「管理栄養士の道へ一直線」の彼女が、フードユニット“ちゃあみー”を結成するまで

管理栄養士とフードコーディネーター、それぞれ異なる資格を持つ2人の女性が、フードユニット「ちゃあみー」を結成しました。今回お話を聞いた、メンバーのひとりである峰さんは、中学生の頃から一切ブレることなく管理栄養士を目指していたとのこと。全2回にわたる記事の前編は、峰さんが社会人になって抱えた葛藤や、そこから友人とともにフードユニット「ちゃあみー」を結成するまでのストーリーをお届けします。

ちゃあみー フリーランス管理栄養士 峰奈津季(みね・なつき)さん

1992年埼玉県出身。女子栄養大学栄養学部実践栄養学科を卒業後、管理栄養士の資格を取得。新卒で介護食を扱う食品メーカーにて栄養情報担当者(営業職)として就職。営業経験を2年経験した後、独立。現在はフードコーディネーターの友人(倉田)と、フードユニット「ちゃあみー」として活動中。

中学生にして、大学までの進路を決める

──管理栄養士を目指すようになった理由についてお聞かせください。

身内に高血圧などで食事制限をしている人が多かったので、「何か自分ができることがあればいいな」と思ったことがきっかけでした。最初は薬剤師さんになることも考えたのですが、料理や家庭科が好きだったこともあり栄養士という仕事に興味が出てきたんです。

栄養士にも種類があるのですが、「管理栄養士」という国家資格を取れば、病気を患っている方や、介護が必要な方に向けてサポートをすることができます。「この仕事は私のやりたいことだ」と感じ、目標にしました。

──それはいつ頃の話ですか?

中学生の頃です。高校受験の志望校を選ぶときも、管理栄養士になるための大学を最初に調べて、その大学に推薦入学をできる高校を選びました。普通は高校に入ってから志望大学を決める順序だと思いますが、私は逆でしたね(笑)。

高校に入学してからは、選択科目は調理実習など管理栄養士に関係するものを選びましたし、文系のクラスだったのですが、生物や数学など理系科目も将来必要になると思い勉強していましたね。高校の卒業後は、もともと希望していた大学に推薦入学できたので良かったです。

フードユニットのメンバーとの出会いは学外

──管理栄養士に向けて一直線に突き進んだ感じですね。

そうですね(笑)。大学でも、学校の授業には真面目に取り組んでいた方だと思います。きゅうりの輪切りを練習したり、ひたすらアジをさばいたりして。医学的な勉強もしていました。

一応、大学ではサークルにも入ってみたのですが、「遊びに来ているわけじゃない」という気持ちがあって、あまり馴染めず……。ただ、「学校の勉強だけをやっていても視野が広がらないな」という気持ちも同時にあったんですよね。管理栄養士の仕事に直接触れる機会が欲しかったのですが、いわゆるインターンシップのような制度があまりなかったので。

そんなとき、大学1年の冬だったと思いますが、インターネットで調べて、栄養士を目指す学生団体があることを知ったんです。栄養学部の学生だけが所属する団体で、メンバーのほとんどが管理栄養士を目指していることを知り、加入することにしました。

その団体の活動を通じて知ったのは、管理栄養士には幅広い可能性があるということです。交流イベントなどで色々な人と知り合うなか、食品メーカーの商品開発をしている管理栄養士もいれば、フリーランスで活躍している人もいました。それまで私は、「管理栄養士の仕事=学校や病院」というイメージを持っていたのですが、視野が広がりましたね。

──その団体の活動がきっかけで、ちゃあみーの相方である倉田さんと出会われたとのことですが、倉田さんも同じ団体にいらっしゃったのですか?

