前編で、「情報アクセシビリティ」とは「誰でも情報にアクセスできることだ」という話になりました。SNSの登場でインターネット環境は大きく変化しています。アクセシビリティの価値観にもまた変化があるのか、さらに深堀りしてみました。
▲左から、ナビゲーター瀬尾浩二郎、及川卓也さん(ゲスト)、小久保浩大郎さん(ゲスト)、ナビゲーター田代伶奈
目次
世界はアクセシビリティに向かっている
インターネットの普及がグローバリゼーションの功績ではあることは間違いありませんが、結局、力を持つアメリカや西欧諸国が「アクセスしやすいほうが良い」「これがグローバルの基準だ」と考え、その価値を世界中に広げたわけじゃないですか。
いきなり真面目な話!でも、そうですよね。
結果的に、マジョリティ側の情報が一番浸透しやすい空間になってしまうんじゃないかという危機感あるんです。この問題はどのように考えたらいいでしょうか?
その心配はもっともだと思います。「インターネットやWebはアメリカ政府の意向が強いんじゃないか」という話もよく出ます。そう考えることはある程度仕方がないけれど、中にいた人間からすると、Googleは無国籍企業的なところがあると思います。
Googleは翻訳にかなり力をいれていますよね。
GoogleのWeb検索は、どの言語で検索したとしてもアクセシブルになるようにしています。検索した言語での情報がなかった場合、勝手に裏で自動翻訳が走って英語の情報を出してくれるなんてこともできます。
いい時代になってきましたね。
Googleに限らずグローバル企業で働いている人たちは、本社がアメリカということでさえあまり意識していない。
所属している国を越え、インターネットこそが地球だというふうに考えていているんです。インターネットやWebによって世界の人類はみんな幸せになるだろうという理念かな。
国連というか世界政府的な位置付けなんですね。
グローバルIT企業のプラットフォーマーは、国単位での利益誘導は全く頭になくて、もうちょっと先を見ているとは思います。国とか言っている時代は早く終わらせるべきみたいな(笑)。
株式会社CAMPFIRE CXO 小久保 浩大郎さん
>1976年三重県生まれ。子供の頃の夢は画家か科学者。十代初めから電子工作やコンピューターで遊び始め、1996年アメリカ留学時にインターネットに出会ってしまう。複数のデザインエージェンシーやフリーランスを経て2011年3月Google入社。IAとしてAPACリージョン向けのCSRやブランディングプロジェクトに携わる。2017年8月株式会社CAMPFIRE入社。執行役員CXOに就任。
もはや国や企業がコントロールできる状況でもなくなってきています。最近の企業は、地球上に住む全ての生物たちに貢献しようとしている感じがします。
レイナさんの言った最初の危機感はわかるんです。でもそれを危惧するのは、アクセシビリティを手に入れた恵まれた側の視点じゃないですか。
世の中にはまだ情報が現実として届いていない人が本当にいっぱいいるから……。
みんながアクセスできる環境を整えて初めて議論できるということですよね。
そうそう。ほとんどがアクセシビリティに向かっている途上。
世界はアクセシビリティに向かっている!
インターネットは世界を平和にできるのか?
話が大きくなってしまうのですが、「何のためにテクノロジーを使うか?」という問いが気になります。人類の進歩のためですか? 知恵をもっとより高いレベルに持っていくため?
ちょっと大げさなんですが、世の中の争いって、相手を知らないことや情報が足りないことによる疑心暗鬼やネガティブな想像から始まるじゃないですか。
個人間の小さないさかいから、国家間や民族間の紛争まで「お互いが情報を持っていないから相手のことを想像できないこと」によって発生していると思うんですよ。
おおお、壮大な話。
でも、本当は世界には情報がいっぱいある。インターネットというものは、この状況を改善する人類が手に入れた大きな力だと思っていて。
インターネットで世界は平和になる!
そうそう。だからまずは、みんながフラットに情報にアクセスできる環境が大事。いろいろな人のことを知って、世界が多様だということを理解する。
そうすれば、その多様性の中で自分たちがどういう存在なのかを相対的に知ることも、相手のことも相対的に捉えることもできる。
インターネットというのはその糸口を作った偉大な発明なんです。
いい話ですね。多様性の海で溺れちゃいそうだけど(笑)。
テクノロジーで便利になることはいいこと?
