仕事がうまくいく人の20代は何が違うのか?【ユーグレナ出雲社長】に聞く

うまくいく人たちは20代にどんなことを考えていたのか? ビジネスで成功する人たちの若い頃について、インタビューを試みた。どうやって天職に出会ったか。仕事とどんなふうに向き合ったのか。どんなことを頑張ったから、今があると思うのか。成長する人とそうでない人との違いとは……。今回ご登場いただくのは、ミドリムシベンチャーとして知られる株式会社ユーグレナの社長、出雲充氏だ。

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何ひとつ想像した通りにはならなかった

ドリンクやサプリメントなどの健康食品や化粧品、飼料としてはもちろん、さらにはバイオ燃料に利用する実証製造段階にも入っているミドリムシ。東京大学在学中にそのミドリムシの可能性に気づき、卒業後にメガバンクを経て、2005年にミドリムシの学名であるユーグレナを社名に持つ会社を仲間2人とともに創業したのが、出雲氏だ。困難と言われたミドリムシの屋外大量培養技術の開発に成功。2012年には株式を上場させた。だが、自分が起業をすることになるなど、実は想像すらしていなかったという。

「サラリーマンの父と専業主婦の母。3階建ての建物がずらりと並ぶ大きな団地で育ちました。周辺には個人商店がほとんどなく、自営業を知る機会もなかった。だから、働くといえば、サラリーマンになるか、公務員になるか、の2択だったんですね。私は海外に行ったことがなかったので、行ってみたいな、と思って浮かんだのが、海外の公務員のような仕事。国連の職員だったんです」。

国連職員になって、世界の飢餓問題を解決する。それが、高校時代に思い描いた未来だった。

「いろいろ想像しましたが、何ひとつ想像した通りにはなりませんでした。大学では国連職員になるための勉強をしよう、毎日、東大の図書館に通って本を全部を読破した男になろう、と決めていたんですが、結局、図書館には図書カードを作りに1回だけ行っただけでした(笑)。振り返って思うのは、あまり考えてもしょうがない、ということです。なんでもいいから、やってみないとわからない。いや、何も考えずに動いていったほうがむしろいい。私は、それで今に至っているだけですから」。

実際、出雲氏を突き動かすことになったのは、ひとつの行動だった。大学1年の夏休み、飢餓の現場を見に行くことにしたのだ。アフリカよりも予防接種の数が少なくて済んだ、という理由から選んだバングラデシュ。ここで出雲氏は大きな衝撃を受けることになる。

「飢餓と貧困の国のイメージがありましたから、お腹にたまりそうな日本の食品をスーツケースにたくさん詰め、現地で配ろうと思っていました。ところが現地では、食べ物がなくてお腹を空かしている人なんていない。それどころか、憧れの国連のマークをつけたカンパンの缶が山積みになっていた。誰も食べない。でも、缶は水を貯めるのに使えるので、中身を捨てて缶だけ使うという」。

国連はニューヨークやジュネーブに事務所があり、現地の状況がわかりにくい。だから、こういうことになる。しかも、これが何年も続いている。現地では、米や芋、トウモロコシなどの炭水化物はたくさんあった。問題は、それ以外の栄養素が決定的に欠けていることだった。野菜、肉、魚が十分に食べられず、ビタミン類やたんぱく質などが不足して、多くの人が栄養失調になっていた。これこそが、世界の食料問題の本質だった。出雲氏は、自分の目で見たからこそ、そのことに気づいた。ビタミン類やたんぱく質、ミネラルなどを含んだもっと栄養価の高い食品が必要だったのだ。

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考えたところで思うようにはならない

出雲氏は文科三類から農学部に転部、バングラデシュの栄養問題を解決できる食物を探し求める。そして出会ったのが、ミドリムシだった。

「取材でよく聞かれたのは、なぜ起業という大胆な道を選択したのか、起業時のビジネスプラン、の2つでした。いろいろな記事にしていただきましたが、実際には答えに困っていたんです。なぜなら、大胆な決断をした覚えもないし、ビジネスプランなんてものもなかったから。私は、ただただ本当にショックだったんです。バングラデシュで見た光景が。問題は飢餓じゃないじゃないか、と。だから、何とかしたいと思った。ただ、それだけなんです。起業という選択肢も自分の中にはなかったし、ベンチャーやアントレプレナーという言葉も知らなかったんですから」。

調べて準備をして起業をし、プランを作って今があるのではない。その逆だ、と出雲氏はいう。

「これをやればうまくいく、と思ってスタートしたい人は多い。でも、私はミドリムシで成功すると思ってスタートしたわけではないです。大学卒業後に就職したメガバンクとミドリムシベンチャー、どっちがいいか比較検討したら、ミドリムシが成功するとは思えない」。

だが、そこにこそ意味がある、と出雲氏はいう。

「検討したり考えたりするのは、やらない理由をあれこれ探していくことなんです。やらないほうがいいと納得させるプロセスのことです。だから、これでは新しいことは絶対にできない。考えるのは自由ですが、考えたところで思うようにはならないんです。プラン通りにもならない。でも、想定しなかったことも起きるんです。いろんな人が助けてくれた。動き出した人を助けてくれる人は、世の中にたくさんいます。結局、やるかやらないか、です。やってみたら、なんとかなるんです」。

