会社員のあなたが、本当のあなたの道を歩むための10のヒント

Tim by Arden, on Flickr
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まず、僕の体験を聞いてほしい

 あなたが現在、本来の自分とは合わない仕事をしていたってかまわない。
 何がしたいかわからなくたってかまわない。
 いくつも夢を諦めてきたってかまわない。
 やる気がおきず、ただ惰性で暮らす日々が3年も5年も続いていたってかまわない。
 おまえには何もできないって、親や友だちや配偶者に言われたってかまわない。
 もう、50才になってたってかまわない。
 それでも、あなたは、あなたの道、あなた本来の自分の道を歩くことができる、と僕は思う。

 あなたの、そのガッツがまだ着火するなら。

 まず、僕の体験を聞いてほしい。
 数えきれないほどの夢を諦めてきた。
 プロ野球選手、ギタリスト、海洋学者、マスコミへの就職、作家……
 子供の頃からの夢のリストを書くと、こんなふうになる。
 第一志望の水産学科に入ったくせに、大学には5年在籍した。ろくに学校に行けず、アイスホッケーとバイトに明け暮れた。
 とんでもなく頭の良い人にたくさん会った。どうしても数学的な思考方法が頭に入らない僕は、そのまま理系の学問を続けてモノになるとはとても思えなかった。
 海洋学者は諦めた。
 そうだ、マスコミに行こう。作家になろう。
 もちろん、僕を拾ってくれるマスコミはなく、夢を抱いたまま百貨店に拾ってもらった。そんなだから、僕は、完璧といってよいほどにダメ社員だった。
 いつも早く仕事を終わらせて、帰って家で何かを書きたい一心だった。カフカみたいに、昼の勤めを持ちながらブンガクをモノにするのだ、と。
 そうなると当然、仕事が面白いはずがない。
 その状態で10年。
 もちろん、会社での仕事も、書く夢もモノにならなかった。
 書くべきことも見つからず、書く方法も習得できなかった。
 長編ミステリー(らしきもの)を1作だけ仕上げて、有名な賞に応募した。
 自分的には信じられないことに、一次選考にも残らなかった。
 そして、『百年の孤独』を読んで、やっとそれを完全に諦めた。モノガタリを宇宙のスケールに広げるガルシア=マルケスのようなアタマは、僕には絶対にない、と。

 ついに夢、いわゆる「地に足のついていない夢」を諦めたら、自分の目の前のことを一生懸命やるしかないことに気がついた。
 そして、ようやく、僕は仕事の面白さに目覚めた。
 仕入れて売るという商売のキホンが、めちゃくちゃ面白いことを知った。
 さまざまな方法を試すと、売れ方が劇的に変わることを知った。
 マネジメントの苦しさと醍醐味を学んだ。
 素晴らしい仕事をしている先輩や上司たちを知り、自分もあんな仕事のやり方がしたいと憧れた。
 その後の10年、めちゃくちゃ働いた。
 最高の鬼上司Gさん*1の薫陶を得て、しごいてもらったのもその時期だ。
 僕は会社員、組織人として生きていくのだなと思った。

 ところが10年後、40歳ぐらいのときに、大きな壁にぶち当たった。会社の中で自分がどのように貢献すべきか、自分が何を得たいのか、将来の自分を会社の中で描けなくなった。
 折しも百貨店業界は冬の時代で、リストラが行われ、たしかに癖はあるけど、優しくしてくれていた先輩たちが、会社を去っていった。
 ほかの業種のビッグビジネスと同様、百貨店も自らの手で商売をすることから、販売業者たちのコーディネーターへと変貌しつつあった。
 偉くなれば商売人としての本質からはどんどん離れていく。
 出世を望まずに会社の仲間のためにと思って働くにしても、そんな浪花節的な価値観は、リストラとともに崩れ去ってしまった。

OO by Thomas Leuthard, on Flickr
OO by Thomas Leuthard, on Flickr

8,568通り、あなたはどのタイプ?

