外資系企業でIT部門の責任者を務めた後、日清食品ホールディングスでCIO(最高情報責任者)として情報基盤改革を遂行した喜多羅滋夫さん。外資から日本企業に転身し、文化や社風、意思決定も異なる中で、「武闘派CIO」としてIT部門の変革を担い続けてきた喜多羅滋夫さんに、組織変革の過程の苦労と工夫、そして今後のキャリア観について聞きました。
喜多羅 滋夫氏
株式会社ラック執行役員 IT戦略・社内DX領域担当 CIO、ダイドーグループホールディングス株式会社 IT統括責任者。P&Gとフィリップモリスにて20年余りIT部門に従事した後、2013年日清食品ホールディングス株式会社に同社初のCIO(最高情報責任者)として入社。グローバル化と標準化を軸に、グループの情報基盤改革の指揮を執る。2021年3月に同社を退職し、独立。ITとイノベーションによる事業変革支援に取り組んでいる。
未経験のことにチャレンジするほうがワクワクできる
──喜多羅さんは2013年に、日清食品ホールディングス(以下、日清食品)初のCIOとして入社されました。それまでは外資畑が長かったそうですね。
新卒で入社したP&Gには12年、フィリップモリスには11年弱在籍。フィリップモリスの後半5年はIT担当役員を務めていました。次のステップを考えていたとき、ヘッドハンターからいただいたオファーの大半が、外資系企業のIT部門トップというお声がけでした。これまでのキャリアを考えれば当然のオファーなのですが、「すでに経験したことをまた繰り返しても面白くない」とも思っていました。
そんなときに、あるヘッドハンターから「国内上場企業のCIOに関心ありますか?」と声をかけられたのです。詳しく話を聞いてみると、日清食品グループがグローバル化を進めるにあたり、今まで使っていた情報システムの刷新に着手したものの、難渋しているとのこと。
それまでの日清食品のシステム部門は、社内のシステムを日々滞りなく回し続けるのが主な仕事。プロジェクト管理や企画立案などの経験者が社内におらず、外部から経験豊富な人を連れてくるしかない…ということになったのだそうです。
──グループ全体の情報システムを一からすべて刷新するというミッションであり、しかも社内に相応の知識を持った人がいないという状況の中に飛び込むのは、かなりの覚悟が要りそうですが…。
「未経験のことにチャレンジできる」ワクワク感の方が大きかったですね。ただ、家族や同僚には大反対されました。
実はP&Gとフィリップモリスの間に2カ月間だけ、ある日本企業に勤めたことがあります。大手ながらかなりベンチャー気質で、当時は毎日深夜まで働いて早朝に出勤しているのに、夜中に上司から「あの件どうなった?」と電話が来るような、今でいえばブラック体質でした。
そんな状態でも、自分が仕事をコントロールしている実感があれば頑張れたかもしれませんが、ザ・日本企業な企業体質で何をするにも上司にお伺いを立てなければならないのが辛くて、精神的にも身体的にも限界になり退職しました。
そんな経験もあり、「日本企業に入ったらまた同じような苦労をするのでは?」と心配されたのですが、好奇心が勝りました。最後に背中を押してくれたのは、P&G時代の上司。転職後も相談に乗ってもらっているのですが、その元上司の「喜多羅ちゃん、そろそろ日本の会社を助けてあげたら?」の一言で腹が決まりました。
──実際に入社してみて、いかがでしたか?
ある程度のギャップは予想していましたが、それでも想定外のことが山ほどありました。一番驚いたのは、意思決定がファクト以上に、「誰が言ったか」に左右されるということ。発言力を持つ人が「右」と言えば、その決定事項がどうであれみんな「右」を向くんです。そして、経営陣の中にも人間関係があり、犬猿の仲の役員がいたりする。そういう人たちと連携し、承認を得ながら未経験のプロジェクトを進めていくのは、かなり難儀でした。
そして、メンバーの仕事に対する姿勢にも驚かされました。誰もが受け身で、ネガティブなのです。確かにうまく進んでいないプロジェクトではありますが、マイナスのことばかりに目を向けて「あれもできない、これもできない」としり込みしていたのです。
そこで、「責任は私が全部取る。とにかく一緒にやってみないか」と皆の前で宣言しました。CIOとして入社した以上、このプロジェクトの責任はすべて私にある。だからやるべきことをやろう、と。
そのとき、皆が息を飲み、シーンと静まり返ったことを覚えています。今までそういう経験をしたことがないし、こんなことを言う人を見たことがなかったのだと思います。これを機に、少しずつメンバーと関係性が築けるようになりました。
過去の辛い経験が「コネクティングドッツ」になった
──プロジェクト自体は、うまく改善の軌道に乗せることができましたか?
