【東北の新たな観光事業】100棟100色の美しすぎるツリーハウスづくり!気分はトム・ソーヤ?

子どもが大好きな物語『トム・ソーヤの冒険』。話中に出てくる、トムとハックが秘密基地として過ごしていたツリーハウスに憧れを抱いたことはないだろうか。
そんな夢のようなツリーハウスを東北に100棟つくり、そこにある豊かな自然、文化、産業を活かしながら、クリエイティブと情報発信によって、観光客を誘致し、観光事業の振興を図ろうとするプロジェクトが進行中だ。2013年10月に設立された、一般社団法人「東北ツリーハウス観光協会」事務局長の斉藤道有さんにツリーハウスの魅力とその活動について聞いた。

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プロフィール

東北ツリーハウス観光協会・事務局長・斉藤道有さん

美術家。一般社団法人「東北ツリーハウス観光協会」事務局長。気仙沼にて震災を経験し、震災以前からのまちの課題を意識しながらも、元へ戻すのではなく、新たなまちを拓いていくことを目指している。「3月11日からのヒカリ」や「100のツリーハウス」の主催をはじめ、ライフワークである地元メンバーで結成した「気楽会」や、教育、文化、観光などの多面的な活動を展開している。

元へ戻すのではなく、新たなまちを拓いていくことを目指して――「わたしたちを形作るもの」を大切にした

――プロジェクトの全貌について聞かせてください。

斉藤:もともと(コピーライターの)糸井重里さんの発案で、四国八十八ヵ所めぐりのように、東北にツリーハウスを100棟作り、新しい観光事業モデルを構築しようと動いています。なかなか人が訪れない地域を中心に、試作をかねてツリーハウスを完成させ、その後は地域の人たちと協力しあってイベント企画を一緒にはじめています。たとえば、6月にはバスツアーを組みました。関東圏からバス一台でやってきたお客さま向けに、ツリーハウスや森で楽しんでもらうワークショップを企画したところ、大変好評でした。これまで4つのツリーハウスを完成させ、現在は5つ目を宮城県気仙沼市唐桑町の漁師民宿「唐桑御殿つなかん」裏にある桜の木に、立命館大学とともにつくろうとしています。

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――仙台で暮らしていらっしゃったんですよね。なぜ気仙沼へ?

斉藤:僕は気仙沼市出身ですが、大学が仙台で、卒業後も向こうで仕事をし、ずっとアートや写真関係の仕事をしていました。けれど、ちょうど震災が起きる8ヵ月前に、「地元の気仙沼に戻って、高校生のキャリアアドバイザーを非常勤でやらないか」という打診をいただいたんです。期間も1年間と短かったので、「それくらいなら、ちょうどよいか」と引っ越してきた翌年の3月に震災に遭いました。実家も津波の被害に遭い、今はこちらで暮らしています。

――ご実家も被災されてしまったということですが…。そこから新しいものをつくろうと思うまでにどれくらいの時間を要されましたか?

斉藤:1ヵ月くらいでしょうか。“考える”というより、実家を片づけたり、行方不明になっていた生徒や知り合いを探すなかで…“感じる”ことのほうが多かったです。

――その時、感じたことをどう行動へと移していったのでしょう?

斉藤:そういう環境下にあると、仕事を含めて、自分が今まで経験してきたことが全く通用しないなという、開き直りにも似た感覚に陥りました。どうせ太刀打ちできないのなら、今までのやりかたを変えようと思いまして。それまでは何かを制作するにも、個人で制作することが多かったのですが、まずは実家の三畳くらいのスペースが片付いた時、地元の有志たちを集めました。その後、有志が集まって発足した、まちづくり的な活動体「気楽会」のメンバーらと一緒に、月に1回の定例ミーティングを開催し、気仙沼で根気強く活動している人たちと観光客がともに市内を巡る「人めぐりツアー」などを企画しました。

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――そこから、なぜツリーハウスをつくることになったのでしょう?

斉藤:僕は2012年3月11日に、震災のあった1周忌セレモニーとして、気仙沼の内湾3ヵ所から光の柱を立ち上げるプロジェクト「3月11日からのヒカリ」を催しました。2014年、2回目をやろうというタイミングで「最近の気仙沼はどうですか」と糸井さんが時間を作ってくれたんです。そこで、今までとはちょっと違う視点でこの地域を見つめなおしたら、また違うことができるかもしれないという話になったんですね。気仙沼は海の町というイメージが強いですが、いわゆるリアス式海岸なので、実際はほとんどが山に囲まれているんです。海際の街の復興はまだまだ時間がかかるけど、山側から見る海の風景はとてもきれいなので、「ツリーハウスとか、おもしろそうだね」と糸井さんから発案してもらったんです。それからしばらくして連絡をいただき、「そろそろ大勢で楽しいことをやってみても良い時期なんじゃないか」と、震災から3年目に入り、具体的なミーティングを行いました。2013年5月には、気仙沼市役所、林野庁、建築関係、マスコミ、大学等 40名ほどの参加者が集まり、ツリーハウスの夢と可能性を語り合う「へんなミーティング」を開催。そこで現地リーダーに任命されました。

