「美術の根源は多様性、だから最初から限度なんてつくらなかった」~大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ・北川フラム氏インタビュー

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作品:越後松之山「森の学校」キョロロ/手塚貴晴+由比  撮影:安齋重男

3年に1度の世界最大級の国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が、今年も越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)で開催される。

「人間は自然に内包される」という理念を掲げ、広大な里山を舞台に人と自然とアートが織りなす「大地の芸術祭」は2000年にスタートした。第1回から 32ヵ国148組のアーティストが参加し、約16万人の来訪者数が集った同イベントは、前回の第5回(2012年)では48万人の来訪者数となり、新潟県内の経済効果は46億円だったと公表されている。
とはいえ、人口7万人、21%以上が65歳以上の「超高齢化」の地域において当初は反対する声のほうが大多数を占めていたという。そんななか仕掛け人であるアートディレクターの北川フラム氏は、どのようにして人の心を突き動かし、それまで類を見なかった「地域全体が美術館」という概念を人々に浸透させていったのか。同氏に話をうかがった。

プロフィール

f:id:w_yuko:20150120152240j:plain北川フラム氏 アートフロントギャラリー主宰

日本を代表するアートディレクター。1946年新潟県高田市(現上越市)生まれ。東京芸術大学卒業。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」の総合ディレクター。長年の文化活動により、2003年フランス共和国政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。2006年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)、2007年度国際交流奨励賞・文化芸術交流賞受賞。2010年香川県文化功労賞受賞。 2012年オーストラリア名誉勲章・オフィサー受賞。
写真撮影:Junya Ikeda

面倒臭くて手間がかかって生産性がないものほど“つなぐ力”がある

――かつて「現代美術は都市のもの」という概念が主流であった日本で、なぜ越後妻有アートトリエンナーレのような屋外型のアートイベントをやろうと思ったのでしょう。
北川:越後妻有はもともと非常に厳しい豪雪地域です。政治的、経済的、社会的、宗教的、文化的にも日本の中のどん詰まりで、人が最後に行きつくような場所でした。そういう人たちの集合体ですから、外から人が来れば受け入れて、全員が食べていくために必死に農業をやる。そういった面で、非常にがんばってきた地域なんです。
ところが現代になって、便利さや効率化ばかりが優先され、その類のがんばりが大切にされなくなりました。すると越後妻有のような土地は過疎高齢化が著しく進み、農村という大きな文化が壊れてしまう。新潟に限らず、農村は日本のコミュニティの支えになっている場所です。それが壊されれば人も壊れるし、東京以外の日本の国土をどうやって守っていくかという問題も出てきます。

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作品:帰ってきた赤ふんどし/関根哲男  撮影:宮本武典+瀬野広美

厳しい風土の中で力強く生きてきたことは実に尊いことなのに、農村で生きている人たちは教育やメディアの影響からなのか、東京に対してどこか引け目があり、そう思わされている節があります。なので、そこで培ってきたことに誇りを持てるようになれば、地域も人も元気になるし、明るくなるし、次の展開も考えられるかもしれない。私は20年前、そういうことをやりたい、やるしかないなと思ったんです。冬は豪雪であるとか、夏は暑いとか、土地の魅力を十分に引き出すような仕掛けが必要で、それには美術が一番よいと思いました。アーティストなら土地の魅力を発見できるし、作品を作っていくうえで土地の人と交流もするから、人々の心も自然と開かれていく。何より、美術は写真ではなかなか伝わりにくい、その場へ行かないと分からないものですから、人を呼ぶ力があります。これが越後妻有アートトリエンナーレをやろうと思った一番の理由です。

そして、もうひとつは集落の存在。彼らにとってのリアリティは、つい50年前まで雪の中で生活するために共に支え合ってきた集落にこそあります。今も妻有には200ほどの集落が存在していて、イベントをやるにも効率化を優先して一ヵ所に人をたくさん集めればいいというわけにはいきません。ならば、この集落にこだわり、活かしたいと思いました。その結果が、今の越後妻有アートトリエンナーレのかたちとなっています。

広大な土地のうえに現代アートがあって、来た人はそこに感動を覚えてくれる。今ではリピーター率が非常に高い芸術祭となっています。また、現代美術なんていう、一見すると訳のわからないことをやっている都市の若者たちにこの地域の人たちと関わってもらったことによって、それまででは想像のつかなかった化学変化が起きています。赤ちゃんの周りに自然と人が集まるように、現代美術なんていう非常に面倒くさくて、手間がかかって、生産性がないものだからこそ、つなぐ力があった。

8,568通り、あなたはどのタイプ?

