ミスはなんぼしてもええ。でもすぐに「改善」せんとアカン!――『肉山』オーナー・光山英明の仕事論(2)

『肉山』など自身が経営する店に加えて、60店舗もの飲食店をプロデュースしそのすべてを繁盛させている光山さんに、これまでの人生を振り返りつつ、仕事論を聞く連載。今回は、最初に開店した『わ』がヒットすると確信した出来事や忘れられない失敗について語っていただいた。

プロフィール

光山英明(みつやま・ひであき)

1970年、大阪市生まれ。個人商店代表取締役社長。小学4年生から硬式野球を始め、上宮高校野球部では主将を務め、甲子園に出場。ベスト8に。卒業後も中央大学野球部に入部、吉祥寺周辺で寮生活。卒業後は大阪に戻り、卸酒屋に就職。9年半勤務後、上京し、2002年11月にホルモンと焼酎の店『わ』を開店。2012年11月には『肉山』を開店。予約1年待ちの人気店に育て上げる。飲食店を開業したり知り合いの相談にも乗り、これまで60店舗以上をプロデュース、そのすべてが繁盛店となっている。

繁盛していた焼酎バーで確信を得る

──初めて開く店が経営的にイケると思ったきっかけは?

渋谷にある焼酎バーのおかげです。ある時読んだ雑誌にその焼酎バーがめちゃくちゃ流行ってると書いてあったので1人で行ってみたんです。僕が座ったカウンターの隣で若い女の子2人がこぞって焼酎を飲んでたんですが、その子らが店主に「萬膳はありますか」と聞きました。萬膳とは当時入手困難だった芋焼酎です。店主が「ありますよ」と答えると「きゃー!」言うて喜んで。出てきたの見たら、こんなちょびっと、40mlか50mlくらいしか入ってなかったんです。しかもそれで1250円。それ飲んで女の子らは「うわ~おいしい~!」ってめっちゃ喜んでるんですよ。「うそ、これでイケんの?」ってびっくりしました。2002年当時って空前の焼酎ブームで、何でもむちゃくちゃ高かったんですよ。今じゃ考えられへんけど、普通のロックグラスで氷入った状態でちょっと入った黒霧島が1杯800円、富乃宝山だったら1300円、伊佐美、魔王クラスだと2500円くらいしたんですよ。「え、うそやん、東京ってなんでこんなに高いの?」と思いました。

それ見て、当時僕は、さっき話したすごい酒屋さん(第1回参照)から萬膳を定価で仕入れられる資格があったので、1杯500円であの3倍入れたるけどなって思いました。萬膳より高い魔王なんて一升瓶で3500円くらいですよ。1杯500円で7杯売ったら元が取れるじゃないですか。一升瓶からだいたい20杯くらい取れるんですね。100ml入れたって18杯。氷入れて100mlとなれば普通の焼酎グラスに並々ですよ。18杯としても11杯分利益が出ると思ったらむちゃくちゃ儲かるんちゃうのと。こんなことしてええのと思ったんですが、この女の子ら、40mlか50mlくらいしか入ってないのに1250円もする萬膳飲んでめっちゃ喜んでるから「うわ~俺の未来明るいな」と思いましたね(笑)。何ならホルモンが売れへんても焼酎だけでいけるやんて。これで自信がついて、物件を契約したんです。だからこの焼酎バーにはめちゃくちゃ感謝してるんです。あの時あのお店に行って、2人組の女の子が喜んでいるのを見たおかげで、めちゃ自信がもてたわけですから。それで2002年9月頃に物件を本契約して内装工事に入ったんです。

──物件の契約書に判子を押す時の気持ちは? これから人生を懸けた勝負に挑む、みたいな高揚感はありましたか?

あんまり覚えてないですね。気持ち的にいっぱいいっぱいだったのか…誰が保証人になってくれたかも覚えてません。もし店がアカンかったら、住んでいたアパートを引き払って店に住もうと思ってました(笑)。

──先ほどお金がなかったと言ってましたが、開店資金はどうしたのですか? 大阪時代の10年で貯めてたとか?

自分でちょっと貯めてたお金と、足りない分は親から借りました。予算が500万円くらいしかなくて、それで何とかするしかなかった。でもダクト屋さんに来てもらったら百数十万円すると言われて、「100万以上は払えません」と言ったのですが、社長さんがええ人で「わざわざ電話くれたんやからもう100万と消費税5万でええよ」と言ってくれました。でも、予算が決まっていたので「(プラス)5万も無理です」と言うと、しゃあないなと、ありがたいことに100万でやってくれたんです。

──すごくいい業者さんだったんですね。

そうですね。それ以外でも、工事は不動産屋さんの内装部に、「とにかくお金がこれくらいしかないから、削れるところは削って工事をやってください」とお願いしたのですが、すごく丁寧にやってくれました。

──初めての店の内装でこだわった点は?

