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リクナビNEXTジャーナル

キャリア・ビジネスの情報満載【リクナビNEXTジャーナル】

入国拒否に強盗襲撃…自転車旅はトラブル続き。だけどやめようとは決して思わない――“自転車冒険家”西川昌徳の「僕が自転車で世界を旅する理由」 season1

10年間で27ヵ国、80,000kmを自転車だけで走り抜けた男がいる。その名は西川昌徳(33歳)。
世界各地の旅先で自力で水や食べ物を確保し、寝る場所を見つけテントを張る。トラブルなど日常茶飯事。時には命の危険を感じることも。それでも彼はゴールを目指し、日々ペダルを踏み続ける。そんな経験を日本中の子どもたちに知ってほしいと、小学校での授業や講演活動も続けている。

彼にとって「自転車で世界を旅すること」とは一体何なのか? なぜこうした経験を子供たちに伝えたいと考えたのか? 今年1月、アメリカ大陸縦断の旅から帰国したばかりの彼に、今回の旅、これまで人生、仕事に対する思いを全4回のインタビューでじっくりと伺った。

今回はその第1回目。旅を始めて早々、早速思わぬ災難に出くわすことに……。

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西川昌徳(にしかわ・まさのり)
1983年兵庫県姫路市出身。徳島大学工学部卒業。これまで11年間で世界27カ国80300kmを走破。「旅するように生きること」をテーマに自転車で世界を旅する中で生まれた出会いや経験を伝える活動を続ける。ICTを用い世界の今を伝える「教室が世界とつながる」Skype授業を日本各地の公立小学校の年間カリキュラムとして実施。福島県特別非常勤講師。福島県新地町ICT活用協議会アドバイザー。2014年ファウストアドベンチャーズAG社会貢献活動賞受賞。
公式Webサイト「ぼくの地球を走る旅」
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自転車で世界を旅するということ

──西川さんはいつ頃から自転車で世界を旅しているのですか?

大学を卒業してまずは2007年から2回に分け、足かけ3年半でユーラシア大陸横断。それを皮切りにアラスカ、北米、オーストラリア、東南アジア、ニュージーランドなどを走破。そして昨年(2016)6月末から今年(2017)の1月初旬まで、カナダからメキシコまで自転車で旅してきました。これまで訪れた国は27カ国。今回の旅で走破した距離は8万kmに達しました。地球が1周4万kmなのでちょうど2周分ですね。

──なぜ自転車で世界を旅しているのですか?

自転車の旅ってね、ものすごくおもしろいんですよ。通常の旅だと飛行機とか電車とか乗り物に乗って移動しますが、その間ってあくまでも目的地に到達するまでの移動の時間ですよね。でも自転車は当然自分の足で漕がないと前に進まないし、自分で寝床を探さないといけないし、自分で水や食料も確保しないといけない。移動中にはいいことも悪いことも含めていろんなことが起きます。だから自転車で旅するということは丸ごと生きるってことなんですよ。今まさに、生きているという実感を得られるんです。

海外に出たらさらにそうですよね。最初は恐いわけですよ。今までの国内や観光地の旅行とは違って、草原や砂漠にテントを張って野宿したり、言葉も通じない、名もないような村に入ったり。でも飛び込んでみたら全然違ってて、ピンチのときに人に助けられたり、家に泊めてもらったり。いつのまにか“ドキドキ=怖い”だったのが、“ドキドキ=おもしろい”に変わっちゃったんですよ(笑)。

その自転車の旅での経験や感じたことを学校で授業の一環として話しています。僕が子どもの頃、こういう世界中を旅している大人の話を聞きたかったなと思い、2012年から小学校で授業や講演をしたり、旅先で日本の小学校の教室とインターネットで繋いでスカイプで授業をしてるんです。それが僕のもう1つの活動の柱なんです。

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▲学校での授業の様子

いきなりの「アメリカ入国拒否」

──自転車旅のやりがいや喜び、始めたきっかけ、授業などについては後ほど詳しくうかがうとして、今回の自転車でのアメリカ大陸縦断の旅について教えてください。そもそもどういうスケジュール、ルートで臨んだんですか?

