【きみはそれでいい】ソフトバンクが東北の高校生をUCバークレー校へ招待し続ける理由

東日本大震災から5年。被災地以外での災害に対する人々の関心が風化していくなか、ソフトバンクグループ株式会社は、岩手・宮城・福島の高校生を米国カリフォルニア大学バークレー校で行われる3週間の集中セミナーに無償で招待し、グローバル・リーダーシップと地域貢献を学ぶ「TOMODACHI ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」(以下、TOMODACHIプログラム)を10年間継続して行う予定だ。同プログラムは、在日米国大使館と米国の非営利公益法人米日カウンシルと共に2012年から毎年夏に行われている。

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このプログラムの継続を決めた背景には、同社社長の孫正義氏自身の強い思いがあった。地元・福岡で、悶々とした少年時代を送っていた孫氏が、米国カリフォルニア州へと初めて渡ったのが15歳の夏。帰国後、地元の高校を中退。サンフランシスコにある高校へ転学後、飛び級制度を利用して、わずか2週間で卒業。カレッジを経て、編入したのがアメリカきっての名門校、UCバークレー校だった。在学中、音声機能付き電子翻訳機をシャープに売り込んで得た資金を元手に起業し、世界的な成功を収める礎を築いたのは有名な話だ。

そんな孫氏の座右の銘は「志高く」。境遇は違えど、突然の巨大災害に遭い、苦難に直面していた東北の高校生たちに、かつての自分の姿を重ね合わせたという。

16歳の時に渡米し、新しい文化やライフスタイルに触れたことで私の人生は変わりました。挑戦することで未来を変えることができます

同プログラムではどのような学習が行われているのか。また、孫氏のDNAを受け継いだ卒業生たちは、震災から5年経った今、何を思い、何を志しているのか。立ち上げから携わってきた堀田真代さんと、今年度から堀田さんの任務を受け継いだ佐々木梨乃さんに話を聞いた。

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▲4期生とハイチーズ。向かって一番左が堀田真代さん、一番右が佐々木梨乃さん

自分の通った道を、被災地の高校生たちにチャンスとして提供したい

――TOMODACHIプログラムはどのように始まったのでしょう。

堀田:震災から間もなくしてから、孫と当時の駐日米国大使、ルース氏の対談がありました。その際に、「日本人は英語力が低いため、外国人と対等に戦えていない。ならば、全員留学をする仕組みを作ればいい」といった意見が出ました。その後、二人の間で、孫の母校であるUCバークレー校へ、被災地の高校生たちを無償で招待するというプランへと具体化していき、2012年2月3日に発表しました。TOMODACHIという名称は、日本と米軍が一緒に復旧支援をした「トモダチ作戦」からきています。

このプログラムが実現した背景には、何より孫の強い思いがありました。在日韓国人として育ち、貧困や差別を経験しながら、フラストレーションの中にいた孫は16歳で渡米したことで、新しい文化に触れ、自分の可能性を見出し、人生が大きく変わりました。人それぞれ困難のかたちというのは違うものですが、自分が経験した困難と、突然起こった東日本大震災の中で困難を抱える高校生を重ね合わせ、自分が通ってきた道を、被災地の高校生たちにチャンスとして提供したいというのが一番の理由でした。

 

――希望者はすぐに集まったんですか?

堀田:岩手・宮城・福島の高校生を集めたら、10万人は超えるはずなのに最初はほとんど集まりませんでした。教育委員会にお願いして学校にポスターを貼ってもらったり、新聞に広告を出したりもしたのですが、反応は鈍く、あせりました。

情報が到達していない、親や学校の先生に反対された、不安があるなど、考えられる理由は多々ありましたが、とにかく締め切りまでの1カ月半はほぼ東北に張り付きで、沿岸部にある高校を50校くらい自分の足で回り、地元のコンビニやスーパーにもポスター貼りをお願いしました。

そうこうするうちにどんどん応募者が増えていき、最終的には300人の枠に対して、2000人を超える応募がありました。

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 選考基準は「夢を持ち、経験を生かして飛躍できそうな子」

――2000人から300人を選ぶのは大変そうですが、選考するうえで重視した点は?