壁とか床とかには全くこだわりませんでした。カウンターもどうせ七輪置いて焦げるだけなので何でもよかった。そのかわりカウンターの高さにこだわりました。店は狭いけど僕は体がデカいからお客さんが圧迫感を感じないようにしたかった。そのため、「カウンターに座ったお客さんと目線が合うようにしたいから、僕が上からお客さんを見下さないようにしてください」と実際に他の店で撮った写真を見せて説明しました。あとはカウンターでちゃんと煙を吸ってくれて、トイレが奥にあって、限界まで広くしてほしいと伝えたくらいですかね。

工事中の現場で手作り宣伝活動

工事が始まったら、僕には何にもできないからよけい暇になるんですよ。だから毎日朝9時と夜9時に工事中の店に行って、看板を作ったりエア接客をしてました。

──まず看板とは?

工事してる現場を見ると「ここ、何ができるんですか?」って聞く人いてるじゃないですか。僕も聞くタイプだったんで、それをめちゃくちゃ早い段階から告知してたんですよ。まず現場で余ってる木を使って看板を作って工事中の店の前に立てました。そして文房具屋さんで画用紙を100枚くらい買ってきて、まず1枚目は「牛ホルモンと豚ホルモンの店です。七輪で焼きます。ホルモンと焼酎は全品500円です」と書いてバンと貼りました。2枚目は、見る人がこの店をやるのはどんな人か気になると思ったから、「大阪出身で中央大学で野球をやってた光山英明がやります」という自己紹介文を貼りました。この2枚が固定で、3枚目は日々の出来事やこれからこんな店にしていきたいという日記を毎日書いて上から重ねて貼り足していったんです。

──それを見てくれる人はいましたか?

朝晩の通勤途中に看板の前で立ち止まって読んでくれる人がめちゃくちゃいました。店に行ったら、工務店の人と話したり、店の前を掃除したりしてから画用紙を張り足すんですが、みんなめちゃ読んでるなと。こんだけ立ち止まって読んでくれるんやったらもうちょっと何かしようと思って、4枚目、質疑応答コーナーを作ったんですよ。その最初の1行だけ、僕がヤラせでこう書いたんです。【質問】「焼酎の魔王は飲めますか?」 【答え】「飲めますよ。全品500円なので魔王も1杯500円です。お待ちしてます」 こう書いたらその後、質問がブワー増えたんですよ(笑)。毎朝9時に来た時に、その全部の質問に対する答えを書いてたんです。

エアで接客の練習

──エア接客というのは?

僕はそれまで飲食店で働いたことがないから、夜9時に工事中の店に行った時、カウンターの中でエアで接客の練習してたんですよ。お客さんが来てからの流れを想像しながら1人で「いらっしゃいませ! お二人ですか、こちらどうぞ!」「生ビール2つですね、少々お待ちください」「ホルモン2人前、ハラミ2人前ですね。ありがとうございます。少々お待ちください」「お会計ですね。○○円です。領収書ですか? はいどうぞ」って。

──それって全部自分で考えたんですか?

もちろんです。誰も教えてくれる人いないので。

──店ができる前にそれだけのことをやるというのはすごいですね。

一番の理由は暇なんですよ。暇で何かせなあかんと。金をかけずにできることといえばそんなことしかないですもん。

──接客は一人で練習したとのことですが、調理の方は練習しなくて大丈夫だったんですか?

調理といっても肉を切るくらいですからね。

──ホルモンの切り方のコツってないんですか?

ないです。みんなあると思ってるけどないんです(笑)。ある程度きれいになったものが届きますからね。あとのメニューは、キムチは知り合いから買ってるし、煮込みやチゲは特別な技術がなくても誰でも作れますからね。

──オープン前に苦労したことはないですか?

店の工事費がなんだかんだで想定より膨らんじゃって足りなくなったんです。ヤバ! と思って消費者金融に行って上限の50万円を借りて、工務店に支払ったんです。お金で苦労したことといえば、後にも先にもこのくらいしかないですね。

そして2002年11月15日に、ホルモンと焼酎の店『わ』がオープンしたわけです。

みんなで笑えるようにとの願いを込めて『わ』ついにオープン

──『わ』の店名の由来は?

