【まだ東京で心すり減らす?】心地よく暮らしたい人のための「半農半X」という選択

 仕事ばかりで家族と過ごす時間がない。いくら働いても年収が上がらず、生活の質がよくならない。そんな「仕事」や「年収」に重きを置く価値観が、東日本大震災以降、変わりつつある。地球上で2割の人々が食糧難に苦しみ、日本の食料自給率が40パーセントを割って、将来的にお金があっても食料が手に入らないといわれる時代。東京から地方へ移住し、新たに農業にチャレンジする若者が増えている。

 なぜ今、農業を始める若者が増えているのか。農業をやりながら、「自分らしく」生きる術とは? 自分たちが食べていくぶんだけの小さな「農」と、自分の好きなことややりたいことを両立していくライフスタイル「半農半X」を20年前から提唱している塩見直紀氏にお話を伺った。

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塩見直紀氏

1965年京都府綾部市生まれ。フェリシモを経て、2000年、半農半X研究所を設立。21世紀の生き方、暮らし方として、「半農半X」を提唱。個人や市町村の”X”をデザインするための講演やワークショップを国内外で行う。総務省地域力創造アドバイサー。『半農半Xという生き方』(ソニー・マガジンズ、2003年)は、台湾や中国でも出版されている。

農的暮らしを実践しつつ大好きなことを追求する「半農半X」

 半農半Xとは、1994年頃から私が提唱している生き方です。この言葉には2つの方向性が示されています。ひとつは人生において農を重視し、持続可能な農のある小さな暮らしを大切にする方向、もうひとつは与えられた天与の才を世に生かすことにより、それを人生の、社会の幸福につなげようとする方向です。

 少しでも自給を試みる生活をしながら、自分の大好きなこと(天職)を同時に追求し続けるといった意味を指す、「半農半X」ということばが誕生したのは28歳のころでした。大学卒業後、サラリーマン生活を送っていたのですが、運良く社会人1年目から環境問題に取り組む機会を得ました。世の中はバブル絶頂期でしたが、これまでの日本の生き方や暮らし方を変えないことには明るい未来はやってこないと危機感を持ち、さまざまな本を読んだり、ワークショップに参加したりしていました。

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▲台湾で種まき体験。大学卒業後に若い世代が有機農業を学んでいる。写真:半農半X研究所

 中でも衝撃を受けたのが屋久島在住の作家であり、翻訳家でもある星川淳さんの著書「半農半著」(エコロジカルな暮らしをベースにしながら、執筆で社会にメッセージを送る生き方)。当時の私は夢や目標も定まらず、得意なことも何もありませんでした。「何もない私」は、ふと思い立って半農半著の「著」の文字を、「何もないけれどそれでも生まれてきた意味があるかもしれない」と、「未知数」を指し示す「X」に書き換えてみました。すると、ぴたりときたんです。

 今は自分の役割や使命が分からなくても、未知数を示す「X」を置くことで、自分にも何かできるのではないかという気分になりました。そして、周囲を見渡すと、同じような仲間が大勢いることに気づきました。

 これまでの日本は、すべて足し算、足し算できています。しかし、気候が変動し、人口がさらに増加する世界で、食料自給率の低い日本がどう食べていくか。たとえお金があったとしても食料を買えるのか、という課題を考えると、すこしでも自給を試み、自給自足で自分や家族が食べる分の食料を確保しつつ、天命を全うするという、引き算型のシンプルな暮らしにシフトしていくほうが、むしろ自然だと感じています。

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農的暮らしで謙虚さと家族との時間を取り戻すー「家族協働」

 稲作りをする一番のメリットは、謙虚さを取り戻せることだと思います。今はようやく天候が安定してきましたが、今年は雨が多かったので、田んぼがぬかるんでいて稲刈りに大苦戦しました。雨が降り続けば太陽が恋しくなるし、逆に日照りが続けば、雨が恋しくなる。人間の思う通りにはならないことを、稲作りは日々教えてくれます。人間中心主義の考えを否応なしに改めざるを得なくなります。

 稲作りのもうひとつの大きなメリットに、家族全員で助け合える環境があります。三世代、四世代が一緒に住むことが、家族の最高のあり方だと私は思っています。

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稲刈り風景。家族で自給チャレンジをする「1000本プロジェクト」写真:半農半X研究所