当初は昨年(2016年)6月末に日本からカナダ・トロントに渡って、6ヵ月間をかけてアメリカ、メキシコ、中米諸国を抜けて、ゴールの南米コロンビアまで走りきる予定でした。でもいきなり、旅の予定が大幅に狂う、大きなトラブルが起こりました。カナダに着いた翌日、アメリカに入国しようとしたらなんと入国管理官に拒否されてしまったんです。こんなことは初めてでした。

いつもは僕ら日本人はビザがいらないから、アメリカ国境の入国管理局でパスポートを出したら担当者にポンと入国スタンプを押してもらって簡単に入国できるんですよ。でも今回はナイアガラフォールズの入国管理局でパスポートを出したら、「君、ちょっとこれ問題があるから向こうのオフィスに行ってくれるか」といきなり別室送りになっちゃったんですよ。そのまま2時間くらい待たされた頃、めっちゃでかくていかつい職員が出てきて、僕に尋問を始めたんです。「お前、なんでこんなとこおんねん!」と。「え、どういうこと? 僕、何も悪いことしてませんよ」と答えると、「お前のこのパスポートの入出国記録見ると、イランに行ってきてるな。イランに渡航歴のあるヤツはアメリカにビザなしでは入れへんのや」と言いよったんですよ。そんなことは聞いたこともなかったので、「え、そんなん知らんよ、僕」って言ったら「ルールが変更になったから、君はアメリカには入れへんのや」と。実は、2015年末から、2011年3月1日以降にイラン、イラク、スーダン、シリアに渡航・滞在したことがある旅行者にはESTA(電子ビザ)が取得できないようになってたんです。そして僕は2012年のユーラシア大陸横断の際にイランを旅していたんです。ちなみにイランが今まで旅してきた中で一番人が優しい国でした(笑)。

これカナダに着いて2日目ですよ。しかも、子どもに「行ってくるよ! 半年後に会おう!」とかっこつけて出てきてすぐ(笑)。「僕は子どもたちと世界をつなぐために南米まで自転車で旅したいだけなんや。どうしたらええんや!」って聞いたら、「君はアメリカに入るにはビザが絶対必要やから、これから日本に帰ってアメリカ大使館に行って、ちゃんとビザを申請して、取得できたらまた来なさい」と。いやいや、そんなお金も時間もないから(本音は子どもに格好がつかんのがメイン。あとは授業としてやっているので予定変更は大変)、「ほかに何か方法はないんですか?」って聞いたら「取りあえずカナダにあるアメリカ大使館で申請してみればええんちゃうんかな。日本人がそこに申請して通るかどうかわからんけれども」と。そう言われてネットで調べてみたら、時々僕みたいな旅人がおるみたいで、オンラインでビザ申請書類を英語作成し、アメリカ大使館で面接を受ければビザがもらえるということを知りました。

かつてない不安

いつから面接を受けられるかなとカレンダーを見たら、7、8月が全部予約で埋まってて、1番近くて9月18日しか空いてなかった。でも僕2ヵ月何すんねんと。その日はまた自転車でトロントのユースホステルまで帰らざるをえなかったんですが、この時はこの先どうなるんやろという先行きの見えない、かつてないほどの不安を感じながらペダルを漕ぎました。

それから他の大使館を調べたら、バンクーバーの大使館だけが3週間後に1日だけ空いてたので、もうここで受けるしかないとその日に予約して、そのためだけに飛行機でトロントからバンクーバーまで飛んで、大使館でビザを申請しました。なんとあれだけ緊張した面接は2分で終了。あっさりビザがおりました(笑)。でももうこの時には現状を受け入れてやるしかないと気持ちは切り替わっていたので、「これからは全く予想もしない旅の始まりだ!」と、かえってやる気が湧いてきました。

──ビザ申請の結果は?

7月24日、無事バンクーバー領事館でアメリカビザを取得できました。もう、「ああ、よかった!」という言葉しか出なかったですね。それでやっとアメリカに入れたわけです。

ビザの発行までに数日かかったので、バンクーバーを出発したのは8月7日でした。その間、バンクーバー近郊をツーリングしたり、知人の家から日本の子どもたちにスカイプ授業をしたりしていました。

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▲無事にビザを取得!

すったもんだでアメリカビザ、取得

──カナダに着いてから1ヵ月ちょいで、ようやくスタートですね。その後のルートは?

当初のルートは白紙に戻して、取りあえずバンクーバーからブリティッシュコロンビア州ネルソンへ向かいました。2013年にアラスカからロサンゼルスへの旅の時にアメリカ西海岸は走っているので、今回はアメリカ内陸のルート、ロッキー山脈に沿って走るグレートディバイドトレイルという世界中の変態が集まる3000km以上も続くトレイルに挑みたくて選びました。

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▲当初のルート

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▲実際のルート。ビザ取得のため、バンクーバーからスタートとなった。

鉄砲水によりテントに大量の水が。気づくと…

──それからは順調にいったのですか?