ともかく、なんとか古着の仕事にたどりついた

 僕の夢は、独立して食べていくことになった。
 会社ではそれなりの実績を上げており、とくに、自分で新しいことをやって、それを成功させることにかけては自信を持っていた。
 自分で自由にやらせてもらえば、絶対に儲けてみせる、と。
 だけど長い時間、うじうじと悩んだ。
 嫁に打ち明けたら、辞めてもいいよとあっさりした返事が返ってきた。
 僕の能力を買っていたわけではなく、世間知らずで楽観主義者だっただけのことであった。
 でも、ともかく、嫁の了解が得られたので会社を辞めた。
 リストラからしばらく経っていたけど、退職金の割り増しの制度が残っていたので、ある程度まとまった資金を手にした。

 そこからも話は長いのだが、ともかく、なんとか古着の仕事にたどりつき、13年間自営で食べている。
 当初、海外向け専業でネット販売をしており、自分の商材(古い着物、アンティーク着物)だけでなく、さまざまな日本の商材を売る人たちを集めてJapanモールのようなものを作ろうとしていた。
 何社かがそのシステムに参加してくれて、数年がんばればそれなりの規模はいけそうだなと思った。
 が、そこに来たのはリーマンショックで、売り上げはみるみる減少し、Japanモールの夢はついえた。
 今はアンティークからリサイクル(現代もののUsed)に商材を広げ、売り先も国内向け、楽天なども増やして、ようやくリーマンショック以前の売上規模に戻りつつある。

 そして、その仕事が安定したら、また、文章が書きたくなった。
 54歳になっても、やっぱり、文章を書きたい自分がいた。
 もう人生は長くないと思ったら、書かずにはおれなかった。
 こんなおっさん、古着屋のおっさんの書くものを読みたい人がいるのか?
 ともかく、3年続けようと思いを定め、書きはじめた。
 2度ほど諦めかけたけど恥ずかしくてやめるにやめられず、歯を食いしばって続けたら、多くの人が読んでくれるようになり、ハフィントンポストのブロガーに選んでいただいたり、こうしてリクナビNEXTさんから声もかかるようになった。

 何をやってもモノにならず、たくさんの夢を諦めてきたけど、ふと気がつくと、もともとの夢の実現に、かなり近い場所にいる自分を見つけた。
 作家ではなくブロガーだし、本ではなくネットのブログ記事と、形は変わっているけど、僕の書くテキストで誰かが勇気づけられていることに変わりはない。
 外形的なカタチは変わっているけど、本質的にはもともと僕が望んでいたことは実現しつつあるのではないだろうか。

 長い、長い回り道だったけど、そのときそのときに一生懸命頑張ったら、あるいは頑張れないときも多かったけど、それでも結局、いま僕は最も自分らしい道の上を歩いていて、自分の夢を実現しつつあるような気がする。
 いったん、完全に諦めていた夢への道に。

 ひとはそんな僕のことをどう思っているのか、よくわからない。
 芥川賞を取ったわけではなく、サッカー日本代表に選ばれたわけでもなく、起業して1000億円企業にしたわけでもない。
 でも、豆粒のような規模の商売といえども、僕は自分の納得のいく仕事をし、書きたいものを書いて、読んでくれている人がいる。
 人がどう思おうと、僕はそれで十分幸せだし、いくつかの夢を達成したと思っているのだ。
 こんな僕、何もたいしたことを達成していないただのおっさんでも、自分は夢の達成の道、本当の自分の道を歩いているという満足感がある、僕が一番伝えたいのはこのことだ。
 だから、もし、これを読んでくれた方が、「なんだ、お前みたいなちっぽけなやつが『夢』を語るなよ」と思われるとしたら、僕のこの一文はますます価値があるように思えるのだ。

 いや、実は話はそこで終わらない。
 後世に残るような小説を書きたいという夢はもう持っていない。その才能がないことはわかっているから。
 だけど、もしかして何かの本を出すとか、僕のブログがもっと影響力を持つことができたら、その先にやりたい夢がまたひとつできた。
 それは今の仕事に13年かかわることで、新たに生まれてきた夢だ。
 失われているアンティークのテキスタイル、着物の画像を100年後に残し、また、海外に発信すること。それをNPOで始めて、いつか公的機関に引き受けてもらうこと。
 そして、いつか、リアルな「日本染織博物館」を造ることだ*2。それは到底自力では造れないので、広く世間に訴えて、公営のそういう施設がいるという機運を盛り上げていければと思っている。
 もちろん、それは、遠い遠い夢であることは、わかっているのだが。

