20代から50代まで、年代とともに変わっていった僕の仕事観

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Photo by Thomas8047

 こんにちは。

 長い会社勤めのあと、ICHIROYAというアンティーク・リサイクル着物販売の会社を10年以上経営し、ブログも書いているイチローです。

 すでに55歳で、四捨五入すると60歳という年齢になりました。どうやら世間的にはシニアと呼ばれるらしく、また、たしかに僕は、生物学上では「お爺さん」かもしれないのですけど、本人はあいかわらず意気軒昂で、自分の人生がそろそろ終了かもしれないという考えは、これっぽちもありません。

 ただ、たしかにブロガーの集まりなどに参加させていただくと、周りは自分の娘のような年代の人ばかりで、「イチローお父さん」などと呼ばれ、嬉しいやら恥ずかしいやら、少し複雑な気持ちになります。

 さて、リクナビNEXTジャーナルさんへの寄稿も7回目になりましたが、今回は「年代ごとに変わっていく仕事観について」書いたらどうか、というヒントをいただきました。

 僕は世間的に何かを成し遂げた人間ではないので、若い人たちに何かを伝えることは難しいですし、書いたところで受け入れていただけるかどうか、ちょっと疑問に思うこともあります。

 おなじイチローでも、イチロー選手の仕事観を聞かれるほうが、よほどためになると思います。

 ただ、若い方のブログなどを読んでいて、ああ、たしかに僕が若いころに悩んでいたようなことを、いまの若い方もそっくり同じように悩んでおられるのだなと感じることも多いのです。

 逆に、僕が若いころには、今の僕のような年齢の会社人がどんなことを感じて仕事をしているのか、想像することはとても難しかったのです。

 そう考えると、僕のなかで年代別に、仕事に対する考え、仕事観がどんなふうに変わっていったか書いてみることは、若い人たちにとって、幾分かでも役に立つのかもしれないと思うようになりました。

 ただし、僕の仕事観の変遷は、イチロー選手のように、若いころから何かの目標を一途にめざし、それを実現してきた過程で生まれたものではありません。すでにそういう道を歩んでおられる方には、ほとんど意味のないものかと思います。

 僕の場合は、やるべきことはみつからず、適当な動機で入った会社に18年いて、なんとか自分の仕事や生きがいをみつけ、その後、会社を辞めてしまった、いわば迷走人生でした。

 もしあなたが今、そういう会社人生の途上にいるのなら。何者でもない自分を受け入れ、それでもそこからひとつひとつ必死に仕事を積み上げておられるような方でしたら、これからの僕の話は、将来を想像する上でいくらか役に立ち、また、気持ちを軽くするお手伝いになるかもしれません。

■ 20代『仕事は最短の時間で最高の給与をいただくためのもの』

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Photo by smlp.co.uk

 大卒で百貨店という業界に入った僕は、物書きになるという夢を捨ててはいませんでした。そのため、仕事というものは、なるべく短時間で多くのお金を稼ぐためにすることであり、それ以上でもそれ以下でもないと思っていました。

 「仕事を通じて成長する」とか「他人に奉仕してそれを自分の喜びにする」などということは、退屈極まりないことの繰り返しに過ぎない「仕事」というものに若者を従事させるための、出来の悪い嘘に違いないと確信していました。

 それでも、もちろん、同期との競争に駆り立てられて負けたくはないと思いましたし、同期や友達のなかで一目置かれたいと切に思っていました。

 入社後2年で結婚したのですが、妻はほぼ専業主婦になりました。そのため、家はエレベーターのない公団住宅の4階で、家族のためにささやかな車を買えば、そのローンも重く、もう少し給与やボーナスが欲しいといつも思っていました。そのためには、仕事で評価されるほかありません。

 自分は特別な人間だと思っていました。しかし、自分以外の人たちもそれぞれに特別な人間であるということには、深い理解をもっていませんでした。

 仕事は面白くなく、職場に目標としたり、憧れるような上司も先輩も、見つけることができませんでした。実は周囲にいたのに、仕事の本質を知らない僕が、そういう人に気がつかなかったのです。