 事実、稲作りがさかんな北陸地方は、そういう世帯が多く、幸福度も高いと聞いています。お母さんが働きやすく、介護も子育ても夫婦共同、家族が一緒にいる時間が長く、子供たちが祖父母の死を看取ることもできます。

 日本は宝物だらけの国です。小豆島は野菜が豊富にできる村で、「余ったものを食べてあげることが貢献」という文化があり、おすそ分けがさかんに行われています。私が暮らす綾部でも、採れすぎた野菜を近所の人が玄関の前に置いていってくれ、食べ物には困りません。欧米には食べられる自然素材が3,000しかありませんが、日本には4倍の12,000もあると言われています。

 このように、少しずつでも小さな「農」を生活に取り入れることのメリットはたくさんあります。とはいえ、最初から100パーセントを目指す必要はありません。完璧を目指すのではなく、過半数の51パーセントでいい。そうすると自分のコントロール下にすることができます。するとストレスが少なく暮らせますし、癒しの中で生きられます。

自分の個性、特技、長所、役割を生かす「X」を探すー「使命多様性」

 特に都会暮らしの若者に多い、やりたいことが分からない。自分に自信がないという状況は、必ずしも悪いことばかりではないと思います。自分に自信がないからこそ、もしかすると自分にもミッションや天職があるのではないかと考えて、模索する。そこに仲間を見つけて、みなで前進できるヒントがあります。

 私自身、自分の「X」、つまるところ天与の才を模索しながら20年間この生活を続けてきて、今では半農半Xという生き方を伝えること自体が仕事になりました。この言葉が生まれたことによって私は救われたので、今後もコンセプトにこだわりつつ、世の中を言葉で動かしていく活動を続けていきたいです。とはいえ、長文は苦手なので、もっぱらキーワード派。頭にスーッと入ってくるキーワードを散りばめた文章で半農半Xの生き方を伝えていく。それが私の「X」だと、いつしか思うようになりました。そのせいか最近、すぐXに見えるものに反応する癖がついてしまったんですよ(笑)

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「X」が定まらないときは、場所に着目して好奇心磨きをー「場所性」

 昨年の6月から毎月東京へ来ては講演やワークショップをやっているのですが、「自分の住むべき場所がどこだかわからない」という声をよく耳にします。これが地方だと、「滋賀、大好き」、「富山、大好き」と、郷土愛に内包された若者たちとの出会いが多いのですが、東京はさまざまな場所から人が寄せ集まっているせいか、「特に好きじゃないけど、住んでいる」という人の割合が高い印象です。

 「場所が決まれば修行が決まる」という先人の言葉があるように、自分が、どの場所に根を下ろすかということは重要で、私はそれを「場所性」と呼んでいます。自分の住む場所が決まらないということは、自分の根っこが決まらないということと等しい。植物の「たね」の「た」は、たくさん、「ね」は、根っこという意味があるのですが、その根っこが張っていないと、植物は容易に倒れてしまいます。人間もまさに同じなんですね。

  最近は地方(田舎)に住んでいても農業もやらない、味噌もつくらない人も増えています。テレビやインターネットから都会と同じ情報を得られるようになって、田舎と都会の大差がなくなり、都会が全国化している印象です。

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 自分の居場所やXを探したいけれど、何から始めたら分からない。そういった人たちに僕が推奨しているのは、自宅から3キロ圏内で行う宝物探しです。自分の住んでいるところから半径3キロ圏内を特別の場所にする。土日に散策するだけでも、確実に感受性が磨かれていきます。その時に持参するツールは、カメラ機能のあるスマートフォンで十分です。都心にあっても、緑や植物に触れつつ、自然からいろいろなことを学び、自分を癒しながら、食べ物も得ながら、自分を取り戻す生活というのは可能です。都会にいても、意識さえして、緑の中に身を置いたり、緑を見つけようとすれば、自然と心が癒され、感受性が磨かれていきます。すると、自分の住んでいる場所が好きになって、Xも見えて来るようになります。

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▲草刈り&思索。胸のポケットにはペンと紙を入れて、ひらめきをキャッチ。写真:半農半X研究所

