世界の紛争の最前線で戦う日本の若者がいる。永井陽右26歳。
大学1年時からソマリアを救うための団体を立ち上げ、ソマリア人の若者ギャングの社会復帰プロジェクトを開始。卒業後はソマリア紛争の最前線に立ち、国連やアフリカ連合とともに、「カウンターテロリズム」と「武装解除」に取り組んできた。現在はソマリアだけではなく、ケニア、ナイジェリア、新疆ウイグル自治区などでテロ根絶と紛争解決に尽力している。
なぜ彼は日本とは縁もゆかりもない紛争地のテロ根絶に命を賭けるのか。世界平和に懸ける思いとは──。これまでの人生を振り返りつつ永井氏を駆り立てるものに迫った。
【プロフィール】
永井陽右(ながい ようすけ)
1991年、神奈川県生まれ。高校卒業後、一浪して早稲田大学教育学部複合文化学科入学。1年生の時に「日本ソマリア青年機構」を創設。「学生だからできること」を標榜し、2013年、ソマリア人若者ギャングの社会復帰プロジェクト「Movement with Gangsters」を開始。これまで数多くのギャングを更生、社会復帰させてきた。大学卒業後はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士課程入学し、紛争解決について学ぶ。2016年9月に卒業後はソマリア紛争の最前線に立ち、国連とアフリカ連合とともに、「カウンターテロリズム」と「武装解除」の2つの手法で、紛争の主要因となっているアルシャバーブの戦力をそぐ活動に従事。2017年4月、団体名を「NPO法人アクセプト・インターナショナル」に改称。テロ根絶と紛争解決に尽力している。若者のテロ組織への加入を食い止めるため、国連人間居住計画(UN-Habitat)のアーバン・ユース・ファンドのメンターとしても活動中。著書に『僕らはソマリアギャングと夢を語る─「テロリストではない未来」をつくる挑戦』(英治出版)、『ぼくは13歳、任務は自爆テロ。:テロと戦争をなくすために必要なこと』(合同出版)などがある。
NPO法人アクセプト・インターナショナル https://www.accept-international.org/
最初のきっかけは“ツバル”
──まずは永井さんが現在取り組んでいる活動について簡単に教えてください。
NPO法人「アクセプト・インターナショナル」の代表理事として、ケニア、ソマリア、ナイジェリアと新疆ウイグルなどの紛争地および政情不安定地で、テロ組織への加入防止と加入している兵士を脱退させて社会復帰させるDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)を行っています。これまでのテロ組織撲滅のアプローチは空爆や地上戦だったのですが、それだけでは駆逐しきれないので、こういう方法を取っているわけです。これを学生と社会人、両方の力でやっています。
──詳しい活動内容は後ほどおうかがいするとして、なぜ日本とは縁もゆかりもない危険な紛争地でテロや紛争を止める活動をするようになったのか、その経緯を教えてください。
一番最初の原点は高校時代まで遡ります。当時バスケットボール部に所属していたのですが、高2の夏休みに練習が2日間だけ休みになったことがあったんですね。思いっきり羽を伸ばそうと、冷房の効いた部屋でインターネットでおもしろ動画を見まくっていました。ひとしきりお腹を抱えて笑った後、同じサイト画面に「注目トピック」みたいな感じで、南太平洋の小さな群島国「ツバル」が特集されたページがあったんですね。ツバルって何だろうと本当に何の気なしにクリックして読み始めたら目が離せなくなってしまって。地球温暖化の影響で年々海面が上昇して、そのせいで今も島が少しずつ沈んでいる最中で、このままだと近い将来沈んでしまうと。それを読んで国が沈むとはどういうことだ!とものすごく大きなショック受けました。
▲高校時代
同時に、このツバルのおかれた状況とその未来を知った時、ツバルなんてそれまで見たことも聞いたこともない国ですが、そこで暮らす人々は将来確実に国を失ってしまう、なんてかわいそうなんだと思いました。これがきっかけで、それまで自分のことしか考えたことがなかったのに、他者のことにもぼんやりと思いを馳せるようになりました。そしてその時、なんて俺はこれまで他人に対してひどいことをしてきたんだろうと反省と後悔の念に苛まれました。
──それはなぜですか?
