就活せず。周りから「現実逃避だ」と言われても、この道を目指した――勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケ

大学卒業後、ギャンブラーとして15年間、世界をさすらいながら生きてきた男がいる。

勝率は神の領域と言われる9割。出入り禁止となったカジノは数知れず。そんな破天荒な人生を生きる男の名はプロギャンブラー・のぶき。ギャンブルで勝ち続けるために必要な思考力、決断力、行動力はそのまま仕事や人生で成功するために必要不可欠な要素だ。事実、のぶきさんの元には様々な企業や学校、団体から就職や転職、ビジネスをテーマとした講演依頼が殺到している。今回は自らの人生を振り返りつつ、そこから得た、仕事や人生で勝ち抜くためのメソッドや人生の岐路に立った時の後悔しないための選択法などをたっぷり語っていただいた。

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のぶき(本名:新井 乃武喜)

1971年、東京都出身。大学卒業後、25歳の時にプロギャンブラーを目指して単身アメリカへ渡り、修行を開始。2年後、無敵のプロギャンブラーとなりラスベガスをはじめとする世界中のカジノを周遊。ギャンブルの世界では神の領域とされる「勝率9割」を達成。ギャンブルだけで生活し続け、15年間で世界6周、今まで訪れた国は82ヵ国におよぶ。現在の主な活動はプロギャンブラー人生で得た経験や生き様を伝える講演や、『日刊SPA!』や『Lifehacker』での記事執筆、メディア出演など。著書に『勝率9割の選択』(総合法令出版)、『ギャンブルだけで世界6周』(幻冬舎)がある。

就活はせず、起業を目指すことに

──まずはのぶきさんがプロギャンブラーになるまでの経緯から教えてください。学生の頃はどんなことを考えていたのですか?

小学校を卒業後、両親に暁星国際学園という全寮制の学校へ入れてもらいました。なので、中学から親元を離れて寮生活です。高校時代は学校で習うことに価値を見い出せなかったので、全然勉強しませんでした。古典や英語がこの先の人生で何の役に立つのかと。また、勉強しすぎると人為的に作られたロボットのような人間になってしまうとも気づきました。とはいえ、親孝行として大学は卒業すべきと思っていました。けれども、価値の見いだせない勉強にやる気も起きず、偏差値が毎年10ずつ落ちていき、2浪してようやく大学に入りました。

大学時代は、2浪もしてしまったし、親に生活費は自分で稼げと言われたので、バイト三昧の4年間でした。大学3年生の時、月40万は稼いでましたね。

──大学当時は、将来どんな仕事に就きたいと考えていたのですか?

自分は何をやりたいんだろうと考えていましたが、なかなか答えを見い出せないでいました。ただ、仕事選びで印象に残っている出来事がいくつかあります。1つは、大学1年の時に親友が大道芸人になりたいと言い出したことがあったんですね。驚いたのですが、仕事って何やってもいいんだなと固定観念が壊され、視野が広がって、仕事の選択肢が一気に増えました。それまではサラリーマンになって、社長を目指そうとしか考えてなかったので。

もう1つは大学3年生の時、サラリーマンになった寮時代の友人がうつ病になって会社を辞めたことです。この話を聞いた時、会社にも入った人が幸せになるいい会社と不幸になる悪い会社があるんだなと感じました。でも会社は入ってみなければ本当のところはわかりません。だから悪い会社に入る可能性があるなら、最初から就職しないで起業しようと決意したんです。それからさらにバイトを増やし、独立資金のためにもっとお金を稼ぐことに注力しました。最高記録は4つかけもちで月80万です。それこそ朝から翌朝までがむしゃらに働き、卒業して1年後には1000万円貯まりました。

──就職活動は?

一切してません。

──ではすぐ起業したのですか?

いえ、バイトの1つに某放送局の営業の仕事があったのですが、「就活せずに起業します」といったら、社員よりも営業成績がよかったので、「特例として、大学在学中から準社員として働いてくれないか」とスカウトされたんです。卒業後は入社の道もお誘いいただいたのですが、この会社でずっと働きたいと思ってなかったので辞めました。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

卒業旅行がきっかけで、ギャンブルと出会う

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──ではギャンブラーになった最初のきっかけは?

大学4年の時、友人に卒業旅行へ誘われました。行き先は決まってなかったのですが、僕は何かをする時、明確な目的がないと価値を見い出せないタイプなんですね。旅行も同じで、目的のない旅行というのが考えられませんでした。単なる観光にも興味がなかったし。それで、何か旅の目的はないかなと考えたところ、「目的=街」がリンクしまくる「ギャンブルの都=ラスベガス」が浮かびあがってきたんです。これが一番わかりやすいと思い「ラスベガスなら行く」と誘ってくれた友人に伝えました。

──学生時代、ギャンブルが好きだったのですか?