いいえ。彼女は管理栄養士ではなくフードコーディネーターなので、私と同じ団体にいたわけではありません。ただ、団体で行われていた食育に関するイベントに彼女が来ていて、そこで知り合ったんです。同い年だったこともあって、だんだん仲良くなりプライベートでも一緒に遊ぶようになっていきました。

実は、もともとちゃあみーは3人のユニットで、私と倉田の他に、あかねというメンバーがいたのですが、彼女とも団体のイベントがきっかけでつながりました。その子は社会人になった後に宮崎に嫁いだのですが、それまでは3人で活動をしていましたね。

フードコーディネーター倉田さんと管理栄養士の峰さんで活動するお料理ユニット「ちゃあみー」

社会人1年目は理想と現実のギャップに悩む

──なるほど。学生の頃から3人でフードユニットを結成することは考えられていたのでしょうか?

当時はどこまでのことは考えておらず、それぞれ大学卒業後は普通に就職し、私は介護食のメーカーに営業職として採用されました。口から食べられない人のための流動食や、飲み込む力がない人のための「とろみ剤」、多く食べられない人への高カロリー食品などを扱う会社です。

大学では管理栄養士の資格を取得することができたので、病院に勤めることも考えたのですが、その道には進みませんでした。私は性格上、自分から積極的に外に向かって働きかけたいタイプなので、「管理栄養士の仕事をするより、管理栄養士をサポートできる仕事の方が合っている」と思ったんですよね。

──その会社には2年間勤められたとのことですが、独立するまではどのような経緯があったのでしょう。

入社したときはもちろん、ずっとその会社で仕事をするつもりでいました。ただ、実際に働いてみると思い描いていたイメージとは違う場面も出てきますよね……。私の場合、自分がお客様に勧めたい商品があっても、会社の事情によっては別の商品を売らなければならないということが続き、それが精神的に辛かった。

そもそも、私は人から指示を受けて動くことが苦手なのかもしれません。何かやろうとするときに上司の決裁が必要になることもストレスになっていました。もっと自分が心から自信を持てる商品やサービスを、積極的に提案したいと感じていたんです。

当時、後にちゃあみーになる3人でよく遊びに行っていたのですが、それぞれ社会人になったばかりだったので、同じようなことで悩んでいて。お互いに愚痴をこぼし合っていましたね(笑)。

思いつきではじめた料理教室の楽しさが、独立へ導いた

──そこから、フードユニットの活動につながっていくわけですね。

はい。ある日、「3人で料理教室をやってみよう」という話になったんです。フードコーディネーターの倉田と、デザイナーのあかね、管理栄養士の私が力を合わせれば面白いことができるんじゃないかと思って。

最初にはじめたのは料理教室でした。一軒家に住む友達のキッチンを借りて、まずは周りの友人を集めて開催したのですが、これが本当に楽しかった。ほかにも、知人を介してフリーペーパーに載せるレシピを企画・開発する仕事も始め、写真撮影やコラムも任せてもらいましたが、仕事が終わって、夜中にとりかかってもまったく苦になりませんでしたね。

──最初は会社に勤めながら活動されていたんですね。料理教室のお客さんの反応はどうでしたか?

料理教室で対象にしていたのは、主に私たちと同世代の20代前半の女の子です。結婚する人が増えていく年代ですよね。料理教室で主に紹介していたのは、食卓を華やかにできて、しかも簡単に調理できるレシピです。レシピは倉田が考え、私は栄養面の知識でサポートをしていて、たとえば冬に食べたくなるような体を温める食材をレクチャーしたりすることもありました。

料理教室をやってみて気づいたのは、食や栄養に関して疑問を持っている女の子が多いということです。参加者から質問がよく出ていたので。世の中にはこれだけ情報が出回っているのに、不安に感じている人が多いですよね。直接人に相談できる場が求められているんだな、と感じました。

もともと、病院の管理栄養士は疾患にかかった後のサポートをする仕事が多いものですが、その前から予防できればそれが一番です。ただ、行政で保健指導をしている管理栄養士もいるものの、疾患予防のために気軽に相談できる感じではありません。そういった意味でも、食を通じて日常的なシーンで栄養学を生かしていける仕事をしたいという気持ちが芽生えました。

そんなことを考えて、勤めていた会社の退職を決めたんです。

──後編につづく

文・小林 義崇 写真・刑部友康

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