【あの町のヒーロー列伝】カープとお好み焼きに絶対寄りかからない敏腕ディレクター~広島ホームテレビ・金井大介さん~(前編)

 自分の能力に対する責任感や職業的使命に燃え上がり、今日も地元で奮闘する“あの町のヒーロー”。この連載では、そんなヒーローたちの胸の内を探るべく、これまで歩んできた道のりや、地域と仕事への想いについて語っていただきます。最終ゴールは47都道府県制覇!今回は“広島東洋カープ”と“お好み焼き”の2大巨頭と対峙する、ジャージ姿のヒーローから…。

本日のヒーロー:広島ホームテレビディレクター 金井大介さん

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(プロフィール)国際基督教大学教養学部卒業。広島ホームテレビ(HOME)の制作部門を担うホームテレビ映像に所属するテレビディレクター。広島県のみならず、13県のテレビ局でも放送されている人気バラエティ番組『アグレッシブですけど、何か?!』の総合演出を担当。企画・撮影・編集・MAをほぼ一人で手がけている。同番組にて、テレビ朝日系列 第11回ものづくりネットワーク大賞優秀賞を受賞(2007年)。番組上での名前は「カナイマン」。

■絶対王者“広島東洋カープ”と“お好み焼き”に挑む

 広島ホームテレビの人気深夜番組『アグレッシブですけど、何か?!』の総合演出を手がける金井さんは、広島の県民性を「保守的なのに、飽き性」と辛めに批評する。

 身内が好きで、内輪ウケが好き。新商品を開発する際は、必ずテストしなければならない県として挙げられる「保守的な広島」。それを象徴する存在が広島東洋カープ(以下、「カープ」)とお好み焼きだ。金井さんいわく、今年で8年目を迎える『アグレッシブですけど、何か!?』も、2大王者のカープとお好み焼きを前に、ここ広島ではまだまだ新参者扱いなのだとか。

「みんなカープとお好み焼きが大好きで、その二者がどっしり構えているから、なかなか振り向いてもらえないんです。カープのパワーは本当にすごい。カープの話題を取り上げたら、平気で占拠率50パーセントくらい取りますから。お好み焼きも週3は食べます。カープとお好み焼きは習慣であり、文化であり、生活の一部。だから、絶対、飽きられない」

 その一方で、広島県民はカープとお好み焼き以外のものはすぐ飽きるという。そんな広島県民をなんとかつなぎとめるため、常に手を変え、品を変え、新しいものを提供し続けなければならない。絶対王者へのライバル心はむき出しだ。

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「カープには絶対寄りかからないし、グルメにお好み焼きは絶対入れない。これは半ばポリシーにしています。おんぶに抱っこにはならないぞと…」

 どんなに自由に制作しようと心掛けていても、どこかでローカルっぽいものを出さなければならないという使命感が時節うずくのも悩みの種だ。困ったときについ頼りたくなるのは場所、言葉、食べ物。けれど、それを全部取り除くと、今までやってきたことのないものが見えてくるはず。そこを追求する金井さんたちのトライ・アンド・エラーは尽きることがない。

「20年前のマドンナの世界ツアーで、全世界通しても客が埋まらなかったのは広島だけなんです。そんなところで僕らは勝負しなければならない。マドンナを超えなきゃいけないんです。だから、前例に投資はしない。常に広島で誰もやったことのないものを追い求めています」

■銀行員から遅咲きのADへ

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 そんな金井さんは、元銀行員から転身した異色のテレビディレクターだ。大学3年生の就職活動の際は、「自分が何でもできると、全能感に見舞われた勘違い野郎」だったという。

 テレビ番組を作りたいという意向から、就職活動中にキー局を受けたものの、ことごとく失敗。しかし、自分はなんだってできると夢を大きく語り、給料も社会的ステータスも高く、海外へ行ける会社へ行くと決めていた当時の金井さんには、地方局に就職するという発想はなかった。内定をもらった中から先輩が全員海外へ行っていた銀行を選んだ。

 ところが、いざ銀行員になってみるとモチベーションが全く上がらない。金融や商社に進む人は、大学時代からきちんと勉強しているため勝てるわけないがないと、2年で退職。「どうせなら、全力で注げる職業に就きたい」と就職に対する考え方を変えた金井さんが選んだのは都内にあるテレビ制作会社だった。

 銀行という安定した仕事から、遅咲きのADとしての再スタート。月7万円のマンションに住みながら、最初の1ヵ月分の給料が7万5千円。先輩ディレクターからおごってもらっても生活費が足りず、貯金を崩しつつ生活していた。

 その4年後、転機となる出来事が起きる。のちに2004年度ギャラクシー賞の最優秀賞を受賞することとなった企画『吹奏楽の旅』に末端のADとして参加するチャンスを得たのだ。日本一吹奏楽が強い高校生に密着するため、睡眠時間が約2時間の苛酷な撮影を2ヵ月間続けた。早朝6時から練習を始める生徒たちを撮るために朝5時半からスタンバイ。吹奏楽部を率いていた顧問の先生は、生徒たちをよく怒鳴った。

「オレたち、日本一を取るんやで! わかっとるんか! お前ら、日本一のトランペットか! 日本一のオーボエか! 日本一のクラリネットか!」

 そして、先生は金井さんを指差した。

「お前、日本一のディレクターか!」

 先生の放った矢は、金井さんの胸にズドーンと突き刺さった。「自分には覚悟が足りない。この子たちを本当に日本一に描くなら、日本一のディレクターにならないといけない」とやる気スイッチが入ったのはそこからだ。撮影の合間をぬって、上達するコツを顧問の先生に聞くと、返ってきた答えは「人のせいにしないこと」。

 その言葉を聞き、「オレはいつも人のせいにしている。演者のせい、カメラマンのせい、ディレクターのせい、ADのせい、取材対象者のせい、視聴者のせいって……」と猛省した金井さんは、その撮影が終わると自身の将来について再び考えるようになる。

 当時、配属されていたバラエティ番組のスタッフは約60人。総合演出家、演出家、ディレクターといて、金井さんは末端のADだった。自分ひとりでそのすべてを手掛けたら気持ちがいいだろうなといつしか理想を思い描くようになる。けれど、現実は厳しい。上がつかえている。制作会社であるがゆえ意見は通りにくい。だからと言ってフリーになる勇気もない。そこで目を向けたのが地方局だった。当時のテレビ朝日系列はバラエティが弱く、地方局にいたっては、バラエティ番組はほとんど無かった。もしかすると、全部一人でやれるチャンスがくるかもしれない。

 仕事の合間をぬいながら、地方局への就職活動を続けたところ、最初に内定が出たのが、広島のホームテレビ映像だった。東京で大物バラエティタレント二人がMCを務める3時間のスペシャル番組をディレクターとして撮り終えたあと、自身の故郷である広島へと向かった。

>>後編へつづく

取材・文:山葵夕子  写真提供:株式会社広島ホームテレビ

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