ひと言で言うと、いじめをしていたからです。子どもの頃って、運動ができるやつが偉い、みたいなとこがあるじゃないですか。それでパッとしないやつを殴る蹴る、無視する、いじる、など、調子に乗っていじめていたんです。
初めて他人のことを考えた
──では永井さんはいわゆるスクールカーストで上位の方にいたわけですね。
まあそうとは言えるかもしれませんね。だからそれまで他人のことなんて考えたことなかったですもん。ロールプレイング的な世界観で、基本自分が主人公で周りに脇役の登場人物A、Bがいて、Aはいじられキャラだよな、という感じでした。
それがツバルの特集記事を読んだことで、みんなそれぞれ主人公でちゃんと生きてたんだなとぼんやり考え始めて。ってことは僕らがやってたいじめはかなりヤバいことなんじゃないか、よくないことをしてきたなとガキなりに本当に腹の底から反省しました。それでつるむ友達も変えたんですよ。オタク系とかいじられキャラみたいな、それまでならあまり仲良くならないようなクラスメートとも話したり遊んだりするようにしたんです。最高に上から目線ですが、当時はやはりそんな認識でした。
同時に、ツバルが沈むのを俺が止めなきゃという使命感が突如、僕の中に生まれました。これまで他人のことなんかこれっぽっちも考えず、いじめていた人へのせめてもの罪滅ぼしのため、これからはいじめられている人を助けることに僕の人生を捧げようと決意したんです。実際にいじめていた人に謝りに行こうと何度も思ったのですが、悩んだ末、どうしてもできなくて…だからこそそうなりました。悔しかったですけどね。ということで、まずは大学に入ってツバルが沈むのを止めようと受験勉強を開始したのですが、ある日、世界史の資料集にあった年表で、ルワンダという国で何万人もの人が殺されたことを知りました。この瞬間、助けたい対象がツバルからルワンダへと変わったんです。
“世界一”にこだわりたかった
──どうしてですか? ツバルをなんとかしたいと思うなら環境問題系の方に進むのが自然だと思うのですが。
ツバルを何とかしたいと思ったそもそもの動機は、いじめられている人を助けたいと思ったから。でもいじめられている人は日本含め世界中にたくさんいるじゃないですか。だから、罪滅ぼしという文脈を踏まえて、「どうせやるなら世界で一番いじめられている、虐げられている人をどうにかする」と強く決意したのです。被害で何が一番ひどいかと考えたら命を奪われることだろうと。そういう意味で、ツバルも確かに国が沈むのはつらく悲しいことですが、ある日突然沈むわけじゃなくて徐々に少しずつ沈んでいっているので、その間に避難すれば命まではなくならないじゃないですか。でもルワンダでは人がこんなに一方的に殺されてる。だから世界で一番いじめられていると認識したんですね。
それで、俺はルワンダに行って虐殺を止めてルワンダの人たちを助けるんだと心に決めたんです。この思いが浪人中の猛勉強のガソリンになっていました。偏差値40レベルから早稲田大学を目指して勉強し始めたんですが、当然途中で飽きたり嫌になったりもしました。そんな時、俺はルワンダを救うんだ、ジェノサイドを止めるんだという思いで勉強を継続することができたんです。そんなこんなで早稲田大学に合格しました。
──大学に入ってからは?
入学した週に「日本ルワンダ学生会議」というサークルに入り、8月に念願のルワンダに行ったんです。でも大きな衝撃を受けました。想像と全然違っていたんです。僕は基本アホだったので、虐殺が起こったのは17年前だったのに、高校・浪人時代は今も起きてるって思って猛勉していました。ところがいざ行ってみたら、もちろん多少の問題はありますが、虐殺は微塵もないどころか治安も非常によくて平和そのもの。「アフリカのシンガポール」と呼ばれるほど大きく経済発展して、新興国一歩手前のレベルにまでなっていたんです。その様子を目の当たりにして「あれ? ジェノサイドはどこいった? 世界で一番いじめられてなんてないじゃん」って肩透かしを食らったんです。
ルワンダからソマリアへ
──いきなり生きる目的を失ってしまったわけですね。
そうなんですよ。この先どうしようかなとまさに路頭に迷うような感じになって帰国の途に着くわけですが、せっかくアフリカまで来たのだからもうちょっといろいろ見て周りたいと思い、経由地だったケニアで数日滞在することにしました。うろうろしていたら現地のタクシーの運転手と仲良くなって、1人じゃ行けない危険なエリアに連れてってもらいました。その運転手はとても温厚でベビーフェイスな大男だったのですが、イスリー地区というエリアを通った時、険しい表情に一変し「この地区にいるやつは全員ソマリア人。あいつらは全員テロリスト。クソみたいなヤツらだ」と吐き捨てるように言ったんです。
この時のことがすごく印象に残っていて、帰国してすぐにソマリアやイスリー地区について調べました。するとちょうどその頃、大飢饉が起きて1年で26万人も国民が死んでるんですよ。しかも無政府状態で内戦が起きてテロも頻発していた。ソマリアでは現在進行系で凄惨なことが起こっていて、今この瞬間も命を奪われている人が大勢いる。さらに国連のプレスリリースでは「ソマリアは想像もできない比類なき人類の悲劇」と書かれていました。これらのことを知り、世界で一番いじめられているのはソマリアの人たちだ、俺が助けるべきはソマリアしかないと思ったんです。