 僕の夢の旅路。
 ほとんどは諦めたけど、あるものは僕の心の奥にに潜んでいて生き返り、あるものは食うために右往左往、汗している間に、まったくゼロから育った。
 そして、方向を見失う期間があったとしても、結局、いつも夢に向かう途上に帰ってくる。

 だから、僕は多くのひとが、実は諦めていた自分の本来の道を歩くことができるのではないか、と思っている。僕が自分のブログで再三「夢」や「本当の自分に正直に生きること」を取り上げるのは、そのことを知ってもらいたいからだ。
 僕のようないい加減なオトコ、ふらふらとして寄り道ばかりしていたオトコにもできたことだ。

 あなたにもできる。
 おそらく必要なのは、何がなんでもというガッツだけである。

 参考のために、僕が考える「本当の自分の道を歩くためのヒント」の要点をいちおうまとめてみる。

Shi Xuanru 4 by Jonathan Kos-Read, on Flickr
Shi Xuanru 4 by Jonathan Kos-Read, on Flickr

8,568通り、あなたはどのタイプ?

本当の自分の道を歩くためのヒント

1. 「夢」は失ったり、心の奥に潜んだり、新たに生まれたりする

 ふつうの人には、「夢」や「とても無理そうな目標」は、子供のころに1回だけ抱くものではない。諦めたり、捨てたり、失くしたり、忘れたりもするし、新たに見つけたりするものだと思う。
 あるいは、芯にある本質は変わらなくても、細部は変わっていくかもしれない。
 どれだけ頑張っても「あしたのジョー」になる「夢」が叶わなかったら、「丹下段平」になって「あしたのジョーを育てる」夢を育めばいいと、僕は思う。

2. 自分が本当にやりたいこと、自分の道が見つからないなら、目の前のことに全力で取り組んでみよう

 どうせやりたいこと、何がやりたいかなんて、若いうちにはわからない。
 僕も55年の人生の半分ぐらいは、「夢」よりも明日の生活費や教育費を稼ぐために生きてきた。だが、それもこれも、すべて無駄ではなかった。
 さまざまな体験は僕の中に降り積もり、それが発酵しはじめた気すらするのだ。

3. 何をやっているときも、あなたがあなたである根幹、その生き様は変えるな

 何をやるにしても、あなたが一番大切にしている考え方や基準を変える必要はない。
 あなたには、お金や名声以外にも、心の底から望んでいるものがあるはずだ。たとえば、描きたいとか、人を助けたいとか、誰かを喜ばせたいとか、美しいものに触れていたいとか。
 あなたが夢へと続く道からちょっと外れている間にも、それはしっかりとココロに宿っている。それを大切に大切に育てよう。

4. たくさんの経験をしよう、なんでもやってみよう、そして、たくさんの失敗をしよう

 たとえば、あなたが「作家」を目指していながら書くことがないと思うなら、それは経験が少ないからかもしれない。
 なんでもやってみる、そして、振り返ると死屍累々の失敗の山。
 でも、その失敗の山の中からこそ、新しい夢は生まれると思う。

5. 焦るのはやめよう。あなたの本当のパッション、あなたの道はさまざまな経験をしたあと、50才や60才になってから見つかる場合だってある

 よく例に出されるように、伊能忠敬が日本地図を作ろうとしたのは50歳で家業を引退してからだし、グランマ・モーゼスが本格的に絵筆をとったのは75歳から。こういう例は、挙げればきりがないほど存在する。
 僕自身のことを言えば、自分の文章でも場合によっては、拡散力が宿ることを発見したのはつい去年のことだった。
 焦ることはない。