堀田:孫はよく「志高く」と口にします。なので、このブログラム自体、夢を追いかけ、夢を見つけるきっかけになってほしいと思い、夢を持っていそうな、この経験を生かして飛躍できそうな生徒を選びました

募集してみて初めてわかったことですが、多くの高校生たちが、世の中にどれくらいの職業があるのか、自分はどれくらいの可能性を秘めているかを知らないんです。約6割の子たちは、教師や保育士、医者や看護士など、自分の身近にある職業を「夢」に書いていました。そのことに正直驚かされて、それがのちに、ベイエリアで活躍する日本人の方々を集めて、自分が生きてきた道を語ってもらうキャリアセミナーへとつながりました。

――日本の教育とどこが違うのでしょうか。

堀田:TOMODACHIプログラムでは、日本でいうところの建築学部の町づくり科で、リーダーシップと地域貢献をかけあわせた教育を生徒たちは受けます。同プログラムは、UCバークレー校のデボラ・マッコイ教授が10年以上前から提唱している問題解決型のワークショップY-PLAN(Youth-Plan, Learn, Act, Now!)を利用しています。

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▲堀田さんとデボラ・マッコイ教授

日本は受け身授業が多いですが、Y-PLANでは、リサーチ、分析、ディスカッション、プレゼンテーションといった、自ら考え、能動的に行動しなければならない課題が与えられます。高校生たちが出す意見の多くはシンプルではあるものの、東北の復興のための重要な課題がたくさん盛り込まれていました。「自転車をこいでいると毎日釘が刺さってパンクする」、「電灯が津波で流されて夜になると真っ暗」、「仮設住宅に住むご老人が病院が遠くなり通うのが大変そう」といった意見です。

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――高校生たちによって、堀田さん自身が気づかされたことはありますか。

堀田:1期生の生徒たちを観察していると、渡米後数日間はどの子にも困惑や疲れが見え隠れしていましたが、5日目くらいからパラパラと私のところにくる生徒が出てきて、「この学びを何に使えばいいんだ」と言い出したのです。

当初は1年限りのプログラムとして進めていたので、2年以上継続することは考えてもいませんでした。けれど、あの子たちの声を聞いて、「ここで終わらせてはいけない。東北に帰ってからも続けなくてはいけない」と私自身が奮起しました。というのも、東北には課題がたくさんあったからです。授業でも、授業外でも、生徒たちは東北のことを語り合っていました。当事者意識の高い子たちが自然と集まってきていたんですね。

「何かをやりたい」という子たちには、「じゃあ、何かを始めてみればいいんじゃない」と答えました。2週間目くらいから、自然とチームが構成されるようになり、そのチームが帰国後のアクションへとつながりました。

TOMODACHIプログラムの高校生たちが企画した最初のプロジェクトが、HISと組んで開催した福島県いわき市のツアー、TOMOTORA(TOMODACHI Travel Agency)です。自分たちでコースを考えて、協力者を集めていく。その行動力と変化に、私自身が驚かされました。粘り強く最後までやりきった彼女たちと、今でも交流は続いています。

 

8,568通り、あなたはどのタイプ?