――でも、ご自身は建築科卒業というわけではなかったんですよね。

斉藤:はい、まったくのど素人です(笑)。でも、やったことがないからこそ、楽しめる感覚ってありますよね。とにかく無知なので、木がある場所を探してみようとか、実際にツリーハウスをつくっている人やその現場を見に行ってみようとか、まさに“冒険”ですよね。いろいろ動いてみた結果、きちんとつくれるプロにお願いするよりも、試行錯誤しながら、人も材料も集め、まずは自分たちでやってみようという結論に達したんです。

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――震災前と震災後で仕事に対するスタンスで変わった部分はありますか?

斉藤:震災に遭った直後は、やらなくてはならないことが目の前にありすぎて、1つ1つをこなしていくことで精一杯でしたが、一番の変化は時間の使い方でしょうか。これまで、どちらかというと個人制作のために費やしてきた時間を、人と一緒にものづくりをしたり、教育や復興のために注力する時間に使いたいと思うようになりました。

――アーティストとしての気持ちの変化があったということですか?

斉藤:アートに関わらず、すべての表現物を生み出す時って、孤独な時間とそうじゃない時間の行ったり来たりが誰しもあると思うんです。けれど、震災を機に自分のことはあまり考えなく なりました。正確には、これまでよりも広く「自分のこと」として、地域や文化や歴史といったことを認識できるようになった、ということかもしれません。その変化によって、好奇心が赴くものを、人と関わり合いながらつくっていきたいという気持ちが強くなりましたね。

――ツリーハウスプロジェクトの一番の面白さは?

斉藤:見たり、遊んだり、というのも、もちろん楽しいけど、一番はやっぱりつくることです。100棟ツリーハウスがあるとすると、100通りのつくり方があって、毎回新しい人たちと新しい方法を試さざるを得ないですし、目的も必要とされる技術も違ってきます。それが何より面白い。今までの自分なら、知らない誰かと1つ1つ関係を作りながら進めていくことは、ちょっと面倒くさいと感じていたかもしれませんが、今はそのほうが刺激があって楽しいと思えます。関わる人もそのほうが新鮮ですよね。プロジェクトを進めていくうえで、“前向きさ”や“継続性”は必須ですが、どういう内容であれ、「遊び」があること、他者と関わって楽しみを見いだせるものや、好奇心を強く持てるもののほうが強いと思ってます。

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――自分の故郷であり、現在関わっている気仙沼をどのような町にしたいですか。

斉藤:物質的にも、精神的にも、オープンで居続けられる、そんな場所であり続けることが理想です。もともと港町というのは、外の人にてはオープンであり、それはもてなしの文化としてあります。それとは逆に地元の競争意識は高く、非常にシビアなんです。よい意味でも悪い意味でも、人間関係の影響が強いので、それがいい時にはいい方向へ進むのですが、そうじゃない場合は、その反動で悪い方向へと急落下してしまうケースも。ただ、震災があってからの3年半は、世代間の交流が深まって、以前よりずいぶんとオープンになったと感じています。高齢化や少子化といった、震災前から続く課題に対しても、よりみんなが真剣に取り組むようになったと感じます。特に、僕らの世代は腰が軽く、瞬発力があると思ってます。まずは、何事もやってみるというメンタルが、トライ&エラーを繰り返すことで少しずつ良くなっていくんです。そして、みんな割とさみしがり屋なので、自然と人が集まる場所ができていくと良いですね。

――斉藤さんにとって、町づくりとは?

斉藤:「まちづくりをしよう!」などとは考えたことはありません。ただ、今まで自分とは関係ないと思っていた町並みや、山や海といった自然環境って、実は今の自分自身を形作っているものなんですよね。けれど、壊れたり、失ってみたりして、人は初めて自分の世界観とそれらが密接につながっていることや、自分の生き方に広がりを持たせてくれていたものだったのだと気づくのだと思います。逆に言えば、初めから海を知らずに育っていれば、その人間に“海”というアイデンティティは形作られません。やはり、そいういった「わたしたちを形作るもの」を大切にしたいと思っています。そしてこれからも遊びの延長線上のような現在の活動を通して、人と自然、人と人の交流を伝えていけたらよいと思っています。

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取材・文 山葵夕子 写真提供:一般社団法人東北ツリーハウス観光協会
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