いえ、全然。ギャンブルをやったこともなければ興味もありませんでした。

──ではなぜ旅の目的としてギャンブルを選んだのでしょう。他にも旅の目的って山ほどあると思うのですが。

思い浮かんだのが「ギャンブルの都=ラスベガス」しかなかったから。ただそれだけです。深い意味はありません。完全にひらめきのみです。だからもちろん、この時まさか自分が2年後にプロギャンブラーになるなんて1ミリも思ってなかったですよ(笑)。

──ということはこの友人に卒業旅行に誘われたことがプロギャンブラーへの最初の出発点といえそうですね。

そうですね。卒業旅行に誘われてなければ確実にギャンブラーはなってないですからね。そう考えたら電話1本、メール1本で恐いくらいに人生って変わるんですよね。重要なのは、それをどうやって自分の人生に活かしていくか。活かすも殺すも自分次第なわけです。

──初カジノはどうでしたか?

ギャンブルを旅の目的としてラスベガスへ行ったわけなので、一緒に行った友達からグランドキャニオンへ観光に行こうぜと誘われても、毎日カジノでギャンブルしていました。軍資金は80万。せっかくカジノへ来たんだから全額なくなるまで勝負しようとガンガン賭けたら、最終的には20万円勝ちました。一晩で勝った最高額は32万円でした。

──初めてなのにそれだけ勝つとは元々ギャンブルの素養があったということなのでしょうね。

いえ、単なるビギナーズラックです。ただ、すべてにおいてなんですが、何かをする時には最初にルールを設定することが大事なんです。この時は80万円が0になってもいいから賭けきると最初に決めていました。1日目は10数万負けたんですよ。でもまだ70万円あるからと気にせず、その後も勝負に行けました。だからこそ勝ち目が生じたのです。

もう1つ、勝因を挙げるとするならいきなりブラックジャックなどのゲームに参加するのではなく、他のプレイヤーがプレイするのを後ろでしばらく観察して、どうすれば勝てるかを必死に考えたことですね。しばらく観察していると、負け続けたプレイヤーが抜けた直後に入れば勝てそうだということに気づきました。だから20分でも30分でも待って、抜けた瞬間にすっと入って参加すると勝てる確率が上がったんです。

4日間の滞在中、1日3時間の睡眠以外はずっとカジノでギャンブルをしまくっていたら、2日目にカジノの支配人クラスの人から話しかけられて、名刺を渡されたんです。その時は英語がわからなかったので何を言ってるか全然わからなかったのですが、多分僕が1日20時間ギャンブルしているから上客だと思って挨拶してくれたのだと思います。

宿泊はそのカジノと経営元が同じホテルでした。カジノで負けている友達がチェックアウトの時にフロントで、宿泊費を安くしてと交渉したのですが、「はぁ?」と全然相手にしてもらえませんでした。その時、カジノの偉い人に名刺をもらったことを思い出して、その名刺を出すとフロントのスタッフの態度が一変。先ほど名刺をくださった支配人クラスの人が、わざわざ挨拶するために来てくれて、安くなるどころか無料になったんです。

無料になったことよりも、外国人からこんな24歳の若造を大人としてもてなされたことがすごくうれしかったんです。この時の気持ちよさが忘れられず、その翌年もカジノに行きました。この時もまた毎日カジノで朝から晩までガンガン勝負して、ホテル代を無料にしてもらいました。

──2回目のギャンブル旅行での勝負の結果は?

日本円で100万円勝ちました。1勝負でテーブルの上にドンと100万円の札束とカジノチップが置かれた時、周りにいたたくさんのギャラリーから歓声が上がり、その場が湧きましたね。たくさんの人とハイタッチしたのですが、その時、1人のギャラリーに「お前、手が震えてるよ」と言われました。その時初めて自分の手が波打つごとく震えている事に気がついたんです。そして、その震えが全然収まらないんです。自分の許容範囲を超えるほど興奮してたんですね。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

仕事としてのギャンブル

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──ではこの時、プロギャンブラーになろうと思ったのですか?

いえいえ。まだこのくらいじゃあギャンブルを仕事にしようなんて思いませんよ。この時はまだどんなビジネスで起業しようかと考えてました。その一環として、アメリカでもビジネスチャンスを探そうと、最先端の流行を感じ取れる地域を周遊したのですが、その過程でラスベガスのギャンブル専門書店にも行ったんですね。『Playing BLACK JACK as a business』という本を見つけた時、「仕事としてのギャンブルってあるんだ!」と大きな衝撃を受けて、英語も読めないのに買ったんです。いわゆるパケ買いというやつですね(笑)。

その後日本に帰って、どんなビジネスで起業しようかと今まで100個以上リストアップしてあるプランをひとつずつ考えてみました。でもなかなか一つのビジネスを選ぶことができませんでした。