夢を実現するために原動力となるのは“仲間”

――ショックな出来事があると、夢への一歩を踏み出すことができず、途中でくじけてしまうことも多々あります。高校生たちは、それをどのように乗り越えていったのでしょう。

佐々木:人が夢をもって、「やるぞ」と動き出すときには、いろいろなきっかけがあると思います。彼らを見ていて私が特に感じるのは、互いを活気づけることの大切さ夢を実現するための鍵があるとしたら、それは“仲間”だと思います。

震災でお母さんが亡くなりました。家を失いました。お父さんが東電で働いていました。このプログラムに携わっていると、さまざまな声が聞こえてきます。人との距離や、コミュニケーションの取り方がうまくない高校生も少なくありません。ただ、そういう子でもプログラムの最後には、みなと一緒に「帰りたくない」と言って、泣くのです。「なぜ?」と聞いてみると、「この場では語ってもいいと思えた」と答えます。

震災に遭って、みな大変そうだけど、その中でも大変さの内容は違っていて、学校が必ずしもそれをオープンにできる環境があるとは限りません。彼らなりに周囲に気を遣っていて、聞いてほしいことがあっても、「自分よりつらい経験をしたひとがいる」と口を閉ざしていることが多いからです。

それが、環境ががらりと変わり、地元のしがらみから解放されることで、肩の荷を下ろすことができます。学生寮に戻り、夜な夜な友人たちと語りあう日々が続き、ある種、ピア・カウンセリングと似たような環境を得ることで、自己開示のきっかけをつかんでいるように思います。

堀田:デボラ・マッコイ先生が言っていたことで一番印象に残っているのは、「郵便番号(生まれ育った場所)によって人の生き方は変わる」ということ。それは研究でも明らかになっていて、だからこそ彼女はその状況を変えたいと思ってY-PLANを作りました。だからこそ、被災した子たちだからと特別に扱うことはありません。誰に対しても「まずはテーブルにつきなさい」と声をかけることからスタートする。そういう雰囲気もまた、自己開示がしやすい環境を作っていると思います。

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東北に夢を、活気を、変化を

――自分の可能性を見出すために、なぜ海外へ行くことが有効なのでしょう。

堀田:外国の良さを理解すると同時に、外国を訪れたことで、初めて分かる地元の良さもありますよね。東北の食べ物はやっぱりおいしいとか、家族の大切さだとか。また、バークレーやベイエリアは、ケース・スタディを行うには良い環境だと思います。

佐々木:デボラ・マッコイ先生の高校生たちとのかかわり方の特徴として、徹底したエンパワーメントがあります。「あなたはそのままでいいし、それでいい。あなたの強みをここで出しきりなさい」と言われ続ける環境下で、大きな自信をつけ、高校生たちは日本に戻ります。その経験が、何か新しいことをしようとした際に出てくる外部的な圧力を跳ね返す力になるのではないかと思います。

日本だと、行動に移す前から「これはやるべきではない」と言われてしまうこともあり、「あなたはそれでいいよ」と自己肯定してくれる場所は、なかなか得難いのでは。特に私たちのプログラムでは、多様な子たちが集まりやすいので、その子たちが肯定される場を得ることは、彼らの力になっているのではないでしょうか。

――この5年間での一番の変化は?

佐々木:最近は、TOMODACHIプログラムに参加した先輩たちの背中を見て、憧れて応募してくる子たちがずいぶんと増えました。すごく身近に、自分が憧れるロールモデルが存在するのは良いことです。大きな学びを得て、地元に戻った生徒たちが、このプログラムに参加していない子たちを巻き込んで、地域貢献のためのプロジェクトを立ち上げている。私たちが機会を提供できるのは、10万人中の数百人ですが、その子たちがマインドを広げてくれたら、それが数千人、数万人へと増えていく。そして、いつかは10万人に影響を及ぼすことができるような種を植えてあげられるんじゃないかなと、しみじみ思います。

堀田:このプログラムのミッションは「東北に夢を、活気を、変化を!」です。この5年で、活気をつけるところまでは来ることができたのではないかと。その経験を踏まえて、何か仕組みを変えるというところまでいったら変化になります。今では大学生や社会人になった1期生(2012年参加生)、2期生(2013年参加生)が新しい参加生をサポートするメンター構造ができつつあります。これは「変化」と言ってよいのではないでしょうか。

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これまでの5年、これからの5年

――TOMODACHIプログラムの今後5年間の目標は?