6. サイドプロジェクトを立ち上げよう

 「サイドプロジェクト」とは、日々の業務、メインの仕事や本業とは別に、いくらか時間を作って、自分が好きな、面白いと思う別のことをすることをいう。「副業」というと、お金目当てに過ぎないイメージがあるが、サイドプロジェクトは、それぞれの人が本当に自分がしたいことをすることで、もちろん、それでお金が稼げたら言うことはないが、そうでなくても、それが社会的に評価されることを目標とする。
 今をときめくTwitterやInstagramも、サイドプロジェクトから発している。
 本業をやって日々の糧を得ながら、自分が本当にしたいこと、クリエィティブな活動をサイドプロジェクトとして、気長にやってみればいいのではないだろうか。
 蛮勇をふるって飛び込むことだけが、成功の秘訣だとは限らない。
 僕は基本的には脱サラはすすめない。まずは、サイドプロジェクトである。

7. 「夢」を口に出してみよう、そして、ひとつのことを最低3年は続けよう

 独立したいと思って結局しない人、小説家になると言って結局ひとつの作品も書かない人、ブロガーになると言って1年も続けて更新しない人。世の中の大半はそういう人たちだ。
 並外れたパッションの泉を持っているのでもなければ、そうなりがちなのだ。
 かく言う僕も、結局会社を辞める決心がついたのは、ある宴会で「そこまで言うなら辞めろよ」と言われ、「ああ、辞めるよ」と言ってしまったことに端を発している。ブログだって、1年続けないうちに、2度ほどココロが折れかけたのだが、「人気ブロガーになる!」などと宣言していたものだから、かっこ悪くてやめられなかったのだ。
 凡人が夢に向かって継続的な努力をするためには、「公言して自分を追い込む」ということが良く効く。
 そして、3年、できれば10年は、夢の実現のために継続して努力を続けよう。

8. 親であれ友人であれ上司であれ、あなたに与えられる「親身なアドバイス」は、無視してよい

 身近にいて親身に心配してくれる人ほど、「夢」の実現に関しては否定的なアドバイスをしてくれるものだ。
 それを真に受けていたのでは、いつまで経っても自分の道は見つからない。ある人を除いて、そういう親身なアドバイスは無視してもよい。

9. あなたがその組織で全力で戦い尽くした、でも、そこに自分の道はないと感じたら、すべてを変える勇気を持とう

 どうしてもすべてを変えなければならないときが来るかもしれない。そのときは、仕方がない。一世一代の蛮勇をふるいおこそう。
 でも、これは、あくまで最後の手段だ。飛び込むといっても、本当に一か八かの覚悟をしなくてもいい。2、3回の失敗が許されるような方法を探り、家族もろとも最低の安全網を確保して、最悪の場合がちゃんと頭に描けたら、さあ、飛び込もう。(僕もそうした)

10. 配偶者とのコミュニケーション、理解、助け合い、役割分担が鍵となる

 「親身なアドバイス」をしてくれる人のうち、絶対に無視できないのは、配偶者だ。
 新しい道に踏み出すことにしたと配偶者に相談したら、全力で反対されるだろう。配偶者の支援と理解なしに、何かを成し遂げるのはとても難しいと思う。
 気長に説得しよう。
 そのときは説得できないにしても、どんな事情があるにしても、やがては子供は大きくなるし、必要な生活費も少なくなる。それが許されるタイミングまで待つ、その間はサイドプロジェクトとして技量を磨くというようなことでもいいと思う。

 夢への道行きは長く、あなたが生きている限り、その胸の内に火が燃えている限り続くのだ。

著者:Ichiro Wada (id:yumejitsugen1)

id:yumejitsugen1 profile

1959年、大阪府生まれ。京都大学農学部卒業。大手百貨店に19年勤務したのち、独立。まだ一般的でなかった海外向けのECを2001年より始め、軌道に乗せる。現在、サイトでのビジネスのほか、日本のアンティークテキスタイルの画像を保存する活動を計画中。

ブログ ICHIROYAのブログ

*1:前回の寄稿「定年退職した「最高にできる鬼上司」が後悔した、たったひとつのこととは?」を参照 http://next.rikunabi.com/journal/20140603

*2:現在、海外からの旅行者が古い着物やテキスタイルを見ようと思っても、まとめて展示されている場所はない。日本の工芸・美術の大事なひとつの分野である「着物、染織品」の資産を楽しんでもらうことは、ひいては海外からの旅行者を増やすための有効なオカネの使い方だと思っているのだ。

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