聞のほとんどは19世紀に誕生しています。つまり、100年以上、メインプレイヤーが変わっていないのが日本のメディア業界なんです。あまりにうまく出来上がったビジネスモデルであるがゆえに、そこから離れ難いのは当然ではありますが、世界のボーダレス化が進むにつれ、日本のメディアの「遅れ」はさらに鮮明化するでしょう。私は一刻も早く現状を変え、次の世代で長く生き続けるメディアをこの手で作りたいと思っています。ウェブ、映像…いろいろなものを組み合わせることで全く新しいメディアを生み出し、メディア業界でイノベーションを起こしていきたい。「メディアイノベーター」と呼ばれるようになるのが、私の夢です。

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EDIT&WRITING:伊藤理子 PHOTO:平山諭

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