大事なことは、踏み出してみること。あれやこれやと理屈を組み合わせ、うまくいくと思えることは、むしろ危険だという。

「世の中、逆だと思うんですよ。いけると思って始めると、ほとんどうまくいかない。理由はシンプルで、みんなが「いける」と思うことは、すごく競争が厳しいからです。ミドリムシがなぜうまくいったかというと、みんなが「いけない」と思ったからです。あきらめないでやり続ける人は本当に少ないんです」。

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合目的的に考えても、天職には辿り着けない

卒業後に一度、銀行に就職したのも、小難しい理屈があったわけではない。単純に研究するためのお金がなかったからだ。

「経営に役に立つ知識、なんて考えてない。頭がいい人ほどそうなんですが、みんな合目的過ぎるんですよ。目的に沿って、最適な行動を取るのが、当たり前だと思っている。でも、私はそういうセンスがないだけなのかもしれません」。

いつも研究にお金が足りなくて、お金ってどこにあるんだ、と考えたとき銀行が浮かんだ。ただそれだけだった。

「業界研究が無駄だとは言いません。でも、それをやって本当に自分にベストマッチした仕事につけるかは疑問です。そんなことよりも、やってみた仕事でお客さまからありがとうと言われた仕事こそ、天職だと思うんです。合目的的に考えても、そこには辿り着けない。私の人生もそうでしたけど、まずはやってみることに意味があるんです。そこに偶然や運巡り合わせがあったりする」。

逆に、天職がどこかにあるに違いない、と目の前の仕事をおろそかにする人は多い。メガバンク時代、出雲氏は、コピーの仕事や、ATMに現金を補充する仕事に頭を使った。

「100人の会議で100枚の資料を100部用意する。1万ページです。膨大な量でしたから、2階と3階を走ってコピー機をはしごしていました。でも、やっているうちにわかってきました。会議は毎月あるのですが、7割くらいは同じような内容なんです。だから、最初から7割は用意しておいて3割を刷新する。そうすると、コピーの仕事は早く終わる。早く終わったので何か新しい仕事ないですか、と尋ねると、ここから面白い仕事がやってきたりしました」。

ATMの現金補充も頭を使った。給料日など、大量にお金がおろされる日を予想する。それに合わせて、事前にATM満杯に現金を用意しておく。かつては1日5回10回と必要だった補充が、1日2回で済むようになった。そうして、また「何か仕事ないですか」となり、わくわくするような仕事もやってくるようになった。

「時間ができると、ポロッといろんな仕事や話が出てきたりする。それが仕事にとって、とても大事な内容だったりするわけです」。

みんなと同じ、というトレンドの危うさ

銀行の仕事は正直楽しかった。だが、出雲氏は初心を貫き退職。栄養問題を解決すべく、本格的にミドリムシに挑むことになる。

「毎日、不安でしたよ。でも、起業の翌年に販売がスタートしてしばらくして、びっくりするような連絡をもらったんです。大阪の学校の先生で、とても商品を喜ばれていて。これこそ、私にとっての、お客さまからの『ありがとう』の瞬間でした。もちろん大変なこともたくさんありましたけど、それ以来、事業をやめようと一度も思わなかったのは、そのお客さまにミドリムシを届けられなくなるからです。一生頑張ろうと思いました」。

ミドリムシの事業をやれば成功する、という理由で頑張ったのではない。出雲氏は、そのことを強調する。

「今の20代は、事前に調べる力が強い。スマートフォンで何でも調べられる。でも、それで調べられる情報は、誰でもアクセスできる情報、ですよね。そこでは、他の人と何の差異も生み出せない」。

生物は食べることで増殖する。同じようなものばかり食べ、同じような個性の生物は、同じ環境下で繁殖すると、極めて競争が厳しくなる。同一の生物で食べられるものが、少なくなっていくからだ。

「だから、ユーカリみたいな、他の生物が食べられないものを食べるコアラは生き残れているわけです。しかも、ゆっくり食べられる。情報の扱いも同じです。誰でも調べられる同じことではなく、圧倒的に個人的な体験に基づく話のほうが価値があります。いかにみんなで同じことをするというトレンドから抜けられるか。これからは人工知能とも戦わないといけない。だから、そもそも順番が逆なんです」。

うまくいきそうなことを探して選択する、というのは、少なくとも人口が増えてマーケットが大きくなる社会だからこそ可能な話だという。日本ではこれから人口が減り、マーケットも縮小する。必要になるのは、他と違う、ということ。調べる前に、動き始めることだ。

「もうひとつ、生物にとって変化するということはストレスなんです。昨日も今日も明日も同じことが、生物には心地良い。だから、変化を起こすことは、そもそも難しい。ただ、それではもう生き残れない。だから、変化できる力を身につけておかないといけない」。

ここで注意をしないといけないのは、いきなり大きなことをしよう、大きな変化をしようとすることだという。

いきなり大きいことをしようとせず、小さな変化から始めるんです。例えば、会社に来る道を変えてみる。駅を変えてみる。違う方法にしてみる。極端な変化をやろうとすると、続かないんです。だから、小さな変化から始めてみる。変化が起これば、結果も変わります。発見があったり、出会いがあったりするかもしれない」。

考え過ぎないこと。偶然をもっと意識してみること。本当に大事なことは何かに気づくこと。小さな差異や変化に注意してみること。そういう小さな成功が、やがて大きな成功に結びついていく可能性を生む、出雲氏からの貴重なメッセージだ。

文:上阪 徹   写真:刑部友康
編集:丸山香奈枝

 

 

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