2000回の説明会を実施、人の心を突き動かすにはひたすら「好きだ」と言い続ける

――「地域全体を美術館に」という発想自体が当時としては斬新だったと思いますが、最初にその話をしたときの地元の人たちの反応はどうだったんですか。
北川:猛烈に反対されました。一番多かったのは、「そもそも現代美術とはなんぞや」という声です。芸術といっても、自分たちが考える彫刻や絵画とはまったく違うし、訳がわからないと言われました。もうひとつは、美術で地域おこしをして成功した前例がないという声。そんなもののために公費を無駄遣いするのか、うちのじいちゃんやばあちゃんを働かせるのかという反発は強かったです。

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作品:火の周り、砂漠の中/ファブリス・イベール  撮影:安齋重男

――農業をやっているところに「巨大オブジェで地域活性化を!」なんていう人が突然乗り込んでくるわけですから、幕末に例えるなら黒船ですよね。
北川:だから、当初は「アートはこういうものだ」という説明は一切しませんでした。「とにかくやりましょう!おもしろいよ」ってことだけを言い続けた。日記を読み返してみたら、準備に入った1996年から開催する2000年までの4年半の間で実に2000回を超える説明会をやっている。惚れた側の強みというか、とにかくしつこく「イイ!」と言ったら相手も憎からず思うでしょう。誰だって自分のルーツを好きと言われたら嫌な気はしないし、まぁ、やらせてやろうかという気にもなってくれるものなんです。半年前からですが、今も週5回は集落の説明会へ行ってます。すると、「やらせてやれや」とか「しょうがないな」とか、皆が言ってくれるんですよ。

――2000回って、それだけで尋常じゃない数ですよね。
北川:あきらめなかったってことだけで、一応は良しとしてくれたんだと思います。今では「よく来たな」と声をかけられるし、私自身が風景の一部になってきた(笑)。 とにかくやりだせば、いろいろなことがどんどん変わっていくものだし、その力が美術にはあります。人に動いてもらいたければ、とにかく相手の遊び心に火をつけることです。やることさえ面白ければ、人間の本能はそこにつながるし、そのためには考え方や価値観が違う人間をどんどん巻き込んで、ギャーギャー言いながら推し進めていく。逆に自分と同じタイプの仲間としか繋がらないでいると、人間というのは不思議なものでどんどん細ります。違う価値観の人と一緒にやるほうが実りは大きいし、「とにかくやらなきゃいけないので、やるべきだ」という信念を伝えれば、人は動いてくれるものです。その証拠に、いまでは美術が地域の課題解決の方法のひとつとして、当たり前のように思われています。

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美術の根源は多様性、だから最初から限度なんてつくらなかった

――2000年の第一回目で、32カ国から148組のアーティストと、16万人の動員数を集めています。初回から、この規模であることに大変驚きました。小規模からはじめて、徐々に大きくしていくほうが賢明だと思いますが、なぜ初めから大きな勝負に出たのでしょう。
北川:最近、始まっているアートイベントは大体がそのパターンですよね。でも、私が始めたときはそもそも前例がなかったし、乗り越えなければならない壁がどれほどの高さなのかも不明だったから、ならば、やれることは全部やってやろうと思いました。あと、私は美術って多様じゃなきゃダメだと思っているんです。美術の本当の根源というのは多様さで、その証拠に美術であれば人と違っていてもたやすく褒めてもらえます。人間ひとりひとりの違い、これが多くなければ美術の面白さはないと私は思っています。

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作品:Rolling Cylinder, 2012/カールステン・へラー  撮影:中村脩

――つまるところ、自分の信じる美術の根源を表現するために、自分のタスクをも限度を設けなかったということですか?
北川:だから、バカだってよく言われますよ。とにかく、先のことなんて考えないで、できるだけ多様にしたいと思った。ただ、それだけです。

――2000年当時、越後妻有では現代美術は都市のもので、トリエンナーレと言われても誰もが想像すらつきませんでした。それを概念として人々に植え付けることからのスタートだったと思うのですが、どうやってアーティストたちを呼んで説得したのでしょう。どうやってゼロをイチにしたのでしょう。
北川:20世紀というのは都市がひとつの問題解決になると見なされていた時代でした。けれど、現実はどうでしょう。地球環境は破壊され、資本主義そのもの、効率第一主義の問題が今となっては浮き彫りになっている。都市で働いている人たちは、私の言葉でいうならば画一化していて、平均的な人間のみが正しくてマニュアル人間になるのがよしとされる状況下で、やっぱりみんな、そんなにいい気持ちではないと思うんですよ。自分を規定し、もしくはされている環境下で、(人生とは)そういうものだと思わされている。自分の正義じゃなくて誰かの正義。自分の考えじゃなくて、誰かの考え方。学校でやらされる勉強の影響も多分にありますが、あらゆる面で固定された限定のなかで生きていて、刺激と興奮と消費はあるけれど、本当に快適なのかと佇んで考えてみると、決してそうではない。