 「僕にはきっと、もっとふさわしい仕事や場所がある」と本気で思っていました。だけど、何の自信もない僕は、転職をする勇気もありませんでした。

  

 なんだか、犯罪者の懺悔のような文章ですが、僕の20代の仕事に対する考え方を正直に書くと、このようなものになってしまいます。

■ 30代『仕事は自分を変えてくれるもの。仕事は自分の信念を形づくるもの』

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Photo by Andreas Levers

 売場のマネージャーを拝命し、自分が何者かであるどころか、何者でもなく、十数人のメンバーをまとめることもできない人間であることを思い知らされました。

 与えられた予算を達成しよう、売場のメンバーをまとめて目標に向かってもらおう、お客様に良いサービスを提供しよう。そう焦る僕のすべての行動は、部下の心に届きませんでした。

 僕という人間は、十数人のメンバーをまとめるリーダーにすらなれないのか、そういうマネジメントの資質がないように生まれついたのか、と悩みに悩みました。そして、若いメンバーの前で文字通り涙を流し、毎日のように転職を考えながら会社に行っていました。

 その後、マネージャーとして上からモノを言い、目標必達を叫ぶのではなく、まず、みんなの不満や不安を解消して、働きやすい職場にすることを最優先にし始めました。そうしないと僕は本当に、職場に居場所がない状況になりつつあったのです。

 みんなの声を真摯に聞く。みんなが不便に考えていることを解消する。働きやすい環境をつくる。問題が起きたときはメンバーを責めず自分が先頭に立って処理する。そういう、今から考えると当たり前のことを少しずつ始めました。

 1年半ぐらいで、僕はなんとかマネジメントのスキルを身につけ、会社へ行くのが苦痛ではなくなっていることに気がつきました。僕にもマネジメントができる! それは、とても大きな、嬉しい発見でした。

 このとき「仕事は自分の可能性を拡げてくれるもの」であることに、本当の意味で気がついたのです。

 また、物書きになる夢を諦めたことで、目の前のことに120%の集中力と好奇心で取り組むことを覚え、そのことが自分にもたらしてくれる「仕事の面白さ」に目覚めました。

 さらに、本当の意味で「自ら責任をとる、覚悟をする」ということがどういうことなのかを知りました。それ以前は、自分は会社や親やほかの誰かに守ってもらっているような感覚でいたのですが、マネージャー拝命以降は、自分や自分の家族のことは自分で守るほかない、世の中には完全に安全な部屋などないのだということを実感するようになりました。

 これらの過程で僕は、一般的には『信念』と呼ばれるものを、自分のうちに、骨のように形作りました。

 それは、たとえば、こういったものです。

  • 人はみな、基本的に、自分の職務を全うしたいという誇りと動機に満ちている
  • 現場の人たちが創意工夫をこらせるようにすると、トップダウンよりも大きな成果を生む場合が多い
  • ビジネスではときに壁にぶち当たるけれど、頭を絞りつくし、いろいろと試してみたら、どこかに必ず道を発見することができる

 これは僕の職業人生の支柱になり、その後も僕の働く意味や、判断の礎になりました。

■ 40代『仕事は自分そのもの。仕事は自分の信念を試すもの』

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Photo by David Howard

 僕は42歳で会社を辞めました。

 ですので、ほんとうのところ、わからない点もあるのですが、30代の終わりから40代前半にかけては、30代に育てた『信念』を試される時だったと思っています。

 その時期、僕は仕事に脂が乗り切っている時期で、高揚感と矜持をもって、毎日、高い目標に挑戦していました。僕という人間は、僕がどんな仕事をしているかということで、この世に表現できるのだ、と思っていました。