ちなみに、よくいろんな人から「お前は日本人なのになんで日本じゃなくて縁もゆかりもない国の問題解決に取り組むんだ。日本にも深刻な社会問題がたくさんあるじゃないか」と聞かれるんですが、その答えは簡単で、世界で一番いじめられている人を助けたかったからです。それがソマリアの人たちだったというだけです。確かに日本にもいじめの問題や貧困の問題などいろいろありますが、それより全然ルワンダの方がひどいと思った。それが安々と日本という国を越えていった理由です。
それですぐソマリアに行こうと決めて、ソマリアで支援活動しているNGO団体を探したんですが見つかりませんでした。その理由はただ1つ。地球で一番危険な場所だったから。唯一、「国境なき医師団」だけは前線で医療活動をしていることがわかったので、何か僕にも協力させてほしいと連絡したのですが、当然医療従事者でない僕は全く相手にもされませんでした。
「最悪、死ぬよ?」
それで当時他の国や地域で国際協力活動をしているいろんなNGOを訪ねてソマリアで支援活動をする方法を相談したんですが、全員からめちゃめちゃ否定されました。「危険すぎる」「お前に何ができるんだ」「行っても邪魔になるだけだ」「最悪死ぬよ?」とかも言われました。
国際協力業界で有名な人にも、「ソマリアをなんとかしたいのですがまず何からすればいいですか」と相談したんですよ。そしたら「ソマリアなんて危険すぎて誰も何もできないから、まず10年間は紛争解決の知識をつけるとか、カンボジアやフィリピンなど東南アジアの比較的安全な国で経験を積みなさい」と言われました。
でもそれは僕にとって全然論理的な意見ではなかったのです。「世界で一番いじめられてるのはソマリアなんだから助けたい」という思いに対して、「いやいや、危険だからダメです。初心者はまず安全な国からやりましょう」と言われても意味がわからないしおかしくてたまらなかった。なんなら腹もたった。だから「その僕が修業している10年の間にもどんどんソマリアの人たちは殺されますよね。それを僕はどう理解すればいいんですか。それに10年くらいの経験があるならやっていいのならば、経験豊富なあなたがやればいいじゃないですか。なぜ世界で一番ひどい状況であるソマリアで活動しないのですか?」とか言い返して帰ってきたんです。あの頃はかなりとんがってました。
だからソマリアの問題は誰かがやらなきゃいけないんだけど誰もできない、やろうとしない。だったら僕がやるしかない。この頃からこういう感じで腹をくくり始めて、いろんなところで俺はソマリアで活動すると発言するようになったんです。知識も経験も英語力も何ももってない中で、口だけで「やるぞ!」と息巻いていたのが最初ですよね。
国際協力の真髄に開眼
──よくそんなないない尽くしの状況で誰もやらないほど難しいソマリアをやると決意できましたね。
正直どうしようかなと悩んだ時期はありました。でもちょうどその頃ある言葉に出会いました。それは<『本当に意味のある国際協力』とは、自分がやりたいことをやって『自己満足にひたる』ものでも、自分に専門性があることをやるのでもなく、『それ』が必要なことであれば、自分がどんなにやりたくないことでも実行し、専門性が必要ならそれを身につけていこうと努力してゆく、『姿勢』を言うのである」>というものです。
これは「国境なき医師団」の医師として紛争地で医療活動に従事した後、NPO法人「宇宙船地球号」を設立し代表を務めるなど、長年国際協力活動を行っている山本敏晴さんの言葉です。ひょんなことから彼のこの言葉に出会った時、体全体に雷に打たれたような衝撃が走りました。
相談に行った国際協力NGOの人たちはソマリアを援助するためには最低限の知識とスキルと経験が必要だと言いましたが、彼らはそれらをもっていてもソマリアを救うことができない。でも山本さんだけはそうじゃなくて、必要であればそれをどうにか習得してでもやるような意思や姿勢が重要で、それこそが真の国際協力なんだと。まさにその通りだと思いました。
僕はソマリアが好きなわけでもないし、ソマリアの人たちを助けるための技術や知識、経験、能力を持っているわけでもない。でも、この世界で一番いじめられている人を何とかするという意思と覚悟がある。その姿勢こそが大事でそれこそが真の国際協力だと確信したんです。
この山本さんの言葉でより覚悟が決まったといえますね。以来、僕の行動指針になって、大学1、2年はこれしか言ってなかったです(笑)。そして今でもこの姿勢こそが最も大切だと考えています。論破できないですからね、この山本さんの定義は。
覚悟は決まったものの具体的な方法がわからず苦悩する日々。そんな中、永井さんは普通じゃない方法で突破口を開いていきます。次回、第2回では“張り込み”して設立した「日本ソマリア青年機構」での活動、苦悩の日々、それを乗り越えてソマリアギャングを取り込んで社会復帰させるプログラムを立ち上げた経緯などについて語っていただきます。
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文:山下久猛 撮影:守谷美峰