前に大阪の酒屋で働いていた時、顧客である飲食店のオーナーに値切られて商売自体に疑問をもったという話をしましたが(第1回参照)、あの一件以降、「人を泣かしまくって自分だけ笑えることできんの?」みたいな思いをずっと抱えていました。それで、僕が経営する店は、自分、スタッフ、取り引きする酒店さんや肉屋さんなど関係する人が一つの「輪」になって、誰も尖らない、誰も凹まない、みんなで笑えるようにという願いを込めて『わ』という店名にしたんです。だからいまだに酒類や肉は値切らずに、業者側が提示する「希望小売価格」で仕入れています。

その2、3年後、法人化して「個人商店」を立ち上げました。

──「個人商店」という法人名にした理由は?

もし店が増えたとしても感覚的には個人商店のオヤジでありたいと思ったからです。

──『わ』を開店直後のお客さんの入りは?

まあまあ来ました。

──やはり張り紙の効果はあったんでしょうね。

効いてたんかどうかはわかりませんが、焼酎ブームでしたしね。ただ、その中からスペシャル常連になった人もいるし、その後、店で働いた子もいました。

──でも吉祥寺駅からちょっと離れてるから立地的には決して有利とは言えないですよね。店の広告を打ったりビラを配ったりは?

それは今に至るまで1回もやったことないです。1つはオープンしてすぐ何かの情報誌に店の紹介記事が載ったんですよ。小さい記事ですが。それも影響あったんかな。あと17時から3時まで営業してたのも理由の1つだと思いますね。2002年当時の吉祥寺で個人店で23時以降営業してる店なんてなかったんですよ。ほんまに僕が発端と言っていいくらいの自信はあります。むしろ0時からお客さんが増えてました。特に近所の同業者が店を閉めてからよう自転車で来て、レア焼酎を飲んでました。「うわ、焼酎やっす!」って言いながら。「お前の店、これナンボで売ってんねん」って聞いたら「2000円」て言うから「うわ、ボッタクリやないかお前!」言うて(笑)。

──魔王のようなレア焼酎でも一杯500円てめちゃくちゃ安いですよね。

そうですね。あの頃の一杯500円って鬼のように安いですよ。

ゆるい経営スタイルでも繁盛

──そこを一杯800円くらいにすればもっと儲けが出るじゃないですか。そうしなかったのはなぜですか?

とにかく最初に出す店で生きていくことしか考えてなかったので。儲けとか、そこまで考える余裕がなかったんですわ。始めるにあたって原価計算とかもしてないですし。損しないからええかと。余談ですが、実は最初の頃はお肉の値段にばらつきがあったんですよ。いつの間にかうちのホルモン屋、全品500円になってますけど、当時は400円のキムチ、500円のホルモン、800円のハラミとかタンとかがあったんです。でもある女子大生の子がきっかけで全品500円にしたんです。その子は僕がいつも昼ごはんを食べに行く店のバイトの子で、開店のお祝いがてら来てくれたんですが、メニュー見て「ハラミ食べたいけど800円やしな。500円のホルモンにしよ」って言うのを聞いて、え! って。そういう子らにとって800円て高いんかなと。結構ショックやったんです。価値観というか金銭感覚がわからなくて。だから「そしたら一切れ減らして500円にするわ」ってハラミを出してたんです。あとはその日残りそうな肉はお客さんにサービスで出してたり。最初からそんな適当な感じだったんですよ(笑)。

──じゃあお店はオープンから順調だったんですね。

そうなんです。最初の年から日販(1日の平均売上)が6万8000円くらいいきました。その翌年には『Hanako』に載ったのも大きかった。その当時の『Hanako』は今と比べ物にならないくらいの威力があったので、日販10万円台に乗りました。その後、2005年くらいに、全盛時の『東京カレンダー』で4ページでめちゃめちゃかっこよく紹介されたんですよ。広告費に換算すると200~300万円くらいの威力だったと思いますね。そこからギュンギュン伸びていきました。

だから経営的な苦労話はないんですがただ、失敗はいっぱいしましたよ。ミスしてお客さんに怒られたこともありますし。打つ手が全部成功しているわけじゃないからね。

いまだに忘れられない失敗

──当時やらかしたミスでいまだに忘れられないものってありますか?

