約70年前から長崎市が進めている出島復元整備事業とその一環である出島表門橋架橋プロジェクトの詳細、そして渡邉氏がこの橋の設計に込めた思い、この橋の骨組みが完成するまでの過程はこれまで2回に分けて紹介した。
【第1回】「2つの壁」を乗り越え、“出島”に再び橋を架けろ!――出島表門橋架橋プロジェクト・渡邉竜一氏たちの挑戦
【第2回】「こんな橋ならいらない」という住民も…それでも巻き込み“出島”に橋を!――出島表門橋架橋プロジェクト・渡邉竜一氏たちの挑戦
その橋がついに2月27日、130年ぶりに江戸町と出島の間に架けられた。かつて江戸の人々が行き来していたのと同じ場所に。今回はその模様をレポートする。
プロジェクトスタートから約3年半後の2016年12月、設計者の渡邉竜一氏や長崎市、実際に製作作業を行った職人たちなど、橋の製作に関わったすべての人たちの熱い思いがこもった出島表門橋が完成した。しかしこの橋が造られた場所は架設現場から約60kmも離れた大島造船所。全長38.5m、幅4.5m、重さ50tもの橋をどうやって架設現場まで運ぶのか。この運搬作業もこのプロジェクトチームの前に立ちはだかった大きな壁の1つだった。
協議の結果、チームが導き出した方法は橋を台船に乗せて船で現場近くの水辺の森公園まで運搬。トレーラーに積み込み、陸路で現場まで運ぶという運搬作戦だった。
水辺の森公園から架設現場までは約1km。途中、右折しなければならない90度以下の鋭角の交差点もある。しかも現場の江戸町は町の中心部で道路幅が広いとはいっても車の交通量は多いし、路面電車も縱橫に走っている。そんな場所を真っ昼間から全長38.5m、幅4.5mの橋を運ぶことは不可能に近い。そこで車の交通量が減り、路面電車も運行を終了している深夜0時から運搬ルートを完全封鎖して運搬するという作戦が立案された。
その“出島表門橋運搬大作戦”の一部始終を写真で紹介しよう。
大島造船所→神ノ島埠頭
【2月21日17:00】大島造船所から橋を台船に積み込み、出港
橋を乗せた台船は水先挺(パイロットボート)に曳航されて、一旦、神ノ島埠頭へ。水辺の森公園までは外海を航行せねばならず、外海は強風が吹いたり、高い波やうねりが発生することが多々あるため、大事を取って早めに出港。同日22時過ぎに神ノ島埠頭に到着した。
▲大島造船所を出港した、橋を積載した台船
神ノ島埠頭→水辺の森公園
【25日11:00】神ノ島埠頭を出港
▲神ノ島埠頭を出港する台船
11時頃には女神大橋の下をくぐる水先挺に曳航された台船の姿が見えてきた。
▲台船に積載された橋の姿が見えた時、埠頭に集まった観客からどよめきと歓声が上がった。この、海から欧州の技術が注ぎ込まれた橋がやってくるシーンは設計者の渡邉氏が出島の歴史を踏まえ、どうしても実現したいという思いで演出したものだった
同日12時頃には、水辺の森公園の埠頭に無事到着した。
ドーリー(トレーラー)への積み込み作業
【25日13:00】トレーラーへの積み込み作業開始
巨大なクレーンで吊り上げられる橋はド迫力の一言。まさに空飛ぶ橋。14時頃には、トレーラー(正式名称「ドーリー」)への積み込み作業が無事完了した。
水辺の森公園→出島対岸架橋設置現場
【26日0:00(25日深夜)】陸路での運搬開始
▲ 橋を乗せたトレーラーが水辺の森公園を出発
▲深夜の街を巨大な橋が移動するというダイナミックでレアな光景に思わず息を呑む
▲玉江橋交差点では一回では曲がりきれないので切り返して曲がる。正確で精緻な操作が要求される作業である
深夜1時頃には、長崎県庁前の架橋現場に到着した。
▲夜空に高々と吊り上げられる巨大な橋。その光景は幻想的ですらあった
こうして深夜1時半頃、橋の運搬作業は無事終了した。
▲無事に現場の所定の位置に降ろされた橋。後は明日の架橋を待つのみ。運搬作業の責任者である長崎市道路建設課の嘉松寿夫係長は「無事にここまで運搬できて本当にほっとしました。もちろん事故やトラブルはないとはわかっていてもやっぱり到着するまではドキドキでしたからね」と胸の内を語った
その後トレーラーが解体され、トラックで運搬。すべての作業が終了、撤収した頃には午前4時を回っていた。
運搬作業に込めた思い
設計者の渡邉氏はこの運搬作業にも深く関わっていた。驚くべきことに橋の設計時点からこの運搬計画を立案。施工者が決まってからは、長崎市役所道路建設課と大島造船所とともに協議して運搬作業の詳細を詰めていった。また、長崎県港湾局や県警にも協力を仰ぎ、各々の関係者協議に出席している。しかしこれだけの大掛かりな運搬計画である。困難の連続だった。
「一番難しかったのは港湾の許可を取ること。橋をどこに陸揚げするかで二転三転しました。たくさんの船が航行している湾の中で、橋のために時間と場所を確保するのはとても時間を要する作業でした。また陸揚げ後の運搬においても、国道の通行止めや、通過する玉江橋がこの橋の重量に耐えられるかどうか、見物に来た市民の安全対策のためのガードマンの確保など、様々な課題もありました。このような運搬作業を行う場合は、橋の周りに完全に仕切りを設けて市民が橋に近づけないようにして、深夜にこっそり運搬するのが一般的だと思います。しかし、橋は工場で一体として制作、運搬することで品質も格段に向上すること、そして僕の提案する『街のお祭りごと』(※こちらの記事参照)に共感してくださった長崎市と大島久保JV(橋を製作した大島造船所と久保工業のジョイントベンチャー)の方々は、様々な困難を克服して、このような難しい運搬方法を容認、安全確実に実施してくれたのです。これは本当にすごいことなんですよ。長崎市、大島久保JVの方々のこの橋に対する思いと安全性に対する姿勢には心を打たれました」
確かに沿道にはこの運搬大作戦をひと目見ようと大勢の市民が駆けつけ、目を輝かせながら橋の運搬を見守っていた。それはまさに前夜祭と呼ぶにふさわしい光景だった。
次回はいよいよ架設当日の模様についてレポートします。乞うご期待!
文/写真:山下久猛 一部写真提供:渡邉竜一