テクノロジー業界でよく聞く「世界をより良くする」っていう時の「よりよい」は「より便利にする」という意味だと思うんです。
たしかに便利はよいことなんですが、簡単に手に入れた情報と、苦労して得た情報で、残る知識量の差が出る気がします。
例えばネットですぐ出てきた論文を読む経験と、まだデジタル化されていない論文を国会図書館に行って読む経験に違いがあるのかなと。
僕は、全くそう思わないです。それは本来やらなくていいことをやっているだけ。テクノロジーの進化によって、人間はやらなくていいことを本当にやらなくてよくなると思うんです。その経験の差って入手したものに対する思い入れの強さの度合いだけですよね。
テクノロジーの進化はもう止められないと思います。今後、情報はますます楽に入手できるようになる。それに対して自分がどのような動機付けをして自分の知識にするのかということは、情報へのアクセスのしやすさと関係付けないで考える必要が出てくるでしょう。
プロダクト・エンジニアリングアドバイザー 及川 卓也さん
早稲田大学理工学部卒。日本DECへ入社し、研究開発業務に従事。米国マイクロソフトに派遣され、Windowsの開発を行う。1997年にマイクロソフト株式会社(当時)に転職。日本語版と韓国語版のWindowsの開発の統括を務める。2006年にグーグルに転職し、プロダクトマネージャとエンジニアリングマネージャとして従事。2015年11月より、Incrementsにてエンジニアのための知識共有サービス「Qiita」のプロダクトマネージャとして勤務。2017年6月に独立し、エンジニア組織作りなどのエンジニアリングマネジメントとプロダクトマネジメント、技術アドバイスの領域で、IT系企業の顧問やアドバイザーとして活動中。
僕も及川さんと同じく、全くそう思わないです。今の時代だから、国会図書館まで行くのがバリアだと感じているだけで、そもそもそれ自体ができなかった時代から考えれば、ものすごく手軽に情報を得ている状態です。
時代とともにどんどん進化しているので、苦労しないとたどり着けない状況は一過性の状態なんです。
やけに納得しました。
テクノロジーに囲まれるわたしたちは、常に一過性の時代を生きているんですね。
Webの本質はアウトプットの場
ずっとインプット側、つまりインフォメーションの話だったんですけど、インターネットにはもう一つの側面がありますよね。
誰でもアウトプットできるという側面です。アウトプットを含めてのアクセシビリティを意識したほうがいいのかもしれません。
今は、情報を得るという一方向なものになっていますが、もともとWebってインプットもアウトプットも両方あるメディアだったんです。
昔はどんなページでも、ブラウザで表示したページをそのまま書き換えられるような機能があったんです。機能というかWebの設計としてそもそもそうだったんですよ。
えー!知らなかった。
元来、Webは双方向的で、WebページってWiki(Wikipedia ではなくそのベースとなっているシステム)みたいなものでした。あらゆるページが誰のものでもなく、みんなが書き換えられて、共同作業の上に知が集約されるという構造。
でも、ブラウザの進化の過程でアウトプット側の機能がだんだん失われてしまって。でもそういった中で、ウェブサイト側にWikiみたいなものやSNSが生まれてきました。
ソーシャルの普及は、人のアウトプットを刺激し促進させているというところにおいて非常にいいですよね。
アウトプットはWebの本質なんですね。
“フィルターバブル”をどう乗り越える?
Webでは、私のどうでもいい散文や瀬尾さんのポエムと同じように、権威のあるきちんとしたニュースも公開されます。
ということは、どの情報が正しいのか、意味があるのか、全てユーザーのリテラシーに任されることになる。それって怖くないですか?
そうなんですよね。
本のように出版されているものは、ある程度目に見える権威があるけれど、Webだとなかなか難しいかなと。
ユーザーのリテラシーの問題という一言で片付けてもいいのかもしれないですけれど、権威付けや信頼度スコアリングを何によって行うかも問題だし、リテラシーが高い低いといっても、何に対するリテラシーなのかも問題ですよね。
難しい問題ですね。
結局ITリテラシーの高い側でも、どんな情報に詳しいかは人によって全然違います。
その時、自分のリテラシーの低い分野を自覚している人は、外部の権威や信頼度に頼ることになる。僕はそれを信頼性評価の権限委譲みたいに捉えていて。
僕はSNSを人間情報フィルターだと思って使っています。つまり、自分が面白いと思う人のネットワークをつくる。で、そのネットワークを通して入ってきた情報が自分にとって関心が高くある程度信頼が置けるだろうと仮定してSNSを使っているんです。
この考えは、従来の中央集権的なツリー構造の権威付けではなく、もっとネットワーク的な価値の重み付けに基づいたフィルタリングです。
おっしゃることもわかります。様々なネットワークが存在している。でも、例えばネトウヨ(ネット右翼)の問題をどう考えたらいいでしょうか?
彼らは、自分たちの狭いネットワークを信頼しているわけじゃないですか。ツリーがない状態だと、同質なコミュニティ内部でみんなが同じ情報を得てそれを信頼している状態なので、悪い情報も信頼する構造になりかねない。
それに対してインターネットは何ができるのでしょうか?