そこでそもそもどんなことを仕事にしたら成功するのかという逆算の視点で考えてみました。ビジネスが軌道に乗るまで3~5年はかかると何度か聞いたことがあります。ビジネスを成功させるためには、その間休まなければ可能性が上がる。では、5年間も休みたくないほど好きな仕事を選ぼうと考えてみたんです。その“好きなこと”は半端な好きではダメです。例えば僕は菓子パンが大好きなんですが、もしパン職人になったら、大晦日の夜、気の合う仲間と遊んでいる時、菓子パンを作るために途中で抜けなきゃいけません。それを想像した時、嫌だなと感じました。菓子パンを5年食べ続けることはできるけど、5年作り続けるのは無理だと気づいたんです。

じゃあ僕にとって大晦日でも働きたい仕事って何だろうと考えていた時、ふとラスベガスで買ってきて、部屋に置きっぱなしになっていた本のタイトルが光って見えたんです。“仕事としてのブラックジャック”──その瞬間、「そうだ、ギャンブルなら大晦日でも正月でも喜んで行ける!」と思ったんです。

もう1つは、当時からボランティアや政治に興味があったことも大きいですね。それらに携わるためには世界を知る必要があると考えました。

──なぜボランティアや政治に興味があったのですか?

まずボランティアという意味では、僕が高1の時に両親が離婚して、高2の時にそれぞれ再婚してるんですね。寮に住んでいる僕が知らないところで家族は崩壊して、1人ぼっちになったわけです。帰る家もなくなってしまった。そんな高1の夏休み、友人たちが救いの手を差し伸べてくれて、自分の家に泊めてくれたんです。バッグ1つ持って友人の家を泊まり歩いていたのですが、その時に身をもって人の情の温かさを知ったわけです。同時に、僕は助けてもらえたけど、助けてもらえない子どももたくさんいるから、彼らに手を差し伸べられる人間になりたいと思ったんです。

政治という意味では、昔から日本の政治家は誰がいい人かわからず嫌いなのですが、愚痴を言うだけなのはかっこ悪い。愚痴を言うくらいなら、将来自分が政治家を目指そうと決めたんです。

──その思いとプロギャンブラーはどうつながるのですか?

世界と渡り合える政治家になるためには世界を知る必要があり、10年ほど海外に出れば世界を語れると思いました。また、政治もボランティアの世界も強いメンタル、優れた思考力、決断力、行動力などが求められます。それらを徹底的に鍛えたい。そのためにはどんな仕事があるのかなと考えた結果、ギャンブルで世界中をさすらいながら勝負して生き残れたら、世界のことがわかるし、人間としても大きく成長できると思ったんです。「世界をさすらうギャンブラー」というフレーズが頭の中に浮かんだ瞬間、人生というパズルのピースが完全にハマったような感じがして「これだ!」と胸が高鳴りました。

それで、25歳の時にバッグ1つ持ってラスベガスへ渡り、プロギャンブラーになるための修行を始めたわけです。

──ご両親にプロギャンブラーを目指すと言った時、反対されなかったのですか?

先程も話しましたが、うちの両親は勝手に離婚してそれぞれ再婚しています。両親は好き勝手に生きているわけだから、僕のやりたいことを否定する権利など与えていません。だからあれこれ言わせないという強い態度で、本気でプロギャンブラーを目指すと父と母に言いました。その時、親はドン引きしてましたが、やっぱり自分に反対する権利はないとわかっていたのか、何にも言いませんでした。

ちなみに父は中小企業診断士協会の前会長を務めていて、母はアメリカ大使館の元職員だったので、両親が離婚してなかったらプロギャンブラーになりたいなんて口が裂けても言えなかったですね。だから僕がプロギャンブラーになれたのは離婚してくれた両親のおかげでもあるんです。両親の離婚は、僕が僕の人生を歩めたきっかけなので、とても感謝しています。

ただ、仲のよかった友人たちには軒並み大反対されました。貯金した1000万をもってプロギャンブラーを目指してアメリカに行くと言ったら、「現実逃避だ」とまで言われました。いや、俺は戦うんだよと言っても理解してもらえません。僕にとって仲間はすごく大切な存在で、彼らも僕のことを心配して言ってくれていたことはわかっていました。もちろん僕の決心が揺らぐことはありませんでした。

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大切な友人の反対を振り切り、単身アメリカに渡ったのぶきさんを待っていたのはあまりに大きすぎる試練でした──次回第2回発狂寸前にまで追い込まれた修行時代、そしてその試練をどう乗り越えてプロギャンブラーになったのか。その過程に迫ります。

【第2回】結果が出ず「発狂寸前」に。絶望しかなかったが“常識を疑う”ことで救われた――勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケに続く

【連載】「勝率9割の“プロギャンブラー”のぶき氏がこの仕事を選んだワケ」(全5回)

文:山下久猛 撮影:守谷美峰

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