いえ、初めから苦労の連続でした。役員からの総攻撃にも遭いました。日本の製造業にとってモノづくりの現場は聖域であり、これまでの経緯を否定して変えようとするとは何事か!というわけです。賛同がなかなか得られず四面楚歌の状態が続きました。
その中、サポートしてくれたのが社長。社長だけは、「グループの情報基盤改革を遂行する」という目標に向かってぶれずに突き進んでくれました。だんだん私もコツがつかめてきて、困ったときは社長を巻き込むことにしました。大事なメッセージはすべて社長から言ってもらうことで、「私がやりたいのではなく会社としてやらねばならないのだ」と改めて認識してもらい、少しずつプロジェクトを先に進めていきました。
──かなりストレスフルな環境だったようですが、くじけそうになったことはありませんでしたか?
ここで10年以上前に経験した、わずか2カ月の日本企業勤務経験が活きました。あの泥水をガブ飲みした経験があるから、これぐらいの苦境はどうってことないって思えたんですね。役員会の場でボコボコにされようが、「あれよりましだ」と思えましたから。
過去の経験が、思いもよらなかったことに活かせる状況を「Connecting the dots」と言いますが、まさに以前の挫折がConnecting the dotsであり、自分にとって必要な経験だったのだと改めて感じました。
基礎を徹底的に固めないと、応用は利かない
──メンバーのマネジメントはどのように行ったのですか?
基幹システムの入れ替えは長期にわたるプロジェクトなので、なかなか達成感を得にくいという側面があります。そこで、プロジェクトを回しながらも日々の業務を「小さなプロジェクト」化して、一つ達成したらきちんと称賛することで達成感を得てもらうよう工夫しました。
日本企業の悪しき特徴に、「できて当たり前」という発想があります。だから、できたことを褒めるのではなく「これもできていない、あれもできていない」とできていない点をあら探して指摘する。そして99%できているのに「100%じゃないから改善しろ」などと平気で言うんです。
でも、人はだれしも褒められたいもの。そして望むらくは会社や上司から褒めてもらいたい。だから日々の業務の中で「褒められるシステム」を作ることで、小さな達成感を感じてもらい、モチベーションを高めてもらうよう働きかけました。スキル不足な部分については、初めにトレーニングを行い、その後私が一緒に入って伴走しながら補強していきました。
プロジェクトを遂行するにはビジネススキルもITスキルも必要ですが、特に、無から有を生み出すための「プロジェクトマネジメント」と、サービス向上のために重要なことにリソースを集中させる「サービスマネジメント」の2つがが重要。この2つについては情報システム部門全員にトレーニングを受けてもらい、スキルの基礎を作ったうえで仕事を進めてもらいました。
私がことあるごとに言っているのは、「基礎がない人に応用はできない」ということ。各々の仕事の基礎を徹底して身につけることで応用が利くようになり、ステップアップできるようになる。だからこそ、大きなプロジェクトに際してまず基礎を徹底してもらうことで、個々の力を発揮してもらうための素地を作りました。
──何を原動力に、プロジェクトを走り続けたのでしょう?
やったことのないことに挑戦するのが好きなんです。完全に「達成感オリエンテッド」なタイプで、新しいことに挑戦し、ギリギリでも達成できたときにこの上ない喜びを感じ、どばっと脳内麻薬が出る(笑)。
つまりは、一番の原動力は自分自身の中にあります。お金や賞賛の言葉もそれはそれで嬉しいのですが、自分にとって満足がいく結果を得られたときの達成感が何よりのインセンティブ。いくら回りが褒めてくれても、自分が満足できていなければそれは失敗。ある意味、自己満足のために日々走り続けています。
常に全力疾走なんて無理。ときには手を抜いたっていい
──3月末で日清食品を退社し、独立されたとのこと。今後どんなキャリアプランを描いておられるのですか?