それに対して美術というのは、アルタミラ、ラスコー(洞窟壁画)以来、その時代の最も大きな関心や課題に対して立ち向かってきたと思うんですよね。無意識にしろ、そういった関心や課題、中でも自然と我々との関係を明らかにしてきた。美術には本来、そういう働きがあるわけだから、都市の問題解決というより、もっと地球規模で私たちの仕組みそのものを問うような、そういう活動に関わっていけるはずだという信念が私の中にはあって、その信念さえがんばって伝えれば世界からアーティストをも呼べると思いました。たとえば、ニューヨークやパリといった都会に暮らすスーパースターたちも、自分の家族なり、親戚なりというコミュニティで見れば、越後妻有と同じ問題を抱えている。だから、「こういうことをやろうと思う」と伝えたら、「じゃあ、やるか」という気になってくれるものなんですよ。

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作品:棚田/エミリア&イリヤ・カバコフ 撮影:中村脩

自然に内包されれば、自然と行動力は身についていくもの

――そういったスーパースターたちと、新鋭無名のアーティストが同じ温泉に浸かりながら芸術について語り合う。それもまた格別に楽しいと聞いたことがあります。言語が通じなくても、身振り手振りや絵を描いてコミュニケーションをはかっているとお伺いしました。
北川:それこそ地域が持っている力でしょうね。これが都市ならば、英語や名刺といったツールで対応しないといけないし、お膳立ても必要。けれど、越後妻有だとツールがなくても土地が雰囲気をつくってくれます。福武さん(福武總一郎氏・公益財団法人福武財団理事長で越後妻有アートトリエンナーレの総合プロデューサー)が、何に感動してくれたかというと、風呂に入って、そこで出会ったアーティストたちといろいろな話ができたことなんですね。それが本当に嬉しかったとおっしゃっていました。そもそも、あんな広大な自然の中で、株や薬の話をするなんてバカみたいだし、バカみたいだから誰もやらない。日本には春夏秋冬があって、自然の中で毎日が目まぐるしく変わっていくということがどれほど尊いことなのか。都市化した日本では、多くの人が知らないままでいるんです。私もあの地に出会うまではわかりませんでした。地震や洪水といった大変さも含めて、人間が自然に内包されることの真の意味を、無意識に感じるのだと思います。

――行動を起こしたいけど、なかなか起こせない。そういう人が今は少なくないように思います。それでも自然に内包されれば、眠っていた行動力を呼び起こすことは可能なのでしょうか。
北川:それはもちろん自然の本能ですからね。都会で規定されているから自由に動けないと思い込んでいるだけで、自然の中では自主的に動かざるをえなくなります。それを知りたければ、まずは旅をすることでしょう。越後妻有も瀬戸内(2010年より開催されている北川氏が総合ディレクターを務める瀬戸内国際芸術祭)もうまくいっているのは私のせいじゃなくて、ただ広いからなんです。土地が広ければ、必然的に自分の頭を使いながら巡回せざるを得なくなります。

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作品:里山復興事業(その1)と(その2)/竹田直樹  撮影:宮本武典+瀬野広美

都会だと階層やジャンルや世代がセグメント化されているので、それにあったふるまいをしなければならなくて面白くない。みんなアベレージでしかモノを語らないし、すべてがマーケティングの世界です。でも、本来、人間というのはそう単純にセグメント化できるものではありません。AからZまである中で、真ん中のNやMであることが正しいように叩き込まれているけれど、現実はNやMという人間が必ずしもいるとも限らない。ウルトラZとか、Aダッシュとか、そういう人間を足して割ればNかMになるというだけのこと。個々で生きてきた歴史も違えば、性格も違うし、体力も違う。その多様性こそが人間の本質であり、面白いんです。

好奇心、率直さ、創意工夫に長けたバイキンマンは人生そのもの

北川:自分の頭で行動をして、それまで出会ったことのないような人たちと出会うことは、人間を本当の意味で面白くさせる。セグメント化された秩序の中では化学変化はおきません。私ね、そんなことをすれば嫌われるとわかっているのに無茶な行動ばかりとるバイキンマンって好きなんですよ。好奇心、率直さ、創意工夫。私の好きな価値観をバイキンマンはすべて兼ね備えている。人が楽しくやっていると仲間に入りたいのに、その入り方が分からなくて場をグチャグチャにしてしまったり、ドキンちゃんのようなどうしようもない女の子に純情を尽くしたり、アンパンマンのようには飛べないから創意工夫を凝らしていろいろなものを自作したり、バイキンマンは人生そのものみたいな感じがしていいなぁと思います。

取材・文 山葵夕子

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