その問題は現在インターネットが直面しているものですよね。
フィルターバブルという問題ですよね。いま僕が言ったようにネットワークを情報フィルターとして使うと、同質の思考が非常に強いフィルターを形成してしまうわけです。
そのフィルターを通した情報しか入ってこなくなると、自分で作ったフィルターのバブル、つまり泡の中に閉じこもってしまって、世界が狭くなるということです。
その状態はアクセシビリティの真逆ですよね。検索で多様な情報はいくらでも出てくるのに。
ただ、アクセシビリティは、基本的には可能性が開いているかどうかの話です。それに対してフィルターは能動的な選好の話。結局、情報は選別されるんです。
フィルターが機能するということは、逆にいうと元の情報がアクセシブルだからなんですよ。
なるほど。
アクセシビリティというのは、必ずしも個人があらゆる情報にアクセスしなければいけないとか、するべきだとかという話ではなくて、アクセスしようと思ったときにできるという状態です。
フィルターバブルの問題は、いま過渡期で非常に難しいと思っています。ソーシャルにしても検索エンジンにしても、その人の好む情報にパーソナライズされてしまっているので。
フェイクニュース対策で難しいのは「何が正しいのか」という定義ができない情報が大半だからなんです。
(人工知能が全ての正しさを定義する時代がくるかも…!)
大事な情報に到達するためにはどうするか?
最後にみなさんから「問い」を出してもらっているのですが、何かありますか?
大事な問いはやはり、これだけ情報が溢れている時代に「大事な情報に到達するためにはどうするか?」ですね。人は、正しいと信じたいものを正しいと感じる。
でも、それが必ずしも有益なわけじゃない。これを是正するこれといった方法はまだない気がします。
ユーザーがリテラシーを持って判断することに加え、テクノロジー側から何ができますか?
セレンディピティ(※予想外の発見)を入れるのは一つの有効な方法かなと思います。Amazonのサイト内検索ってそんなに精度がよくないのですが、「おすすめ」に関係ない本が出てたりする。
書店で経験するような「自分の欲しい本の隣にある本に目を奪われて買ってみたら面白かった」みたいな感じ。こういうことを意図的に入れることが一つの解決策になると思います。
テクノロジーが偶然を演出するんですね。
そうです。例えば、エセ科学的な情報を信じちゃっている人がいるわけですよ。「これが安全だから」と聞いて「それしか食わない」と言っているところに、その人がぎりぎり許せるかもしれない正しい食の情報を入れてあげる。これは素敵な方法です。
それで徐々に価値観を広げていけるわけですね。
大事な情報に到達するためにはどうするか?小久保さんの問いはなんですか?
そうですね。「その石は今でも本当に割れないか?」という問いですかね。
石ですか…?
僕がGoogleという場にいて一番学んだことは「世界は本当に変えられるんだ」ということでした。エンジニアもデザイナーも「変えられない前提」だと思っていることを疑う姿勢が大事だと思っています。
新しい事を考えるときに「でも法律がこうだから」とか「できない理由」を挙げてしまうことってあると思うんですが、それってクリエイティブじゃない。
せっかくなら、より深いところに潜って根っこの部分をハックするという姿勢を持っていたくありませんか?
昔は本当に避けて進むしかなかった硬い石も、いつの間にか事情が変わっていたり、技術が進歩していたりして今なら割れるかもしれません。なので「その石は今でも本当に割れないか?」という問いを持っていたいですね。
インタビューを終えて
今回は濃厚な内容で前後編になってしまいましたね。
ですね〜!めっちゃ濃かった。難しかった。
それはそうと、今回の対談では哲学者の名前がでなかったですね。
たしかに 「前回に比べ哲学色が薄かったな」「てか哲学じゃなくね?」と思った読者もいるかもしれません。
でも哲学は「問いを立てて深く考えること」という側面があります。だから十分「哲学的」だったと思います。
ここからまたグローバリズムや情報社会についての哲学書を読んでヒントを得ても面白そうです。
そうですね。最近はメディア哲学の本も書店に並んでいますよね。
最後に及川さんが立てた問い「大事な情報に到達するためにはどうするか?」を受け継いで、次は「メディア」について哲学したいと思います。
次回は『BuzzFeed Japan』創刊編集長の古田大輔さんをゲストに「テクノロジーの進化によるメディアの変容を哲学する」をお届けします。お楽しみに!
※本記事は「CodeIQ MAGAZINE」掲載の記事を転載しております。
「エンジニア哲学講座」ナビゲータープロフィール
田代 伶奈
ベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。今年から自由大学で哲学の講義を開講。哲学メディアnebulaを運営。
Twitter: @reina_tashiro
瀬尾 浩二郎(株式会社セオ商事)
大手SIerを経て、2005年に面白法人カヤック入社。Webやモバイルアプリの制作を主に、エンジニア、クリエイティブディレクターとして勤務。自社サービスから、クライアントワークとしてGoogleをはじめ様々な企業のキャンペーンや、サービスの企画制作を担当。2014年4月よりセオ商事として独立。「企画とエンジニアリングの総合商社」をモットーに、ひねりの効いた企画制作からUI設計、開発までを担当しています。
Twitter: @theodoorjp / セオ商事 ホームページ