 仕事は、まさに自分のそのものでした。僕は生まれて初めて、容貌やしゃべり方の印象で僕に貼られてきたレッテルから自由になった気がしました。

 しかし、たまたま僕の勤めていた会社では、事業の効率化、リストラが強力に行われました。その結果、僕がそれ以前に信じていた『信念』や、こうあるべきということが、次々に否定されていきました。

 スタッフを信じて任せることで最大限の力を引き出したり、働く人たちのモチベーションをなるべく高く保ったりといった、僕が最も大切に思っていた『信念』を、リストラのなかで持ち続けることは困難でした。

 僕はそのタイミングで会社を辞めました。

 辞めるときは、本当に悩みました。職業人として自分がやりたいことをとるべきか、会社が進めている引き算に次ぐ引き算のような仕事を僕も担っていくべきか。

 会社で培った仕事観は、信念は、僕の職業人生を支えた支柱は、会社そのものによって否定されたてしまったように感じました。しかし、「頭を絞りつくし、いろいろと試してみたら、どこかに必ず道を発見することができる」という僕の『信念』が正しいならば、会社を去ったとしても「お客様のことを考え抜いて額に汗水垂らして頑張れば、きっと道はある」「自分で稼いでいくことができる」。そのはずです。

 本当に僕は正しいのか。

 僕は家族を路頭に迷わせずに食べさせていくことができるのか。

 40代の僕にとって、仕事とは、僕の仕事に対する信念の強さを試すものでもあったのでした。

■ 50代『仕事は自分が持って生まれたものや与えられた経験をもとに、社会に最大限のお返しをするためにするもの』

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Photo by Steve Bowbrick

 50代になると、20代のころより、野心は薄れてきました。また、人に対して寛容になり、できないことはできないと諦めの気持ちも強くなってきました。

 同じ年代の友の多くも、周囲や自分の夢との折り合いをつけ、お金や地位には執着が薄くなっているように思います。

 僕は小さな会社を経営して、こんな文章を書いたりしているのですが、現在の僕にとって仕事は、まさに「仕事は自分が持って生まれたものや与えられた経験をもとに、社会に最大限のお返しをするためのもの」です。

 僕らの年代では、残り時間が長くないかもしれない。だからその間に、なるべくお返しをしなくてはと思うわけです。といっても無尽蔵にお返しするのではなく、「この世界が自分に与えた資質や環境や運の分だけ、そうやってできあがった自分ができる分だけしかお返しはできません、それでいいでしょう?」という感じです。

 

 僕はもう、自分の小ささを嘆くことはありません(もちろん、たまにはありますが、その頻度は、若いころと比べるとほとんどないと言っていいほどになりました)。若い方から見ると「なんだ、古着屋になったのか」ということになると思いますが、当人は、案外、幸せで静謐な気持ちに満ちています。

* *

 僕の中で、歳とともに「仕事に対する価値観」や「仕事とは何かという考え方」は、このように変化しました。

 僕の体験が、ある程度は普遍的なものなのか、それとも僕固有のものなのか、はっきりとはわかりません。ただ、ひとつだけたしかなことがあります。それぞれの年代で、それぞれの動機に突き動かされて、必死で働いてきたわけですが、今となっては、それぞれの日々が異なる光で輝く大切な思い出になっている、ということです。

 もしこの記事を読んで、何か感じるところがあれば、ぜひ会社の先輩などに、働くことの意味が年代とともにどう変わってきたのか、訊ねてみてほしいと思います。

 そこには、きっと、それぞれの光で輝く、人生と仕事が織りなす物語があると思います。

 あなたは現在、どんな織物を織っているでしょうか。

著者:Ichiro Wada (id:yumejitsugen1)

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1959年、大阪府生まれ。京都大学農学部卒業。大手百貨店に19年勤務したのち、独立。まだ一般的でなかった海外向けのECを2001年より始め、軌道に乗せる。現在、サイトでのビジネスのほか、日本のアンティークテキスタイルの画像を保存する活動を計画中。

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