佐々木:これまでの5年間は、震災によって失われたものを取り戻していくという意味合いが強かったですが、去年あたりから、「震災」というキーワードが薄まりつつあるように感じています。

というのも、去年プログラムに参加した4期生たちは、震災があったときはまだ小学生。守られる対象だったので、むしろ震災の影響を見ずに育った子たちが多いんです。それに対して1期生の子たちは、震災時に中学生や高校生で、ある程度おとなの入り口に立っていました。そのために、自分の故郷が大変な状況であった感覚を強く持っている。
今後、同プログラムに参加する生徒は、震災後の社会を当たり前として育ってきた世代です。震災によって失われたものを取り戻すというより、今、目の前にある社会課題との向き合い方を学びたいと思っている子が増えています。こういう場にくる高校生は、共通して「自分のことや社会のことを話したい」と口にするんですね。学校でそんなことを話したら「意識高い系(笑)」というラベリングをされてしまうから、学校では話す気になれない。でも、そういう自分が本当は嫌で、変えたいんだと応募してくるのです。

こうした高校生の声というのは、今の日本の生きづらさをすごく象徴しているように思うんですよ。日本社会全体の縮図が、東北にぎゅっと凝縮されているというか…。夢や希望を語ると鼻で笑われるのではないかと思ってしまう。そんな現状を跳ね返す力をつけたいと考える子たちが、今後もっと増えてくることでしょう。そういった人材をつくるのが、私たちのミッションだと思っています。

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“縦の関係”を深めるために―有志の実行委員会で同窓会を実施

3月中旬、ソフトバンク仙台事業所にて、TOMODACHIプログラムの同窓会が行われた。1期生から4期生まで約30人が集合。すべての運営は、有志で集まった実行委員が行い、アメリカ時代を思い出す昼食(ピザ)の手配や、リーダーシップやチームワークを養うゲームなどが行われた。

 

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こうした同窓会を通じて、卒業生たち自ら“縦の関係”を深めるよう注力している。プログラムを通じて、どのような変化があったのか。卒業生たちに聞いた。

 

・はるなさん(1期生)

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TOMODACHIプログラムを知ったのは、いわき市内の中学校40校を対象に行われた「生徒会長サミット」の場でした。当時しばらく外出できなかったモヤモヤもあって、それを発散する場所がほしいと思っていました。

初めて降りたったベイエリアの印象は、「空が高い」、「とにかくでかい」、「大地が広い」。人が集まることにより、仕事が生まれ、経済が豊かになる、といったことを、プログラムでは学びました。

いわき市は元来、すごくかっこいい場所で、すごくかっこいい人が大勢いるのに、悲観的なニュースばかりが報じられていることに当時は不満を持っていました。その現状を変えたくて、かっこいい「いわき」を全国の人に知ってもらいたいと、HISの社員研修の場で、高校生の私たちが考える「“かっこいい”いわき」に出会うことを目的としたツアー企画、TOMOTORAのプレゼンをさせてもらいました。

地元では有名なジャンボシュークリームの実物を持っていき、「いわきには、こんなにでっかい名物があるんです!」と、とにかく声を張り上げたら、社員さんたちがどっと笑ってくれて、プレゼン後は社長さんがじきじきに話を聞いてくださいました。

準備過程で一番つらかったのは、会議にくるメンバーが2人まで落ち込んだときです。でも、その際にずっと行動を共にしてくれていた仲間のひとりが「やる気ないなら、こなくていい」とみなに言ってくれたおかげで、コアメンバーが定まった。私はそういう発言をすることができないので、彼がいてくれて助かりました。コースを自分たちで考え、協力者にも自分たちで交渉しました。復興商店街にも協力を請いました。ツアーの募集をかけて、あっという間に満席になったときは、本当にうれしかったです。

