映画「それでもボクはやってない」に学ぶ、理不尽さに負けないために必要なもの

f:id:atsushimatsuoka:20170213153447j:plain みなさんは一本の映画を観て、泣き崩れたことがありますか? 僕にはあります。かなしい映画、つらい映画、心温まる映画。世の中にはいろんな「泣ける映画」がありますが、あふれる気持ちをおさえられず、膝をついて涙を流した作品は、後にも先にもひとつだけ。周防正行監督作品『それでもボクはやってない』だけです。

なぜなら個人的な記憶と重ねてしまったから。痴漢に間違われたわけではなく、冤罪に比べればまったく次元の違う話なのですが、こちらがどれだけ「正しさ」を主張しても頑として受け入れられなかったという、主人公と似たような経験をしたことがあるのです。

それでもボクはやってない。それでもボクは間違ってない。でも、どうしても認めてもらえない。そんな苦い思い出を今回、映画とともにふりかえってみたいと思います。

悲劇はいつも突然降りかかる

劇中の主人公、金子徹平(加瀬亮)は就職の面接会場に向かっていたフリーター。大事な履歴書を自宅に忘れたことに気づき、それでも面接には遅れまいと慌てて飛び乗った電車の中で、女子学生のお尻を触ったとして痴漢に間違われます。ドアにはさまった上着の裾を焦って引っぱっていただけなのに、混雑した車内で「もぞもぞとした動き」をしたせいで、あらぬ疑いをかけられてしまったのです。

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そこで思い出したのは、まだ大学生だった頃のこと。まだ就職先の決まっていなかった僕は、卒業式を目前に控えたある日、成績表を受け取りに立ち寄った学部事務室で「単位不足による留年」を言い渡されます。大学1回生時に短期留学プログラムで取得した単位をめぐる認識が学部側と食い違い、卒業資格を満たしていたはずの単位数が「足りていない」と告げられたのです。

当時在籍していた大学は単位取得に関するシステムが構築されておらず、自分がどの単位を取得し、卒業までにあといくつ必要かを自分自身で管理する必要がありました。とくに所属していた社会学部は学べるジャンルの幅広さと引きかえに、単位認定される項目が細分化されていて、正確に把握しがたいところがありました。そこで職員さんに事前に相談したところ「単位は足りている」と太鼓判を押してもらっていたのですが、なんとも腑に落ちない理不尽な状況に追い込まれてしまいました。

そう、悲劇というのは突然やってくるものなのです。

誰も話を聞いてくれない

痴漢に間違われた徹平は「事情を聞くから」と駅事務室に連れられ、そのまま警察に引き渡され、まちがいなく痴漢を働いたという前提できびしい取り調べを受けます。パンツの上から触っていたら迷惑防止条例違反、パンツの中に手を入れていたら強制わいせつ。「認めて罰金払ったらすぐ出してやる」と刑事に迫られ、しかし罪をきっぱり否認したことで、不本意ながら拘留されてしまいます。

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当番弁護士からは「裁判になったら有罪率は99.9パーセント。示談にした方がいい」と助言を受けても「(痴漢を)やってないんだ」と突っぱねた徹平は、まともに話を取り合ってくれない副検事にも「いつまでも否認してただで済むと思うなよ」と脅され、間もなく起訴されたのち、まるで勝算のない刑事裁判に持ち込むことになるのでした。

この「キミは間違っている」という前提で、こちらの主張をまるで聞き入れない態度は、僕の卒業を頑なに認めない大学側も同じでした。他の職員には問題ないと言われたと伝えても「そんな事実はない」。単位認定の論拠があいまいな点を指摘しても「例外は認められない」。課題があるなら規則は改善されるべきだと主張しても「今の規則が最高だ」。前例のない逆転卒業はぜったいに認めないとして、彼らはどこまでも規則に忠実でした。

かけがえのない仲間がくれる力

予期せぬ争いに巻き込まれた徹平にはしかし、力強い仲間がいました。裁判や法律を学んで励まし続けてくれた無職の友人。裁判で勝ち目のない痴漢冤罪事件であるにも関わらず手を差しのべてくれた弁護士。かつて痴漢の容疑をかけられた経験から、無罪を勝ち取るための知恵を授けてくれた見ず知らずの方。裁判所に提出する電車内の再現映像に撮影協力してくれた元カノ。無言で見守り続けてくれた母。

僕にも仲間がいました。大学卒業を願って励ましてくれた同級生、あきらめるなと発破をかけ続けてくれた先輩、こちらに有利な情報をネットで調べて教えてくれた遠方の友、学校側の立場であるにも関わらず臨時教授会の開催を働きかけてくれたゼミの担当教授。息子の不注意こそが事の発端であるにも関わらず、一度もとがめずに見守り続けてくれた母。

個人的にも他学部の類似ケースを調べ、学長へのアプローチを試み(ただし未遂に終わる)、解決の糸口になりそうな書物を図書館で探し、論点を整理した「意見陳述書」をまとめて学部側に提出するなど、まるで裁判みたいに力を尽くして「逆転無罪」を待ちました。が、ここまで頑張れたのも、かけがえのない仲間がいたからです。

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社会学のスタンスは常識を疑うこと

映画の結末については、ここでは語らないでおきましょう。もしも「作品は観たことないけれど結末だけは知っている」という人も、そこに至るプロセスをぜひ見届けてみてください。本作はただのエンターテインメントに留まらず、痴漢冤罪の実態を周知し、司法制度への理解を深め、司法そのものに挑戦状を叩きつけ、信念を貫くことの困難さと大切さを教えてくれる名作ですから。

最後に個人的な「大学卒業をめぐる顛末」のエピローグを述べてから、本稿を閉じることにしましょう。結局、大学卒業は叶いました。例外を認めず規則を守り通すのか、ひとりの学生を救うのか。臨時教授会で激論がかわされたそうで、単位不足の留年決定から一転、晴れて社会に送り出されることになりました。

「一度認めた単位の読み替えはしない」という規則はただ慣例になっていただけで、見直しをするいい機会になったこと。単位認定方式が異なる学部間の連携が取れていなかった点に一石を投じたこと。「これはおかしいのではないか」と疑問に思い、学生があきらめずに勇気をもってぶつけたこと。これらが99.9パーセントあり得ないと思われた逆転卒業につながったようでした。

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当時の学部長からは、最後にこんな激励の言葉をかけてもらいました。

「社会学のスタンスは常識を疑うこと」

このままでは社会で通用しないかもしれない未熟な学生に、まるで最後の卒業試験を課されたような事案でしたが、この一言で救われました。これまで学んできたことを身をもって実践したと評価され、胸がいっぱいになりました。神学部もあるミッション系の大学でしたが、神様の前に「人」がいて本当によかったですし、今でもこの大学を卒業できたことを誇りに思っています。

もっとも「多めに単位を取っておけよ」と言われたらそれまでなのですが、僕のような人間が世の中にたくさんいる事もよく分かりました。当時ネットで詳細をレポートしたら「私も同じ目に遭って困ってます」と、助けを求めるメールがたくさん寄せられて、励ましのお返事を何通も書きましたっけ。あの方々、その後は無事に卒業できたのでしょうか。

ともあれ、みなさんも何かに立ち向かい、仲間に支えられ、信念を貫き通したことはありますか?

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文:松岡厚志
1978年生まれ、ライター。デザイン会社ハイモジモジ代表。ヨットハーバーや廃墟になったプールなど、場所にこだわった映画の野外上映会を主催していた経験あり。日がな一日映画を観られた生活に戻りたい、育児中の父。
イラスト:Mazzo Kattusi

編集:鈴木健介

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