それがその後もトラブルの連続だったんですよ。山中やハイウェイでパンクしたり、3000mで雪に降られ、それが溶けて一瞬で田んぼみたいになった泥道でスタックしたり、風で自転車が飛ばされて一眼レフのカメラが壊れたり。特にパンクは今回6ヵ月半の旅で合計38回しました。過去最高です。パンクってね、著しくやる気を奪うんですよ。やる気も空気と一緒に抜けていくんです(笑)。

その中で、これまでの10年に及ぶ旅の中でも経験したことのないような大きなトラブルが2つありました。1つは10月26日、アリゾナ州のグランドキャニオンの近くを走っていた時、雷が見えたので、これはやばいとトンネルの中で自転車を止めてテントを張りました。間もなくすごい雷と豪雨になった。サンダーストームというやつです。急いでテントの中の荷物を片付け始めたのですが、あっという間にテントが外からの水圧で押し流され、気がついたらテントごと激しい濁流に流されていたんです。

しばらくして排水溝を抜けたところでテントのチャックを開けてはいずり出て、テントと荷物と自転車を川となった道路から何とか引っ張り上げました。寒くて恐かったのですが、幸いなことに僕自身はケガをしてないし、心は元気。明日が来れば太陽が出る。何とか朝までこのまま耐え忍ぼうと思いながら、濡れたテントの生地にくるまりながら朝を待ちました。めちゃめちゃ寒かったです。この鉄砲水でカメラやテントなど、いろんなものが水没して、僕含め泥まみれになってしまったんです。

違う場所に避難するか、20秒ほど選択の余地があったんですが、これまでの経験と予測ではここまでひどいことになるとは思わなかったんですよ。でもテントを上げられただけでもよかったです。

▲鉄砲水に流された時の模様をYouTubeにアップ。緊迫感が伝わってくる

メキシコとの国境付近。「死」を覚悟することに…

──もう1つのトラブルとは

旅も終盤に差し掛かった12月、バハカリフォルニアからメキシコに入ることにしたのですが、友人から「メキシコの国境付近は危ないから、気をつけなよ、絶対にはよ通り過ぎなアカンで!」と強く忠告をされました。12月4日、そのメキシコの国境付近の町で大変なことが起こったんです。

アメリカのサンディエゴという町からメキシコの国境が近づくにつれて看板の文字はスペイン語に変わり、メキシコ人が増えていきました。もう完全に今までの雰囲気とガラっと変わって、めちゃドキドキしてました。国境を越えてメキシコ側のティファナという町に入ったのですが、めっちゃ雑多な感じなんですよ、ゴミがいっぱい落ちてて、人がいっぱい歩いてて、言葉もいきなりその瞬間わからへんようになる、建物もボロいし、うわ~こえ~、はよ先行こ~と思いながらそのティファナという町を越えました。

この日の目的地のロザリートという町では安全のため絶対ホテルに泊まろうと思っていたんです。その後、段々慣れてきたらいつもの旅のペースに戻そうと思ってたんですが、なんとロザリートに着いたのが夜になってしまったんです。ロザリートの町、全然街灯ないんですよ。真っ暗やしホテルが全然見つかれへん。やっべえ、周りよう見えへんしどないしようと思って自転車で走ってたら、ビーチを見つけました。

遠くまでずっと見渡せるんやけど、いくつか砂の山があって、周りから見えへんようになってました。今日はホテルが見つかれへんから、ここで誰にも見つからないようにキャンプしようと思って、いつものようにテントを張って、やっと一息ついたとご飯を食べて着替えて、寝に入りました。でもその夜はなかなか寝つかれへんかったんです。今後のスケジュールどうしようとかいろんな考えないかんこともあったし。でもいつの間にか寝てました。

そしたら夜中の1時くらいやったと思います。スっという音がしたんですよ。しかもすごい近くで。夜中、テントで寝てる時ってなんか変化があったらすぐに起きれるようにっていう意識が働いててけっこう敏感になってるので、わずかな物音でも目が覚めるんです。

その時もえっと思って、目を開けました。普通、テントの中で目を覚ますとテントの生地が見えます。けど、その時はテントの生地がなかったんです。そこには空があって、黒尽くめの男2人がいたんです。あっ! と思った瞬間、もうボッコボコに殴られ始めました。わけがわからないから両腕で顔と頭をガードしながら、男たちの方を見たら、1人の男が僕に拳銃を向けてたんですよ。

第2回<強盗に銃を向けられ、身ぐるみ剥がされ…それでも「こぎ続けたい」>に続く

連載<“自転車冒険家”西川昌徳の「僕が自転車で世界を旅する理由」 season1>記事一覧はこちら

  文:山下久猛 写真提供:西川昌徳