例えばご飯の炊き方がわからないということにオープン当日に気づいたり。それも、わからないということがわからなかった。ぶっつけ本番でスタートしたら、ご飯を炊かなきゃいけなくなった時に「ヤバイ、ご飯の炊き方わからんわ」と気づいたんです。この時、大阪で飲食店をやってる兄貴に電話したら、すぐ大阪から駆けつけてご飯を炊いてくれたんで助かりました(笑)。

でも一番忘れられないのは、予約のミスですね。佐藤さん(仮名)さんていう、オープン当初からよう来てくれてて、見た目は恐そうなんですが、よう「頑張りや~」言うてチップくれたりするやさしいおじさんがいたんです。ある日、その佐藤さんから予約の電話が入って2席だけ空いてたから「毎度どうも。お待ちしてます」と電話を切ったら、知らない2人組が入ってきたんです。「あれ? 今の電話は僕が勝手に佐藤さんやと思っただけで、佐藤さんやなかったんかな」と思って「先ほどお電話いただいた佐藤さんですか?」って聞いたら「はい」って言ってカウンターに座ったんです。「ああ、やっぱり俺の勘違いやったんや、さっき電話くれたんは佐藤さんやなくてこの人やったんや」と思って生ビールを注いで出した瞬間、佐藤さんが店に入ってきたんですよ。「ああ、やってもた」と青くなりました。カウンターだけの店でもう満席だからどないしても入れてあげることができない。さっき入ったお客さんに対して「あんたさっき名前聞いたやんけ」って一瞬思ったんですが、この人は悪くないから、すぐ佐藤さんに「すみません、僕の勘違いで他のお客さん入れてしまってもう満席なんですよ。ほんまに申し訳ありません」って謝ったんですが、店を出る間際に「店が繁盛しだしたらそういうふうになるんやね」って皮肉っぽく言われてもうて。

確かにその頃ちょうど店が忙しくなってきてたんですよ。僕の100%ミスなんですが、そう言われたのがものすごく悲しかった。オープン当初から来てくれてあんだけお世話になったのに申し訳なくて。めちゃくちゃ一番お詫びしたい人なんですが、どこにいてるかわからないのでまだお詫びできてないんですよ。

──ということはその後、佐藤さんはお店に来てないんですか?

それ以降、2度と店に来ることはなかったです。多分今でも調子に乗ってると思われてるでしょうね。これって飲食店あるあるなんですが、例えば19時から4人の予約が入ってて、ちょうどその時間に4人さんが来たら「山田さんですか?」ってついついこちら側から聞いてまうんですよ。そうすると「そうです」って答える。山田さんじゃなくても。向こうは飲む気満々で来てるんで、僕の喋ってる内容なんていちいち聞いてないんですよ。だから絶対にお客さんの口から名前を言わせなければいけないんですよ。この一件以来、お客さんが店に入ってきたら、「お名前いいですか?」って聞いて、「○○です」って言うのを確認してから「どうぞ」って席に案内するようにしました。よくある名字はかぶるケースもあるのでフルネームで言ってもらうようにしてます。この時の失敗を教訓にして、それ以降、同じような失敗はしてません。失敗してもすぐ改善する。これが重要なんです。

お客さんのカルテを作るも無駄に

もう1つ覚えてる失敗が、最初は1人でお店をやっていたし、お客さんと積極的にコミュケーションを取るつもりでいてたんですよ。そのために、来てくれたお客さんのことをよく知ろうと思ったんですが、どうやったらいいのかわからなかった。ネットもない時代ですし。いろいろ考えた結果、病院みたいにお客さんのカルテ作ればええんやと思いついて、カルテ作ったんですよ。お客さんが帰ってから伝票を見直して名前の分かる範囲の人だけ、例えば「山田さん」という人のカルテには「府中在住、伊佐美が好き、お湯割り熱め、ミノが好き」と書いてた。それを毎日ずっと繰り返して、よしよし、たいぶ溜まってきたと思ってたある日、カルテに入ってる山田さんがふらっと入って来ました。でもその時には山田さんてわからないわけです。顔だけはわかるんですけど、予約なんて取ってないから、顔と名前が一致してないわけですよ(笑)。注文入ってから「あ、この人山田さんやん」って気づく。でももう遅い。注文が入る前に、「今日も伊佐美のお湯割り熱めとミノ、いきますか?」と言わんとあかんから。これけっこう、僕的には事故というか、もうそのカルテは全然意味ないやんって捨てました(笑)。こんなふうにいろいろ試みてチャレンジしてるんですけど、うまくいかないこともけっこうあるんですよ。でもこの失敗と即改善を地道に繰り返した結果、繁盛店になったんです。2007年には2号店の『たるたるホルモン』を『わ』の近く、同じ五日市街道沿いの(『わ』から)徒歩5分のところに開店しました。これも開店から繁盛しました。

 

『わ』はその後も繁盛し、光山さんなしでも現場が回るようになったため、次第に現場に入らなくなった。飲み歩く日々を過ごしていた光山さんだったが次第に物足りなさを感じ、ついに……次回は予約1年待ちの超人気店『肉山』開店秘話について語っていただきます。乞う、ご期待!

取材・文:山下久猛 撮影:守谷美峰
PC_goodpoint_banner2

Pagetop