大学生になった今、同ツアーは後輩に引き継いで、時に相談にのっています。とはいえ、必ずしも後輩たちに自分たちと同じことをやってもらいたいとは思っていません。彼女たちは彼女たちのやりたいことを貫けばいいし、できる範囲で彼女たちの夢を後押ししてあげたいと思っています。

 

・けんやさん(2期生)

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プログラムへは、震災後、何かやりたいけど、何もできずに悶々としていた自分を変えたくて応募しました。地元にいると、周囲から「安定」を求められることが多いのですが、自分自身は「変化したい」という気持ちが強かったし、今でも強いです。

向こうで一番衝撃を受けたのは、自分と同い年の人たちが、すでに起業していて、やりたいことをやっていたこと。自分は前もって考えることがすごく苦手で、日本にいるときはそれがネックだと思っていたんですが、活躍している人たちは、決まって「考えるより、まず行動」と言っていました。その言葉に背中を押されて、帰国した次の日に、仮設住宅へ行って聞き込みを始めました。

その後、自分で考えたビジネスプランを持って、尊敬する実業家に「会ってください」と掛け合って、会う機会をいただけたのはいいけれど、めちゃくちゃダメ出しをされて、へこんだりもしたのですが、自分のアイデアを口にしているうちに、地元農家の人たちの協力を得て、TOMODACHIファームを立ち上げることができました。他県の方にいわきの安全な野菜を食べてもらったり、農家の人たちとの交流、収穫体験やワークショップなどの体験イベントを行うものです。

昨年、地元の自動車会社に就職しましたが、会社の秋祭りで上司にかけあって、TOMODACHIファームで出会った農家のひとたちに出店していただきました。こういった活動を、今後も続けていきたいと思います。

 

・けいすけさん(2期生・3期生)

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アメリカへ行ったのはごく単純な理由からでした。ずっと部活ばかりやっていたので、ほかのことをやってみたいという好奇心でした。一番の変化は、一緒に行った100人の仲間や、セミナーを通して出会った大人たちを見て、「夢を持って行動しているひとはすごくかっこいい」と素直に思えるようになったことです。

ただ、1回目の渡米では、大きな挫折を経験しました。友達と夢を語るうち、「よし、やるぞ!」と、ある計画を実行しようと周囲の人たちに声をかけたのですが、人がなかなか集まらない。自分が思った通りにいかないもどかしさや自分自身へのふがいなさで、いっぱいいっぱいになりました。そんなときに「どうしたの」と、向こうのスタッフの方に優しく声をかけられて、思わず「うわぁー」となりました(泣)。

翌年、先輩高校生の枠へ応募したのは、1年目に感じた気持ちを再び思い出したかったからです。地元へ戻ると、僕が見てきた世界を知らない人ばかりで、徐々に周りに流されて、合わせてしまっている自分がいたので、1年前はどういう気持ちだったのかをもう一度確かめようと思いました。あとは自分が挫折したときに周りから助けられた経験から、今度は同じような子がいたときに自分が助ける立場にまわりたいという思いもありました。

これから就活が始まるのですが、自分がこのプログラムでもらったようなきっかけを、僕も誰かに与えられるような、そんな仕事や活動に関わりたいと思っています。

 

・ゆめかさん(4期生)

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向こうへ行った理由は、進学校へ進んだものの、受験で燃え尽きてしまって、部活も入って1ヵ月でやめてしまうし、これといった趣味もないし、「楽しくない」現状を変えたかったからです。自分を持て余していたので、なんとかしたかった。

帰国後は、地元でボランティア団体を立ち上げて、小学生のダンスコスチュームショーを企画したのですが、学校のテスト期間に入り、おとなの人たちが思うタイミングや考えとずれてしまって、企画倒れになりました。

大学受験もあるし、時間もないのですが、このまま何もやらないままなのは悔しいです。企画倒れになってしまった要因をしっかりと洗い出して、よい要素は残しつつ、新たな企画を考えたいです。

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取材・文・写真 山葵夕子

 

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