私は現在55歳。日清食品を退職する際、いろいろな会社からお声がけをいただきましたが、やっぱり今までと同じことはやりたくなかった。まだまだ新しいことにチャレンジしたいし、できるはずだ…と思ったのが独立の理由です。自分の会社を持ったほうが定年もなく、長く働き続けられるとも考えました。
現在2社と業務委託契約を結び、IT面からサポートしています。セキュリティ対策を手掛けるラックの執行役員CIOと、ダイドーグループホールディングスでIT統括責任者を任されていますが、チャレンジングな経験ができる場があれば、もっといろいろな企業と協働したいと思っています。
そしてこれからは、「武闘派CIO」として、次世代リーダーの育成にも力を入れていきたいと思っています。
──喜多羅さんはIT業界では「武闘派CIO」として知られていますね。
私だけでなく、フジテックCIOの友岡賢二さん、元ハンズラボ社長、メルカリCIOの長谷川秀樹さんの3人で「武闘派CIO」を名乗っています。
これは我々のブランディングではなく、いろいろな会社のCIO、および予備軍の人たちに、「もっとITから会社を変えていこうよ」と発信する社会活動の一つと捉えています。もっと挑戦していくCIOを増やしたいし、若手エンジニアには「こんなCIOを目指したい」と思ってもらえたらと考え、発信し続けています。
今回の独立に際して、「うちの会社のIT責任者を務めてほしい」「DX化を進めてほしい」などのお話を多数いただきましたが、私にお声がかかるということは、社内にリーダーを務められる人がいないということ。そして、社内にそういう人材を育てる力も不足しているということ。日本の将来のためにも、リーダーシップを発揮してIT部門をけん引できる人を育てなければならない、という使命感を覚えました。
IT人材として会社に、社会にどう貢献していくのか、どのように周りをけん引しゴールに向かって突き進めばいいのか…「武闘派塾」のようなものを作って参加者を募り、具体的なノウハウだけでなくメンタリングまでもフォローするような機会を作っていきたいと思っています。
──その「次世代リーダー候補」である若手ビジネスパーソンに向けて、キャリアを切り開くためのヒントをいただけますか?
「今いる勤務先において必要なスキル」ではなく、「自分が進みたい領域で必要とされるスキル」を身につけることに注力してほしいですね。そのためには、自分は本質的に何をしたいのか、どの分野で力を発揮し、成果を上げたいのかを考えることが大切。そして、その分野で「自分の腕一本」で活躍しているプロを参考に、どんな力を磨けばその道に進めるのかを洗い出し、身につける努力をすることをお勧めします。
多くの日本企業においては、会社の中で与えられる役割をこなし、成果を上げることが求められますが、いざ外に出たときに、これまで培った経験やスキルが通用しない恐れがあります。一方、外資系企業では一人ひとりが専門分野を持ち、「各々の専門分野でどのように事業に貢献できるか」が求められますが、こちらのほうが転職の際に有利に働きます。
一方で、「頑張り過ぎない」ことの大切さも伝えたいです。キャリアを積む過程では、多少手を抜いたりズルさを出したりしても構わないと、私は考えています。
20代、30代の働き盛りにおいては、業務量も増えるし責任ある仕事を任される機会も増えますが、すべての業務に真面目に、100%の力で臨もうとして心を壊した人をたくさん見てきました。
任された仕事で成果を上げるのは大前提ではありますが、優先順位が低めの業務のときは適度に力を抜いてアイドリングし、大事なときに120%の力を出すというようなメリハリが大事。ずっと全力疾走で走り続けていては、必ずどこかでバーストしてしまいます。
私自身30代に苦労した時の経験から、「自分がご機嫌でいられること」が絶対正義であり、これを基準に日々の仕事に臨んでいます。人生は長丁場。最後まで楽しく走り続けるためにも、合間の休息を大切にしながら目指すキャリアを歩んでほしいですね。