 最近、綾部を訪ねる中国人の方たちも写メを楽しんでいます。私のもとを訪れる方たちは、いわゆる「爆買い」をする方たちとは違っていて、”小清新”と呼ばれ、シンプルで、清らかで、新しいライフスタイルを目指す人たちです。その人たちが何を撮っているかというと、自分の足と雲と電線(笑)。先日、台湾大学に留学している中国人の大学生が綾部にやってきて、一輪差しの野花の絵を描いていたんです。日本の侘び寂びをしっかりと理解していて、ハッとさせられました。もちろん、13億人もいるので、そんな人ばかりではないでしょうけれど、彼のような若者がいることは希望だなぁと思いました。

自分の「X」を見つけたら独占せずに分かち合おうー「1人1研究所国家」

 今はとかく「グローバル化」がよしとされる時代ですが、世界に目を向けることで、かえって自分の存在意義ややりたいことが分からなくなり、悩んでいる方もいらっしゃいますね。

 綾部を訪ねてきた若者に一度、「塩見さんはご自身のやりたいことや居場所を狭めすぎなんじゃないか。世界はこんなに広いのにもったいなくないですか」と言われたことがあるのですが、私自身は狭めたことによって深みを得たと感じています。

 世界を追い求める、いわゆる”all go”もよいけれど、それによって結果的に何も得られなかったり、道を見失ってしまったりすることもあります。逆に何か抜きんでるものを持つことで、それを軸に広がりを持たせていくという考え方もありますよね。

 都会で「研究所」と耳にすると、大企業の付属機関のようでどこか重々しく感じますが、この国には個人が設立したバラエティーに富んだ「研究所」がたくさんあって、そこから生まれたのがこの「1人1研究所」という言葉です。下関で出会った「腹話術研究所」は、定年した男性が腹話術を独学して、ボランティアでその成果を施設で披露している。舞鶴には個人の「卓球研究所」があり、大阪には「心の使い方研究所」があります。

 小学生の頃、自由研究が好きで、何か「研究」をして提出すると先生からシールがもらえて、うれしかった記憶があります。各々が感性を磨くことで自分の研究を高めて、独占せずに他者と分かち合えば、すばらしい国家ができると思います。

事例1:草刈正年さん(筆文字アーティスト・京都府綾部市在住)のケース

 最初に半農半Xを知ったきっかけは、まだ東京にいた頃で、『降りてゆく生き方』という映画を自主上映した際にそこにいた人から聞きました。それから2年後、知人の紹介で東京に講演会でいらしていた塩見直紀さんにお会いしました。半農半Xを知ってから、まず千葉で空いた畑を見つけ、『つくるんだ村』という農業体験施設をつくりました。 その後に、和紙職人とのつながりで綾部へ移住しました。

 半農半Xを知ることにより、「なくなる恐怖」より「自分でつくる希望」が勝るようになりました。食べ物を自分の手でつくることで、東日本大震災以降に抱えるようになっていた「食の中身の不安」も、「自分でつくれるという希望」となりました。

 半農半Xは不安をなくし、希望を人生に与えてくれます。サラリーマン時代は、コンビニ食ばかりを食べて身体を壊し、何もかもが不安でした。今、幸せなのは半農半Xのおかげです。

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▲綾部の村の風景。旧丹波国の里山が広がる 写真:半農半X研究所

事例2:岩瀬和雅さん(経営コンサルティング会社勤務・愛知県名古屋市在住)のケース

 私にとってのXは、仕事を通して人と関わり、中堅中小企業の成長を応援することです。半農半Xを知ったのは39歳の時。書店で塩見さんの本を見かけたのがきっかけです。半農半Xというワードに興味をひかれたのを覚えています。とはいえ、農はまったくの素人でしたので、三重県名張市にある赤目自然農塾に通って学ぶことにしました。

 私は現在も都会で暮らしていますので、自然豊かな赤目自然農塾に行くと、ほっと安らぎを感じます。農を学び実践する中で、自然に触れ、米や野菜、植物や昆虫などの様子で季節の移り変わりや生命の営みを身近に感じることができるようになりました。

 一方、私にとってのXは、経営コンサルティングという仕事です。お客様にお金をいただきながら、「ありがとう」と言っていただける職業です。人とかかわりながら、自分自身も成長し、社会貢献していきたいです。

取材・文=山葵夕子  撮影=前田賢吾(L-CLIP) 

取材協力=半農半X研究所

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